おとしもの
ちょっと不思議な世界観のお話。
お財布見て、中に入っているものは、なに、って思った時。おとしたものが数十年経ってから見つかった時の感動。東京の町を歩いた時の疑問。
「あの坂の上に見える家がそうだよ」
買い物帰りのおばさんが答える。
「ああ、あの家ですか。ありがとうございます」
海に面した小高い丘の上の大きくゆったりとした古い家を見つめながら、制服姿の男がそう御礼を言う。
「あんた、あの家に用があるのかい?」
「ええ。ちょっと」
「あそこは、広いけどね、老人一人暮らしだよ。しかも、毎日ぼーっとしているだけで……。身寄りがないのかねぇ」
おばさんは、かわいそうな、そしてどこか不気味、というような顔をしながら言った。
「……」
制服姿の男はなにも言わず軽く会釈して坂を登り始めた。
坂を登ると海と空が左手にどんどん広がる。雲のない青空と澄み切った青い海。同じ青だが境ははっきり分かる。坂のガードレールのすぐ向こうは崖になっている。その崖から吹き上がってくる潮風がまだ少し冷たい。
ドンドン
「ジムさん、いらっしゃいますか?」
制服姿の男は教えて貰った古い家の玄関の扉を叩く。
ドンドン
叩くとどこかでミシミシというきしみ音が聞こえてくる。
「ジムさん、いませんか?」
制服姿の男は二、三歩下がり玄関の上の二階の窓を見上げた時、玄関の扉が開いた。
「……なんじゃね」
ゆっくりと開いた扉の隙間からは白髪白髭の老人が現れた。顔から想像できる年齢の割に、体格は比較的がっちりしている様に見える。しかし、その表情は冷たく、生気を感じられなかった。
「あ、ジム=ヘットさんですか? 私、こういうものです」
そう言って見せたものは警察の証明書であった。
「……ああ。警察の方。なにか」
「はい。実は落とし物を届けにまいりました」
「はて? ……最近なにか無くしました、かな」
ジム爺は細い目を一段と細め首を左右にゆっくり傾げながら思い出そうとしている。
「実は、先日、匿名でいくつか落とし物が警察に届けられたのです」
ジム爺は聞いているのか聞いていないのか、変わらず首を傾げながら思い出そうとしている。
「……で、ジムさんの財布も含まれていまして」
そう言って警察の男は一つの小奇麗な財布を取り出した。お金は入っていないが、カードや写真、小物が残っていた。そして身元を示す免許証があった。
「この免許証の住所から転居情報を追っていったらここに辿りついたんですよ。ジムさん、これあなたのですよね? ……ジムさん?」
ジム爺は相変わらず首を傾げながら思い出そうとしている。
「あの、ジムさん?」
警察の男がジム爺の肩に手を置いたとき、ようやく財布に気が付いた。
「お、おお。そ、それはわしの財布ではないか。こ、これをどこで?」
「実は匿名で届けられたので、いつ、どこで、拾ったかわからないんですよ。もしかしたら盗まれたものかも知れない、とも思いまして持ち主一人一人に聞いてわまっているんです」
「……」
ジム爺は財布をその手に取ろうとしている。震えながらゆっくり財布に両手が近づいていく。そしてようやく財布を手にした。ジム爺の目は大きく開かれその財布を見つめている。
「その財布、確かにあなたのですね。覚えている範囲でよろしいので、お話してください」
警察の男は懐から小さな新品の手帳を取り出し、メモの取れる態勢を作った。
しかしジム爺はその財布を、その中身を正視している。警察の男もその正視している姿を見ると声をかけづらい様で、メモを片手にそのままの状態でジム爺の硬直が解けるのを待った。
結局五分ぐらいであろうか、ようやくジム爺が顔をあげた。
「これは……」
「はい?!」
「これは、わしが二十代の頃無くしたものじゃ……」
「えっと、二十代の頃落としたもの、と……え? あ、あの、ってことは何年前になりますか?」
「見たまえ、わしの若い頃の写真じゃよ。これはその頃住んでいた家じゃ……。すっかり忘れておった」
