第5話 魄山と飯蛇
俺が意識を失ってからの数日。これが起きたことのあらましだ。
タキオンと名乗った彼女は、異人となってわずか数カ月の十歳の少女だった。
変異後に自らに宿った力を試してみたくなって問題行動を起こすことは、まあ悲しいかな、よくあることだ。
特に強い力を得た若者はその個性に身を焦がし、命を落とすなんてざらにあった。そういう意味でも、異人ってのは危険なんだ。
だからデミ専門の隔離棟で何日も検査をする。その時出てくる飯といったら、なんであんなに不味いのか。あれはもう二度と食べたくない。
話が逸れた。タキオンはあの日、街でひと暴れした後、姿を消した。捜索は行われているそうだが、警察が手に負えるとは思えない。なんせ光の速度を超えてるらしいからな。
それはもう身を持って体験したからよく分かる。あれは生物の域を超えた、別の何かだ。誰が手に負えるとか負えないとかそういう次元じゃない。災害といってもいい。
だが、問題はそこでもなかった。
問題はもっと、個人的なことだ。
れんが一緒に連れ去られた。
タキオンの目的は、れんを攫うことだったようだ。何故れんだったのかは、分からない。
タキオンの言動には独善的で自分勝手さが見て取れたが、考えがあってれんを連れ去ったようにも感じた。
”やっぱり、珍しいサキュバスだ”
タキオンはそう言っていた。
俺は天井を見上げて、目を閉じる。薄く息を吐いて、心を落ち着かせた。
――それが、なんだってんだ。
正直、そんなことを考えたところで何かが変わるわけでもなかった。俺の体はボロボロで、傷はまだ痛む。タキオンの異常性を目の当たりにして、助けにいくこともできない。
れんがいなくなってしまったその事実だけが、俺の目の前に残された、たった一つの事実だった。
スライド式の扉がノックされる。夕飯には少し早い。俺は不思議に思った。
「……どうぞ」
そう言って来訪者の入室を促す。
俺が自分で扉を開けてやることはできない。吹き荒れるガラスに切り刻まれ、叩きつけられた衝撃で肩の骨をやられた。入院中、あくびをするのも一苦労だった。
「……入るわよ」
妙な間があった。そしてその声の正体に、俺は驚く。
背の高いすらっとしたシルエット。目鼻立ちがくっきりして、ハーフモデルのような人相。常に眉間に皺を寄せている、強面の女生徒。
「魄山……なんで……」
母さんと石渡は何度か見舞いに訪れたが、クラスメイトが来たのは初めてだった。それにしても魄山っていうのは、どういう風の吹き回しだろう。
「……失礼します」
後ろからはもう一人、クラスで前の席に座る飯蛇。たれ目がちな彼女は、正反対に小柄でどこか頼りなさが漂う。並んでみると、いっそう小さく見えた。こっちにも俺は驚く。
「先生に言われて、見舞いに行ったらどうだって……だから……来たのよ」
頭を掻きながらぶつぶつ言う魄山を、レンズ越しに飯蛇がちらと見た。窓から入ってきた小さな風が、彼女の持っていた花の頭を揺らす。
「そうか。それは……面倒かけたな」
俺はそう言って窓際にある花瓶に目を向けた。俺にはあまり似合わない、ピンクのカーネーション。
「私、水かえてきます」
飯蛇は慣れるような手つきで花瓶を手に取る。たしか彼女は、園芸部だったか。
横髪にあたる蛇が、俺の方を見ていた。ふと立ち止まった彼女は、窓から入る夕暮れの光をレンズに反射させる。
「藤坂くん……こういうのもなんですが、元気そうで……良かった」
そそくさと出ていった彼女に、俺は返事する暇も与えられなかった。元気、か。石にされるよりかは、まだマシな方だろう。そんな言葉をかけてくれるなんて、俺は思ってもみなかった。
「あの……藤坂……」
額の角を振る魄山は、困ったような顔をこちらに向ける。
「なんだ、先生からの言付けか? こんな体に課題だせなんて言い出すなよ。もしそうなら血文字で解答を埋めてやる」
