第1章
電車は今日も走る。
俺と彼女を乗せて。
毎朝乗る新快速の6両目にいつもいる、名前も知らないあの娘。
制服から中学生――俺より1つ下の中学3年生らしい。
3月の初頭――公立高校の受験の季節だ。
彼女ももうすぐ受験のようで、電車の中でよく参考本を片手に持っている。
受験の季節、ということは卒業式も近いのだ。あまり時間は残されていない。
せめて、名前だけでも――そう思ってもう半年以上が経つ。残り時間が少なくなり、焦りが気持ちの先を行く。
無意識のうちに彼女を見てしまっていたのか、彼女は俺に向かって微笑んで小さくお辞儀をした。
あ、あの――
言おうとしたところで、彼女が降りる駅に到着してしまった。
彼女はもう一度俺のほうを向いて微笑み、小さくお辞儀をして電車を降りた。俺も微笑んで小さく頭を下げたつもりだが、その笑みは引きつってたんじゃないかと、そう思う。
戸惑ってた、なんて思われたらどうしよう。
俺の悪い癖だ。小さなことを大きくして考えすぎて落ち込んでしまう。
――次の日。
今日も6両目に乗る。今日もあの娘がいた。
ま、それは予定内だ。
今日こそは名前だけでも聞いてやるぞ、と決意を固めて電車に乗ったのだから。
「あ……」
と、俺が決意を再認識しているところに神の助け。彼女が切符を落とした。
しかもその切符が俺の目の前に落ちる。チャンスだ。
「……はい」
焦るだけの気持ちを必死に抑え、切符を拾って手渡す。
「あ、ありがとうございます……」
戸惑ったような表情を見せて少しうつむいた。
「「あの……!」」
彼女と声がかぶった。想定外の出来事に、びっくりして言葉が続かなかった。
「えと……なんですか?」
「いや、先に……」
そう言いながらドアにもたれる。彼女はかばんを膝の前で両手で持ち、
「あの、峰崎高校の人……ですよね?」
「え、あ、うん。そう、だけど……」
「私、峰崎高校を受験するんですけど、他に誰もいなくて……その、もし合格したら、学校のこといっぱい教えてくれませんか?」
「え、あ、いいよ。俺に分かることなら……なんでも……」
ということは、これからもまだ――いや、もしかすると学校まで一緒にいけるようになるかもしれない。
「よかったぁ、ありがとうございます!」
笑顔でぺこり、と頭をさげる。
「私は松本美紗、よろしくおねがいしますっ」
「あ、お、俺は永瀬幸弘。よろしく」
優しく差し出された手を握る。一歩進めたような気がした。
「で、なんですか?」
「え?」
「あ、話……」
「あ、うん。大丈夫、名前教えてくれないかな、って思ってただけだから……」
受験当日。名前を教えてくれてから3日後のことだ。
松本はいつも以上にきれいに制服を来ていた。
「あ、あの……一緒に学校まで行っても、いいですか?」
「ああ。いいよ」
あれから結構話しかけてくれるようになった。高校のことが気になるようだ。
「えっと、これってこうですよね?」
「うん、多分。解説見たほうがいいかもしれないけど……」
たまに勉強のことも聞いてくるが、あまり自信がないから少し困る。
でも、普通に話すことができている。それだけで、嬉しかった。
「降りるよ」
「あ、はい」
手早く参考書をかばんの中にしまい、俺のあとをついてくる。
「俺、面接のときの誘導だから、もしかしたら会うかもな」
「あ、そうなんですかっ。会えるといいですね」
緊張していたのか、少し震えていた美紗だったが、これで少し気が楽になったのか、震えが止まった。力になれたのなら、嬉しいな。
「あ、あの……」
「ん、どした?」
「峰崎高校は……いいところですか?」
「んー」
正直、俺はそうは思わなかった。なぜなら、俺は入学以来友達といえる友達が一人もいないから。
でも、美紗なら友達もできて、楽しく過ごせるだろう――
「ああ、いいところだぞ」
「よかったぁ」
笑顔で俺の斜め後ろをついてくる。恋人同士、という関係で並んで歩ける日が来るのだろうか――
1話で完結させるつもりだったんですが、区切りつけたほうがいい気がして――
ごめんなさい><