ジム爺の顔がほころぶ。玄関を開けた時の冷たい表情はそこにはない。少し興奮もしている感じだ。
「その写真お孫さんのかと思いましたよ」
「いや、わしじゃ、わしの若い頃じゃ。そうじゃ、わしの住んでおった町で無くしたんじゃよ」
「そうでしたか……。その時のことを覚えていますか?」
ジム爺はそう聞かれ、わずかに微笑み、そして目を閉じ上を向いた。
「そうじゃな、覚えとるとよ、忘れられんのじゃ……」
「はい」
警察の男は興味あり気に身を乗り出して来る。
「これは、そうあの町……、あの町いや、まだ国中で人々の貧困の差が激しい頃じゃ……」
ジム爺は目の前の道の向こうの崖の先に広がる海の水平線を遠い目で見ながら思いだそうとした時、なにか風の匂いが変わった。
「!」
さっきまでの海とは違う。目の前に砂浜が広がる。崖はない。ここはどこか。しかし、なつかしい海の匂い。知っている。ここはどこだ。
しばらく呆然とし、なつかしい海を見つめている。当たり前のように波がよせては返す。そしてその波は一度として同じ形の波が来ることはない。……しかし、見たことのある波が見えたのは気のせいだろうか。
「やっほ、ジム。まった?」
振り返ると、そこには大きなつばの帽子を被り、両腕の指と首にきらきらとしたアクセサリーをつけた若い娘がいた。
「ん? どうしたの? あたしの顔になにか、ついてる?」
アイシャドウが濃い。
「あ、いや」
「なにに驚いているのよ。早く行きましょ、ジム。あたしおなか空いたよ」
「あ、ああ」
二人は歩き出した。そして、砂浜を上がるとすぐに舗装道路がある。
この砂浜に面したこのごちゃごちゃした町並み。建物は無骨な石作り。道は昔からのものだが今の文明よりも進んでいたのだろうか、魔法のように組み合わされた綺麗で平らな石畳で出来ている。
思い出した。いや、思い出したというより知っているといったほうがいい。この特徴のある石畳のあるここはジムの住んでいた町、いや、住んでいる町だ。
「オ、オレは今まで夢を見ていたのか?」
「なぁに? さっき、立ったまま寝ていたの?」
「なんかさ、自分が老人になった夢を見ていたような気がする」
「え~、なにそれ」
「なんか、結婚もしたような気もするし会社を辞めたような気もするし引っ越したような気もする」
「変な夢ぇ」
そうヴァリアはキャラキャラ笑った。ヴァリア、ジムの女友達である。
「会社にも入っていないのに辞める夢なんて、変なの」
「夢なんて変なもんだぜ」
「ジムの夢って、将来の夢って変なの?」
「あ? なにいってんだ。……将来か、そうだなぁ、どっか静かな海が見える丘の上の家でゆっくり暮らしてぇなぁ」
「ね、ね、あたしもその家にいる?」
「なんでお前がいるんだよ」
「えーいいじゃん」
「それより、なんだ、時計は? 前買った時計」
「あ、そうそう聞いてよ、またスられちゃったのよ~」
「なんだ、またかよ」
この町は表通りは小綺麗で人通りも多い。立派なおしゃれな服を着て多くの者が行きかう。
しかし、一歩裏通りに入ると家を持たぬ貧困な者達が住んでいる。家も無いのに『住む』というのもおかしな言い方だ、と、この町の長は言ったことがある。しかし彼らはそこに住んでいるのだ。
ここは魔法のように綺麗な石畳からも分かるように、前文明の遺跡にある町。石畳だけでなく、僅かな建物も残っている。もちろん、今はボロボロになった石の固まりでしかないが。今の人が作った無骨な石の家もボロボロになると捨てられ、そこもまた、貧困な者達の住みかになっていく。
この貧困な者達は『ノト』とこの頃呼ばれていた。古い言葉で、落ちる、という意味らしいが確かなことでははない。
「またノトの連中にやられたのか?」
「うん。いきなり手、つかまれちゃって、びっくりしたよぉ」
そうヴァリアは言ってジムの左腕にしがみついた。ジムはそれを振りほどく。
「ったく、あいつら。金が欲しいならなんで働かねぇんだよ、なぁ」
二人は人混みに流れて歩く。魔法のように綺麗な石畳は見えない。