「違う、先生に言われて来たのはそうなんだけど……あ、なんていうか、その……えっと……」
ベッドから体を起こした俺は悶える彼女を見る。いつもははっきり言うくせに、今ははっきりしないやつだ。
「別に気にしちゃいねぇよ。先生に言われて仕方なしに来たっていう義務感? 別にそれを俺は心底嫌だなんて思わない」
「違う、そうじゃない。本当は、あの日のことを謝りたかったの。体育館で、藤坂と姫野に言ったこと……」
なんだ、そんなことか。
というか、気にしてたのか。
「私の元彼は、後から聞けば口八丁で姫野の名前を出しただけだった。怒りで周りが見えなくなるのは私の悪い癖。本当にごめんなさい」
頭を下げた彼女があまりにも真摯で、バツの悪くなった俺は視線を逃がした。
「べ、別に気にしてねぇよ……れんがサキュバスなのも、俺が起こした暴力事件も、本当のことだしな」
「でも……」
殊勝な態度にテンポを崩される。俺はこいつのこんな顔、頼まれたって見たくもなかった。
「お前も色々と考えて行動してんだろ? 悪態つきながらも極力人の体に触れようとしない。鬼の力がどれくらい強いか知ってるからだ。それでどんだけ苦労したか、なんとなく分かってんだよ」
文句を言われたことはあったが、俺が彼女に暴力を振るわれたことはない。
俺がそう言うと、彼女の大きな目が見開かれる。なんだこいつ、隠してるつもりだったのか。
「俺も人のことをとやかく言うつもりはねぇ。お前がそう思ったんならそれで無しにしようぜ。後腐れなんて、俺はうんざりだよ」
一瞬の間があいて、魄山は言う。
「あんた……ほんとにあの藤坂なの……?」
「え、それどういう意味?」
うまいこと締めくくったのに、なんだか予期せぬ反応だ。ちょっと恥ずかしいじゃないか。
すると今度は、ノックもなしに扉が開く。
「ね、言ったでしょ? 藤坂くん、そんなに悪い人じゃないって」
新しい花を花瓶に差し、にこやかに告げる飯蛇が部屋に入ってきた。
「私の蛇ちゃんたちね、藤坂くんのこと気に入ってるみたい。ふふ、こんなことってあんまりないんですよ?」
それは褒めてるのか、貶しているのか。
珍しい彼女の笑みを見ながら、蛇基準で語られた俺は微妙な心境になる。
「それで、藤坂。姫野のことなんだけど……」
その一言を聞いた俺は、瞬時に肩の痛みを思い出した。鈴の音とともにやってきた、タキオンと名乗る少女。連れ去られ、行方知れずとなったれん。
「――藤坂は、知ってたの?」
曖昧な問いだった。俺は捻られない首を想像上で捻る。
「なんのことだ」
魄山と飯蛇は顔を見合わせた。花瓶には新たに加わったガーベラが顔を覗かせる。
「……れんが、どうかしたのか?」
嫌な予感がした。痛み止めを飲みたい。そうすれば、この胸のざわつきも治まるんじゃないか。頭の中をそんな突拍子もない考えが渦巻いていた。
満を持して、飯蛇が口を開ける。
「姫野さん……実は――」
本当に最近は突然なことが増えた。
タキオンの時だってそうだ。そろそろびっくりするようなことはやめてもらいたい。
飯蛇が言葉を終わらせる前に、病院の建物全体が強く揺れ動いた。
「――きゃっ!」
魄山が咄嗟に飯蛇の体を支える。地震じゃない、大型トラックが突っ込んできたみたいな衝撃だ。
病室の外から悲鳴が聞こえる。
ぐらぐらと残った小さな揺れが、部屋の中にいまだに居座っていた。
状況を把握しなければ。ところどころ痛みの残る体を奮い立たせ、俺は扉を開けて廊下に飛び出した。
俺の病室がある病棟は軽い揺れですんだみたいで、いくつも並ぶ病室の扉から他の患者が野次馬のようにわらわら出てきた。
廊下の先にある窓をめがけ、そいつらを押しのける。その先に見えたのは、煙の上がる隔離病棟だった。
変異したデミが集まる、不安定で危うい人格者たちの溜まり場。俺の頭の中が、ちりちりと熱を持ち始めていた。




