第7話 タキオンと陰謀
「ねえ、城場内博士。こいつの力があればさ、全部解決するんじゃなかったの?」
「馬鹿もん! 無駄に騒ぎを大きくしよって! お前がここに来たらワシのやってきたことが全部ばれちまうだろうが!」
白い箱のような直方体の部屋の中、タキオンと白衣の中年男性が話をしていた。
灰色に染まった無精髭。背が低く小太りな城場内は、タキオンを一喝する。
「あの事件だってもみ消すのにどれだけ金がかかったと思っておる!」
「あぁもう! 分かってるって、大きな声ださないでよ」
けだるげなタキオンの瞳は、半分くらい瞼に隠れていた。
「んーッ! んーッ!」
部屋の隅に置かれた寝台に、手足と口を縛られたれんの姿。
「このサキュバス、死にかけてるんでしょ? 結構元気だね」
「人の生気を愛情だけで搾取できる逸材じゃ。攫ってきたならもっと丁寧に扱わんかい」
「はいはい。で、博士。こいつ使えるの?」
「今までは世間の目があったからの、十分に研究できておらんかったんじゃ。これからはじっくり体をいじれるわい」
「んーッ! んーッ! んーッ!」
「……じゃ、ボクはちょっと休むからさ、終わったら起こしてよ」
「天音。あの日から眠っておらんのじゃろ?」
「ふあぁぁ……そうだよ、すっごいイライラする。それもこれも、博士が早く治療法を見つけてくれないからじゃん」
あくびをかみ殺すタキオンのフードが微かに揺れた。僅かな揺れに、苛立ちを隠さず告げる。
「博士……なんかきてる」
微振動だった地響きが次第に大きくなっていく。
「な、なんじゃ――?」
博士が呟いたその瞬間、白い天井が勢いよく崩れ落ちた。折れ曲がった鉄筋と破れた天井板の残骸が、隙間に溜まっていた埃を巻き上げる。
「げほっげほっ! 一体、何事じゃ!」
頭髪のない博士の頭が、煙の中から伸びた手に鷲掴みにされる。
「お、お前は……!」
「城場内、久しぶりだな」
聞こえてきた声は、そのままの勢いに任せて彼の体を床に押し倒した。
「ぐぇっ!」
不機嫌そうな顔をさらにしかめたタキオンは、落ちてきた三つの人影に目を向ける。
「おまえ、この前の……」
魄山の怪力はやっぱり凄まじい。床下ぶち抜いて天井から降ってくるなんて、マジもんのヒーローみたいだったぞ。
俺は城場内をその辺に転がして告げる。
「やっぱここだったか。てめぇみてぇな出来損ないのデミが来る場所っつったら、ゴミ溜めが集まるここしかねぇからな!」
俺はひりつく彼女の視線と真っ向から睨み合った。
「なにおまえ。この前あんな雑魚だったのに、それでもデミなんだ」
タキオンが笑い飛ばす。こんな小さな子どもと煽り合いになるとは思わなかった。
「お前らデミと一緒にすんな劣等種。同じ空気も吸いたくねぇんだよこっちは……さっさと終わらせてやるから、かかってこいよ」
苛つき始めたタキオンの体が発光し始める。
「おまえ、うざいよ、ほんと」
「語彙力のねぇガキだな」
言い終える前に、彼女の姿は閃光に溶けていく。激しい空気の狂乱。音速を超える衝撃波。凛とした鈴の音が、俺の体を薙ぎ払った。
崩れた天井から、残りの屑鉄が床を穿つ。部屋の中、ひっくり返したような乱気流の中心で、タキオンが呻く。
「う……あ……!」
「んーッ!」
弾き飛ばされた俺の隣には、縛られたれんの姿が。口に貼られたガムテープを剥がしてやる。
「凌くん! 危ないよ! 私なんかほっといて――」
「あほ! お前を助けに来たんだぞれん! いいからそこで大人しくしてろ!」
「……だってあの子、苦しんでる……」
タキオンは光を超える仮想粒子。現実に存在すれば、あらゆる不可能を可能に変える、夢のような代物だ。
だが、それは机上でしか語らることはない。理由は簡単だ。
「うっさい、うっさいんだよおまえ!」
