79.押し込める感情
倒れた日の夕方前にトウマとペニンダさんが見舞いに来てくれた。
私が倒れたことは会議室にいたペニンダさんから聞いたが、ペニンダさんも体調不良で運ばれたとしか連絡が来ておらず、二人は口に出さず生理痛と思ったらしい。領主会合初日のときに突っ伏していた姿を見たばかり。あとで様子を聞こうとなって、そこからは予定を遥かに超える長時間打ち合わせ。今の今まで会議室に缶詰だったという。
入院部屋階の面会受付で私の容態を聞いたらしく、今度は王太子殿下が来訪してくるストレスで私の倒れたと思い込み、トウマは心配してくれて愚痴を言うだけ言い、途中つまめる菓子と果物を売店に買いに行ってくれたりした。
優しい彼氏にニヤニヤしてしまう。
ペニンダさんはそんな私たち二人の様子を優しい眼差しで見守ってくれた。
ヴィスランティ家でトウマの義父であるジュニオル様のいる場で話してから、トウマからの距離がぐっと近くなった気がする。
ジュニオル様はトウマに私のことを逃がすななんて茶化すように言っていてたけれど、しっかりトウマからその気配がする。
家ありきでトウマのことを判断しない私は珍しいのだと私もわかる。私が不勉強だったことでトウマの家のことなんて知らなかったし、知って最初に思ったのは『恐れ多い!』、そして『面倒!』だった。
この管理所にいられるなら、チビと私は生活に困らない。手当もじゅうぶんだし、何より苔の研究ができる。由緒ある家であることや資産家でお金に困らないなどで釣られなくても生きていける。
トウマの家のことを知っても、そう考える私。
家と金に群がられて辟易してきたトウマにすれば、最高に好ましいのだろう。
私も稼ぎがなかったり、生活が苦しい状況だったら考え違うかもしれないが、現状ではそう。
綺麗事を言っているようだが、私だってお金はほしい。働かずにお金がもらえるなら最高だ。しかし、もともとの性格もあるのだろうが、その享受の理由は? と考えてしまう。
『タダより怖いものはない』と聞いたことがある。この言葉はとても深いと思っている。
トウマは私が苔にのめり込んでも、いい具合に放置してくれる。本当に理想的ないい彼氏だ。
代わりに私もトウマがバイクにのめり込んでも放置してあげようと思う。
晴れ着の撮影会が終わって、いつだったかチビとオニキスとこそこそ話したけど、「絶望的に恋愛脳がない!」と頭を抱えられた。
なくはない! こうしてニヨニヨしてる! と反論したが、チビにもオニキスにも、後日フェフェにも憐れみの目を向けられた。キィちゃんには「アタシがこんなに手塩をかけて育てたのに!」と嘘泣き演技された。キィちゃんに育てられた覚えはない。
トウマのことは好きだ。
私を好いてくれる人として認識してから、どういう人なんだろうと知っていくなかで、ちゃんと好きになった。
トウマと付き合うなら、トウマの家のことも、トウマが次期国王陛下である王太子殿下と仲がいいのも理解して、ある意味で諦めるしかないと思っている。
思うのと行動が伴うかは別として。
立て続けの王族の来訪にストレスを感じないとは言えない。しかし、陛下御一行の来訪を乗り越えているから、王太子殿下の来訪を聞いて倒れるほどのことか? と、訝しく思われてもおかしくないのに、トウマはどこまでも優しかった。その優しさにチクリと心が痛む。
甲斐甲斐しく入院中に困っていることはないかと言ってくれたトウマ。
トウマにも、あの砂の夢のことは言えない。言ってはいけない気がする。
私の人生で知ったわけではない謎の知識や情報が頭の中に浮かぶことも言えない。気持ち悪がられたくないと言うよりも、これらも言ってはいけないと本能が告げてくる。
誰しも一つや二つは秘密はある。
トウマも私に絶対に言わないと決めていることがあっていい。だから言えない私を許してほしい。そんな勝手なことを思う自分に泣きそうになる。
気づかれるな、悟られるな、訝しがられるな。
トウマの退室した入院部屋で何度も自分に言い聞かせた。
心のなかで、本当のことが言えなくてごめんと何度も謝った。
スライムが置いてくれただろうベッドサイドテーブルの草を弄び、泣くな、落ち着けと、ミントの香りに意識を向けた。
心を落ち着かせてから、キィちゃんのアクセサリー作り。気を紛らわせることをしないと、泣いてしまいそうだったから。
