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77.押し付けても相互理解は生まれない

「わかったか?」


 そう言っても、わかっているかがわからないと思う。


 仮設妖獣仮眠所から少し離れた人工森林が残る場所で、スライムが体に草を何本も差して這っていたのを見つけて、トウマが切々と話しかけている。


「ボウルに入っていてくれればいいから。な? 頼む!」


 王太子殿下とスライムの面会をどうにかしないとならない案件が舞い込んだ日から、早速スライムに懇願を始めた私たち。とくにトウマが必死。

 山小屋にトウマがやってきて長々とスライムに呼びかけ続けた結果、私も少ししつこくないかと思い始めたところで、溶解液を出されて山小屋のキッチンの床が部分的に溶かされた。

 床にポッカリ穴を開けてそのまま床下に落ちていったスライムは家出。家出、つまり山小屋からいなくなるなら、私はそれでもいいけれど、スライムがいなくなったことを部長に報告したら、探せとなってしまった。


 一夜明けて見つけたのだが、今もスライムは絶賛ご機嫌斜め。

 私とトウマの姿を認識した途端、草を投げ捨て、体をトゲトゲにして、細い枝を何本も体から生やした。その細い枝をどこに隠し持っていたのか。トゲトゲ度が上がっていて近寄れない。わざわざ枝の先端を尖らせる丁寧な仕事っぷりに、スライムの機嫌の悪さが相当だと察する。

 昨夕もスライムはあの細い枝を吹き矢のように飛ばしてきた。

 尖った枝を投げられ、怒ったトウマは、山小屋に念のため用意している対スライム用火炎放射器で駆逐しようとするもんだから、宥めになだめて、オニキスにお願いして強制連行で職員寮につれて帰ってもらった。

 スライムはスライムで床を溶かして落ちていって家出するし、そうしたら部長は探せと言うし、不貞寝したのは言うまでもない。


 今朝トウマは、フルヘルメットに刃物などを通さない分厚い生地の重装備姿で山小屋にやってきた。スライムを説得したい努力は認めたいが、その頑張る方向性は正しいのかと悩む。


 スライムが居そうな場所の予想はついていた。

 ここ最近目撃情報が多いのは人工森林の開拓現場付近。案の定、整備されていない森の中にいた。

 フルヘルメットに重装備姿でスライムに話しかけているトウマは、穏やかな森の光景にそぐわなくてとてもシュール。


 いつだったかスライムに「本当に人を怪我させたら焼却処分されるよ?」と言ったことは理解しているようで、枝を飛ばしても当てない頭のよさ。

 妖獣が仮の姿でスライムになっていると確信しているけれど、当のスライムと会話ができないので、未だに断定できないけれど。


「トウマ、そのへんにしとこう」

「あんの野郎、スライムに会えない限り帰らないって言ってんだぞ!」

「『あんの野郎』は不敬だよ」

「あんの野郎だよ! あんの野郎!」


 王太子殿下とバイク愛で意気投合しているトウマだろうに、バイクが絡まないなら面倒だと言い切って、こちらも絶賛機嫌が悪い。

 王太子殿下は職員寮の空いている部屋にお泊りになる。家具や生活用品を搬入して迎える準備をすると聞いたが、どれほど長期滞在する気なのか。

 「スライムと会えない限り帰らない」は、言葉の綾であって、王太子殿下にも職務がある。流石にそこまで長期ではないと思うけれど、バイク繫がりで親しい仲のトウマの焦り方に、けっこう長々と居座りそうな予感がひしひしする。


「今日はここまでにしようってば」


 スライムにしつこく言ってもどうにもならないと思う。


「リリカは諦めるのが早くないか?」

「諦めもなにも……。王太子殿下の来訪のことは聞いたばかりだし。うーん……、何と言うか、スライムが姿を見せる人を選んでいるのは事実だし、管理所の職員でもこのスライムを見たことない人だっているじゃない? うまく言えないけど、野生の動物だって人を見たら逃げるじゃない? こちらが何もしないで観察している姿を見せ続けると、向こうも遠くから様子を窺い出して、ちょっとづつ距離を詰めてくれたら御の字。駄目なら完全に逃げられる」