「ふふ、ジムだって働いてないじゃん」
「オレは親父の遺産がかなりあるからな」
「だから仕事しない?」
「そう。今仕事なかなか見つからないだろ。だから金ある奴はそれを食いつぶせってよ、お偉いさんがラジオでいってたぜ」
「ふーん」
今はお偉い方が言うところの不況。しかし普通の大人に言わせれば不況も好景気もない。もちろん、若者に言わせても同じだ。遊ぶ金も遊ぶところもいっぱいある。
「ノトのやつら、ゴミ漁ったり人の物ひったくったり。あ、そうそう、前取られたお前の帽子な……」
「うん」
「マーケットに出ていたぜ。ノトのやつらから買ったらしい」
「買い戻してくれたの?」
「まさか。誰が触ったかわかんねぇ物を」
「じゃ、これ買って」
「なんだ、また帽子か」
「うん、帽子」
「でも、これつばが大きすぎねえか」
「そう?」
二人は立ち止まり店頭に出ている帽子を見ている。この通りは左右に衣服店が建ち並び彼らのように店頭の物を見て立ち止まる者も多い。必然的に道の中央が移動場所、両脇が立ち見用の場所のようになっている。どの場所も人が多く、人と人がぶつからないことはない。
「きゃっ」
「だいじょうぶか?」
「うん。ちょっと服、引っ張られたの」
「おっとぁ」
ジムもおもいっきり腕を引っかけられ、ちょうどその場でクルッと一回転してしまった。
「だいじょうぶ?」
「お、おう。オレも引っかけられただけだ」
「あー、なんか凄く汚れた、ここ」
ヴァリアが指さしたジムの胸辺りは砂利や泥が付いていた。
「あ、ちくしょう、またかよ」
この人混みの中に時々『ノト』の連中がいる。連中は落ちているものや捨てられたものを求めてよく通りに出てくるのだ。
「あ~あ、この泥、取れないよぉ」
「くそぅ……あ!」
ジムは泥の付いた懐辺りを払っている途中、突然大きな声を出した。まわりの者はチラッとその声の方を見たが、それだけで流れていく。相手にはしない。
「どうしたの?」
ヴァリアがそう言ったのを聞いたか否か、ジムはその人の流れに飛び込んでいった。
「ねえったらぁ!!」
ジムはヴァリアの叫ぶ声に手をあげて自分の場所の位置を伝えた。しかしその後は人混みの中を流れよりも速く移動する。もちろん、流れに合わせて移動している人達にとって邪魔になるのは言うまでもない。
「失礼!」
無理やり人をかき分けて前に急ぐ。ジムの視線は人混みの中、一ヶ所だけ隙間のあるところを見つめている。その隙間の人の流れよりも速く進んでいる。そしてその隙間のまわりの人はその方を見ていやな顔をし、気持ち避けている。
「待ちやがれ」
ジムが追うのはその隙間のようだ。
「まってよー」
後ろからはヴァリアも追っている。非常に迷惑な二人と一つの隙間だ。
その隙間は速い。人混みの移動になれている様だ。そしてその隙間は小路地のところでそっちに反れた。
「あそこか」
隙間だったものが路地に入る瞬間、薄汚い子供が見えた。その手には到底その子供の風貌には似合わない小綺麗な財布が見える。
「おい! ……くそ」
ジムはその薄汚い子供の入った小路地に入った。幅は大人が片手を広げられるだけしかない。
そこは通りとはまったく違い、石の壁は崩れ足元は石畳がはがれものすごく歩きにくい。また、表通りからのゴミがこの小路地に舞い込み溜まっている。紙屑、ビニール、布、鉄屑もある。下手に裸足で入ると怪我をしてしまう。
その小路地を抜けると、一段と荒れた場所に出た。通ってきた小路地はまだ道と呼べたが、ここはどう言えばいいのだろうか。
「いつ見ても嫌なところだぜ」
大地震の後、とでも言えばわかりやすいのだろうか。どこが道でどこかが建物かわからない。実際地震により石作りの建物が崩れてこうなった場所もある。人の手によって、争いによって破壊されたところもある。老朽化し自重に耐えられなくなったところもある。崩れかかっているところもある。
そしてなによりも匂いがたまらない。動物の死んだ匂いのような、嫌な匂いだ。
