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第10話:嫉妬という想定外

「新婚旅行」という名の視察から戻った二人を待っていたのは、ヴォルガード城の白石の玄関に堂々と居座る、王都の華美な馬車だった。


馬車から降りてきたのは、エドワード皇太子の側近であり、かつてアイリスを「女のくせに理屈っぽい」と嘲笑っていた貴族、フィリップ子爵だった。


彼はアイリスの姿を見るなり、芝居がかった仕草で頭を下げる。


「おお、アイリス嬢! 探しましたぞ。殿下は貴女がいなくなってからというもの、毎晩貴女の不在を嘆いておられる。さあ、公爵令嬢としての地位も、殿下との婚約も、すべて元通りにして差し上げようという慈悲深いお言葉だ。今すぐ王都へ戻りなさい」


ゼノスの隣で、アイリスの背筋が凍りつくような冷たさに支配された。


「地位の復権? ……閣下、これは非常に興味深い提案ですわね。私の市場価値が、王都の危機によって一時的に高騰しているということでしょう」


アイリスは努めて冷静に、事務的な口調で返した。


だが、その隣に立つゼノスの全身からは、立ちのぼるような殺気が漏れ出していた。


「……おい、軟弱な王都の使い。聞き捨てならんな」


ゼノスが一歩前に出ると、フィリップは悲鳴を上げそうになりながら後ずさった。


「彼女は今、俺の妻だ。ヴォルガード家の人間を、どこの馬の骨とも知れん王子のために連れ戻すだと?」


「ひ、辺境伯! 落ち着かれよ! これは公式な外交案件だ。彼女は本来、王国の重要な『資産』……。エドワード殿下も、彼女が隣にいないと夜も眠れないと仰って……」


その言葉が、ゼノスの「嫉妬」という名のシステムエラーを引き起こした。


ゼノスはアイリスの肩を強引に引き寄せ、周囲の兵士たちがたじろぐほどの力で彼女を抱きしめた。


「資産だと? ……ふざけるな。アイリスは俺の妻だ。彼女が計算するのも、帳簿をつけるのも、俺の隣で理屈をこねるのも、すべて俺だけの特権だ。エドワードなどという無能な男に、彼女の髪一筋さえ触れさせるつもりはない」


アイリスは驚き、ゼノスの胸の中で目を見開いた。


(閣下……? これは、契約上の防衛業務の範囲を著しく逸脱しています。……それに、どうして私の心拍数が、過去最高値を更新し続けているの……?)


ゼノスはアイリスの耳元で、低く、熱い声で囁いた。


「アイリス、お前はどうなんだ。あの無能の元へ戻り、また『可愛げのない女』として消費されたいのか?」


「……まさか。私の計算では、殿下の元へ戻るメリットはゼロ。むしろマイナス無限大ですわ」


アイリスはゼノスのシャツをぎゅっと掴み、フィリップを冷徹に射抜いた。


「子爵。殿下にお伝えなさい。私は現在、ヴォルガード家と『終身独占業務契約』を締結しております。他社への引き抜き(ヘッドハンティング)に応じる余地はありません、と」


フィリップを追い払った後、城の私室に戻った二人の間には、重苦しくも熱い沈黙が流れていた。


ゼノスは苛立ったように暖炉の前に立ち、アイリスは机の端に腰掛けて、震える手を隠していた。


「……閣下。先ほどの言動は、外交的に見て少し攻撃的すぎましたわ。相手は王室の使者。もう少し論理的に……」


「論理など、知ったことか!」


ゼノスが激しく振り返る。


その瞳は、獲物を追い詰めた獣のようにぎらついていた。


「お前が奴の元へ戻る可能性が1%でもあると考えただけで、俺の中の理屈がすべて消え失せた。……アイリス。俺はもう、お前を『契約上の妻』として扱うことに限界を感じている」


「え……? 解約、ですか……?」


アイリスの顔から血の気が引く。


だが、ゼノスは彼女に歩み寄り、両手で彼女の顔を包み込んだ。


「違う。……お前を、俺の本当の妻にしたい。契約書に書かれた数字や条件ではなく、俺の意志で、お前を愛したいんだ。……お前のその小賢しい頭脳も、冷たい指先も、すべて俺のものだと、世界中に証明させろ」


アイリスの脳内から、すべての計算式が消えた。


彼女がずっと求めていたのは、「有能だから必要とされる」ことではなく、「自分という存在そのものを、奪い合いたいほど愛される」ことだったのだと、初めて理解した。


「……閣下。それは、非常に非合理的で、生産性のない……でも、世界で一番甘い言葉ですわ」


アイリスは初めて、計算に基づかない微笑みをゼノスに向け、自分から彼の手の中に飛び込んだ。


二人は深く、長く、契約という呪縛を解くための口づけを交わした。


もはや、そこに雇用主と従業員はいない。


いるのは、互いがいなければ未来を描けない、一対の男女だけだった。


しかし、王都へ逃げ帰ったフィリップが、エドワードに告げる言葉は決まっていた。


「アイリスは辺境伯に監禁され、洗脳されております。彼女の知性を取り戻すために、武力による『奪還』を……」


アイリスとゼノス。


二人の「真の愛」を試すための、王国全体を巻き込んだ最終決戦が幕を開けようとしていた。


「……閣下。敵の侵攻ルートと、兵站の脆弱性を計算し終えました。私たちの『愛』がどれほど効率的で、強力なものか……思い知らせてやりましょう」


「ああ。俺たちの『新婚生活』を邪魔する奴らには、倍のコストで支払わせてやる」

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