 このスライムは自ら山小屋に侵入してきて、私に姿を見せてきたけど、警戒度は野生動物並みだと思う。

 そう考えると、会うまで帰らないとおっしゃっている王太子殿下の態度次第な気がするのだ。


「スライムに言い聞かせるのと同じくらい、王太子殿下にもわかっていただけないと、結局逃げ続けられるだけだと思う」


 なのでトウマには、スライムよりも王太子殿下にこのスライムの現況を知っていただく話しに尽力してほしい。私では荷が重い。

 野生動物の例がトウマに響いたらしく、「あいつに話しとく」と言ってスライムから離れてヘルメットをようやく取った。

 当たり前だけれどトウマは汗だく。

 もう下着姿になっていいから、その暑苦しい重装備も脱ごう!

 短い秋雨期間が過ぎて、ここ数日でぐっと涼しくなったけれど、その重装備で水分補給を怠ったら熱中症になってしまう!


「あぢーーー」

「ハイ、氷入ってるよ」


 水筒に入れてきたのは、突貫作成の砂糖と塩とレモン濃縮液を溶かした水。今日のはちょっとレモン濃縮液が多かったかもしれない。


()っ! ……っぱ過ぎないか? でも、ありがとな。あー、こっちの小川は水浴びできるのか?」

「うん、水質に問題はないけど、浴びられるほど深くはないよ。あのへんは深くてもふくらはぎの半分くらいまでだし。それにこの季節に水浴びは風邪ひくよ?」

「体を拭きてぇ。あぢぃ」


 トウマの重装備は脱ぐのが大変で、ぐいぐい引っ張って脱がすのを手伝った。今日会ったときからこの姿だが、着るのも大変だったんじゃなかろうか。

 下は水着のトランクスだった。普通の下着だと私も目のやり場に困っただろうが、湯治場でも裸で歩いていたお客様を追いかけて湯着(ゆぎ)を着てくださいとお願いしたこともたくさんあるし、菜園エリアの職員たちが池でクールダウンすると、普通の下着姿もチラホラいる。もはや慣れてしまった。


 小川の水は冷え冷えしていて、タオルを濡らして絞ったものだけでも、体の熱を下げるのにいい。


「つーめーてー! きーもーちーいーいーなー!」

「冷やしすぎないでね。あれ? 着替えは?」

「しまった。バイクの座席の下だ」

「持ってくる」

「頼むー」


 スライムの行動範囲は広すぎて、徒歩では無理だった。浮遊バイクで探したけど、こんな遠くまで来ているとは思わなかった。

 停車させた浮遊バイクに戻る際にちらりとスライムを見たら、スライムも私を見た気配。

 数秒止まって先に動いたのはスライム。

 体に生やしていた枝をポイポイと放って、また体に草を差し始めた。私は口うるさく説得しないと判断したんだろう。


「……まぁ、気が向いたら姿を見せてあげるでいいんじゃないかな。私は無理強いはしないよ。だけど、もう床を溶かさないでね?」


 一瞬動きが止まったスライムだけど、投げ散らかした草を探して動き始めた。

 話しを蒸し返したらまたトゲトゲになるだろう。尖った枝は止めてほしいけど。

 王太子殿下がスライムと会いたいと言われても、正直行き当たりばったりで対応するしかないと思う。


 トウマの浮遊バイクの座席の下にあった布袋と、水筒もあったのでそれも持って小川に戻った。

 トウマが着替えてシャツにハーフパンツ、サンダル姿の見慣れた格好になってくれたので、あたりを見てまわる。

 スライムのいたこの付近は、私の山小屋の移転候補地なのだが、実は移転に後ろ向きになってきている。


 部長から移転を言われたあのときの私は、伯父の事件のことがあって不安に苛まれていた。

 窓の外を見たとき、近くに人の営みの明かりが見える場所に移動しようと言ってくれた。部長の言葉がとても嬉しかった。そうしたいと思った。

 それが今は、あの山小屋のままがいいと思う気持ちが大きくなっている。

 伯父の事件の不安が解消したのもあるが、それ以外で大きな理由はチビの(ねぐら)が遠くなること。それにあの山小屋なら、玄関前の広場で、チビがドタバタしても誰にも迷惑がかからないし、チビと自由に話せる。

