最終話 恋とレイシスト
「なんだってこんな日まで学校があんだよ」
ダイニングテーブルの上にある朝食のパンを齧りながら、俺は悪態を垂れ流す。
頬杖つく俺の反対のほっぺには、まだ大きな絆創膏が貼られていた。
母さんが俺の後頭部を指で弾く。
「いてっ」
「テーブルに肘つかないの、行儀悪い」
そのまま席に着くと、コーヒーをひと啜りした。
「傘、忘れないでちょうだいね」
午前七時前、空模様は悪い。天気予報だと大きな台風がこの地域を少しだけかすっていくみたいだ。
学校が休みにならない程度の、激しい雨が降る。それなら、降らなくてもいいのに。
天気予報のコーナーが終わり、時事ネタの発信へと移る。画面に映し出されているのは、見覚えのある女の子だった。
『改めて、デミ化してみてどうですか?』
『すごく楽しい。こんな幸せ、ボク初めてだよ!』
柔らかな笑顔を見せた彼女に、俺はため息混じりの言葉を出す。
「再変異ってありかよ……それに魔法少女って、年取ったらどうすんだ? 魔法老女か?」
「あんた馬鹿ねぇ、魔女でしょ普通」
あ、そうか。
指先から光る魔法を唱えた彼女は、先日引ったくり犯を捕まえて表彰を受けたそうだ。人様の役に立っているんならよしとしよう。
「そういやあんた、"レイシスト"ってこと、まわりに言ってないんだって?」
母さんはテレビの画面を見つめたまま俺にそう訊いてきた。
レイシストは異人の一種だ。他のデミを心の底から忌み嫌い、殺意が湧くほど心をかき乱す。
俺は中学の時、レイシストにデミ化した。自分の中の感情を抑えることができず、異人となった友達を深く傷つけた。
だからあれからもう友達は作らないことにした。作らないほうがいい、そう思った。
デミの特性のせいだと言い訳することもできたが、それはなんだか自分を制御できない甘ったれだと感じた。
差別主義者だなんだと嘯いて、人と距離をとった。
「言っても、なんも変わんねーし」
「ま、あんたの決めたことだから別に構わないけどさ。学校でなんかあったら石渡先生に頼んなさいよ」
レイシストとなった人のほとんどは、心を壊してしまうらしい。自分の中に相反する二つの気持ちがせめぎ合って、どちらが本物かわからなくなるからだそうだ。
「事情を知ってるゴーレムが優しく受け止めてくれるってか?」
薬を定期的に摂取しないと、心がどんどん廃れていってしまう。俺が夕飯を気にしていたのはそのせいだ。
「あんたのその言い方、本当、父親そっくりだね」
鞄を持ちあげた俺はその言葉を背中に受ける。何度も聞いたよ、それ。
そして驚くべきことを、レイシストには他のデミの持つ能力を、完全に遮断する力があった。だから鬼やゴーレムに体を壊されることも、メデューサの視線で石にされる心配もない。
この手で頭に触れさえすれば、能力を消し去ることだってできる。レイシストは、最も稀有なデミの一種だった。
「もう行くから」
投薬での制御ができたおかげでなんとかデミ棟は出られた。しかし、俺もいつあの少女と同じような末路を辿っていたか分かりはしない。幸運だったんだ、俺は。
「はいはい、いってらっしゃい」
折り畳み傘を確認して靴を履く。玄関の重い扉を開けると、朝とは思えない暗い景色が広がっていた。
俺がレイシストになっても自暴自棄にならずに済んだのは、そばでもう一人、デミになって苦しんでる奴がいたからだ。
「お、お、おはよう……」
ポツンと一人立つ、羽の生えた女の子。
俺の隣から「まあ!」っと感嘆が漏れる。
「まさか、あんた……!」
余計な想像力を働かせるな。
「う、うるせぇ! 喋んな!」
勢いよく戸を閉めて母さんの顔を潰した俺は、癖で絆創膏に触れる。
ちらりと前を見ると、照れくさそうにしているれんと視線が合った。
「……なんで朝からいんだよ」
れんは視線を逸らす。
「ほんとは、インターホン押そうかと思ったんだけど……あの……」
モジモジするな、と言いたいところだが、俺も案外似たようなものだ。
「体は、無事なのかよ」
「うん平気……ありがと……」
「……そっか……」
何だこの微妙なやりとりは。俺はどうしちまったんだ。
事件のあと、聴取やら入院やらでれんと会うのは久しぶりだった。いつもみたいに接したいのに、いつもどう声を交わしていたか思い出せなかった。
気まずいというか、気恥ずかしいというか。言葉一つ出すのにも、息苦しさに負けてしまいそうだ。
「りょ、凌くん!」
突然大きな声。
「な、なんだよ!」
「私、さらとくんとは何もないから!」
「……はぁ?」
何を言い出すかと思えば。
「デミ棟で一緒だっただけで、すごく仲いいわけじゃないから!」
「そんなの……」
そんなのもう飯蛇から聞いてるよ。
「私、サキュバスだけど、好きな人の愛情がないと死んじゃうの! ……だから、だから私、凌くんしか好きになんかならないよ!」
体温がみるみる上がっていくのが自分でもわかる。これが温度が高いってやつなのか、万灯よ。
心の中でれんの言葉が響いていって、やまびこみたいに跳ね返ってくる。桜色の液体に浸るようなその心地よさが堪らなくて、堪らなくて、堪らなくて……う、や、やばい、帰ってこれなくなりそうだ。我を忘れる前に、俺は叫んだ。
「な、なんでお前から言うんだよ! こういうのは男の俺から……!」
言うが早いか、彼女は顔を真っ赤にして走り出していた。
「に、逃げんなよ!」
追いかける俺に、羽をはためかせながられんは叫ぶ。
「恥ずかしいから来ないで! 今、顔見てほしくないの! 追いかけてこないでよ! いっつも私に冷たい態度取ってきたくせに! 意地悪!」
さすがにサキュバスの身体能力は高い。すごい速さだ。だが、ここで俺も引き下がるわけにもいかなかった。
「別に冷たい態度なんてとってねぇよ! あれは……」
「うそつき! 飯蛇さんや魄山さんとは普通に話してたし!」
道路のアスファルトを蹴り、れんを追いかける。
「それは、あいつらが勝手に……!」
彼女の長い髪の毛が左右に振れる。
「いいよもう! 凌くん私がどれだけ言っても全くときめいてくれないし! どうせ、しつこくてうざったい幼馴染だと思ってたんでしょ! 私のこと、都合のいい女だと思ってるんでしょ!」
風に乗った、彼女の甘い匂いが鼻をくすぐる。
「あ、あほか! 俺にとってお前は……と、特別なんだよ!」
ひー、何を言ってるんだ俺は。
「俺は、レイシストだぞ……好きなやつだけ……お前だけ差別して何が悪いっ!」
ようやく追いついた俺は、れんの腕を掴んだ。減速した彼女に合わせて、肩を上下させながらゆっくりと、手を握りしめる。
「……れん」
頭の奥から甘い匂いが広がっていく。
心臓が高鳴った。
本当の気持ちは分かっていた。
レイシストである俺に、サキュバスの魅了は効かない。
だからこれは、本物だった。
俺はれんに、ずっと前から恋をしていたんだ。




