偽装結婚
ああ、なんて駄目な男だろう。
顔は醜い。財産はない。甲斐性もなければ、こらえ性もない。
ただただ生まれてきたことを、うらやむ日々を過ごすこの男。なんて駄目な男。底辺を彷徨う男。私の知る限り、最もうだつの上がらない男。
ああ、こんな男が私の近くにいるのが信じられない。
生きているだけで惨めな男。地を這い、泥を舐める。そうとでもしないと生きられない男。他人の慈悲を乞い過ぎて、卑屈な角度にしか首を傾げられない惨めな男。
ああ、何故この男は私の前に現れたのか。
目が合うだけで、皆に舌打ちされる男。匂いを振りまけば、鼻を曲げられる男。触れたものは避けられ、その後ろすら歩く者がいない男。
ああ、その男は私の視界の端に、チラチラと現れる。
稼ぎなどまるでない男。もはや金を借りることすらできない男。人の財布をあてに、日々の糧を得る男。
ああ、どうしてこの男は……
人の名前すら借りようとする男。人の名義で借金すらしようとする男。もちろん誰にも相手をされず、足蹴にすらされる男。
ああ、どうしてこの男を……
名前を変えたいと願う男。新しい名前でやり直すなど、そんなしおらしいことは考えない男。
ああ、どうして……
名前を変えて、新しい名義を手に入れようと願う男。人の養子になることすら画策する男。
今もすがるように、知人に声をかけている男。すげなく断られ、悪態をつかれるや、卑屈に逃げ出す男。皆がその姿を見かけると、どこかに消えてしまう男。
そしてついに男は私に声をかける。
この世で最も誠意が必要な一言を、男は打算に塗れて口にする。
結婚して欲しい。
それは……
籍を入れたい。
ああ、それは……
籍に入れさせてくれ。
そんな大事な話をこの男は……
私の籍に入ることで、男は新しい名前を手に入れる。これでもう一度金を借りることができるのだ。
なんて酷い男。そんな打算に塗れた婚姻を望むとは。
もちろん偽装結婚だ。男も皆もそう思っている。私もそうだ。
男が望んでいるのは、偽装結婚だ。
だから――
私はろくに口もきかず、手も触れず、見つめ合いもせずにこの男と結婚した。
男は今日もだらしなく新しい借金をしていた。
そして私は誰にも知られずに、己のプライドを傷つけずに幸せを手に入れた。