1.5話 元婚約者エドワードの視点:『空っぽの王座と、過ぎ去った“都合のいい女”』
アイリス・ランバート。あの女の顔を思い出すだけで、今でも虫唾が走る。
整った容姿、一点の曇りもない礼法。
だがその中身は、血の代わりにインクが流れているような計算機だ。
俺が新しい狩猟犬を買えば「維持費が予算を圧迫する」と言い、俺が詩を詠めば「韻律に一貫性がない」と添削する。
俺は王子だぞ? なぜ未来の王である俺が、一介の公爵令嬢に「正しい判断」を教えられねばならない?
だから、あの夜会で彼女を追い出した時は、人生で最高の気分だった。
泣き叫ぶかと思えば、最後まで金の話をして……。ああ、せいぜい北の果てで、野蛮な辺境伯に怯えながら、得意の計算でもして野垂れ死ぬがいい。俺には、俺を「素晴らしい」とだけ言って涙を流す、愛らしいリーネがいるのだから。
アイリスがいなくなって三ヶ月。
せい清したはずの俺の執務室は、今や地獄と化していた。
「殿下、増税の反対一揆が起きております! アイリス様が導入された『激変緩和措置』が撤廃されたためです!」
「殿下、隣国との通商条約が更新されませんでした! 提出された書類の不備を指摘され、外交問題に……」
「金だ! 金はどこへ行った! 予算は十分にあるはずだろう!」
叫んでも、誰も答えられない。
これまでは、俺が遊んでいる間にアイリスがすべての書類を整理し、優先順位をつけ、俺がサインするだけの状態に「加工」してくれていたのだ。
彼女がいなくなった途端、王宮の事務機能は麻痺した。
複雑な数式も、冷徹な利害調整も、すべて彼女という**「高度な演算装置」**が一人で担っていたことに、今さら気づかされる。
「ふん……。どうせ、あの小賢しい女が帳簿に呪いでもかけていったのだろう。リーネ、そう思うだろう?」
俺の隣で、リーネは困ったように微笑んでいるだけだ。彼女は可愛い。
だが、彼女に「この赤字をどうにかしろ」と言っても、首を傾げるだけだ。愛だけでは、パン一枚、鉄屑一つ買えやしない。
俺は酒を煽り、風の噂で聞いた「辺境伯夫人の噂」を鼻で笑った。
「聞いたか? あのアイリスが、辺境で『働き方改革』だの何だのと、まだ小賢しいことを抜かしているらしいぞ。野蛮人の住処を掃除して、さぞ満足だろうよ」
だが、俺の心はざわついていた。
アイリスがいなくなり、俺を「無能」だと突きつける者はいなくなった。……はずなのに。
彼女がいなくなった後のこの国が、これほどまでに脆く、そして俺自身がこれほどまでに「何もできない子供」であったことを、誰よりも俺自身が理解し始めていた。
「戻ってこいなどと、口が裂けても言ってやるものか。……あんな女、俺の方から願い下げだ」
俺はそう呟き、また一つ、アイリスがかつて「無駄な支出だ」と指摘した高価な酒の封を切った。




