81.これからも一緒
妖獣たちとの密会が明けた日以降、私は実質数日間、妖獣世話班としての勤務は休みとなってしまった。
私が入院初日に魘されて叫んだことを聞いたお爺ちゃん先生が、私の精神状態の安定を最優先とする診断をしたためだ。入院患者の急変を確認するために設置されている監視魔導具で、私の叫び声は診療補佐の職員さん複数人が聞いていた。
所長も首都で警備隊に保護されていた私の様子は知っていて、お爺ちゃん先生と診療補佐チームからの報告を聞き、とにかく安静にさせると所長命令が下ったためだ。
所長は三年経ってぶり返したことをとても重く受け止めた。
職員の心身を守るのも上司の務め。そして、個人的にも真摯に心配してくれた。
妖獣たちとの密会で聞いた内容を心の奥に閉じ込めたい時間も欲しかったので、三日間は所長命令のまま休んだ。苔を愛でながら、たまにキィちゃんのアクセサリーを作りながら、静かに過ごした。
けれど、療養休暇四日目になると、何もせずに休んでいることが落ち着かなくなってしまった。
心配してくれていることは感謝してもしきれないほど嬉しい。
けれど、落ち着かない。
すぐにお爺ちゃん先生に連絡を取って話し、お爺ちゃん先生同席で所長と面談した。
一番勘違いされていた王族対応の件は、緊張するけれど、陛下や王妃殿下らは非常に優しかったこと、王太子殿下の来訪も嫌ではないことをはっきりと言った。
「正直に言うとな、この前リリカが倒れた原因は検査ではわからんかった。生理前の不調だった可能性もあるが、あそこまでバイタルが乱れるのは儂も長く医師をしているがわからんでな。そうなると精神的ストレスを疑う。リリカは、その、いろいろありすぎたからの……」
「リリカが思い出してしまった過去をどうしてやることもできないのが歯がゆい。……私らが採用に動いてすぐにリリカに面会できなくて、どうしてなのかと聞いて腹が立った。情報端末は便利だが、だからといって他人の暴いたり、貶めたりする武器として使うものではない。陛下や大臣たちもリリカのことを知って、国民のモラルの低下を議論したほどだ。法で縛っても逮捕者がいなくならない。常識ある者が多いと信じたいが、役者なども辟易していることだな……」
あのとき世の中にばらまかれた私の情報は取り締まられて消されたけれど、人の記憶に残ったものまでは消せない。けれど、私のことがきっかけで、あらためて情報発信の法制度の理解を促す教育や指導が話し合われたのは聞いたことがある。
チビとともにいる以上、今後もあるだろう。それは覚悟している。
所長と面談しても、フクロウ二号の異能で倒れたとは言えず、妖獣たちの記憶の断片が見せた砂の光景のことも言えない。
それでもどうにか所長とお爺ちゃん先生に、王族対応続きのストレスが一番大きくて倒れたわけではなく、ただ、今年は春から通常業務以外にあれやこれやが続き、ここ数日で気温が下がったこともあって、自覚なく無理していた方向で話した。
所長とお爺ちゃん先生は突き詰めて私が倒れた原因を探る気はなく、今後のこともあるから落ち着く時間を取らせようと思って休暇を決めてくれていた。
チビが歌手デビューすれば、私が苦手とする人前に立つことが増える。その覚悟をする休息だと言ってくれた。
私が淀みなく会話できていたことで、体調は落ち着いていることは感じてくれたらしく、休息を与えても悶々と考えて別のストレスとなるのもよくない。内勤業務から再開させてもらえることになった。
心が弱ると振り切った過去が顔を出してくる。
自分では吹っ切ったつもりでも思い出してしまうことはある。
妖獣たちとの密会を経て、わからなかったことでの生まれていた不安、勝手に想像して勝手に作り出していた不安はなくなった。
事実を知り、悲しみを閉じ込める努力はしても、わからないから、知らないからという不安に怯えることはもうない。
私が振り切った過去が顔を出してくる確率もそう多くないことを祈りたい。
そうして、笑顔の下に仕舞い込んだものに、毎日毎秒鍵をかけて、徐々に日常を取り戻すことに努めた。
