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第3話:最初の業務・清掃と帳簿


【魔王の城か、ゴミ溜めか】


「契約妻」としての初日、アイリスが目覚めて最初に行ったのは、支給されたメイド服(彼女にとっては「戦闘服」である)を完璧に着こなし、城内を「検分」することだった。


ヴォルガード城は、外観こそ威容を誇っているが、内部は惨愄たる状況だった。


廊下には埃が堆積し、重要な書類が書斎の床に散乱している。


さらに悪いことに、使用人たちは「いつ魔物が攻めてくるかわからない」という緊張感から、慢性的な睡眠不足と疲労で生気がない。


「……信じられない。これは城ではなく、巨大な『非効率の塊』ね」


アイリスは手帳を取り出し、優先順位を書き込んでいく。


彼女にとって、乱れた環境はノイズだ。そしてノイズは損失を生む。


「まずは『視覚的・衛生的コスト』の削減から着手しますわ」


アイリスは、不信感を露わにする古参の執事長や侍女たちをホールに集めた。


「皆様、本日から私はこの城の『運営責任者』に就任しました。

まず、この城の清掃フローを全面的に見直します。現在のやり方は無駄な往復が多すぎますわ」


「なっ……夫人、掃除など適当で良いのです!

我ら辺境の民は魔物と戦うのが仕事、家事など二の次です!」


執事長の反論を、アイリスは冷徹な視線で射抜く。


「その『二の次』の結果、必要な書類が見つからず、備蓄食料の10%が賞味期限切れで廃棄され、埃による喘息で兵士の稼働率が5%低下しています。これは立派な『戦力ダウン』です。……文句を言う前に、私の作成した『最短清掃ルートマップ』に従いなさい。1時間後に、結果で証明します」


彼女は、使用人たちの体格や歩幅まで計算した効率的な清掃分担表を叩きつけた。


1時間後。城は見違えるように輝き、何より「探し物に費やす時間」がゼロになったことで、使用人たちの顔に余裕が生まれ始めた。


彼らは、この「小賢しい夫人」の言葉に、無視できない実利があることを悟り始める。


夕刻。アイリスは主(雇用主)であるゼノスの執務室を訪れた。


ゼノスは険しい表情で山積みの書類を睨みつけていた。


その目の下には深い隈があり、指先が微かに震えている。


領内では、「辺境伯の魔力が強大すぎるゆえに、その余波で夜も眠れず、精神を病みかけている」と噂されていた。「魔力暴走の前兆」だと怯える者もいる。


アイリスは無言で近づき、ゼノスの机の上に一唱の温かい飲み物(計算された配合のハーブティー)を置いた。


「……何だ。魔力の中和薬なら不要だ。あれは効かん」


「いいえ。これは単なる血行促進とリラックス効果のあるお茶です。閣下、診断の結果をご報告します。あなたの不眠の原因は、魔力暴走などではありません。単なる『自律神経の失調』、つまり働きすぎによる脳のオーバーヒートです」


「……何だと?」


アイリスはゼノスの背後に回り、彼の硬く強張った肩に手を置こうとして——契約を思い出し、指先を止めた。


「閣下は1日平均18時間執務を行い、さらに深夜の哨戒に出ている。脳が『戦闘モード』から切り替わる暇がありません。魔力は精神状態に左右されるエネルギー体です。あなたが『休めない』と思い込んでいるから、魔力が暴走したように荒れているだけ。……このままだと、あなたは魔物に殺される前に、事務作業のストレスで自滅します」


「……馬鹿な。俺は平気だ」


「平気ではありません。あなたの判断ミス一つで、領民が何人死ぬか計算したことがありますか? 休息は義務です。……今すぐ、この書類の半分を私に回してください。そしてあなたは、15分間だけ目を閉じること。これは『妻』としてではなく、『経営コンサルタント』としての命令です」


アイリスの理詰めの攻勢に、さすがの「黒狼」も毒気を抜かれたように息を吐いた。


アイリスが鮮やかな手つきで書類を仕分け、処理していく羽ペンの音だけが室内に響く。


隣のソファで目を閉じたゼノスは、数分もしないうちに、ここ数年で最も深い眠りに落ちていた。


「……全く。筋肉ばかり鍛えて、脳のメンテナンスを怠るなんて。計算外に手がかかる雇用主だわ」


アイリスは毒づきながらも、眠るゼノスの横顔を盗み見る。


鉄仮面の裏側に隠された、あまりにも不器用な献身。


それを「数字」以外で理解してしまったことに、アイリスはわずかな胸のざわつきを覚える。


「……これも業務の一環。あくまで、効率的な領地運営のためなんだから」


彼女は自分に言い聞かせ、夜が更けるまで、止まることなくペンを動かし続けた。

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