腹に巻いたり、首から下げたりするものは何個か作ってあげていて、次は頭を飾るものがほしいと言われている。
頭? 落ちない? と気になったものの、そこは妖獣。落とさないだろう。
頭に飾るものと言われてパッと思い浮かんだのはヘッドチェーンなどのアクセサリーだったけれど、キィちゃんに違うと言われ、こういうのがいいと見せられたのは絵本。古風な王冠だった。どう形にするかと頭の中で試行錯誤しつつ、必要になりそうなパーツは買って箱に入れてある。
チマチマと工作していたら、あっという間に時間は過ぎた。
夕食はあまり食べられず、診察補佐の職員さんたちに心配されてしまったが、動いていないし、キィちゃんのアクセサリーと作りながらトウマが差し入れてくれた菓子類を食べていたからだと思う。栄養面に偏りはあるものの固形物を食べられるならいいとなった。
優先するのは、とにかく心の安寧。
また魘されるかもしれないと心配して、男性職員さんが強めの睡眠剤を用意するか迷ってくれていたが、私からできれば飲みたくないと相談した。
夢も見ないほど強い睡眠剤は、翌日以降に気持ち悪さが残るのを知っている。首都の学院でチビとともに保護されて、ある意味で隔離された日々のときに、まったく寝られなくて処方された。起きたときに残っていた気持ち悪さで食欲をなくし、余計に体調を崩した。だからあの類の睡眠剤は飲みたいと思わない。
それに、どんな薬も過去の嫌な出来事を消してくれない。
誰にも言えないあの絶望の砂の夢を消してくれることもない。
職員さんの前で、だいぶ暗い顔をしてしまった。
心の傷は確実に癒えるという約束がない。
お爺ちゃん先生も治る約束を口にしない。むしろ「どんなに言葉を重ねても、どんなに寄り添っても、心の傷は治らないときは治らない。治ったと思っても思いがけないことで傷口が開くこともある。医師でも無力だ」と、悲しく言っていたのを思い出す。
時間が良薬とも妙薬とも言うけれど、時間とともに悪化することもゼロではない。
私の心の傷が癒えていくかは、私次第でもあるから、ゆっくりと諭してくれて、私の心の傷を思い、お爺ちゃん先生は医師として、人として私と接してくれる。それがとてもありがたい。
お爺ちゃん先生と仲のいい職員さんに、私が不眠による心神損失の診療判断とならない限り、入眠剤や睡眠薬は最終手段にしてほしいと願った。
「うん、わかった。無理に寝よう寝ようと自分を追い詰めなくていいからね。ウトウトできるだけでもいいからね」
「はい」
管理所に来てすぐの頃に入院して、魘される私に付き添ってくれた回数が多いのもこの職員さん。お爺ちゃん先生の診療補佐として私を見守ってくれている一人。虚勢を張る相手じゃないから、どうしてほしいか率直に話した。
職員さんと話していたらお爺ちゃん先生が「勤務終わりじゃー」と乗り込んできて、職員さんに終業の催促。
このお二人、碁盤遊戯仲間でもあって、ほぼ毎日駒を指している。
「リリカもやるか?」
「寝ます」
こういうことはニッコリはっきり断るに限る。
まだ患者対応中だとお爺ちゃん先生を嗜める職員さんだったが、お爺ちゃん先生がわざと明るくしてくれたのだとわかった。部屋の扉は開いていたし、部屋の入って来る前の私と職員さんの会話を聞いていたかもしれないと、なんとなく思った。
重たい空気を取り払ってくれたお爺ちゃん先生に感謝だ。
お爺ちゃん先生と職員さんは、二日前から縦横それぞれ二十一マスある合計四百四十一マスの陣取り合戦の真っ最中らしい。駒を動かす熟考時間含めて簡単には終わらず、数日間続くというが、今夜こそ決着をつけてやると意気込んでいた。そして、この対戦が終わったら縦横二十七マス、合計七百二十九マスの陣取り合戦をするという。そんなにマス目の多い碁盤があるのかと驚いたら、管理所の誰かが作ったものが引き継がれているという。
二人の話しは延々と続きそうだったけれど、バイタルチェックの時間で巡回に来た女性職員さんに笑顔で追い出された。
ほぼ入れ替わりにリーダーとフェフェが来てくれた。繕い直した妖獣のクッションを引き取りに来てくれたのだ。
クッションは洗濯部から分けてもらった綿でふかふか。リーダーはそのことに安堵し、早速外側カバーを洗濯部で洗ってもらって、明日渡すと言ってすぐに退室したけれど、フェフェが残ってくれた。
