72.晴れ着で撮影
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広間につながる小部屋に案内されたら、着替え用にばっちり準備されていた。
「改めてご挨拶を。本日のお手伝いをいたしますハンナと申します。今日はリリカ様の晴れの祝いとする日ですから、堅苦しく考えず楽しめればよいと思います」
「クリメイラです。リリカ様のことは奥様からもお聞きしております。思い悩まず、どうぞ身構えませんよう」
「ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
ハンナさんは侯爵夫人に近いご年配の女性で、クリメイラさんは母より歳上の世代の中年女性。お二人ともとても穏やかな雰囲気で、小部屋に三人になったらホッとして、先程の優しさを思い出し、涙腺が緩みそうになってしまった。
着替え用に案内された小部屋は私の山小屋の寝室より広く、こちらの部屋にも茶菓子などが用意されており、至れり尽くせりすぎる。
ヴィスファスト家の者の何かの記念のときに撮影会はするので、こうした準備には慣れていると話してくれた。
「私の息子たちもここで撮影させていただいたんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、五年を超えて勤める使用人なら、家族の祝いの撮影でも広間をお貸しいただけるんです」
どれくらいの頻度なのかわからないが、何かの撮影会をするから本格的な機材も用意があったのだとわかって安堵してしまった。今日のためだけに準備いただいたのなら、恐縮という言葉では済まない気持ちになる。
「まずはお手洗いに行っておきましょう」
「あの晴れ着は重くて自由がなくなりますから」
晴れ着を着てもトイレに行けなくはないが、カモダさんのは無理。
ハンナさんに言われて、尿意はなくてもトイレに行く。普通の成人の晴れ着ならなんとかトイレに行けなくはないと説明を受けた。けれど、トイレの個室まで補助してくれる人と入らないとならない。お茶もいただいているので、撮影中に行きたくなるのは避けたい。
泣きそうになってしまった目が若干赤い。
気張っていないと涙が零れそうになる。緩んだ涙腺をリセットするために、目の付近を冷やしたくて、トイレから戻る際、洗面台で適当に塗ってきたファンデーションを落とし、思いっきり顔を洗わせてもらった。
そっと差し出されたのは冷えたタオル。氷水で冷やして絞ってくれたものだった。こういう些細な気遣いにも泣きそうになってしまう。
目の付近を冷やして深呼吸。
落ち着こう。落ち着け。
今はヴィスファスト家の優しさに溺れるように笑って撮ってもらおう。あとになってチビに向かってわんわん泣くかもしれないが、今は笑え。
自分の祝いを喜ぼう!
まず化粧と髪を先にやっていただく。
晴れ着は頭から被る着方をしないので、首より上を準備万端にしてしまうのがいい。
耳の上あたりに差し込む髪飾りだけは着付けが終わってからとなった。
モウリディア王国の伝統の晴れ着は、ボタンやファスナー、ゴムがなかった古代の衣服を、その後の時代の者が古代にあった技を残すために作ったと歴史では教えられた。
身につけるのに紐で結んだり、幅広い帯で着付けるのだが、一番簡素な着方に似たものがシシダの湯治場でも使われている『湯着』だとも言われる。
王国にある入浴着にはいくつか種類があるけれど、シシダを含むパース領最北部あたりの湯着は古代の衣類に近いらしい。
物心ついたときから湯着を当たり前として見ていたし、身に着けることもあったので、晴れ着の一番下に着る内着は一人で迷わず着られる。
左右に分かれた前身頃を重ねるように合わせるが、重ね方は左右どちらが先でもいい。決めきらない場合はたいていは利き手で決める。私は筆記は左右ともでき、調理器具や食事のカトラリーなどになると右を利き手とするので、右が利き手。なので、内着の右の前身頃を先に肌に纏わせて、内側にある紐と前身頃にある紐を括る。そして左の前身頃を重ねて、こちらは外側にある紐と前身頃にある紐を括れば、内着の着用としては完成。