しかし、ここには……こんなところにも住んでいるやつらがいる。
「いた!」
ジムはあの隙間の主、あの小汚い子供が見えた。と同時に走り出す。走る、といっても巨大な石がゴロゴロしているため岩山登りと同じだ。急げない。
こんなところにいる連中、『ノト』の連中は町の者が入ってきたのをみて脅えている。決して襲ってくることはない。なぜなら町の者がこの『ノト』の連中の場所に来る理由は一つしかないからだ。憂さ晴らし……。金になるものがまったく無いこの場所。来る時は十分な装備をしてくるのが当たり前だ。人の居そうもない大きな石影から『ノト』の連中がワラワラ出てくる。そして頭を低くし逃げていく。
「お前らにはなにもしねえよ」
ジムはそうつぶやく。『ノト』の連中を「狩る」様なことをするのは極非常に僅かな人達だけだ。自分もそういう変なやつらと一緒に見られているのが、なぜか少し淋しく感じた。
しかしジムが『ノト』の連中に腹が立て、嫌うのは変わらない。大きな理由は、働いていないから、だ。働かず、人のものを盗んだり、捨てたゴミを漁ったり……。
「よし、捕まえたぞ、このやろ」
「わっ」
ジムの手には小汚い子供の首根っこを掴んでいた。
「な、なんだよう、離せ、離せよ」
「いいからその財布を返せ、人のモン取りやがって」
首を押さえていた手を離すとその子はおしりから下に落ちた。
「いてっ」
下は石だらけ、痛いはずだ。
「さー、返せ」
それでも子供は財布を両手で抑え込んで離さない。目は鋭く恐ろしくも見える。こいつ人の物盗っておきながらながら、なんて目をしやがる、ジムは感情的に、無意識に蹴りを一発入れた。
「いてっ」
それでも反抗的な目は辞めない。もう一発蹴りを入れようとした時、女の人の声がした。
「やめて!」
その声で足は止まった。その足をゆっくりおろしその方を見やった。そこにはボロボロの布をまとい、赤ん坊を抱えた女が立っていた。
「やめてください。蹴るのでしたら私を。お、お願いします」
そういいながら小汚い子供を抱きながら座り込んだ。その女は髪の毛は綺麗なストレートで腰ぐらいまである。しかし小綺麗なのは髪だけだ。二、三枚のボロ布をまとっているだけの風貌。頬はこけ、見える両腕はは骨がどこにあるか分かるほどだ。そして子供に乳をやっていたのか、単に布が足りないのか胸が見えている。しかしそんなことを気にする仕草はない。
女は嫌がる子供から財布を取り上げ、震えながらゆっくりその財布をジムの方に差し出してきた。
「スミマセン、お返ししますので、お許しください。お願いします」
声も震えている。
「かあちゃん、だめだよ、これがないと、食い物喰わないと、死んじゃうよ」
子供が言う。しかし、女はその口を押さえる。
「お許しください」
ジムはその差し出す自分の財布に手を掛けた。すると女はゆっくり手を離した。ジムの顔が無意識に落ち着き払った顔をしていたからだろうか、女もほっとしたような顔をしていた。
ジムは財布の中を確認し、その場を離れようとした。
しかし、その時、ジムはものすごく妙な感じに捕らわれた。
デジャヴーだろうか、いや違う。前にも似たようなことがあった、ではなく、一度経験したことをもう一度、今、またしているような、そんな感じがしたのだ。
このままここを離れるとこの親子は死ぬ。なぜかそれが分かった。そんな気がした、のではなく、そう分かった。この子供がまた盗みを働く。よりによって軍の者から。母親も引っ張りだされ、遊ばれたあげく捨てられる。餓死か衰弱死、詳しくは書かれていなかった。子供はとっくに射殺。みせしめのために新聞に堂々と載るのだ。それを見てジムはあの親子から財布を取り返していなかったら……あの子供はあの盗みはしなかったか……と三年ほど悩むのだ。
そしてまた、この財布はスられるのだ、『ノト』の奴に……。
「なぜだ! なぜわかる!」
ものすごく大きな声だった。その後ろ姿を見ていたあの女は、その声にも震えた。他の『ノト』の連中も岩影や柱の影から何事かとジムを覗き見ている。
