第4話 万灯と少女
「なんで……万灯……」
「藤坂……」
俺に気が付いた万灯は視線を巡らせる。両手に持つ二本のペットボトルと、俺の顔、そしてれんへと順番に目を合わせた。
「藤坂ってさ、やっぱ姫野さんと付き合ってるんだ」
心臓が強く脈動した。
はっきりそう言葉にされると、恥ずかしさと嬉しさの綯い交ぜになった感情が、体を固くこわばらせる。
「さ、さらとくん!」
それと同時に変な違和感を覚えた。れんは万灯を名前で呼んでいる?
万灯は気にせず続けた。
「今日のあの感じだと、そうじゃないかって思ったのさ」
魄山とのやりとりを言っているのだろう。
やっとのことで口から出たのは、
「別に……」
なんとも情けない声だった。
「別に……俺ら付き合ってねぇよ」
じっと見つめる万灯の瞳孔が、縦に長く伸びる。感情の起伏が少ない彼の方が、温度が低そうだ。
「ふーん。そっか、じゃあ今日は何? デート?」
見かけによらず、ずけずけものを言うタイプだな。今までの爽やかさがまるで嘘のようだった。
「つつつ付き合うなんて、そんなこと……」
れんは顔に両手をあてがう。
またしても、付き合うとかデートとかの単語にまごついている。しっかりしてくれ。
「そんなんじゃねぇよ」
俺は少し語気を強めた。だが眉一つ動かそうとしない万灯からは、なんの感情も読み取れない。これだけ顔が整っていれば、無愛想でも人気が出るんだろうさ。
「藤坂。俺、姫野さん取ってもいい?」
…………は?
「だってお前、俺らデミのこと嫌いなんでしょ?」
「さらとくん!」
俺がいくつもの感情に押しつぶされそうになっている間に、れんが立ち上がった。
そんな彼女を、万灯は視線だけで制した。
蛇に睨まれた蛙のように、れんは言葉を飲み込んだ。
――こいつは今、なんて言った?
「俺さ、一年の出会ったときから姫野さんのこと好きだったんだよね」
物言わぬれんの瞳が揺れる。
「サキュバスのフェロモンとかじゃなくてさ、本当に。ね、姫野さんも、差別主義者より俺のほうがいいでしょ?」
「おい」
自分でも何故か分からないくらい、頭の中が熱を持った。思わず掴んだ万灯の肩も、少しだけ熱く感じた。
こんなやつが、れんと付き合うだって?
「藤坂やめてよ。中学の時のこと、繰り返すつもり?」
頭の何処かに、ヒビが走る。再び想起されていく、煮え湯が腹の底に溜まる感覚。
これだからデミは、下劣だというんだ。
俺の手を振り払った万灯はれんに向かって言った。
「姫野さんもさ、こんなところにいないで、いつものとこ、行こう」
その言葉を聞いて、俺の背中にナイフが刺さったような痛みが噴き上がる。引き剥がされていく柔らかい肉の部分から、透明な汁が滴った。
違うよな。うそだよな。ハッタリだ、こんなものは。万灯のでまかせにきまってる。そうだろ、れん。
「凌くん……ごめん!」
「れ……」
信じられなかった。小走りで他の男についていくれんの後ろ姿を、俺が見ることになるなんて。
熱い体が言うことをきかず、力が入っているのか脱力しているのかもよくわからない。こんな経験は生まれて初めてだった。
俺が今までれんと過ごしてきたものは何だったんだ。彼女は、俺の知っているれんなのか。
――――わからない。何もわからなかった。
今まで彼女を知ろうともしなかった俺には、彼女が何を考えていたのか、どんな人間と関係していたのか。
茫漠と広がる砂地の中に、一人取り残されたように、立ちすくむ。
ただれんは、俺に取り入ろうと必死で、帰り道だって人の目も気にせず俺を追いかけてきた。家族ぐるみで親しく、俺たちの仲はよく冷やかされた。
小さい時からずっと一緒だったんだ。
そんなの、当たり前じゃないか。