陛下御一行がご帰還した数日間だけ遊び回る妖獣が少なかったが、その後はいつも通り、森の中を駆け巡りたい妖獣が増え、森に連れて行く際、妖獣世話班メンバーの誰かが山小屋に寄ってくれて、トウマも毎日来てくれた。
食事は大丈夫か? 洗濯は? 掃除は? と、あまりにも甲斐甲斐しい彼氏っぷりに、私が驚いたし、トウマについてきたオニキスも驚いていたし、たまたま山小屋にいた妖獣世話班メンバーにも見られてニヨニヨされた。
「トウマって恋愛事も淡泊なのかって見てたけど、あれね、リリカを攻めあぐねいていた感じかしらね?」
「正直ちょっと戸惑ってます」
「ふふふ! トウマも彼女ができたら甘やかしたい気持ちがあったのかもね。今まではそんなことしたら図に乗るような人しかいなかったから、タガが外れたっていうか」
「あー……」
サリー先輩に妙な分析をされてしまったが、私も薄っすらそんな気がする。どうにもこそばゆいものの、嬉しいのは事実。
シャーヤランに来て、出会う人に本当に恵まれた。
この優しさに甘えていいのかと不安になることもある。そんなことをお爺ちゃん先生のカウンセリングで話したら、「与えられた優しさを、次の出会う誰かに与えて繋げていけばいい。もらった相手に返せないこともあるじゃろ? だから繋げていくんだよ」と言われた。
お爺ちゃん先生の考えはとてもいいと思った。
私が沢山の人から与えてもらった優しさ。
私も誰かに繋げていこう。
年終わりまであと一ヶ月を切った日。管理所が一般観光客の受け入れ業務を休みとした日。
チビのサプライズコンサート成功打ち上げ会が行われる日。
ついでに私の二十一歳の誕生日。
「イェーイッ! さーかーなー!」
「さーかーなー!」
大人が十人くらい入れそうな漁業市場で見かける大きな容器にビチビチと跳ねる大量の小魚。チビ用の小魚踊り食いだが、子どもたちが「いっぴきちょうだい!」「つかみどりー!」と集まって、わちゃわちゃしている。
子どもたちには別に魚のつかみ取りの準備をしていたので、そっちに誘導したら、チビは思いっきり踊り食い開始。大量の小魚の中に思いっきり顔を突っ込んでいく。
「やっぱこの食べ方、面白いよね!」
前のときの感想も、美味しいではなく、面白いだった。チビが楽しいならいい。たくさんお食べ。
「夕方に解体ショー用の魚がくるわよ」
「ヴィスファスト家の皆様がお越しになる時間とあわせて搬入します」
「ありがとうございます」
領主館にいる人を相棒にしているツバメに似た姿の妖獣が、フフンと胸を張ってきた。
今日の打ち上げは領主館と合同。領主館の方々が魚を買い付けに行った海は、ツバメに似た姿の妖獣の相棒さんの故郷で、相棒さんは経費で帰省できたと喜んでいた。
生きたまま水槽で搬入された魚やエビ、貝もあって、ミニ海水園状態になり、子どもたちは大はしゃぎ。
シャーヤランで海の生物を生きた状態で見る機会はなかなかないから、大人も大興奮。食べる前に海の生物の鑑賞会となった。
休憩所だけだと人が収まりきらないので、休憩所に繋がる管理所の廊下、その先の玄関ホールまで、あちこちの会議室からテーブルとイスを出してきて飲み食いできる打ち上げ会場になっている。
秋雨期が過ぎ、晴れときどき曇りの過ごしやすい天気で、休憩所から牧場や菜園エリアに向かって出入りができる外では炭焼き料理。手のひらくらいある大きな貝の網焼きなんて、なかなかできないご馳走だ。
休憩所の一画がミニ海水園状態になったことで、海の匂いというのだろうか、嗅ぎ慣れない匂いが駄目な人は玄関ホールか外の炭焼き会場に設置されたテントにいる。
子どもたちも最初は「へんなにおい!」「なんのにおい?」「くさいー」と驚いていたが、自分たちの身長と同じくらいある生きている巨大エビの登場に、海の匂いよりも興味が勝り、目をキラキラ輝かせて、博物館から連れてきたサー先生の話しを聞いている。
子どもたちに強制連行されてきたサー先生は、なにごとか? となっていたが、ミニ海水園になっている状況を見て理解。子どもたちに巨大エビの解説をし始めたけど、最終的に食べるからね?