ジムはなぜものすごく妙な感じになったかは分からなかった。しかし、このままなにもせず、なにも聞かず戻ってはいけない、と感じた。
ジムはゆっくり振り返る。そしてしゃがみこむ。
「なぁ、坊主。この財布取って、どうする気だったんだい?」
極力やさしく言ったつもりだ。しかしその声が逆にその子供を脅えさせたようだ。今まで聞いたことの無い町のやつらのやさしそうな声。
ジムはちょっと困った顔で頭をかく。そして大きく一息付き、質問を変えた。
「坊主、名前はあるか?」
子供は相変わらず脅えている。しかし女はその質問に驚いた様子がよく分かる。そして、震えた声で答えた。
「こ、この子はアズです。この赤ん坊はズス」
「あんたは?」
「わ、……私はクフです」
身なりを整えながら女……クフは答えた。少し身の危険を感じたのだろうか……。身なりといってもボロ切れ二、三枚だ。綺麗にはならないし肌を隠すことも出来ない。
「そうか。じゃあ、アズ。一つ答えてくれないか」
クフがアズの両肩をしっかり持ち、ジムに見えるように立たせた。
「アズ、なぜオレのものを取った?」
「……お金が欲しかったから」
アズは多少脅えながら鋭い目でそう答えた。
「お金がないと、食い物手に入らない。だから……」
「お金がないならなぜ働かない?!」
「働くって……なに……」
アズはそう返した。
「おい、クフ。アズとズスの親父はどこだ? 働いてないのか?」
アズはうつ向いて腕の中で眠っているズスの顔を見ながら答える。
「この子の父は死にました。アズの父は誰か分かりません」
そう聞いてジムは、ウッ、っと言う顔をした。
「町の男か……」
無言でクフはうなずく。
「もう一つ聞いて、いいか?」
さっきとまったく同じに無言でクフはうなずく。
「なんでノトの連中は働かない。お金がないなら働けばいいことだろ。働かずこんなところで……」
「そ、それでしたら、わたしを雇って頂けますか?」
クフも少し脅えながらも素早くそう返した。それはジムにとって予想外の応対だった。そしてクフはこうも続けた。
「わたしでなく、あそこにいる、あそこに隠れている弟なら、雇っていただけますか?」
震えた指の差す先には岩影からこちらを見る男がいる。岩に隠れて全身は見えないが、髪は肩まで伸びっぱなし、いろいろな布製品をあわせて作ったと思われる、ボロボロの衣類。
ジムがこっちを見ていると分かるとその弟は少し首を引っ込める。
「オレは、……オレは会社を経営していないからな。そういうことは会社に言ってくれ」
「もし、あなたがどこかの社長だったら雇ってくれますか?」
ジムは想像してみた。確かに会社を起こすのは簡単だ。それだけの資金は遺産がある。工場を想像する。その中に目の前にいるクフやその他、『ノト』の連中を置いてみた。……想像出来ない……。
「……あ、ああ、オレが社長だったらな」
ジムは口先で答えた。しかし、クフはジムの内心が見えているように、言葉を続けた。
「働きたくても働けないのです。働かせてくれないのです。働けないからお金がなくなるのです。お金がないから住むところがなくなるのです。住むところがないから……」
「まて、まってくれ」
ジムは途中でクフの言葉を止めた。クフの息は上がっている。肩で息をしている。凄く苦しそうだ。たったあれだけ喋っただけなのに、いや、喋るというのは以外に体力を使うものだ。
「ちょっと待ってくれ。働きたくても働けない……なのか?」
クフは肩で息をしながら、また無言で頷く。そして今度はうつ向いたまま、クフは声をおし殺すように言う。
「お、弟は今年の春まで町に住み、町で働いていました……でも、事業に失敗して……」
ジムはそう聞いてその弟のいる方をバッと振り返った。弟は相変わらずこっちを岩影から見ている。どうみても、この『ノト』の場所に染まっている。言っちゃあ悪いが似合っている。とけこんでいる。あの男が二ヶ月前まで、町の者?!