「うまく言えんが気に病むな?」
「ん? ……うん……」
多分チビから聞いたのだろう。もしかしたらフクロウ二号からも聞いたのかもしれない。
「時を戻せれば、なかったことにできるのだがなぁ」
時間は戻らない。遡れない。やり直せない。
過去は消えない。変わらない。
あのときこうだったら、ああしていればとタラレバ言っても仕方ない。
フェフェがポツリという言葉に私は頷けなかった。
私の様子に気がついて、ベッドサイドテーブルの上で浮いていたフェフェがストンと頭の上に乗ってきた。
「──チビがオパール姐さんたちのところに行っとる。フクロウたちと話しがあるってな。今夜は帰れんかもしれんが、わしがおるから安心して寝ろ?」
私の耳に顔を近づけてこっそりと教えてくれたフェフェ。
チビと出会って、頭の中に不思議なことが思い浮かぶようになり、命の鼓動のない砂だらけの世界を見るようになり、それらをあるときから考えないようにしてきた。
夢を見た直後は呼吸の仕方を思い出すのに苦労するくらい追い詰められるが、そういう事柄として受け止められるよう努力もした。
今日まで約三年。
フェフェの言葉を聞いて、思いのほか私の心の中は凪いでいる。
わかったと返す代わりに「重たいぞー」と戯れた。
私たちは話しをすぐに変えた。
入院部屋は患者の容体変化を知るため、監視魔導具が設置されている。こそこそ話しまでは聞こえないだろうが、監視魔導具で拾えないほどの聞こえない話しを長くするのはよくない。
フェフェが頭の上から離れて、ベッドサイドテーブルにあったミントの仲間の草を両前脚で器用に持ち「鎮まり給え、呪い給え」と唱えながら左右に振るものだから、呪うのはないんじゃないかと笑った。
「そんな一節ではなかったか? 違ったか?」
「ダイランくんと読んでいた古典の一節なら、『祓い給え、清め給え、鎮まり給え』だったと思うよ」
「祓って清めて鎮めたのに呪ったらいかんな」
「ふふふ」
それでもフェフェがわさわさと草を振ったことで広がる爽やかな香り。
フェフェととりとめなく話していたら、そのうちウトウトして、そのまま夢も見ずに寝ることができた。
翌朝、私は激痛で起きた。
「やっと生理周期も不調具合も少しは安定してきたと思っとったが、ここのところまたダメだのう。まあ、いろいろあったから仕方ないかもしれんが」
「ううぅ……」
「前回が領主会合のときか。そこからなら期間としては許容範囲だな」
「ううぅ……」
「しかし、この熱と痛みか……。ふぅ、もう少ししたら薬が効くからな」
「ううぅ……」
早朝にも関わらず、まだ診察用の服に着替えていないお爺ちゃん先生が来てくれて、すぐに鎮痛剤を処方してくれた。
「ほほほほーい。リリカの腹巻き!」
「おお、助かる。ほら、フェフェが腹巻きを持ってきてくれたぞ」
「ううぅ……」
山小屋に腹巻きを取りに行ってくれたフェフェに感謝。
山小屋は塗布剤臭かったと言うが、床は綺麗に直っていたとも教えてくれた。
生理痛が酷いと、頭の中は痛いと不快と気持ち悪いが占拠して、他のことを考える余裕がない。鎮痛剤に軽めの睡眠作用が含まれているのもあり、薬が効いてくると思考が落ちる。
薬が効いてきたら、寝具の交換だと椅子に移動させられた。
昨日寒さを訴えて借りたバスローブのようなものの生地が厚手だったことで、布団のシーツはポツンと汚れた程度。その下の布団までは血は染みていなかった。それでも全取り換え。入院患者用の寝具は血だけでなくあらゆる体液で汚れることを前提に、汚れにくい素材が使われているし、汚れてもしっかり洗えることは知っているけど申し訳ない。
そして私も着替え。生理の血で下着とズボンを汚したのもあるが、高熱が出て汗もすごい。あと一~二回着替えることも予想され、予備を用意してくれた。
妖獣世話班のメンバーが代わる代わる顔を見にきてくれて、トウマもきてくれたけど、うつらうつら。
朝食は腹の痛みと気持ち悪さで食べられず、うつらうつらしていたぼんやりした状態が少し落ち着いてきて、トウマが差し入れてくれた果物を食べようと思ったら、スライムに全部食べられていた。またブドウの皮だけきっちり残していやがった。他は皮も種もなにもかも溶かして食べているのに、なんでかな?