 こっちに移転してもチビが座り込める広場は作ってもらえるだろうけど、見えるところに誰かの住まいがある状況になる。

 他人の目があるか否かはけっこう大きい。


「トウマとオニキスって寝ている場所が離れているけど、不安とかないの?」

「不安? ないなー。屋敷のときもアイツは森の中で寝てて、俺がここに勤め始めた最初の頃は職員寮の近くをウロウロしていたが、そのうち森の中で寝るようになったからなー」


 管理所に来たときは、トウマと離れることを嫌がって職員寮の近くをウロウロしていたわけではなく、トウマを野放しにするとろくなことがないから見張ってた感じだと言われて、オニキスの苦労が忍ばれる。

 リーダーとフェフェのそれぞれ自由すぎる関係も私とチビの参考にならない。セイとマエルさんもリーダーとフェフェに近い印象。

 私とチビの関係が特殊で、私がチビに依存しすぎているのかもしれない。


「リリカとチビは随分世間で騒がれたからな。俺も騒がれたが(じじい)たちが守ってくれたのは大きい。リリカはそういうことなく、……だったもんな」


 チビが巨大竜となった際のことは、過ぎたことだと折り合いをつけているつもりだが、思い出すと苦いものが込み上げる。

 教授や先輩方、保護してくれた警備隊の方々が守ってくれたが、好奇な目を向ける世間の海に放り出されたのは本当。その疲弊の中で頼りまくったのは巨大竜になったばかりのチビだった。


「まだあのときのことを思い出して(うな)されることがあるんだろう? いつでもチビが近くにいられる環境のままがいいんじゃないか?」


 チビと出会ってまだ三年じゃないかとトウマが言う。

 あの当時の人々の好奇な声を思い出して魘されることはなくなったと思うが、砂しかない光景の夢についてはトウマに言っていない。

 トウマとオニキスは出会ってどれくらいの関係なんだろう? 聞いていいものか躊躇ったらトウマがサラリと教えてくれた。


「俺がオニキスに会ったのは九歳の年だから、十九年経つな。親父たちと旅行に行った先で出会ったんだ。親父たちを巻いて洞窟に入り込んで探検していたら分岐が多くて遭難して、そのときオニキスに助けられた。バカなのかとめちゃくちゃ怒られて、そのまま口うるさい保護者枠に収まったな」

「……」


 確かにオニキスはトウマの保護者枠かもしれない。

 自分の相棒となれる者が近くにいると見に行ったら遭難している子ども。きっと理由を聞いて滾々(こんこん)と怒ったんだろう。物凄く想像できる。口うるさい保護者枠の例えが(はま)りすぎ。

 大人になった今でも、外見を整えることを放棄するトウマを口うるさく(たし)めるのはオニキスだ。


 オニキスもなかなか大きな妖獣だから、そんな妖獣が姿を連れて戻ってきたトウマ。当時は随分騒がれたという。

 妖獣が相棒としたのがヴィスファスト侯爵家に繋がるヴィスランティ家の者。私とチビとは別の理由で、相当に騒がれただろうに、私はその騒動をぜんぜん思い出せない。


「思い出せないって、当たり前だろ? その頃のリリカは二歳か三歳だぞ?」

「あ」


 そうか。

 私が『遠くに大きい妖獣の相棒になった人がいる』と知る頃には、世間での騒ぎは落ち着いて、私もチビと出会うまで妖獣に対して興味を示さなかったから知らないままだったんだ。