「本当なのか?」
ジムは恐ろしさを感じた。今、自分がこう普通の服を着ているのも、たまたま「お金」があるからだ。お金がなくなれば、オレもまたこうなるのか……。
ジムはしばらく考えた。
「ありがとう」
「え?」
ジムはなぜかお礼を言った。自分でもなぜお礼が出たか分からない。そして財布からお金を取り出した。
「お金ってなんだろうな。お金がないと人じゃなくなるなんてな。これは神のものなのか。人が作り出した神のものなのか」
ジムはしゃがんでクフの後ろに隠れているアズにお金を差し出した。クフも脅えていたアズもその行動には驚いていた。
アズはゆっくり手を延ばし、そのお金をさっとかすめ取ると、後ろを向いてかけていった。
「あ、あの……」
「全然解決にならないかも知れないけど、なにかしておきたくて。自己満足の気休め、だな。……元気な子だ。全然町のものと変わらないじゃないか」
崩れた大きな柱や壁の荒れたところを器用に裸足でかけていく。立ち上がりその後ろ姿を腰に手をあて見送るジム。
「それじゃな」
ジムが足元にしゃがみこんでいるクフを見ながら振り返り、帰ろうとした。
「ありがとう……ございます」
クフは精一杯の笑顔を見せてくれた。凄く綺麗だ。凄く綺麗な人なのだ。その胸の中で寝ているズスもちょっと頬がこけているが、いい顔で寝ている。普通じゃないか、ジムは感じた。
ジムがその親子と別れて、入ってきたところに向かう。途中、やはり『ノト』の連中は隠れる。さっきと同じだ。入ってくる時、隠れる『ノト』の連中を見て淋しく思えた理由もなんとなく分かった。同じ人だからだ。ちょっとしたことで、人と人に差が付いてしまっただけなのだ。
『ノト』の場所に入ってきたところにつくと、ヴァリアがキョロキョロしていた。どうりでこの辺には『ノト』の連中の姿が見えない。
ヴァリアはアクセサリでキラキラ光っている。しかしこの『ノト』の場所を歩いた後はそれが恐ろしいものにも見えた。おそらく『ノト』の連中もそう見えているのだろう。
ジムは自分の両頬を思いきり叩いた。その音でヴァリアもジムに気が付いた。
「あ、ジムー」
ヴァリアのかかとの高い靴ではこういうゴツゴツしたしたところは到底歩けない。ヴァリアはその場でジムが来るのを待っていた。
「どうしたの?」
「ああ、財布をスられたんだ」
「そうだったの? で、とりかえせた? じゃないと買い物、出来ないよ」
「そうだな」
ジムは、少し冷めた感じでそういい、ヴァリアに近づいた足のまま、ヴァリアの前を通り小路地を進み、又元の通りに戻っていった。
「まってよー」
町の通りは左右に衣服店が建ち並ぶ。道の中央が移動場所、両脇が立ち見用の場所のように必然的になっている。どの場所も人が多く、人と人がぶつからないことはない。
「な、ヴァリア」
「ん?」
ジムはヴァリアの顔を見ずにこう聞いた。
「お前働く気、あるか?」
「え? んー、ジムが働くならね」
「よし。じゃ、働くか」
「え?」
「いやか?」
振り返ったジムの目がちょっと恐かった。
「う、ううん、ううん」
ヴァリアは必死で答えた。
「じゃ、行くぞ」
「ど、どこへ。あ、まってよー」
ジムは人混みの流れよりも少し速く行く。
途中、人混みの中に隙間が現れ、その隙間はジムにぶつかり、そして去っていった。
「あー、ねぇ、ジム、ジムっては」
「んー」
「ジム、財布、財布」
「……そうだな」
