第七章:あさひゆめびし酔いもせず(ろ)
『自殺は寿命では無いのか?』
そんな疑問を生まれてこの方この歳まで散々悩みに悩んで、それこそ本当に頭が禿げるぐらいまで自問自答した最大の疑問である。だけど結論は結局“それは個人が決める事”という面白くも無い結果に終わった。
自殺という行為は死に方というカテゴリーの中にある行為の一つなのだけど、自殺を選ぶのは個人であって他人では無いのだから、そこで人生を終わらすのはやはりその人の寿命では無いのかと考えていた。
短い長いは脇に置いとくとして、そもそも寿命とはどんな物だったのか、僕にはいまいち良く判らないでいる。
寿命というのは老衰して死ぬ事が寿命をまっとうしたという事何だろうか? その辺が酷く曖昧で、酷く抽象的な気がするのだ。
人が事故で死亡する事と人が老衰で寿命をまっとうする事と何処がどう違うのだろう? そもそも人は死ぬ事に敏感ではあっても寿命という定義には曖昧で無関心だ。
そう考えると件の自殺という問題である。
そもそも、自殺というのは人生に絶望、或いは逃げ道を失った状態の人間が自殺を試みると思うのだが(この場合、リストカット及び生きる感触が欲しいという理由で自殺する人は除外とする)その場合もやはり、人生をまっとうして生きたのでは無いのかと推測する。
ならば自殺は寿命と言い換えても良いんではないのだろうか?
それともやはり自殺は自殺というカテゴリーでしかなく、そんな概念的感情に何も意味はないのだろうか?
ならばそれは寿命も意味のないことになるんじゃないのだろうか? というか自殺に対してもそんな概念自体ないのであればそれは寿命自体意味がない。それすら曖昧だというのに何故自殺を自殺と決め付けれるのだろう?
それは寿命かも知れないじゃないか。それを何故人は自殺と決め付けるのだろう?
自殺というのは多数に折り重なった生き方、死に方から一本を選び掴んだ為に自殺と名称されるたのだから、やはり自殺というのは寿命では無いのか。
でもそうするとある種の矛盾も生じる。
それが“他殺も事故もすべてが寿命では無いのか?”というありふれたようで当たり前じゃない答え。
結果なんて誰にも分からないし、結論だって誰にも分からない。それは一種の麻薬見解。
自分が納得すればそれでいいのだとは思うのだけど、どれほどの理論武装で固めた所で、哲学はやはり哲学なのだ。
僕には運命とか寿命とかそんか自力見解を得るには些か、知識と世間を知らない。
確かに自己見解しかり自己知識としては、その価値は価値観よりも優位に立つかも知れないが、所存はイカロスの羽根みたいな物だろうと思う。
知識が無ければ何も見いだせやしない。勿論、それが知識なのかどうかは別としても、知識が無ければ何も描けないし、思考は必ず壁に当たる。
だけど僕の場合は知識自体存在のだからこれは自己満足の自己見解だ。考える事はある意味苦痛にしか過ぎない。
簡単な事を考えるのならば簡潔に――が理想なのだけれど、簡潔に伝えたとしても相手にそれが100%伝わらなければ、それはただの戯れ言にしか過ぎない。
所詮、これは理想であり理想という名の幻想である。
人に物事を語る時には、自分を通して相手に伝わらなければならない。でも、それは結局筋違いもいいところで、誰もその話が正解だとは思わない。
間違いでも無ければ、正解でもない知識は結局は自分の自己満足でしか無いのだ。その後に残るのは嫉妬と侮辱でしか無いのだ。
何もないなら別にいい。
何も得られないならばそれもいい。
ただ言いたい事はただ一つだけ。
そこに『何が』あるのか。
それが多分救いだ
もしも世間を一般常識とするならば、運命の中に寿命は存在しているのであって、運命を寿命言い換えるのは難しい。
海を川と言うようなもんだ。
それは少しばかり無理があるし、どう考えても運命を寿命とは言い切れない。
そうなるとやはり、事故や他殺を寿命とは言い切れないのはそれが、他殺であり自殺であるからだ。
でも、運命と言うのは一貫して、個人が産まれて死ぬまでの事を言うのだから、あながち間違いでは無い……と思う。
やはり、運命=世界的になるのだろうか?
それとも、世界=運命なんだろうか?
万、何億という数の運命から引いたハズレくじみたいな物だ。出店でよくある紐引きといえば分かりやすいかな?