悪阻と夢遊病症状が落ち着いたマドリーナも元気いっぱいやってきたが、海の匂いが駄目だったので今は外にいる。
網焼きコーナーでモリモリ食べているマドリーナ。悪阻が抜けてきたら、今度は食べ過ぎるらしいので、それはそれで気をつけてほしい。
子どもたちのなかでも大興奮なのがヘンリー。トーマスに抱えられてビチビチと大騒ぎ。「あれは!? あれは!?」と一つひとつ水槽を見て、また最初の水槽に戻り、……を繰り返している。
続いて大興奮なのがエバンスくん。「……ふぉぉぉっ、……ふぉぉぉっ」と低く声を出して、うっかり水槽の側面に近づけたらガラスに顔をくっつけて水槽を覗き込むというより、水槽のなかに入っていきたくてしょうがない様子。水槽から離すとふえふえと泣きそうになり、また水槽に近づけるとガラスに顔を押し付けて水槽への侵入を試みる。
エバンスくんがガラスに顔を押し付けてジタバタする様子は、傍から見ていると、どうしたって笑ってしまい、ニット先輩夫婦も笑いが収まらない。その後もゼロ歳児あるまじきデスボイスを発して水槽と格闘していた。
ゴードンも弟に付き合って水槽を見て回るのに付き合ったけど、他の子たちとともにモリモリ食べるモードに切り替わった。
子どもダンサーズは筋肉マッチョダンサーズの振り付けの先生として仲良くなり、この食事会でも両ダンサーズ軍団は和気藹々。
「さかなはどこにじょーわんにとーきんがあるの?」
「魚に上腕二頭筋はないなー」
「でもこれがうででしょ?」
「そこはエラ。こっちのこと言ってんなら胸ビレっつーんだ?」
「むなびれ?」
「魚は、そうだなあ。背筋と腹筋の生き物だな!」
「そっかー!」
ゴードンと筋肉マッチョ軍団メンバーのホワキンさんの会話に笑いが出る。
魚が背筋と腹筋の生き物だと言われて、大きく分類すれば間違っていないかもしれないと錯覚する解説に、周囲も大笑いだ。
「じゃあ、えびは? えびのきんにく!」
「エビ!?」
ゴードンの無邪気な問いに、素っ頓狂な声で答えに詰まったホワキンさん。
絶対違うだろう、エビの筋肉談義が聞こえてしまった人たちの腹筋は大いに鍛えられた。
チビのサプライズコンサート成功打ち上げ会は、昼前からダラダラと始まり、ダラダラと夜まで続く。観光客対応はなくても他の業務はあるので、交代で打ち上げに参加できるよう、あえてのダラダラ。
スイーツタイム、甘ダレ焼きタイム、巨大魚の解体ショーなどスポット的なイベントの時間は事前にスケジュールされているので、お目当ての料理の提供時間に参加できる。
采配はペニンダさん率いる総務の皆様。流石です。
今日の打ち上げで私も何か作って振る舞いたいと言ったら、「リリカと言ったら味噌スープね」と言われて、早朝から調理班のみんなに手伝ってもらって、百人分を超える味噌スープを作った。
巨大鍋ごとに少し味が違うのは、百人分を超える材料の配分がわからなくて、鍋ごとに具材が少し違うからだ。肉を使ったもの、魚を使ったもの、根菜を多めにしたものなど、具材から出た味で鍋ごとに味が変わった。偶然なのに凄いと褒められた。喜んでいいものだろうか?