結局入院は三泊。
生理が来た日にほとんど固形物を食べられなかったことが心配され、一泊延ばされた。
その間、チビは職員寮と管理所から見える菜園の隅っこに蹲って、私の退院を待ち続ける巨大な置き物。
私が体調を崩すと、チビは心配が上回り、まったく戦力にならない。チビが置き物と化したら、私が体調を崩して入院しているとみんなにバレる。チビに私を待つ場所を変更してもらわねばと思うがきっと無理だろう。
「うわっ、まだちょっと臭うなー。毎日換気してたんだけどなー。どうする? もう一泊入院しとく?」
「このくらいなら大丈夫です。何の臭いなのかわかってますし」
退院して山小屋まではルシア先輩が車で送ってくれた。
森の中を走り回って遊びたい妖獣の見守り担当となった妖獣世話班のメンバーが、毎日山小屋に寄って玄関と居間の窓を開けて換気してくれていた。山小屋の鍵の管理はリーダーとメイリンさんにお願いしていたが、毎日実行してくれたのはルシア先輩だった。
「今日はまだ無理しちゃ駄目だからね!」
「すみません。休み続きになってしまって」
「なーに言ってんの! こういうのはお互いさまよ!」
ルシア先輩は豪快に笑って、真っ先に保冷庫を開けて消費期限が切れているものを確認して持ってきた袋に入れていく。私に任せると「まだイケる」と食べ、食中毒になられても困ると言われ、過去一度やらかして迷惑をかけたことを思い出し、身を縮こませた。
まだ管理所に来たばかりで、学院での貧乏生活が骨の髄まで染みていた私は、消費期限の日付が過ぎても臭いと味で判断。ここに来てから一度だけ判断ミスを起こして、一日半トイレと仲よくした。妖獣世話班メンバー全員に呆れられ、お爺ちゃん先生にも怒られた。
食べられる、食べられないの判断力は上がったと思うのだが、ボソボソ言ってみたものの、信用度なし。
「体調よくないときに消費期限切れチャレンジなんてしなくていいの! まったくもー。メイリンさんとペニンダさんにも言っとくからね!」
あ、それは言わないでほしい。
あのお二人に滾々と怒られるのはなかなかきついと言ってみれば、「怒られること言うからでしょー!」と、早速ルシア先輩に怒られた。
ルシア先輩もとても頼りになるお姉さん。本当にここにきて人に恵まれていると思った。
山小屋に戻ってくる前に買ってきた惣菜類と食材を保冷庫に入れてくれて、ルシア先輩はスライムに「もう溶かすなよー?」と言って、妖獣の朝の餌見守りに向かう。
妖獣の朝の餌は私の仕事なのに、忙しくさせてしまって申し訳ない気持ちになってしまうが、私がそう思っているのはルシア先輩に筒抜けで、「落ち着いたらアタシのレポート校正頼むから覚悟しといて!」と言い、颯爽と行ってしまった。
チビは山小屋の玄関前の広場に居座り、開けっ放しの玄関から心配そうに見守ってくれていたが、いつもより距離がある。
「チビ、食べに行かなくていいの? 臭くない? 大丈夫?」
「今日はいい。このクサイの頭が痛くなるね」
妖獣は鼻がいい。私でも若干臭いと思うから、相当臭いだろう。
「離れていいからね?」
「んー、大丈夫」
フワッと空気の流れが変わった。異能を使ってチビのまわりの空気の流れを変えたようだ。
チビが大丈夫なことを確認して、扇風機を起動。開け放した窓や玄関の外に風が出ていくようにした。
換気してくれていたおかげで強烈な塗布剤の臭さではないけれど、テーブルや棚、床もザラザラしているのが気になる。砂ぼこりとまでは言わないが、毎日換気して外気を入れていたのに、四日間掃除してなければこうなるか。
倒れた直後のような体の重たい怠さはだいぶ緩和していて、生理痛も三日目になれば痛みはほぼないので、動ける範囲で掃除を開始。
羽根ハタキで棚の上からホコリを叩き落としていく。今日はざっとホコリを取り、明日も同じことをすれば、スライムが怒らない程度の綺麗さになるだろう。
雑巾を絞ってシンクまわりを拭けば、うん、砂だらけだ。二度拭きしないとね。
キッチンテーブルに飾っておいた青紫色の魔苔の苔玉はしっとり濡れていて、ルシア先輩が水をやってくれていたのがわかる。枯れなくてよかった。
テーブル、棚などの拭ける場所を拭いてまわってから、居間のラグに掃除機をかけるのを忘れていた。拭き掃除する前に掃除機が先だったかもしれない。まあいい。
そういえば、スライムも一緒に山小屋に戻ってきたのにいない。入院部屋に干していた草はレジャーシートごと持ってきたけど、それは外のウッドデッキに置いたまま。どこに行ったのか?