つまりは寿命=運命というのは間違いであり、寿命が短い、長いという基準は本人が決められるのでは無いだろうか?
自殺という概念を一つに絞ってみれば、運命というよりもそれは寿命であり、死にたくなった人間は死んでしまう。
それだけの話では無いだろうか? いやこの見解はどうなのだろうか?
他人がその人の自殺願望を救えるだろうか?
それは論文を書くよりも遥かに難しく、真理を知るよりも簡単だという事だ。
空に憧れれば人間という存在は空から墜ちるのが万人が持つ常識である。
では何故人間は空に憧れるのか?
それは、世界は広いように見えて案外狭いからだと思う。
世界という空間ならば広いが、認識できる範囲は自分が思っているよりもずっと狭い。
せいぜい隣町ぐらいだろうか?
それが人間の持つ最大の弱点であり、人間が脆い部分であると僕は考える。
視野が広い狭いとかじゃなくて、人間の脳に世界は広過ぎるのだ。
とっくに許容範囲など越えている。
まぁ、脳という気管を全て使えているのなら話は別だろうけど。
だけど人間の脳なんて8%使えたらいい方だ。
結局、人間は無限の可能性というものがあるらしいが、現状で何も感じない人間は多分成長自体止まってる。
たかが3世紀前の話だろうに。
それなのに人間は1%も知識として使おうとはしない。
パソコンのハードディスクみたいに二、三年で容量を上げられたら、人間も楽なんだが……人類はそれを拒否するらしい。
でもそれなら脳は記憶デバイスよりも不完全であり未知だという事だ。よくそんな人間がPCなどという人間的デバイスを作った物だと感心する。
人間であり人間を作った訳だからな。
マスターとスレーブとはよく言ったものだと思う。
ジャンパーピンじゃないさ。
パーソナルコンピューターと人間との話だ。
本当にAIという物が完成してAIチップを埋め込んだのならば、やはりPCはパーソナルコンピューターの粋を超えて、それこそ人間と同じ思考を持ち、人間と同じ意味を持つのだろうか?
実際どうなのだろう?
人間を作りたいが為に人形を作ったある人形師がいたが、自分という存在を其処で否定する意味はなんなのだろう?
生きるのに必要なデバイス。
それに包まれたケース的存在な人間を纏う皮。もしもそれが人間ならば人間が人間であるという存在はどうなのだろう?
――記憶=記録である。
人が生きてきた記録。
人が生きてきた記憶。
その二つの違いはやはり、人の記憶に残っているからだろうか?
ならば人がその記憶を人に伝えた時、それは記録になるのでは無いのか?
人と呼べる存在の奥にある無意識に行われているシナプスの電気信号はどの辺りで人間と認めているのだろう。
そもそも人間を人間と呼べる定義すら世界であれ、政治であれ、子供であれ、その根本的理由が無い哺乳類をどうして人間と呼べるのであろうか?
そもそも人間という骨組みを持ったPCという可能性もあるじゃないか。
或いは、その絶対的だと勘違いしている人間は遥かに罪深い生き物だと、何故思わないのか?
人間が一番の最悪である。と言った哲学者は賛美に値する。
自分という基盤を持たない人間が人間だと呼ぶのだから、地球の頂点もたかが知れてる。
人間こそ絶滅すべき種だ。
「……以上、暇つぶし終わり」
何か頭のシナプスが何本か焼き切れた感じがする。駄目だなこういうのはどうも苦手だ。
所詮は自己見解の自己満足だ。
何の意味もありゃしない。
そもそも言葉という物自体、人には不必要な物だと思う。
それならば人は言葉を喋る前に自己を改善し、周りを傷つける事が無かったんじゃないかと思うからだ。
まあ、それが本当に言葉だけの問題なのかはさて置きだが。
右手首の時計を見ると午前3時と針が差し示している。今も昔も丑三つ時だな。
これで釘やらハンマーやら蝋燭やらあれば、丑三つ時なんだが今の現代に丑三つ時だろうが何だろうが関係無いからな。
そもそも丑三つ時って何だ?
丑の首が三つだったか? それとも干支に関係があったんだったかな?
「丑三つ時っていうのは、昔は二時間で区切って干支で表してたのよ」
「ふ〜ん……でも、そもそも何でも俺が考えてた事判ったの? つうかそれじゃあ丑の刻じゃねぇの?」
白いハーフのコートを着た切り裂きがコンクリートで作られた壁に持たれながら、馬鹿にするように僕を見下ろしている。
「ぶつぶつブツブツと気持ちが悪い。独り言が多いからねあんた。そもそも友達居ない子かあんたは」
友達なあ……居たかな?