王妃殿下とのティータイムの際にお聞きした痺れ辛子の葉を使った風味漬けは、療養休暇期間とその後も数日間、しつこく試行錯誤し、やっと私の味覚として満足できる完成度になり、本日こっそり提供。
何度も試食してもらった妖獣世話班メンバーとトウマは飽きてしまって手も出してくれないが、なかなか好評で、調理班長にガッチリ捕まった。流れるように痺れ辛子の葉の風味漬け講座開催である。
食堂のメニューにするには微妙では? と思ったら、単純に調理班長の好みだった。痺れ辛子風味漬けの仲間が増えるのは嬉しい。
ダラダラと飲み食いしながら、職務によってはたまに仕事して、子どもたちは昼寝して、外の炭焼きでも大はしゃぎして、もう芋掘りは終わったのに泥だらけになって、大浴場に連れて行くことにもなった。
苦みのある野菜を目の前に「わたしがおとなじゃないからあなたのおいしさがわからないの。あなたはわるくないの」と野菜を労いながら食べることを断固拒否する子どもがいたり、チビが数日前に森の巡回中に狩った魔獣の熟成肉に舌鼓を打ったり、甘ダレはやっぱりフォレストサーペントだなと急に狩りに行く討伐班職員がいたり。
チビは魚の踊り食いのあとに、どうやって作られたのか想像できない巨大な青唐辛子ソーセージにご満悦。もはやソーセージではなく樽を縦に繋げたような肉の塊だったが、クララさんにソーセージだと言い張られた。
「無理だー!」
「何だこの辛さはー!」
「チビ! お前の舌、オカシイぞー!」
チビが美味そうに食べたもんだから興味を示した職員さんたちが餌食になった。
クララさんが用意してきていた普通サイズの青唐辛子ソーセージを食べて、悶絶する職員さん多数。
クララさん曰く、五段階くらい辛さを抑えたというが、誰基準の辛さ判定で言っているのか。これを売ると聞いたけど、誰が買うのか。辛いものが大好きな所長代理が妙に楽しんでいるから、所長代理案件らしい。関わらないでおこうと思った。
食べて飲んで喋って笑って、その中で何人もの職員から誕生日と三年遅れの成人の祝いの言葉をもらった。
成人を過ぎると誕生日を祝う習慣はほとんどなくなるが、今日は特別。
「まだ二十一なんだなー」
「あのとき十七歳だったのか」
しみじみと言われたけれど、管理所職員になるのは二十四歳から二十六歳が多く、これまでシャーヤラン管理所での最年少入所者は二十二歳。私が十七歳で入所したのは異例も異例。入所年齢の競い合いなんてないけれど、思いがけず記録を更新していた。
夕方以降は業務を終えた職員も増え、侯爵家ご一家や領主館の方々も交えてサプライズコンサート成功を改めて労いあった。
モモンドさんが「あんなに忙しくて気を張った仕事はなかった! もうまっぴらごめんだー! でも楽しかったなぁ!」と叫ぶように発した言葉に、ドッと笑いが起きるのも大成功したから。
映像でしか見たことがなかった巨大魚の解体ショーは、大人もこぞって興味津々となり、食べて飲んで歌って騒いで踊って大いに笑って、楽しい時間はあっという間に過ぎた。
夜の宴会に突入する職員もかなりいるけれど、子どもが数人寝落ちたところで区切りの打ち上げ終了。
残った食材は明日以降の職員向け食堂の日替わり定食で提供される。
私もけっこう飲み食いして、ほろ酔い状態で浮遊バイクに乗るのは躊躇われ、菜園エリアの池のそばでしばし休憩。
「リリカならこっちだよー」
「? チビ?」
チビが誰かに私がいる場所を教えた声がして振り向いたらラワンさんと、その後ろに所長とアビーさん、ペニンダさんもいた。
「何かありましたか?」
チビのことですか? 王太子殿下のことですか? 私の知らない新しい何かですか?
「リリカに届け物がきてな」
「届け物?」
フッと周囲から隔離された感覚がして、反射的にチビを見たら、透明な異能の障壁の揺らぎが薄っすらと見えた。
「今しがた届きました」
そういってラワンさんから差し出されたのは、片手の手のひらに乗る厚紙の箱。
そっと開ければ入っていたのは髪飾りと──
──リリカ、成人、おめでとう。
目の前に広がったのはホログラムのような映像。
くぼんでいない瞳、痩けてない頬、赤みを戻した肌色の
「伯父さんッ!」
瞬間、涙が溢れた。
箱の中には髪飾りと、イチゴちゃんの異能の伝言板があり、箱を開けて伝言板があると認識したら、文字ではなく映像が映し出されるなんて!