膝丈の湯着ならこれで終わりだが、晴れ着はここから助けが必要。
たいがいの晴れ着の内着は裾が異様に長いので、丈合わせしないと歩けない。
晴れ着はある程度の低身長から高身長まで着られるフリーサイズ。ここからの着付けで、不要な布は見事なテクニックで隠されるのだ。
カモダさん作の晴れ着は内着からして特殊。腰下は二重で内側は体が透けて見えない漆黒の生地だが、その上に重ねられていたのは金銀の刺繍が施されたレース。どこかに引っ掛けて破りたくない代物だった。
「ビダニーオ様でも床に内着のレースが広がるように長く作られていますから、リリカさんだとレースの湖にお立ちになられている絵になりそうですわね」
ビダニーオ様は現在のヴィスファスト家で一番背が高い御方。トウマもかなり高いけれど、拳一つくらいビダニーオ様のほうが高い。
床で余りまくっていた内着のレースたちを、着付けをしてくれるハンナさんはとても上品に表現してくれながら、クリメイラさんとともに容赦なくせっせとたくし上げて、胸の下からウエストのところに畳んで柔らかい帯で結んでしまう手際のよさ。
内着の漆黒の布は足首あたりまで上げてくれて、レースは撮影時に床に広げる分だけクリップで残して、あとは同じように胸の下からウエストのところに隠された。
そこまで胸が大きくない私は、もはや寸胴だろう。
次に巻きスカート。カモダさん作の晴れ着の巻きスカートは膝下あたりから内着を見せるように開くデザインだが、巻きスカート自体も三枚の布がズレて重なっていて、大股になっても膝上は見えない工夫がされていた。カモダさん作のどうにも重たい晴れ着で大股歩きなんてできやしないが、よく考えられている。
ただ、巻きスカートがけっこう重たいので、胴回りで結んでいるだけではずり落ちそうな不安があった。ここは仕方なく文明の利器でサスペンダー登場。サスペンダーを装着した上から、ベスト風のものを着て隠してしまうので、安心な着付けとなった。
袖のないベストのようなものを内着同様に前身頃を左右で重ねて着て、幅広い帯を胴体に巻き付け、ナントカ結びという形でお腹のところで整えてくれたが、これがなかなか苦しい。
カモダさん作の晴れ着の袖のないベストのようなものは、前身頃の丈が腰下まであり、後ろにむかって丈が長くなる。巻きスカートの上に重なってもう一枚巻きスカート風のものを着ているように見えなくもない。
帯に飾り紐を装着して、どういう形に結んであるのかよくわからない結びのところにも装飾が追加されていくので、一つひとつは重さがなさそうなのにズンッと重たくなっていく錯覚に陥りそうになった。
カモダさん作の晴れ着で最後に羽織る上着もだいぶ変わっていて、どうして袖がこんなに大きいのか。腕を伸ばして布を干しているような長さと大きさがある。なのに胴体はボレロ風。どこまでも特異で特殊だった。
帯の上、ベストのようなものの前身頃が重なるところに、ちょこっとだけ見せる飾りの布を差し込んで着付けも完成。
絢爛豪華な晴れ着にほぼ隠れてしまう木靴は、私には木でできたスリッパに装飾があるようにしか見えないが、絶対これもびっくりする素材が使われているんだろう。
なかなか靴底が厚くて重く、歩くというより摺り足みたいになりかける。
着ているものは重たい。
履いた木靴は歩きにくい。
どうしてこの組み合わせなのかと、カモダさんに問いただしたくなった。
「木靴のサイズは大丈夫ですね。今はこれを。撮影するときに履き替えましょう」
「あと二人呼びますね」
クリメイラさんが布スリッパを用意してくれて、ハンナさんが広間に戻るまでの晴れ着の裾持ち係を増やしてくれた。
帯が腹をギューッと締め付けてきて苦しく、羽織った上着の重さが堪える。
左右の袖の重さをハンナさん、クリメイラさんが持ち上げてくれて軽くしてもらいつつ、ハンナさんが呼んでくれたお二人がスカートの裾を持って引き摺らないようにして、ヨタヨタヨロヨロと広間に戻れば、「そんなに重いのか」と笑いの渦となった。
撮影の間も私のヨタヨタ加減にトウマが大笑いするので、撮ってもらいながらジト目になりかけ、撮影係を困らせる羽目に。
