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恋とレイシスト  作者: えすてい


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第2話 低温と孤立


「姫野は遅刻するそうだ」


 教室の中央、教壇に立ったクラス担任の石渡いしわたりは、硬そうな頭皮をゴリゴリと掻いて、独り言のように呟く。


 隣と目配せしてひそひそ話す生徒の様子を、そんなどんくさそうな見た目で注意できるのだろうか。


 俺は頬杖をついたまま、前の席をじっと見た。


 視界にちらつく蠢く髪の毛。その内の一本がじっとこちらと目を合わせてくる。


 髪の毛といっても一本一本は蛇のように太い……というか蛇だ。蛇を頭にたくさん飼っている。


「な、何か用? 藤坂ふじさかくん……」

 前の席の生徒が振り返る。


 分厚い眼鏡を反射させて、おびえた表情をしているのは飯蛇いいだ


 俺と目を合わせ、肩を引き上げた。


「ちょっと、睨まないであげてくれる」

 今度は隣からの声。


 明け透けに不愛想な態度を見せる、むっとした顔の魄山しろやま。額から伸びた角が、目鼻立ちのくっきりした彼女の表情をより凶悪にさせていた。


「先に睨んできたのはそっちだろ、飼い主の躾がなってないんじゃないか」

「に、睨んでないです……」


 俺の声にびくりと肩を震わせた飯蛇は、頭を抑えて蛇たちを前に動かしていく。


「最低」


 俺にしか聞こえないように舌打ちした魄山は、そう吐き捨てるとついと前を向いた。


 この世界には”異人デミヒューマン”と呼ばれる人種が存在する。人間とはまったく異なった別の種族。


 彼らは人間たちと別個に存在しているわけではなく、人間の中から生まれてくる完全な亜種だった。


 十代前半頃から身体に変異を生じさせ、ひと月でその変態を終える。


 原因は不明だ。遺伝的な理由も後天的な影響も何一つ、現代までその因子にたりえるものはなにもない。


 異人となった者の多くが教室の大半を……いや、教室の中だけではない。世界人口の半分くらいがそうなっていると授業では習った。


 クラス担任の石渡はゴーレム。体が岩で形成され、すこぶる頑丈そうだ。アメフト部の顧問じゃなかったか、タックルなんかされたらひとたまりもないだろうな。


 前の席の飯蛇はメデューサ。眼鏡がないと目が合った者を石に変えてしまうんだとか。恐ろしい、こんなやつを学校に来させていいものなのか。


 そして隣の席にいる顔の怖いのが、鬼の魄山だ。背も高くて力も強い。正義感か知らないが、やたらと俺につっかかってくる。暴力こそ振るわれたことはないが、振るわれれば普通の人間にそれこそ命の保証はないだろう。


 授業が始まる数分の間に、か弱い俺は何度も命の危機に瀕しているといわけだ。生きていることに至上の感謝をしなければ……なんて、微塵にも思ったりはしていないが。


 誰も座っていないれんの席を、俺はちらと見た。


 中学生の時、彼女はサキュバスとなってしまった。

 



 その日の二限目は、体育。


 俺は広い体育館で打ち上がったバレーボールを見あげた。


 楽なトスでチームメイトにボールを渡せば、運動の得意な奴が勝手に試合を運んでくれる。簡単なゲームだった。


「藤坂、ナイスパス」


 牙を生やした男子生徒がそう告げた。


 爽やかさを体現したかのような美形。クラス内外でも人気がある。牙と言えば、有名どころの吸血鬼か狼男、はたまたドラゴンだってありえるかもしれない。


 バレーはサッカーと同じように、味方にボールを回すことをパスと呼ぶのだろうか。そんなのんきなことを考えながら、俺は曖昧に頷いた。


 彼のアタックが華麗に決まったようで、自陣コートにはガッツポーズと称賛の声が飛び交う。


 勝敗は決した。俺か? 俺は黙って自分のパスを自画自賛している。


「藤坂、お前温度低いな」


 そう言った牙の男、名前は確か万灯まんどうと言ったか。俺はいつもこんな感じなんだ、ほっといてくれ。


「おい、さらと」


 他のチームメイトが殊更嫌そうに俺を見て、万灯に首を振った。万灯のファーストネームは、サラトというらしい。


 コートから出た俺は背を向けて彼らをシカトした。試合も終わったし、これ以上温度の高い奴らと一緒にいる必要はない。


 壁に背中を預けて腰を下ろす。コートの反対側、女子たちが試合をしていた。誰かの着地した振動とシューズのこすれる高い音が、体育館に響く。


 ホイッスルと試合前のあいさつが、滲んでいく水彩画のように俺の耳にはぼやけて聞こえた。


 中学から友人はいないし、作る気にもならない。人間のようなツラをしたこいつらを、俺は心のどこかで嫌悪している。


 熱い鉄が胃の中で狂ったように暴れまわり、恐怖に囚われまいと必死にもがき苦しんだあの頃。窪んだ傷跡から裂けて溢れる血液の悲涙。曲げられない自尊心が生み出した潔癖の園の中、その中だけでしか、俺は息ができなかった。