伯父さんの笑顔の映像は数秒間、宙に映り、キラキラと粉状になって空気に溶けて、伝言板も消えてしまった。
「よかったわね」
ペニンダさんの言葉にただただ頷く。声を出したら叫び泣きそう。
「こちらは添えてあった手紙だ」
涙で読めない私の代わりに、書いてある内容を読み上げてくれたのは所長。
晴れ着の冊子がとても嬉しかったこと。晴れ着もさることながら、制服姿が凛々しいと書かれてあって照れてしまう。
私の晴れ着の髪飾りを真似て、伯父がリハビリで作ってみたとあり、それが、今、手の中にある。
日常使い用に簡略化してあるとも書かれてあったけれど、どんな高価なものより、私にはこの髪飾りがいい。
「イチゴちゃんの伝言板制御はいい意味で狂ってる。複数人を経由する物に添えるのも異例だし、映像に音声まで仕込むなんて……。オレっちできないからね!」
「ふふふっ!」
チビはチビでいいんだよ。
「保護したときは危篤寸前の心身状態でしたが、ああして回復しているのを見て知ることができたのは、私もホッとしました」
ラワンさんはあのとき伯父を保護してくれた一人。酷い状態を知っているから、先ほど見た映像の伯父の姿に、よかったですねと言ってもらえて、また何度も頷いた。
明かりのあるところまで戻って髪飾りをじっくり見た。
宝飾金属の細い線で描かれている花と宝飾石を組み合わせて咲く花の髪飾り。
リハビリと書いてあったように、よく見ると接着剤がはみ出しているところがあったけれど、薬物の副作用が抜けきっていないはずの震える指で作ってくれたとは思えない出来栄え。
泣きながら笑っている私を見つけたトウマが心配そうに近寄ってきたが、まわりに聞こえないように事情を話せばよかったなと言い、髪飾りを左耳の上のあたりにつけてくれた。
「あれ? 髪飾りどこ?」
「ここだ」
「ないよ?」
「は? なんで手のひら見てんだ……って、お前酔ってんな? ってもう酒は飲まないって言ったのに、今持っているのも酒じゃないか。寄越せ」
「トウマ、髪飾り、隠した?」
「隠してない隠してない。ホラ、ここ、髪につけたんだ。ガラス見てみろ」
休憩所のガラスに自分を映して、角度を変えて髪飾りが見えるように首を傾ける。
ふふーん、ニコニコだ!
その後どうやって山小屋に帰ったのか覚えがないけれど、トイレに行きたくて起きたら山小屋の自室だった。髪飾りはベッドサイドテーブルに箱に入れて置いてあり、着替えてはおらず、風呂に入った様子もない。
トイレに行き、喉の乾きを覚えて冷やしてあるレモン水を飲みに台所へ向かった。
「リリカ、起きた?」
「あ~、チビ~、私どうやって帰ってきたの?」
チビが山小屋の玄関前に蹲って寝ていたようで、私が起きた気配に声をかけてきた。
玄関を明けたら外の気温にブルリと冷える。薄手の長袖一枚だと森の中だと肌寒さがある。これがシャーヤランの真冬。
「トウマの車で運んで、ペニンダとアビーも来て、ベッドに放り込んで、みんなしてため息吐いてた。浮遊バイクはオレっち」
ため息の報告はいらないんじゃないかな?