光を超えたエネルギーが人体に及ぼす影響? そんなの知るか。あの少女が別の人間だったとしても、それに耐えられる生物がこの世に存在するとは思えない。
「ああ知ってるよ。だからお前もあの子も、助けに来たんだろ」
れんの瞳が俺をじっとみつめる。言えなかった本当の気持ちすら、見透かすように。
タキオンがデミとして能力を使う限り、体も心もみるみるすり減っていくのは誰もが知るところだ。
だからこそ、彼女はれんの力を欲しがったのかもしれない。愛情のみで生命力を補填できる特異な個体を。命をすり減らしてまで手に入れる理由があるのだと、このエセ科学者に騙されて。
まったく、これだからデミは。
「魄山!」
俺が叫ぶと同時に、彼女がタキオンへ飛び掛かった。光速に届かないまでも、鬼の強靭な肉体は人間の比ではない。
鈴の音が鳴る。
「遅いっての!」
難なく躱された魄山の両腕が空を切る。人並外れた身体能力も、仮想粒子には届かない。だが、
「あなたも、十分遅いですっ!」
投げ込まれたその言葉に反応したタキオンは、体をピタリと止める。魄山の背中にしがみついていた飯蛇が、眼鏡を外してタキオンと目を合わせた。
「藤坂くん! 急いで!」
石に変えられるのは数時間程度らしいが、それは実験で用いられたマウスの時間。
一足飛びに走った俺は、全力を込めて腕を伸ばす。
体が大きく、またエネルギーがあるほど石化の効果は減衰していく。成人男性の動きを止められるのは、十数分くらいらしい。防犯グッズだと思えば、優秀すぎるくらいだろう。
石になったタキオンの体が再び発光を始める。
想像を超えたスピードだ。体感で、数秒にも満たない。これを逃せば、彼女はもう捕まらないだろう。飯蛇の視線なんて、光に比べれば止まっているようなものだからな。
俺の広げた指の先が、タキオンの頭に触れた瞬間だった。硬化した皮膚が元に戻り、タキオンの悪戯っぽい瞳と目が合う。
石になっている間の意識はどうなるのだろうか。まさか、思考まで光を超えているとでもいうのか。
「惜しかったね、でももう終わりにしよう」
彼女がそう呟いた。
光を超えた速度、力、知能。俺が想像できる世界の外側全てを、彼女は支配できるのかもしれない。
タキオンが光の力で俺をねじ伏せようとした時だった。
「――……あれ」
穴の開いた白い箱のような実験室に、タキオンの間抜けな声が響いた。
誰も動くことができなかった。
「なんで、あれ……もう石じゃないのに、ボク、力が使えない……」
「……やっぱデミは、つくづくダメだな」
「やめるんじゃレイシスト! 天音は人類の宝じゃぞ! タキオンの力は無限じゃ! やめろ!」
今まで床に伸びていた博士が叫んだ。
だが、俺がその手を止めることはなかった。タキオンの体に入っていた光の粒が、色褪せていく。クソみたいな力だ。人の体を殺す百害。デミってのは、ほんと屑しかいない。
「あ、あれ……体……痛く、ない……?」
拍子抜けするような声を出す少女から、俺は手を離す。
「もう大丈夫だ……デミの能力は消えた。副作用で苦しむことも……命をすり減らすこともねぇ」
その言葉に、彼女は目を開く。
「ほ、ほんとに? ボク、もうずっと、起きてなくてもいいの? 平気なの?」
「あぁ大丈夫……全部大丈夫だ。あとはあそこのお姉ちゃんたちにまかせて……家に帰るんだ……魄山、飯蛇……すまん、後は任せた」
最後にれんと話がしたかったが、もう意識が保てそうにない。
痛みがひしめき合って、戦国時代みたいに俺の体で領土争いしてるみたいだ。我ながらいい例えだと思ったから、あとでれんに教えてやろう。
ったく、俺はあいつを救いに来たってのに。いつも大事な時に寝てばかりだ。
……だけど、れんが無事なら……それだけでいい。