「まあ、あんたの友好関係はさて置いて、そもそも丑三つ時っていうのは下刻、上刻で示されていたんだけど、江戸時代に入って数読みっていうのが出てきてね? 0時を9として2時を8、4時を7、6時を6、8時を5、10時を4としてたのよ。でまた一巡して9から始まる訳」
指を立てて何だか偉そうに語る切り裂き。
「でもその計算なら丑の刻だったっけ、を丑三つ時とは言わないんじゃないか?」
切り裂きはニヤリと口の端を上げて、卑しく笑う。
「人の話は最後まで聞く。だから江戸時代に上刻、中刻、下刻と分けた訳よ。丑の上刻は2時〜2時40分までとかね。丑の中刻なら2時40分〜2時80分とかね。でも待ち合わせとかの時って40分も待ってられないじゃない? 丑の上刻待ち合わせなとか言われても40分も待たなきゃいけないじゃない? だからさらにさらに区切った訳。丑一つなら2時〜2時30分。丑二つなら2時30分〜3時。丑三つなら3時〜3時30分。丑四つなら3時30分〜4時って具合にね。だから丑三つ時。3時〜3時30分って事ね。あと、補足として1時半とか2時半っていうのは、数読みの1時とかを指す場合の名残ね。
9〜4つ数えって教えたでしょ? あれは2時間ごとにしか数えられないから間の時間を半と読んだの。だから9つ半なら1時って事ね」
誇らしげに胸を張った切り裂きは右手首にぶら下がっていたコンビニ袋からコーヒー缶を僕に投げ渡した。
「ほ〜意外と物知りだなお前は」
「まあ〜ね。あんたと違って学があるから」
誰も中退とか中学卒業とか言ってないんだが。いや、まああまり行っては無かったけど。ちゃんと卒業した覚えも無いし。
そもそも学校というのが嫌いだったように思う。所詮は学校という閉鎖空間の中で何故、あれほどまでに好き嫌いや学力を競いあわなければならないのかが僕には分からなかった。
「で? 何でまたこんな所に私達が来なきゃならないのよ」
確かに正答な理由だと思う。
此処は遥か地下世界より30メートル上にあるマンションの屋上である。
普段ならば誰も踏み込まない場所なのだろうけど、此処が殺人現場ならば話はまた別だと思う。
そう、此処で人が二人同時に死んだという不可解な事件があった。事件と言っても、未だに他殺か自殺か判らないのが本当の所だ。
そもそも前例自体無いのに、同時に何て出来る筈が無いのだ。
どれが正解でどれが不正解なのかも僕には判らないし、そもそも自殺の発端に正解も不正確もあるのかどうかは判らないのだけれど。
生きる。死ぬ。を考えた所で意味は無いし、所詮はその質問に答えられる奴もいない。
じゃあ何だって人は殺人を犯し、人を殺すのか? それが解らなきゃ人は多分、自殺は自殺とするのだろうか。
カテゴリーの不定。
人殺しはいつ人殺しになるのだろうか?
この切り裂きと分類された人間はいつ、人殺しをしたのだろうか?