 ぼやけた聴覚の隙間を縫うように、どこかで鈴の音が聞こえた。


 俺ははっとして顔を上げる。


 滲んだ音が鮮明になるにつれ、今捉えたばかりの音は反比例して掻き消えていった。


 男子コートの奥、開け放たれた体育館の入り口に見慣れた人影が入ってきた。


 れんだ。


 ゴーレムの石渡と一言二言交わして、彼女はコート脇に集まっていたチームと合流する。


「藤坂ってさ、姫野さんと仲いいの?」

 不意にかけられた声に、俺は顔を向ける。


 爽やかな視線を女子コートに送る万灯が近くに来ていた。


「……さあな」


 そっけない態度をとるも、彼が気にした様子はない。


「藤坂って不思議だよな」

「……どういう意味だ」


 俺の方に視線を移した万灯は口元を綻ばせ、妖しく笑って言った。


「聞くほど差別主義者っぽくない」


 何か言い返してやろうと口を開きかけた時、また鈴の音が聞こえてきた。遠い、だけどはっきりとした音色。


 意識の流れが無理やり絶たれたように、俺は音の聞こえる方に目を向けた。


 体育館の奥にある通用口の扉。そこに立つ人影。さっきまでれんがいた場所に、ぼうっと薄い輪郭。


 目を凝らす。そこに大きなフードを被った子どもの姿があった。手で払えば消えてしまうような、蜃気楼のような存在感。


「なんか揉めてるな」


 え、と思ったその瞬間。文字通り鬼の形相をした魄山がれんの胸倉を掴んでいた。


 ざわつく心の中。試合中で気づいていないのか、隣のコートではホイッスルがけたたましく鳴り響いていた。


 女子たちのおふざけかとも思ったが、そういう雰囲気には見えない。何より、魄山が軽々しくあんな真似をするはずがなかった。


 壁に寄り添うように立っていた他の男子たちも、そのおかしな様子に声を潜める。


 石渡が彼女たちの言い合いに気づく前に、俺の足はすでに動きだしていた。


「いつまでもぶりっこしてんなよ!」


 魄山がれんに声を上げる。あれだけ力の強かったれんでさえ、太刀打ちできない鬼の腕力。やっぱりこいつら、危険なんだよ。


 少し赤みの帯びた魄山の腕を、俺は鷲掴みにする。


「おい、手ぇどけろよ」


「ちっ、きたよカレシが」


「凌くん……」


 魄山はれんを掴んでいた手を離し、俺の腕も振りほどく。


「ねぇ。私このビッチに彼氏寝取られたんだけど」

「私、そんなこと……!」


 息まく魄山にれんの言葉は通じない。怒りの矛先を俺に向ける。


「あんた私たちデミのこと嫌ってんでしょ? だからこいつ使って嫌がらせしてんだよね」


「わけわかんねぇ、なんで俺がそいつにそんな回りくどいことさせなきゃなんねぇんだよ」


「中学んときのことみんな知ってるわよ。あんた学校でデミと揉めて騒動起こしたそうね。迫害主義者だって噂、やっぱり本当だったんだ。あんたたちお似合いよ。一人は誰とでも寝る倫理観崩壊女で、もう一人は差別至上主義の人格破綻者」


 取り巻きが増える。だけど誰もこれを止めようともしない。


 やっぱりこいつらは種として劣っている。絶滅すべきだ。変異する前に、その兆候があったやつから殺していくべきなんだ。


「凌くんはそんな人じゃない!」


 俺と魄山の間に割って入ったれんが叫ぶ。あぁ、本当になんなのだろう。思考を重ねるほどにぐずぐずに溶けていく俺の心。


「認めなさいよ! あんたは男漁りに学校来てるだけのビッチだって!」


「だから違う! 私そんなことしてない!」


「コ、コラ! やめないか!」 


 やっと仲裁に入ってきた石渡は、屈強そうな体をさらに固めて言い放つ。デミどもの言い合いなんて、醜くて聞く気にもならない。


 遠いセミの声が体育館に染み入ってくる。


 もうコートの上で跳ねる者は、誰もいなかった。


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