そう平然に答えた。ジムはその隙間を見送る。ヴァリアは、もぅ、と言う感じにちょっとふてた感じでジムの背中の服を掴み付いてきた。
「ねぇ、服ぐらい買ってよ」
「お金、ねえよ」
そう言って二人は店頭のショーケースを見た。そこに映る自分の姿をみて、ジムは又違和感を感じた。いや、思い出した、のか。
「そうだ、僕は歳をとっているはずだ……」
映っている歳老いた姿を見て思い出したのだ。そう、ジムは既に八十を越えているはずなのだ。
そう思い出した時、目の前に広がっていた町並みには消え、海が広がった。視界の左右には誰もいない日暮れの砂浜が見える。……潮風が冷たい。ジムはここが自分の家から見える海だとすぐわかった。
しばらく呆然とし、見慣れた海を見つめている。当たり前のように波がよせては返す。そしてその波は一度として同じ形の波が来ることはない。
もし、似たような波が来たとしてもその次は全く違う波が来る。
「一つの波の形を変えても、海全体として、全く問題無いのです」
その声に驚きジムは振り返る。そこにいたのはジムの無くした財布を届けに来た、制服姿の男だった。
「過去のうやむやが一つ取れましたか?」
ジムは無言でゆっくりうなずく。
「それでは、過去の記憶は消えます。ごきげんよう」
制服姿の男はそう微笑み、スゥと消えた。本当に一瞬の出来事だった。
「お、おい……」
男がいた場所に急ぎ歩もうと思ったが、やわらかい砂浜に足を取られ、転んでしまった。勿論砂浜なので怪我はしなかった。
「あ、あの男はいったい……」
手や肘に付いた砂を払いながら見たのは、古い財布だった。
「わ、わしの財布じゃ」
男の消えたところには男の持ってきた財布が落ちていた。しかし、古すぎる。いや……。
「昔無くしたんじゃ。これくらい傷んでいて、当たり前じゃな」
はじめ制服姿の男が持ってきた時にそれに気が付かないなんて、ジム爺は若い頃のように、砂浜で一人大笑いをしていた。
そして夕日がその海の水平線に沈むまでジム爺はその場所にいた。少し風は冷たいがジム爺の頭には冷たいと言う思いはなかった。過去を思い出すので精一杯だった。ジム爺の過去の記憶には、財布をスったあの時の親子が殺されたという記憶はなかった。無くなっていた。どうなったかは分からないが、その嫌な記憶は無かった。
ただ、今もまだ、あの町には『ノト』の連中が住んでいることは確かだ……。
それから、数日後のことである。玄関の扉を叩く音がする。
ドンドン
ジム爺はゆっくり玄関の扉を開く。
「ジムさんでいらっしゃいますか? 実は、先日、匿名で帽子が警察に届けられたのです。これ、あなたのですよね?」
ジム爺はにっこり微笑んで答えた。
「ああ、わしのじゃ。今度は帽子か。覚えとるとよ、忘れられんのじゃ……」
とある国の田舎に伝わる、不思議な妖精のお話……である。
☆おわりなの☆
この作品ははじめて書いたフィクションです。
お財布見て、中に入っているものは、なに、って思った時。おとしたものが数十年経ってから見つかった時の感動。東京の町を歩いた時の疑問。そして、とある国の妖精話。
こうして出来ました。ちょっと意図的に疑問も残しておきました。例えばヴァリアちゃんはその後どうなったか、など。この辺は皆さんの想像にお任せしたいと思います。
私もモノを大事にしている方だと思います(お蔭でモノが増える一方です)。なので、こういう妖精さん、来ないかな。
初稿 1998/7/9