 トウマとオニキスの出会いを知って、付き合っている時間の長さもあるけれど、関係性も大きいことがしみじみとわかった。


 森林をぐるりと見渡す。

 このあたりはすべての木を切らず、部分的に森林を残すと聞いているけど、その木々の向こうに誰かの営みが見えるようになる。

 山小屋に向かう道のりは真っ暗闇。明かりが見えるとホッとするのは事実。

 でも、『見える』とは『見られている』ことでもある。

 街の隣り合う家々同士が常にジロジロと監視し合っているわけではないのに、シシダにいたときだってすぐ隣に住んでいる人はいたのに、学院の寮生活だって──。


 想像してみる。

 木立の向こうにある職員の住居。

 そこからこっちを見ているかもしれない。


 なんだろう。ゾワゾワと沸いてくる形容詞がたい気持ち悪さ。

 別に悪いことは何もしていないのに、私は見られているかもしれないことに、底なし沼に落とされたような不安に陥った。


 名前もわからない人たちの声に耳を塞いだ。

 情報端末を放り投げ、チビの爪の檻の中に閉じこもった。

 誰からも私とチビが見えない場所に逃げたかった。

 誰からも見えない環境は寂しさもあるけれど、こうして考えると、不安よりも安心感を覚える──。

 今、自覚した。


 小刻みに震えが出ていて、トウマが腕を掴んでくれたことでハッとする。


「大丈夫か? 何を想像した? 大丈夫か?」

「チビと山奥の奥の奥に逃げてしまおうって、あのときのこと……。誰かに見られているって。怖い……」

「嫌なこと思い出しちまったか……」

「だ、大丈夫。今、こうやって話して、やっとわかった。私、あの山小屋がいい」

「まだ震えてんな。爺さん先生とのカウンセリング入れとけ。心の傷っつーのは癒えたつもりで癒えてないことあるって聞く。吐き出せるものは吐き出しておけ。今日わかってよかった。俺も知れてよかった」

「あり、……ありがとう」


 三年経つけれど、私の心はどこかまだ凍えたままだったんだ。

 目を瞑って深呼吸。

 大丈夫、大丈夫。

 チビだけじゃない。

 今の私には相談できる人がいる。

 側にいてくれる人もいる。

 

 小川の冷たい水で冷えたはずのトウマの手は、温かさを通り返して熱いくらい。その熱さに無意識に震え凍えた体が感覚を思い出してきた。

 トウマと話していた中で、私自身では気づいていなかった泣いている自分を見つけられて、よかった。

 チビと生きていく以上、これからも世間の目に晒されるからと折り合いをつけたつもりだったけれど、あのとき世間を拒絶した私は、未だに納得できていなかったんだと知った。


 完全に勢いで朝にやってきたトウマ。

 私も勢いに流され、部長命令もあってスライムを探していたけれど、お互い仕事がある。

 今日は揃って王太子殿下お出迎えの打ち合わせで呼ばれているので、そろそろ戻ろうと浮遊バイクに向かった。


「あの部長もさ、あのときの伯父さんのことでリリカの精神状態の不安定さを心配して言った部分も大きいだろうし、今のリリカは大丈夫なんだ。あの山小屋のままでいいんなら、無理に移動しろとは言わないさ」


 あの山小屋の裏手の山と湖が妖獣の遊び場になっているし、妖獣世話班の拠点でもある。

 やっぱりもうしばらく住むでいいじゃないかと、迷っていた心をトウマは後押ししてくれた。

 まず、リーダーに相談しよう。


 浮遊バイクに戻ったら、スライムがバイクの前カゴにちゃっかり鎮座していた。


「コイツ……」

「はーい、ここで話しを蒸し返さない! 帰ろう! トウマは殿下と話してね」

「さっきまでのトゲ枝どうした?」

「あのあたりに撒き散らかしてた」


 ゆっくりと揺れているスライムだが、草に覆われていて本体が見えない。どれだけ自分の体に差し込んでいるのか。


「その草、また謎茶か?」

「謎茶五号がモラさん鑑定で却下になったから、リベンジ五号じゃないかな」

「……謎茶に対するその理解度、おかしいと思えよ?」

「今更だと思う」


 浮遊バイクを走らせて戻る。

 新しく建設している妖獣仮眠所の重機の音が聞こえてきたら、手前にチビの姿が見えてきた。巨体だからすぐ見つけられる。いつもならまだ朝の餌の時間なのに、今日は早々と依頼された仕事に来ているチビは働きもの。