侯爵夫人とシェルル様にトウマが怒られていた。
その後にもう一着の晴れ着でも撮ってもらい、ワンピースに着替え直して、もう、ぐったり。
ヴィスファスト侯爵の本家のお屋敷であることを意識はしつつも、一人がけのソファーに沈むように座らせてもらって呆けることしばし。
私の成人の晴れ着の撮影は終わっても、撮影会はまだ続いている。
若気の至りのカモダさん作の晴れ着をヴィスファスト家の全員が順番に着て撮影する会に突入し、各々待機時間に、私が着させてもらった晴れ着を纏って撮影も追加となった。
お屋敷の使用人さんたちは、まるで予想していたように予備の内着などをサッと持ってきて、もう一つの小部屋の扉を開ければ準備万端の着替え室。さすがだと思った。
私がカモダさん作の晴れ着を身に着けて撮っていただいている最中に、トウマがあまりにも笑うので、「着てみればいい……」とボソリとつぶやいたのが、現在進行形のヴィスファスト家全員で撮影することになったきっかけ。
制作当時カモダさんと共謀して素材を集めたビダニーオ様は「せっかくだからしっかりと着てみたい」と言い、もともと着てみたいとおっしゃっていたシェルル様が完全に乗り気で「着る! 着る!」となり、なし崩しで全員が着ることになった。
晴れ着たちは最終的に手放す予定でトウマ預かりだったが、カモダさん作の晴れ着はあまりにも細かな装飾が施されているので、メンテナンスを考えると使い回しが悪い。買い手がつかなさそうだという会話が聞こえてきた。
私の撮影会を鑑賞しながら、当時の素材集めにかかった費用くらいは回収できないかと検討会が始まり、カモダさん作の晴れ着はヴィスファスト一族の商売関係のとりまとめ役であるジュニオル様預かりに切り替わった。貸衣裳屋ではないが、ヴィスランティ家で経営している服飾店での条件付き貸し出しでやってみるかと仮決定。
そのときに「トウマと、できればリリカさんも写真をポスターに使わせてもらえないか?」と言い出されたことも、ヴィスファスト家全員での撮影会となった原因でもある。
チビと一緒にいる以上、人前に晒されることが多くなるのは仕方ないとわかっていても、性格的な尻込み性分がすぐに治るものではない。
ジュニオル様の言葉に反射的に嫌だと思ったが、晴れ着も撮影も無償で享受している負い目もあり、断るにも断りにくい。それに絶対に嫌かと言われると、人前に出ていく諦めの部分も遅々としたものだが成長しているので、お好きにどうぞの気持ちもゼロではなく。
自分の矛盾した気持ちにぐらぐら揺れて反応に困っていたら、侯爵夫人が「家の商売にリリカさんを巻き込まない」とジュニオル様にピシャリと言ってくださった。
そこから再び結構な議論会になったけれど、シェルル様の「『ヴィスファストとしてアピール』でいいじゃない! よし! みんなで撮りましょ!」のウキウキした一言で撮影会が決定。
なお、当然ながらヴィスファスト家の方々の議論会に私は入っていない。
お屋敷の使用人さんたちは議論会を華麗に無視。
ジャパスさんとハンナさんが私の撮影の進行をしてくださり、粛々と撮影してもらいました。
カモダさん作のあとにお借りした晴れ着の基調色は濃紅色。落ち着きのある絶妙な色合いで、それが角度と光のあたる加減で橙色や薄紅色に煌めいて変化する。
腰の部分より下の斜めの方向の一部分が明るい朱色にグラデーションしながら、朱色の上に描かれる豪華絢爛な刺繍で色の洪水になりそうなのに、どうして重厚さの印象になるのか。感嘆のため息しか出ない芸術作品。
どうして貸衣裳屋に売り渡していなかったのかを調べた結果、背中とスカートの左右に、見る角度でヴィスファスト家の家紋が浮かび上がる細工があったからだと教えていただいた。
私がヴィスファスト家の家紋を纏って撮るのは恐れ多い! と言ったけれど、「写ったら部分加工して誤魔化せばいい」と言われて着ることになった。
先にカモダさん作のなかなか奇抜な晴れ着で撮っていただいたから、こちらをお借りできなくてもいいと思います! という小心者の嘆願は聞いてもらえず。
でも本音を言えば、あんなに素敵な晴れ着で撮ってもらえてとても嬉しい!