手に持った二つのペットボトルが、鉄のように重い。万灯さらと。あいつは何なんだ。れんの何を知ってる。いつものとこって、あいつら、いつの間にそんな仲になってたんだ。
デミはやっぱり、頭のおかしなやつらばかりだ。平等でいいわけがない。あいつらは劣っている。同じように地に足をつけていいはずがない。
俺は未開封のペットボトルをその場に捨てて、出入り口に走り出した。
自動ドアが開くと、生温い風が身を包む。日もかなり落ちて、街灯がぽつぽつとビル群のすき間を照らしていた。左右を見回すが、すでにれんの姿はない。
咄嗟にバス停の場所を思い出した俺は、そっちに足を向けた。そう遠くへは行ってない。間に合うはず。
――だが、間に合ってどうするつもりなんだろう。俺は何のために走り出したんだ。二人のところに行って、何をするつもりだ。
中学の時、俺は馬鹿だった。暴力だけがそれを解決する方法だと信じて疑わなかった。次々とデミになっていくクラスメイトが、友達が、れんが、怖くて怖くて、憎くて憎くて仕方がなかった。その臓腑に響く心の声が、俺には耐えられなかったんだ。
自分のことを分かってほしいとも、優しくしてほしいとも思わなかった。
ただただ、これが俺の弱さの招いた結果だった。
「れん!」
背中に生えた羽が小さく動く。
振り返った彼女は、少し泣いているように見えた。れんが俺に声をかけようとした、その時。
鈴の音がした。
俺とれんの間に立つフードを被る少女。
いつからいたのか、最初からいたのか。
「やっぱり、珍しいサキュバスだ」
そう言ったフードの少女は、おもむろにれんの腕を引いた。
「だ、誰……やめて、離して!」
「だるいなぁ。素直についてきてよ」
一歩も譲らない彼女に業を煮やしたのか、少女は両腕でれんを引っ張り始める。
「おい! 何やってんだ!」
俺が駆け寄ろうとしたその瞬間。
激しい衝撃波が全身を打ち払った。軽々と飛んだ俺の体は、向かいのショウウィンドウに突っ込む。
粉々に砕けるガラス片。何が起きたのか分からず、俺は体中の痛みに呻く。
「ただの人間がボクに話しかけてくるなよ」
「凌くん!」
街を歩く人々の悲鳴に紛れて、れんの声が聞こえた。痛みを噛み堪え、俺は立ち上がる。
あぁくそ、夕飯には間に合いそうにないな。
「れんから、離れろ……」
「だからだるいって」
少女の目が俺を捉える。もう一度、さっきと同じやつがきたら、さすがに俺もやばい。
身構えることもできず、ただ呆然と立っていた俺の視界に、爽やかな青年が飛び込んできた。
「姫野さん、逃げて!」
少女かられんを引き剥がした万灯。叫びながら、あいつは牙を剥いた。口から炎が吐き出され、少女を焼き払う。
「あっちち、おまえ、よくもボクのいっちょうらを燃やしたな!」
目にも留まらぬ速さで移動した少女が、続けて言い放つ。
「その目、牙、炎。ははーん、君、サラマンダーかよ。かっこいいし、珍しいね。でも、ボクはもっとすごいよ」
フードが頭の後ろに降りる。二つの団子を作る彼女の髪型は、中華風のキャラクターみたいだった。
街灯の明かりが点滅し始める。日が沈んで暗いはずの歩道に、ほんのりと淡い光が広がった。その中心にいる少女が、くすりと笑う。
「ボクはタキオン。光速を超えた存在、異次元のデミヒューマンなんだ」
一瞬だった。視界が揺れたと思った時には、建物の柱がねじ曲がり、ありとあらゆるものが突風で吹き飛ばされた。体がバラバラになったんじゃないかと思うくらいには、痛みで思考が追いつかなかった。
五感のすべてが離れていって、それ以上は心が保たなくなる。だから意識を飛ばすんだって、そういうのをどこかで聞いた気がする。
だけど、ずっと心に引っかかっていた。それだけが心配事だった。
れんは、無事だろうか。