「何? 人の顔ジッと見て、気持ち悪い」
「面と向かって気持ち悪いって言われたのは久しぶりだ」
コーヒー缶の残りを飲み干してそう言う。
ゴミの不法投棄は駄目なのだろうか? ま、誰も見てないしいいか。
空き缶を遠くに投げ捨てると、柵を越えて呆気なく落ちていった。
時差が少しあってからカツンと乾いた音がして、それっきり風の音しか聞こえなくなった。
「……本当にこんな夜中に来るのかねぇ」
「さぁ」
相づちだけは打つ。打たないよりかはマシだろ? そもそも来ると思って待つより、来ないと思って待つ方が嬉しさは違うだろうに。
その方が楽だ。
人待ちの時とか。人生とか。
「意外と無計画ね」
「計画通りに進んだ事が無いんだよ。特に人待ちの時とか」
「人徳無さそうだもんね」
「まぁね」
「人徳というか、人が嫌いなんだよ」何て口が裂けても言わないけれど。
人嫌いか。人間嫌いとはまた違う半端物だな僕は。
嫌な記憶だなまったく。なまじ記憶力がいいというのも考え物だな。
「誰もが……」
「ん?」
「誰もが人嫌いでしょ……多分」
コーヒーに口を付けながら、虚空を捉えて憂鬱そうに切り裂きは呟く。
「人間なのにな」
賛同する事も無く、かと言って否定するわけでもない曖昧な回答。
解答ならば良かったんだけどな。「なに? その曖昧な返答」
コンビニ袋に手を入れて、何か探しながら日常的に切り裂きは聞いてくる。
聞くのか質問するのかどちらかにして欲しい。
「人間本体が曖昧だろ」
「何? 哲学?」
「いや、質問だよ」
多分永遠に続かない螺旋階段。
深い深い闇の奥まで続く思考。
決して光は届かないそんな場所までいけそうな質問。やはり答えは無いのだけど。
「ガム食べる?」
「それ探してたのかよ」
「要らないのなら別にいいけど?」
「頂きます」
銀紙をはずすと紫色した無駄に薄くて旨い、砂糖と着色料の固まりが姿を表した。
「着色料は使っていませんだって」
「……どう見たって使ってるのバレバレだろ」
口の中に放り込むと、何とも甘い味覚が口の中に広がって気持ち悪い。
「……で? さっきの続きは?」
「何の話――だったっけ?」
「人間が何故曖昧なのか」
「ああ――人間っていう定義が無いだろ?」
何度か口の中でガムを転がしている切り裂きは、二回程ガムを回した後にやはり判らないのか、眉間に皺を寄せている。
「どういう意味?」
「人間はケースだって思った事無いかな? 後は人間の基準でもいいや、人間の平均とか」
「何? 一般的に普通って事?」
「まぁ簡単に言えばそうなる」
右手に持ったままにしていた銀紙を広げ、その中に葡萄みたいな味覚騙しの塊を捨てた。
――やはり甘いのは苦手だ。
「簡単にー…って言われてもなぁ」
考えるフリなのかそれとも本当に考えているのかは、判らないけれど切り裂きは先程よりも深く眉間に皺を寄せながら、言葉の意味を丹念に考えている。
「んー多分無いね。人間に不満を持つ前に殺してたし」
「あ、そうなのか」
「うん、まぁ胸張って威張れる事じゃないけどね」
気づいた時には人殺してたか。
「そういえば何で人殺しなんて始めたんだ?」
分からなければ本人に聞けとはよく言った物だが、もし故人ならばどうする気だったんだろうな。そもそもこなんな質問していいのだろうか?
いや――聞いた所で僕には『軽蔑』すら出来ないのだろう。
「ところでさぁ〜」
「何?」
「本当に来んのー? 無駄に待たされるのは私の趣味じゃ無いんだけど?」
うう寒ゥと付け加えた後に、切り裂きは大口を開けて欠伸する。
「石の上にも三年っていうだろ? それに僕は待たされる事はそんなに嫌いじゃない」
「究極のM野郎って訳?」
「そうかな? いや、そう言えるかも知れないな」
いつの間にか、服越しにコンクリートの冷たさが伝わって来た。そもそも僕も待つのは嫌いだ。待たされるのは別にいいって思えるだけで。
上から見下ろした街並みは意外と光輝いていて、夏祭りでも行われていたら最高なんだが……
「――暇」
「セックスでもする?」
「馬鹿!! 死んじゃえ!!」
冗談のつもりだったんだけど……そこまで怒る事も無いと思うんだが。
赤い顔してブツブツと何か呟いている切り裂きはさて置いて、さて。どうだろう来るのかな? いや、出来れば来てくれた方が嬉しいと言えば嬉しいのだけれど……ちょっとだけ不安と言えば不安かな?
すると――カツンと何かが錆びた自殺防止の柵に振動を与える。
「来た?」
「ぽいね」
カツン、カツンと柵を揺らしなから、相手は入り口から僕らの方へとわざわざ遠回りしながら歩いてくる。
「やあ」
柵の上を綱渡りのようにして、重力という物に縛られない彼女。いや彼女と彼。
「今晩でいいかな? そもそも始めましてかな? いやいや、どうだろう? 輪廻転生を信じるならば久しぶりになるのかな? でもまぁこの姿で会うのは久しぶりかな? ね? 勝己」
男でも女でも無い彼は、或いは彼女は微笑みもしないで、僕の名を吐き捨てた。
「やあ、勝己――始めまして」
もう少しだけお付き合い下さいませ。