そして、ヴィスファスト家の家紋が浮かび上がる細工を見て、カモダさん作の晴れ着を順番に着付け待ちとなった方々が、こちらの晴れ着も全員が着ることとなった。
もう一つあった晴れ着の基調色は濃緑色。こちらも角度と光の加減で鮮やかな緑色や瑠璃色に変化する。刺繍も見事で、制作期間も数年単位の一品。ヴィスファスト家の家紋の細工が浮かび上がるようなことはなく、私個人の好みで言えば濃緑色の晴れ着が希望だった。けれど、残念なことにサイズが合わなかった。
お屋敷で仕舞い込まれていた晴れ着を見つけたときは畳まれていた状態で、その畳まれた状態で急いで写真を送ってくれていた。部分的に広げてあった写真だったけれどサイズ確認はしておらず、画面越しに写真を見た私達もサイズまでは聞き返さなかった。
その後に点検で広げたら濃緑色のものはサイズが異様に大きい。この時点で私にはサイズが合わない可能性が濃厚と連絡するのではなく、「よし、これはトウマに着せよう」となった侯爵家。
どうしてそうなるのか。
ただ、お屋敷の使用人さんたちも一緒になって、トウマに着せようとする秘め事を楽しんでいたことはよくわかった。
「俺は関係ないだろ!」と反論したトウマの声は黙殺され、私が濃紅色の晴れ着を纏ったときにトウマが濃緑色の晴れ着を纏って並んで撮った。
なぜ並びで? と、聞き返したかったけれど、周りの言うまま、勢いのまま、撮ってもらった。
ボサボサ頭と無精髭ではない髪も髭も整えたカッコいいトウマが、カッコいい晴れ着を着て、カッコつけてる。
放っておくとボサボサ頭に無精髭になるから、こういうトウマの写真があってもいいかもしれないと密かに思ったので、トウマの不満は私も知らんぷりしてしまった。
なんだかんだブツブツ文句を言いながらも並んで撮ってくれたので、思いがけない記念写真ができた。これも嬉しい。
濃緑色の晴れ着は高身長のトウマが身に着けると素敵な晴れ着で、高身長揃いのヴィスファスト家男性陣は着ることができた。
けれど、揃って男性陣より身長の低い女性陣はどうにもダボダボ感が隠せず断念。例外はシェルル様で、どんなにダボダボなままでも撮影していた。
濃緑色の晴れ着を誂えた方は、身長が二メートルを超え、体の厚みもあり、普段着も既製品だとサイズがなかったと教えていただければ納得しかない。体の厚みをカバーする分の布面積が着付けの際に余りに余って無理だったのだ。
それでもこれは大柄な人向けに需要があるだろうと、貸衣裳に売る予定らしい。
「急なことを思いついて、こちらの都合で長々と引き止めてますが、リリカさんとトウマは、このあと何か予定は?」
私が休ませていただいているソファーの近くで、ビダニーオ様も専用のリクライニングソファーに体を預けて、しばしの酸素吸引タイム。
お互いに撮影が終わった労いの言葉を皮切りに、他の人たちの撮影が終わるのを待ちながら、お話しさせていただくことになった。
「大丈夫です。今日は晴れ着をお借りする予定だけで、あとは行き当たりばったりです。あの、……ここまでしていただけて、やはり何かお礼をしたいのですが」
「何度も申し上げていますが、何もいりませんよ。あなたには返しきれない恩があるのはこちらです」
返しきれない恩。
私の晴れ着の撮影が終わって着替える際、侯爵夫人が小部屋にお越しになり、遅れてしまったけれどと成人の祝いのお言葉を頂戴した最後に、「トウマのこと、よろしくね」と言う瞳は潤んでいて、私はとうとう泣いてしまった。
