Ep.9
異世界トリップを果たし、旅芸人の一行に同行して、約数日が過ぎた。
わたし達は今、次の町に向かうため、ここ二、三日の間、ずっと森の中を移動していた。
「もう怪我の方は大丈夫だよ」
ルイさんが足首から手を放して、穏やかに微笑んだ。彼の瞳の冷たさも、幾分か軟化している・・・と思いたい。
「ありがとうございます」
「それにしても、この直り具合は尋常じゃない。普通なら、一カ月はかかるはずなのに、君はほんの数日で完全に快復した。・・・・君の居た国はみんなこんなに体の治りが早いのかい?」
少し興味を持ったように尋ねてきたルイさんに、わたしは首を振った。
ニールくんはハンモックの一つでお昼寝中だ。
「いえ、わたしの居た世界の人々は、みんな普通の人間です。わたしも、よくわからないんです。なんでこんなに直りが早くなったのか。いつもはもっとかかるのに・・・」
その時、急に馬車が止まった。まだ、森の中に居る。
何事かと思っていれば、移動車の扉が開き、カインさんが顔を覗かせた。
「おい、あんた」
「はい」
「近くに湖がある。水浴びでもして来い。後、これに着替えな」
カインさんはそう言って何かを投げて寄越した。
それは、服一式。しかも男の物。
そいえば、わたしはまだ向こうの服装をしていた。先日洗ったものの、この頃ちょっと臭ってきた感はあったのだ。それに、元の世界の服のままでは他の人間に怪しまれる。これに着替えろと言う事なのだろう。
「わかりました」
わたしは移動車から降りて、セピアと共に湖に向かった。
「あんまり、遅くなるなよ~」
「はい」
出かけ際、サンジュのおっさんにそう声を掛けられた。
ルイさんやカインさん、バーントさんとはまだそんなに親しくは出来ていないが、サンジュのおっさんには大分慣れて来た。ニールくんとセピアは完全に懐いてくれたので問題はない。コウヤさんも、いつも静か過ぎて近寄りがたいオーラを発しているが、わたしをそんなに嫌ってはいないようで、それなりに親切にしてもらっていた。洗濯の仕方も彼から習ったのだ。
コウヤさんは、この一行の中で、炊事洗濯を任されているらしく、食事もすべて彼が用意してくれる。わたしも何かしたくて手伝いを申し込めば、わりと簡単に手伝わせてもらった。
バーントさん達とは大違いだ。失礼ながら。
そこで分かった事、それは、この世界にある調味料や料理の仕方。
材料は大体、向こうのモノと似ていた。魚も、肉もある。野菜だって、玉葱や人参、ジャガイモも存在した。
しかし調味料は、塩と胡椒ぐらいしかない。後は、七味唐辛子のようなものと、なんだか良くわからない調味料達。多分、インドやその辺りの国で使われるタイプなのかもしれない。わたしには良くわからなかったけど。それは、今勉強中だ。一日一つずつ、コウヤさんの指導の元、味や成分などを学んでいった。実際に舐める事で味を確かめて、どんな料理に使うか教えてもらっていた。
そして料理の仕方。この世界には、電気なんてものはない。なので、マッチのようなものと薪で火を起こし、その上でフライパンを使って料理をする。
● ● ● ● ● ● ●
セピアの誘導の元、湖に辿り着いた。そこで、三日ぶりに水浴びをした。前もって渡されていた石鹸のようなもので体と髪の毛を洗い、冷たい湖の水で濯ぎ(そそ)流した。その冷たさは今も少し辛いが、これも慣れだと思って我慢する。
しっかり洗い終わったところで、カインさんに渡された服に着替えた。
服は、完全に洋風とは言い切れない、極めて微妙かつ複雑なデザインだった。ここは異世界。深いところは気にしてはいけないのだと、改めて勉強になったぞ。
襟の立ったシンプルな長袖のシャツ。その上に前後ろ色の違うベストを重ねて着る。その上に更に丈の長い上着を着込めば上は完璧。これは常にセットのように扱われるらしい。下は、ズボンと膝丈のブーツ。ブーツの中にズボンを入れることで、どことなく騎士のような服装を連想させる。首には、スカーフのような薄い布を巻いて、シャツの中に押し込む。
人によってデザインは少しずつ違うものの、大体は同じようなタイプである。
もう、完全に異世界なんだな。もしくは中世ヨーロッパか。日本には、こんな服絶対にないし、絶対に流行らない。第一に、誰もこんな服似合うわけがない。
サンジュのおっさん達は、わりと彫りの深い顔立ちだから合うのだ。じゃあ、わたしは・・・考えるのは止めとこう。
わたしの着ているものは、全体的に薄い緑でコーディネートされていた。イメージ的に颯爽とした感じ。ベストの袖には金色の糸で細かい刺繍がされている。ズボンは薄い茶色で、ブーツは黒。多分、コウヤさんが選んでくれたんだろう。バーントさんやカインさん達がやるとは思えないし、サンジュのおっさんにこんな良いセンスはない。となれば、残るのはコウヤさんただ一人。
いつも無表情で何を考えているかわからない彼だが、もう慣れた。というか、やさしいので気にしない。
服を着終わり、マントを身に纏って、セピアと共に元の場所に戻った。
日はすでに暮れ始めている。
今夜はここで野宿という事になるだろう。
「おぉ、帰ってきたか」
「ただいま、戻りました」
「・・・・・お前、男みたいだな」
「ははは」
サンジュのおっさんの指摘に、わたしは力なく笑うことで返事をする。
