第1話:損切りの断罪 華やかな夜会の裏側
王立学院の卒業記念パーティー。シャンデリアが輝く中、公爵令嬢アイリス・ランバートは、手元の小さな手帳を睨んでいた。
彼女にとって夜会は社交の場ではなく、王家と公爵家の「共同事業の進捗確認」の場だった。
「……王太子のマントの刺繍、予算の1.5倍はかかっているわね。昨今の羊毛価格の高騰を考慮していない。これでは来期の平民向け衣類助成金が圧迫されるわ」
アイリスは幼い頃から、あらゆる事象を「数字」と「効率」で捉えてきた。
婚約者であるエドワード皇太子に対しても、恋文の代わりに「王室費削減案」を提出するような娘だ。
周囲は彼女を「氷の会計士」
「可愛げのない小賢しい女」と呼び、遠巻きにしていた。
【断罪の幕開け】
突如、会場の中央でエドワードが声を張り上げる。
その傍らには、愛らしく涙を浮かべた男爵令嬢リーネが寄り添っていた。
「アイリス・ランバート! 貴様との婚約を破棄する!」
静まり返る会場。
エドワードは、アイリスがいかにリーネを虐げ、彼女の心を傷つけたかを列挙していく。
しかし、アイリスの頭脳は冷静に「事実関係の不整合」を計算していた。
「エドワード殿下、確認ですが。私が彼女のドレスにワインをかけたと仰る火曜日の午後三時、私は王宮の地下書庫で過去十年の徴税記録を照合しておりました。司書三名の証言公証も取得済みです。不可能な事象を根拠にするのは、議論の生産性を著しく下げますが?」
「黙れ! そういうところが小賢しいというのだ! 貴様はいつも数字や理屈ばかりで、人の心がわからないのか!」
エドワードは吐き捨てるように言った。
「貴様のような血の通わない女は、我が国には不要だ。即刻、国外へ追放する!」
「……そうですか。追放、ですね」
アイリスは一度だけ深くため息をついた。
それは悲しみではなく、**「この投資先は救いようがない」**と判断した投資家の落胆だった。
彼女はドレスの隠しポケットから、一通の封筒を取り出す。
「承知いたしました。では、婚約解消に伴う**『清算業務』**に移らせていただきます」
「清算だと?」
「はい。私が婚約期間の五年間で代行した、王太子府の公務、予算編成、および外交文書の翻訳業務。これらを『無償の愛』という名目で奉仕してまいりましたが、婚約が破棄された以上、それは不当利得に該当します」
アイリスは朗々と、しかし冷徹に読み上げる。
「私の労働単価は、王宮筆頭事務官の1.2倍で算出。延べ労働時間は一万二千時間。これに深夜手当と、私が導入した新税制による増収分の成功報酬を0.5%加算します……。差し引き、金貨八千枚。今すぐお支払いいただけますか? 無理であれば、王家の所有する北部の鉱山利権の一部を譲渡いただくことで相殺可能です」
「貴様……! この状況で金の話だと!? どこまで小賢しいんだ!」
「『小賢しい』というのは、知性を使いこなせない方々が用いる敗北宣言だと理解しております。殿下、愛だけで国が運営できるとお考えなら、どうぞお試しください。私は私の知性を、より正当に買い叩いてくださる場所へ移転いたします」
アイリスは完璧な礼を見せ、呆然とする聴衆を背に、一度も振り返ることなく会場を後にした。
馬車の中で、アイリスは初めて震える手を握りしめた。
濡れ衣を着せられ、家からも勘当され、文字通りすべてを失った。
この調子では私が要求したことは何一つ通らず、暴力でどうにかしようとしてくるだろう。
エドワード殿下がここまでアホだとは、私の見積もりが間違っていたと、後悔していた。
しかし、手元には自ら書き上げた「職務経歴書」と「隣国辺境の地勢データ」がある。
「泣いている暇はないわ。一分泣けば、脱出の成功率が0.1%下がるもの」
彼女が向かう先は、誰もが恐れる「鉄仮面」の辺境伯が治める、荒れ果てた土地。
そこは、愛を語るよりも「生きるための知恵」が求められる場所。
「待っていなさい、辺境伯様。あなたの領地を、私が世界一効率的な場所に作り替えてあげるわ」




