閉章:認知と幻
埃まみれ。寧ろ誇りまみれの工房で、やはりあの人はいつも通り、壁画を直していた。
「……おかえり」
「…………この場合、なんて言えばいいんですかね?」
「ただいまでいいんでない?」
相変わらず掃除をしない人だと思う。
つうか、掃除しろよと言いたくなるがそれは僕の仕事? なのでまぁよしとしよう。
部屋の隅に転がっていたアンティークなのか、それとも不良品なのかは分からないが三本足の椅子に座り、背もたれに体を預けた。
「もうちょっとで終わるから少し待ってくれ」
返事することも出来ずにとりあえず首だけ頷いて、スーと息を吸い込んでふぅと吐き出した。
何もしなくていいという事は、何をしてもいいということ。
そんな名言を残した偉人?はだれだったか。
たしか中学生の時に感銘を受けたのを今でも覚えてる。
しかし、それはそれで矛盾もはらんでる回答だと気づいたのはやはり中学の時で、それを教えてくれたのはやはり魔法使いだったはず。
なんであんな馬鹿と今でも友達として付き合っているのだろう。まあそれなりに楽しんでいるからいいんだが……なんというか僕とずっと付き合っているというのも珍しい人物と言えば珍しい。
現実は小説より奇なり。ねえ。
なにもすることが無いので、少し目蓋を下ろして今までの疲れを足元から出すようにゆっくりとまたため息を吐き出した。
「なんだ相当疲れてんだな」
「まあ……今回は僕が終わらしたというより、切り裂きががんばってくれましたから」
ん? と何故か納得しかねるように春日井さんは首を捻る。
矛盾に気づいたのだろう。そもそもそんなに動かなかったらそれこそ疲れないだろとでもいうように。
「確かに肉体的にはしんどく無かったですよ? でも事件があまり……片付かなかったです。沙希だって『毎度』のように倒れましたし」
「そっか……じゃあまた失敗か――でも殺したんだろ?」
「仕事はきっちりしますよ」
失敗か。そう呟いて、春日井さんはまた修復に戻る。
失敗。成功なんてしない気がする。何年も同じ事を繰り返しているんだから。
沙希の中には勝己が居る。何年も何十年も同じ体に宿っている。だけどそれは所詮は自分が作り出した人格で、沙希はそれをお兄ちゃんだと思っている。でも初めから勝己などいないのだから勝己は沙希で沙希は沙希だ。まあそれを演じている彼女は本当に人が代わっているといってもおかしくはないのだけれど――でもやはり沙希は沙希なのだ。どうしたって彼女は勝己にはなれない。
多重人格でもなければ、二重人格でもない。彼女は彼女で。彼も彼である。ども人格は一人だから結局は一人芝居だ。
「どんなものなのかね? 同じ体に同じ精神。同じ記憶を持った人間が二役をやるというのは」
「さあ――結構面白いんじゃないですかね?」
「今度また殺す時に聞いといてくれよ」
さらっと春日井さんは物騒なことを言う。
「何も答えてくれないと思いますよ。自分だと思ってないんですから」
「なんというかアイツも難儀な性格してるなー」
「ですね」
春日井さんはポケットからしわくちゃのタバコを取り出すと、流れるような動作でタバコの先端を焦がす。
それがなんとも優雅でついつい見とれてしまった。
「そういえば、もう一つの事件は? 解決した?」
「解決もなにも……初めから解決してるじゃないですか」
え? と驚いた顔をする春日井さん。
「人間には無理なんでしょ? つうか出来ないことなんですよね?」
口の端にフィルターわ咥えたまま春日井さんは首を捻る。
「そりゃそうだが……まさか怪物とかって見解か?」
呆れたように煙を吐き出して春日井さんは言う。
「まさか――人間でも無理で、本人でも無理で、人間に出来ないというなら、疑うのは一つだけじゃないですか」
「ん? 他に疑うことなんてないだろ」
「あるじゃないですか一つだけ」
「なんだよ? 流石の私でもわかんねーぞ」
「情報です。二人一緒にしんだんですよね? それで二人とも腹刺してしんだと。じゃあそんな事出来るのは死体扱ってる奴しかいないんじゃないんですか? 書類書きかえれる奴とか。まあどちらにしろ犯人は警察ですよね」
あんぐりと口を空けて、春日井さんは左手を自分の額にあてる。
「お前さ――なんというかホントにそんな見解してんのか?」
「ええ。マジです。というかそれしか考え付かないでしょ。人間に出来ないんでしょ? 自殺でもないんでしょ? ならば情報がおかしいでしょ」
まあ可笑しいのはそういう事を普通にする人間のほうなんだが。
「他に犯人とか考えつかないのか。殺し屋とかそんなの」
「居ませんから」
「二重人格も切り裂きも魔法使いも居たのに殺し屋は居ないか……なんとも屁理屈な頭してんな」
「自分の見たもんしか信じないんですよ。そういう性格なんです」
春日井さんはため息と一緒にため息を吐き出すと、冷めた目で見てきた。
「何とも嫌な餓鬼だな」
「そうですか? 結構普通ですよ」
そういって椅子から立ち上がり、出口へ向かっていく。
「……なあ一つ聞いていいか?」
振り返ると春日井さんが、猫のような目をしながら僕を見てくる。
「お前さ。誰なんだ?」
誰という疑問文に答えるほど僕は僕を生きていない。
「――じゃあヒントだけ。僕は××××××です」
ドアノブに手をかけた。
「また縁があったら、あなたに会いたいですですね」
ドアノブを捻る前に青年の姿は掻き消えた。
まさか私が騙されるとは思ったことも無かった。
「まさかホントにいるとはね。××××××か。はっ! やられた」
初めっから何も起きていなかったのか。
――完――