表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/22

13話:契約書の内容流出

ヴォルガード領に平和が戻ったかに見えたその時、王都から放たれた毒矢が領民の心を射抜いた。


エドワード皇太子が、アイリスとゼノスが最初に交わした「雇用契約書」の写しを、魔導通信によって領内全域に公開したのである。


『衝撃! 辺境伯夫人の正体は、金で雇われた「事務官」に過ぎなかった』


『愛なき契約。小賢しい令嬢が、辺境伯を操り、領地の財を私物化している』


広場には、アイリスが事務的に、そして冷徹に報酬や条件を書き連ねた文字が大きく映し出された。


「二人の仲睦まじい姿は、すべて『業務』だったのか?」「奥様は、俺たちを救うふりをして、計算ずくで金を動かしていたのか?」


信頼という名の非論理的な資産が、急激に暴落していく。


騒然とする城内に、王都からの公式な使者が現れる。


今度の使者は、アイリスを追放した当事者であるエドワード皇太子が直接「映像」を投影する魔道具を持っていた。


「ゼノス・ヴォルガードよ。貴様はあの女に騙されているのだ。その契約書を見ろ。彼女は貴様を愛してなどいない。ただの『好条件の職場』として利用しているだけだ」


映像の中のエドワードは、勝ち誇ったように笑う。


「その女をこちらへ渡せ。さもなくば、王家への詐欺罪に加担したとして、貴様の辺境伯位を剥奪し、ヴォルガード領は王室直轄地として没収する。……もちろん、その際、領民たちの命の保証はない」


アイリスは、ゼノスの隣で拳を握りしめていた。


(……まさかこのような事態になるなんて。殿下は、私の知性を奪還すること以上に、ゼノス閣下を『正義』の立場から引きずり下ろそうとしている。……このまま私がここに居続ければ、閣下は『愛に目が眩んで国を裏切った大罪人』として、すべてを失うことになる)


「閣下……。この状況、現在の私の資産価値では、あなたに降りかかるリスクを相殺できません」


「アイリス、黙れ。お前の価値を計算しているのは俺だと言ったはずだ」


ゼノスは使者を追い払うが、アイリスの頭脳は既に「生存のための唯一の解」を弾き出していた。


その夜。アイリスは城のバルコニーで、広場に集まった不安そうな領民たちを見下ろしていた。


背後から、ゼノスが近づいてくる。


「アイリス。明日、俺は王都へ宣戦布告に近い抗議文を送る。お前を守るためなら、辺境伯の地位など……」


「……閣下、そんな非合理的なことはおやめください」


アイリスは、かつてないほど冷たい声で言った。


「あの契約書は真実です。私は、あなたの財を管理し、自分の地位を安定させるために、あなたを『利用』しました。仲睦まじい振る舞いも、領民への施しも、すべては私の『業務効率』を上げるための計算です。……愛などという不確かなものは、最初から一滴も含まれていませんわ」


「……嘘をつくな。お前のその目が、震えているぞ」


「……震えているのは、計算が狂うことを恐れているからです。……閣下、私はもう、この『採算の合わない職場』には飽き飽きしました。さようなら」


アイリスは一度も振り返らず、ゼノスの手を振り払って部屋へ戻った。


それは、彼を救うために自分を「冷酷な詐欺師」として演じ切る、人生最大の、そして最も悲しい嘘(演技)だった。


自室に戻ったアイリスは、一滴の涙も流さず、荷物をまとめた。


「……これでいい。私が『逃亡した詐欺師』になれば、閣下は被害者となり、地位も領地も守られる。……私が愛に溺れるよりも、彼が英雄であり続ける方が、はるかに期待値が高い」


アイリスは、かつて自分が整えた「物流の死角」を通り、闇に消えた。


彼女が残したのは、ゼノスへの愛の言葉ではなく、彼を「詐欺の被害者」として正当化するための、完璧な偽造証拠の山。


一方、アイリスの「裏切り」の言葉を信じられないゼノスは、彼女がいなくなった冷たい部屋で、床に落ちた一通の「契約解除通知書」を握りつぶしていた。


「……計算通りに、すべてを捨てて逃げたというのか。……ふざけるな。そんなに完璧に消えてみせたなら、俺がお前を『計算外の力』で見つけ出してやる」


愛ゆえの「失踪」と、愛ゆえの「覚醒」。


二人の関係は、事務的な契約を突き抜け、泥沼の、しかしあまりにも純粋な追走劇へと突入していく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