「伯父さん、よかったね」
「うん。イチゴちゃんが伯父さんのところに出没するのは諦めてくれてるみたいだね」
「シシダ帰ったら、伯父さんとこに勝手に忍び込むなって、蹴っ飛ばしとく?」
「なんで蹴っ飛ばすの? そんなことしないからね? 仲良くしてね?」
「仲は悪くないと思うけどね?」
チビとイチゴちゃんは言い合ってばかりで、あれで仲は悪くないと言われても、特大の疑問符が飛び出てくるよ。
チビが前脚を伸ばしてきたので、台所の椅子に掛けてあった上着を取りに行って羽織り、チビの爪の檻に飛び込む。体を預けたら、私を腹を上に乗せて宙に寝そべるチビ。
ゆっくりとゆらりゆらりと揺れながら、木の上まで上昇して漂う。
チビと私の夜の空中散歩。
私がシャーヤランに来て、研修に次ぐ研修にヘトヘトになっていた頃、寝る前に嫌な夢を見ないようにと、よくこうして良質な睡魔を誘ってくれた。それを思い出して、退院してから私の心を落ち着かせようと、夜の空中散歩を再開してくれている。
「トウマとデートは決まった?」
「うん、王太子殿下が来る前に一度行こうって。行き先が侯爵様かヴィスランティ家の御用達の店限定になっちゃったけど」
「オレっちのせいでごめんね?」
「ふふっ! みんなチビの歌の発売が楽しみで仕方ないんだね」
年が明ける日が、チビの歌の発売日。
街の商店は、今から発売記念セールなどの企画が目白押し。
それでも音楽フェスティバル直後よりは街も少しは落ち着いたと聞いて、ついこの前、トウマと下の街に買い物に行ったら「おめでとうございます!」と大勢に囲まれて、結局買い物ができなかった。
サプライズコンサートの裏後援会だった商店の方々が気づいて助けてくれて、避難できたけれど、そこから帰るに帰れず。警護のためについてきてくれた警備隊員さんが「無ー! 理ーッ!」とすぐに応援を呼んで救出された。
以来、誰が一緒だとしても外出許可が下りない。
特段、管理所の外に外出できなくても困らないのが私だが、キレたのがトウマ。家の権力をフルに使って、ヴィスランティ家の車での送り迎えでデートの許可が出た。行き先もセキュリティばっちりなところばかり。
「トウマが意味不明に買う気まんまんだし、もう一着くらい余所行きで着ていけるのあってもいいじゃん。買ってもらいなよ。リャウダーでの水色除いたら二着しかないんだから」
「三着あるよ?」
「嘘だー。二着だよ。ジュニーからもらったやつはサイズ合ってないから余所行きカウントしたらダメだかんね? あとあのペラッペラダボダボワンピースも部屋着だからね?」
オニキスの入れ知恵なのか、チビがちょっと保護者チックになってきた。これはこれで嬉しくはあるけれど。
トウマの私への好意は明らかで、ジュニオル様に私を捕まえとけと発破をかけられた際はうるさいと返していたが、入退院を経て、完全にロックオンされていることをひしひし感じる。
甘ったるい恋愛小説のような接し方に憧れがないとは言わないが、実際やられると面食らう。
何が何でも街にデートに行くと強い決意なのはトウマで、私は何も街じゃなくても洞窟とかでもいいと提案してみたら、「苔を愛でるのとデートは違うからな?」と説教された。チビとオニキスとフェフェとキィちゃんにも説教された。バケモノカサハナの定期報告でやってきたフクロウたちにもガックリされた。誰がチクったのかリーダーとメイリンさん、シード先輩、ペニンダさんに囲まれて説教もされた。ベリア大先輩にも大きなため息を吐かれた。本当に反省した。
そんな私だが、なんだかんだと『これぞ鉄板のデート!』を楽しみにしていて、たまにニヤついてしまう。
ぷかぷか。ゆらゆら。
今日は風がほとんどない。
「今日は曇っててあんまり星が見えないね」
「そうだねー」
あの星の瞬きの近くにも生命ある生き物はいるのだろうか。いろんな世界があるみたいだから、こういう星ではない、私の知らない世界もあるんだろう。
もし生き物がいるならば、そのそばに妖獣たちは姿なき存在としているのかな。別の呼び名の姿で寄り添っているのかな。
「リリカのーッ! 目先の目標はーッ! トウマとドッキング!」
「またそういうこと言う! そういうのは目標にするもんじゃないの!」
「早く番ってよー。番ったお祝いソング作ってあんだからさ!」
「アレは絶対歌ったらダメだからー!」
「あはははは!」
ぷかぷか。ゆらゆら。
チビのひんやりとした鱗に頬をつけると気持ちいい。まだ酔った熱が残っているみたい。
「チビに相棒だって見つけてもらえてよかった」
「オレっちも!」
これからもチビは奇想天外なことをしでかすだろう。
だってチビだもの。
私は振り回されてヘトヘトになって、でも最後には一緒に笑う。
そんな毎日を積み重ねていこう。
チビの記憶に笑顔がいっぱい残るように。
チビたちの記憶に、私みたいな生き物がいたんだと、思い出して笑ってもらえるように。
─本編・終わり─