「おかえりー。スライムいた? あ、カゴにいる」

「チビもお疲れ。地盤までやらかしてない?」

「見てよ! うまくなったんだからー!」


 ごろりと転がっている木の根。

 土木整備チームのみんなの表情が険しくないから、今のところ順調そう。

 伐根作業は地味に大変。

 チビの伐根は重機でやる速度の倍くらい速いけれど、異能の制御の疲労もあるので、今取り組んでいる大きさのものだと、半日で四本が精一杯。


「おー、リリカー! あの映像流し始めたんだな!」

「使ってますよー。大ウケですって!」


 土木整備チームからもチビの歌のマッチョバージョンに参加している職員さんがいる。

 子どもダンサーチームの真っ当な宣伝映像は当たり前で好評だが、クッソ真面目に舞う筋肉マッスルダンサーズの宣伝映像を見た人は、驚いて、大笑い。

 チビの歌は宣伝しなくても売れるだろうから、宣伝映像の必要性は皆無だと正論を述べたのは誰だったか。その声は黙殺されて作られたあの映像たち。

 もはや娯楽の産物。そして、あるなら使う。

 せっかく作ったからと報道番組などの隙間に流してもらっているのは、どれもこれもの十数秒。フルで見たい場合はチビの歌を買えば、特典で映像がついている。

 今のところ、笑い死んだ報告はないので安堵している。


「フルで見たらわからんぞ」

「チーム長さん、怖いこと言わないでください。侯爵様と領主館の数人が笑い転げて突っ伏して過呼吸になった報告を聞いたばかりなんですから」


 ぶはははは! と笑いの渦になった。


「トウマは先に管理所に向かってもらっていい? スライム置いてきて、床の修理を聞いてから行く」

「まだ時間あっから大浴場に寄っていく。拭いたが体が気持ち悪い」


 職員寮が見えたところで道を分かれて、山小屋に戻ったら、床の修理にきてくれていた建築整備チームの二人が手を振って待っていてくれた。

 このお二人は担当業務は違うがトウマが信頼している先輩方々で、トウマと付き合うとなってから、管理所で会うと声をかけてくれるようになった。


「今、資材待ちだ。持ってきたやつ、厚みを間違えちまってな」

「床下も点検したが溶解液で駄目になっている範囲は広くなかったから今日中に直るよ。ただ、床下の直すところは防カビ塗布するから、今日明日は臭いかも。これだ」

「うわっ! クッサッ! 職員寮の空き部屋借ります!」

「そのほうがいい」

「効きはいいんだが、クッサイんだよなー」


 スライムが床を溶かし始めた途端、反射的にスライムの寝床ボウルで水を貯めて何度も水を撒いたので、溶解液の効力は弱まり、床下の被害は大きくなかった。それでも床板はきれいに丸く溶かされちゃったけど。

 建築整備チームの職員さんと話しているうちに、浮遊バイクの前カゴにいたスライムの姿は消えていた。建築整備チームの職員さんはほとんど会うことがない見慣れない人物だから隠れたんだろう。スライムだと言わなければ、草の束がカゴにあったようにしか見えないほど草だらけだったので、草むらに隠れたのだろうが、ざっと見回してもぜんぜんわからない。


 一応、スライムが山小屋周辺にいることは告げた。床を溶解させたばかりなので警戒度が上がっているのは仕方ない。人には危害を与えず物の破損に留まっているけれど、意思疎通ができない以上、万が一を想定しないとならない。尖った枝を投げてきたし。

 建築整備チームの職員さんはスライム対策用の小型火炎放射器を所持してきていたが、今日までのスライムのことも知っている。使わないに越したことはないから、どこかにいるスライムに向かって「出てくるなよー」と大声で言ってくれた。


 本当は修理に立ち会うのがいい。でも、昨日の今日で打ち合わせを延期しきれず、修理は職員さんたちにお任せすることにした。

 この山小屋の貴重品は苔くらい。しかし、私以外の人にとって、苔は貴重品の認識ではない。すごく貴重なのに。


 スライムが作った穴を回避しながら水筒を洗って、また補給用のレモン水を作る。シンクの立つところに片足がスッポリと嵌る大きさの穴なので、早く直してもらわないと不便でならない。