そう、それはさっきから思っていた。わたしは普通の女性より背は格段と高い。それに、顔もどちらかと言えばすっきりとしていて、絶対女顔ではない。加えて男性服だ。 もう、これは完全な男装だ。茶色の髪も一応腰くらいまであるが、ルイさんやコウヤさんのように、長髪の男性も普通に居るのだ。女性に見られなくなるのは当然かもしれないな。
でもいいんだ。この世界では、わたしは男装して生きていく。よし、今決めた。
「でも、まぁ、似合ってるからいいんじゃないか?丈も合ってるみたいだな」
「はい、ぴったりでした。・・・でも、どうやってわかったんですか?」
「あ?・・・・まぁ、コウヤがな、これくらいだろうって見当つけて出してくれたんだ。俺は知らん」
サンジュのおっさんが言った。
やっぱり、わたしの予想は外れてなかった。
わたしは、移動車の中に戻った。
中には、バーントさんとカインさんしか居なかった。
「「・・・・」」
わたしが中に入って行った瞬間だけ、二人は視線をこちらに向けたのだが、特に何かを言うわけではなく、すぐに自分の持っていた書物に視線を戻す。
すごく、居づらい。
正直、この二人が一番苦手だった。
ルイさんのように、本心を隠して接してくれるならまだしも、二人はあからさまにわたしを拒絶している気がするのだ。
彼らからしてみれば、わざわざ隠す義理もない、ということなんだろうけど。
自分が今まで来ていた服を、自身にあてがわれた引出しの中に仕舞うと、わたしは早々にその場から退散する。
そして、コウヤさんが居るはずの長方形馬車の後ろに回った。そこに、食料が詰められているので、きっと居るだろう。もうすぐ夕食時だ。
案の定、彼はそこで今日の夕食の材料を探していた。
セピアは移動車を動かしてくれている馬の傍で寛いでいるので今は居ない。ニールくんとルイさんも、わたしと入れ替わりで湖に行ってしまったようだ。
わたしはそっと近寄って声を掛ける。
「コウヤさん」
「マツリさん、着替えてきましたか」
「はい。ピッタリでした、ありがとうございます」
「それはよかった」
ほとんど無表情に近い顔でそんな事を言われるのも、そんなに気にならなくなった。
余談だが、わたしの名前を呼んでくれるのは、コウヤさんとサンジュのおっさんだけだ。いや、二―ルくんもたまに呼んでくれるか。しかし、ルイさんとカインさんとバーントさんはわたしの事を、「君」「あんた」「お前」などで呼んでくる。それが彼らなりのわたしに対する拒絶に思えて、その度に悲しくなるのは自分だけの秘密。
「わたしも、何かお手伝いします」
「・・・・では、この材料を持っていてもらえますか」
「はい」
コウヤさんから、今日の晩ご飯の材料らしき食材を受け取った。今日は肉を使うらしい。
それから、コウヤさんの後に続き、今夜の調理場になる場所に向かった。
コウヤさんが材料を切っている間に、わたしは近くから木々を集めてくる。これは、すっかりわたしの役目として定着していた。
薪を一箇所に集めたところで、マッチのようなもので火をつける。木々が勢い良く燃えてきたところで、コウヤさんが鍋を取り出した。火を焚いている両端に、太い金属の棒を突き刺して、そこの間に棒を通し、その棒に鍋を引っかける。キャンプやどこかの映画でもよく見かけるものだ。
「今日は、スープなんですね」
「はい。今日は冷え込むようですので」
「何のスープですか?」
「ヤギの肉で作ろうかと」
「わぁ」
「ヤギはお好きですか?」
「もちろん、大好きですっ」
「では、マツリさんの分は他の人より、多く入れましょう」
ヤギの肉は中々おいしいのだ。一昨日初めて食べたが、意外にいけた。食べれる物は食べる。それが、旅で必要な心意気の一つだと、サンジュのおっさんが語ってくれた。
コウヤさんのご要望で水を汲みに行った後、わたしはぼんやりとコウヤさんの料理姿を眺めていた。彼も、そんなわたしを咎めたりしないで、好きにさせてくれる。
今、一番一緒にいて安心するのが彼かもしれない。
すごく謎めいた人ではあるけど、会話は成立するし、優しさも見せてくれる。顔の系統も東洋よりなので、なんだかお兄ちゃんを持った気分だ。
「おねーちゃん!!」
「わっっ!?」
そんな掛け声と共に、勢い良く後ろからアタックをかまされた。大きく前方に体がのめり込むも、火に衝突するのは嫌なので、気合いでとめた。
こんな事をするのは、一人しか居ない。
「二―ルくん、お帰り」
「ただいま。・・・コウヤ、もうご飯出来た?」
「もう少しです」
いつの間にか、日は暮れていたし、みんな集まっていた。カインさんに至っては、わたしの隣に座っていたのだ。そんな事にも気づかずに、わたしはぼーっとしてしまっていたらしい。
ちょっと恥かしかった。
すっかり闇と化した辺りを、炎の光が明るく照らす。その炎を囲むように、わたし達は座る。この瞬間、わたしはどうしても違和感を憶えるのだ。
理由は特にない。ただ、いつまで経っても慣れないだけ。
みんなで今夜の夕食のスープ(味や見た目はシチュ―のようだった)を食べた後、わたしとニールくんはいつものように、みんなより先に休んだ。ちなみに、わたし達は二人でソファーに眠る。
他の男性陣は、炎を囲んで色々語り合っているらしい。そこに、わたしの居場所などあるはずもない。
それでもよかった。自分はちゃんと生きてる、そう思えるだけで、わたしは安心感を覚えていたから。