トウマから聞いたこれまでの女性関係は楽しいものではない。
トウマの義父であるジュニオル様も似た人生で、よい人と巡り会えていない。
姿に惑わされず、家名も関係なく、トウマを一人の男性として受け止めた私は代えがたい存在だと──。
「……それもありますが、あなたがシャーヤランを選び、今こうして過ごしてくれているだけで、間接的にですが領の潤いにつながっているんです。チビの存在ゆえですが。暑い気候を嫌って他領に出ていってしまった者が戻ってきた話も出てきました。それに緑連豆の活用も、あなたは些細なことと思われているようですが、たいへんありがたい提案だったんですよ」
ビダニーオ様の視点は領主だった。
トウマがオニキスの相棒となったときも一時的にフィーバーが起きたけれど、オニキスはチビと比べれると他人に素っ気ないこともあり、今はオニキスフィーバーは終息している。
一方、チビは嬉々と大道芸を披露してしまう妖獣。そんな妖獣はなかなかいない。しかも歌手デビューの予定まである。
まだまだ続くチビフィーバーの間接的な恩恵は、非常に大きいとおっしゃられた。
「トウマのときに妖獣は見世物じゃないと嫌と言うほど教えられましたが、それよりも何よりも、あのときはね、オニキスの相棒になったトウマが見世物にされたのが腹立たしくて。酷く憤慨したんですよ。けれど、間接的に観光誘致となったのも事実なんです。だから、あなたを見世物のように言うのは心苦しいが、現実にはそうなる部分が生じることがある──と、理解はしてほしい」
街の全員ではないけれど、シャーヤランは妖獣と妖獣の相棒となった者が見世物とならないよう気に掛ける意識が高いと思う。
その牽引がヴィスファスト家なのかもしれない。
貴族年鑑とシャーヤラン史を読み解けば、先祖に妖獣の相棒だった方がいたのはおそらく事実で、一族だけに伝えられる何かがあり、それを街の者にも伝えてきた歴史が、今に至っているのだろう。
ジュニオル様要望の貸衣裳のポスターの件は、経営的視点では私に了承してほしい。けれど、オニキスの相棒となり、見目よく、由緒ある家名を背負うトウマが見世物扱いとなったことを思い出せば、私に受けさせたくない気持ちにもなると、ビダニーオ様はとても正直に吐露してくださった。
私はトウマとオニキスの出会いを聞いていないが、実体験から見世物扱いの精神的苦痛は想像できる。
「……ポスターのことは、少し考えさせてください。私自身、……その、……人前に出るのが、苦手でして……」
「ええ、あなたの人柄は聞いています。だから母上も怒ったんですよ。領主館に勤める者にも妖獣の相棒の者は数人いるし、あなたと同じように人前に出たくない人を知っていますから」
ありがたいお言葉。
ビダニーオ様に目礼で感謝を示した。
侯爵様は撮影が終わってから、なかなか終わりそうにない撮影会の様子に、「一つ二つ片付けてくる」と執務室に向かわれて不在。
トウマも終わって着替えている。そろそろ戻ってくるはずだ。
ジュニオル様の撮影が終わりそうで、その近くで侯爵夫人がシェルル様の暴走を叱っているのが少々カオス。
そんな様子を眺めつつ、ビダニーオ様と私の側には一人用のティーテーブルが用意され、昼食代わりの軽食が並べられている。
なんだかんだとだらだら食べている気がするけれど、一口二口で食べられるものばかりで、ついつい手が出る。それらをゆっくりと頂戴しながらビダニーオ様と歓談は続いた。