 管理所に向かおうとしたら、バサバサと羽ばたきの音がした。その羽ばたきの音には覚えがあった。

 音のした方向を見たら、木の陰から姿を見せたのはフクロウ二号。浮遊バイクのハンドルを止まり木として降りてきた。


「目まぐるしく忙しい世話係殿とは久々だな。寝ておるか? 食べておるか?」

「寝てます、食べてます。オパールたちも元気?」

「ああ。無理はさせておらん」


 オパールとフクロウたちは野生に戻ろうとしているけれど、バケモノカサハナの種のこともあって、徐々にという感じに落ち着いた。

 今日はオパールたちの補食用の魚肉の練り物を買えないか相談に来たという。


「野生に戻りきれん不甲斐なさだが、魚肉の練り物を仕入れにきたのだ。(つがい)たちはまだ食べられるときと食べられないときがあってな。魚を獲って練り物のようにしてみたが、どうも違うらしい。それでな、もうしばらく仕入れたいと相談にきたのだ」

「ぜんぜんいいと思う。バケモノカサハナの種はすっごく貴重だから、たくさんもらいに来てほしい」

「いやいや、最低限で十分だ」


 管理所の近くも仮設の妖獣仮眠所の付近も落ち着かないので、揃えてもらえるまで山小屋の付近にいると言う。

 オパールたちが食べられる練り物は無添加で無塩のもの。職員寮の売店での取り扱いはあったりなかったりするから、商会に発注しないと数を揃えられない。


「ふぅ。ここで解放されたからかもしれんが、落ち着く場所だ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいな」


 痺れ辛子の葉も何枚か持っていきたいと言うので、いつでも勝手に持っていっていいと話した。


「うむ。──世話係殿たちのような者がいるなら、まだこの世は救いがある」


 フクロウ二号と並ぶように風に揺れる木の葉を見上げたら、ポツリと落とされた言葉。私に聞かせようと言った言葉ではなく、漏れてしまったような小さなつぶやきが心に波紋を作っていく。

 え? と、フクロウ二号を見たら、フクロウ二号もハッとして私と向き合った。


 ゆらゆらとフクロウ二号が二重に見える。

 フクロウ二号の瞳は新緑を溶かしたようなきれいな色なのに、その色が濁る。

 光すら反射しない漆黒色の瞳のフクロウ二号がぼやけていて、どうしてそんなに悲しそうなの?


「なんで、フクロウ二号の目が、黒……?」

「──しまった! 世話係殿!」


 視界が回る。

 緑に囲まれている山小屋なのに、色が消えていく。

 フクロウの瞳に映っていた私と、背後に広がるのは砂の──。


「世話係殿ーッ! 世話係殿ーッ! チビーーーッ!」

「おい! どうした?!」

「リリカさん? リリカさん!」


 立っている感覚がない。

 浮遊バイクの座席に手をつこうとしたけれど、体が傾いた感覚を最後に私は意識を失った。


 物凄い風圧の音とともに「リリカーーーッ!」と叫んだチビの叫び声を聞いた気がする。


 フクロウの瞳の中に見えたあの景色は、絶望の砂の世界だった──。


お読みいただき、ありがとうございます。感想や評価等をいただけると励みになります。


2025年7月25日の活動報告にも書きましたが、「チビと私の平々凡々」は、あと数エピソードで『本編』としては完結します。

本編完結エピソードまでのたたき台は書いたので、誤字・脱字・誤変換点検と、エピソードごとの過不足を確認して更新していきます。

でも、『番外編』を書く予定があるので、引き続き「チビと私の平々凡々」をよろしくお願いします!

頑張リます!

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愛賀綴は複数のSNSにアカウントを持っていますが、基本は同じことを投稿しています。どこか一つを覗けば、だいたい生存状況がわかります。

愛賀綴として思ったことをぶつくさと投稿しているので、小説のことだけを投稿していません。
たまに辛口な独り言を多発したり、ニュースなどの記事に対してもぶつぶつぶつくさ言ってます。

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