うるさい掃除監督不在のうちに、台所と居間をざっと掃除して、洗面所と風呂場、トイレも軽く掃除。
苔の部屋は砂っぽさがなく、水槽の魔導具も正常に稼働していた。成長が見られた発光苔を見てにやけてしまう。
「……しまった。二階からやればよかった」
一階をざっと掃除し終えてから気づく階段のホコリ。上から落としていけばよかった。
仕方なく、小型掃除機で下から一段一段ホコリを取っていくという面倒なことをして、二階の廊下は一度拭いて終わり。
いつもなら一気に一階と二階をざっと掃除しているのに、今日はもう疲れてしまった。
床拭きワイパーから雑巾を取り外して洗面所で洗っていたら、視界の隅に動くもの。
デローンと壁を覆うスライム。
スライムが動いてきた方向を振り向けば、洗面所の入口から見えた廊下の床はツルツルピカピカだった。
「……ありがとう」
ザっと掃除しただけだから、こんなにツルツルピカピカにしてくれたのは非常にありがたいが、素直に喜べない。こうして掃除してくれるなら、私が掃除する前にやってくれてもいいのでは? と、毎回思うけれど、それはしてくれない。
台所も居間も階段もそりゃもう綺麗になっていた。さっき二階の廊下を拭いた際に、私の寝室にしている部屋はもういいやと掃除してこなかったが、埃もザラつきもない。
ここまで室内が綺麗ということは、……予想できることだったけど、山小屋の外壁と屋根も輝くばかりに綺麗になっていた。
チビはずっとスライムを見ていたらしいが、もう諦めて私に声をかけなかったと。
「退院祝いだよ、退院祝い」
「そう、思うようにする」
お礼にスライムの寝床のボウルを洗っておいた。
売店で買ってきた冷製コーンスープをカップに入れてウッドデッキで一休み。
若干塗布剤の臭いが漂うものの、気持ち悪くなるほどではない。学院の実験でいくつかの樹液を煮詰めたときも、こんな臭いがしばらく残ったなぁと思い出す。
チビはずっと落ち着きがなくモジモジしていて、フクロウ二号のことをどう切り出そうかと悩んでいるのが手に取るようにわかった。
「チビー」
「あっあっあっ! あのね! あのね!」
名前を呼んだだけなのにこの慌てよう。
カップをウッドデッキのテーブルに残し、チビのところに行く。
蹲っているチビの鼻に抱きついた。
「言いたくないなら言わなくていいし、私もね、聞かないよ」
何を、とは言葉にしない。
でも、頬をチビの鱗にぴたりとくっつけているから、チビは私の心の中の声を読んでしまうだろう。
「──ねぇ、今夜起きていられる?」
「何時くらい?」
「んー、んー、……だいぶ遅めかも」
「じゃあ今から昼寝しとこうかな」
チビの瞳がいつも以上にうるうるしている。
「チビ、大好きだよ」
「うん、オレっちもリリカ大好きだからね!」
チビの体におでこも頬もくっつけているけど、何も伝わってこない。
チビの心が遠い気がして、ぎゅっと強くチビの顔を抱き締めた。
お読みいただき、ありがとうございます。感想や評価等をいただけると励みになります。
2025年8月15日、「チビと私の平々凡々」の『本編』最終エピソードまで連続投稿します。
最終エピソードの投稿後、「活動報告」に、本編終了後のあとがきみたいなものを書きます。そちらもあわせてご一読いただけると嬉しいです。
そして、「チビと私の平々凡々」本編終了後も『番外編』を書く予定があるので、引き続き「チビと私の平々凡々」をよろしくお願いします!