話は変わって、ユリアンヌちゃんの話になり、近々ユリアンヌちゃんと街に買い物に行くのをビダニーオ様も楽しみにされている様子。
「それにしても、晴れ着を着ただけなのにこんなに疲れるとは。買い物で倒れないか不安だよ」
「そこはご無理はせず。無理をするほうがユリアンヌちゃんが泣いてしまうと思います。でも、お一人で立っている時間はかなり長くなったのではないでしょうか。ユリアンヌちゃんのお出迎えにいらっしゃった最初の頃に比べると、ですが」
「そう、だね。言われてみれば」
管理所にユリアンヌちゃんの送迎について来られた最初の頃、車に揺られるだけでもリハビリだと仰っていた。車から降りて歩こうにもふらついてしまい、すぐに車椅子を使っていたが、少しずつ、少しずつ、歩行距離を増やしておられた。
今日は身内だけの集まりに、気心の知れた使用人しかいないリラックスできる空間。
はしゃぎすぎて、疲れを忘れていたんだねと言うビダニーオ様の表情は明るい。
ビダニーオ様のお姿は、まだ骨と皮のような状態と表現するしかない細さ。闘病期間中に筋肉はごっそりなくなり、骨も脆くなっているので、地味で地道なリハビリ続きなのは、詳細に聞かずとも察することができる。
日々コツコツと積み重ねる努力は目に見えにくく、自覚もしにくい。
けれど、昨日今日の比較ではわからないことも、何週間前、何ヶ月前と比べるとはっきりする。
ビダニーオ様がユリアンヌちゃんの送迎で管理所に来られた際、最初の頃は車の揺れだけで疲れてしまい、車からお一人で降りることもできなかった。
けれど、今日は私の出迎えでずっと立っておられた。
カモダさん作の晴れ着を我がことのように楽しく話すときも、晴れ着のそばにお立ちになられていた。
撮るときもしっかりと立っておられた。
「それでもどうかご無理はせず。外出の日は少しだけど体力が戻ったとユリアンヌちゃんとお祝いしてください」
そう告げたら破顔したビダニーオ様。
私たちの会話は聞こえていただろう。晴れ着を纏いながらこちらの様子を見守っていたチャオミー様の優しい笑顔に溢れた涙。近くの使用人さんがチャオミー様の目元を拭っている。
侯爵夫人もシェルル様もいつの間にか言い合いを止めて、ジュニオル様と並んで笑顔。
ビダニーオ様が地道に体力を取り戻しているのはとても喜ばしい。
ユリアンヌちゃんは管理所の芋掘りアルバイトで稼いだお金で「お父様に美味しいものを食べてもらうの!」となにかを奢る気マンマンなので、お腹を空かせて挑んでほしい。
「晴れるといいですね」
「ああ、ありがとう」
「チビと私の平々凡々」72話に色の名称が出てきますが、あえて使用した色の名称と読み方なので、ここに補足を残します。
■濃紅色
のうこうしょく/こきべにいろ/こいくれないいろ
■濃緑色
のうりょくしょく/こみどりいろ
濃紅色は『こきべにいろ』のルビとし、濃緑色は『こみどりいろ』のルビにしました。
濃緑色は一般的には「深緑色」とすればよかったのかもしれませんが、あえて濃紅色と表記揃えしようと決めて使用。
馴染のない色の名称だと思いますが、こういう読み方もあるそうです。
……間違っていたらご指摘ください。
2026/02/10、誤字等修正・表現の見直し実施しました。まだどこかに誤字やヘンテコ表現があったら教えてください。




