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52.時間に委ねる

感想や評価等をいただけましたら、とてつもなく嬉しいです。


 予防接種休暇二日目は体の怠さを我慢せず、ひたすらだらだらした。

 昼前に布団の引き取りに来てくれた洗濯部のおばさんとも中身のない雑談をして気分転換になった。

 一日中ゴロゴロしていたので眠くなく、予防接種休暇明けの朝は朝日が昇る前に目が覚めてしまったが、ベリア大先輩向けの黒餅団子を作る予定だったので早起きも問題なし。

 起きたときに注射した腕の部分に多少痛みがあったものの、微熱も怠さも抜けて生理の腹痛も過ぎ去り、普段と変わらずに動ける。

 黒石豆を煮ながら餅米も蒸し、合間合間で昨日までの二日間のために買い溜めてきた惣菜を食べる。

 朝日が昇る頃にトウマに「体調はどう?」と通信を送っておいたら、少しして腕が痛いと返ってきた。三日目になっても熱に魘されていたら見舞いに行こうかと考えていたが、どうやら大丈夫そうだ。

 今日もトウマはバイク整備。会おうと思えば訓練していた場所に行けば会えるが、会う約束はしない。トウマからも会う約束の言葉はなく、寂しかったが、私からも会いたいと伝えていないからお互いさまだ。


 プルンッ!


「……食べたいの?」


 スライムが黒餅団子を丸めているテーブルに這い上がってきて鎮座し、プルンッと震える。微妙な揺れの違いで訴えていることがわかってきた。

 普段はべたーっと形のない粘液状でいるのに、できる限り丸くなってプルンッと震えて訴えてくるときは、高確率で私が手にしているものを寄越せという合図。ヤレヤレと思いながらの黒石豆を潰して甘さを整えたペーストを摘んで……トゲトゲと不満な姿になったので、がっつり掴んだ量をスライムの手前に落とす。スライムがペーストを押し潰すように動いたら、次の瞬間、スライムの中に黒石豆のペーストが取り込まれた。

 黒石豆ペーストのスライム包みのできあがり。


「……こういう料理あるな……」


 スライムの姿を見て、ぱっと思い出すのはジュレ寄せの前菜。野菜などをスープの味で整えた料理。それよりももっとなんだっけ? 芋粉だったか何かの粉を練って半透明の中に黒石豆のペーストを包む菓子。故郷(シシダ)の隣街付近で作られる菓子の名前が思い出せず、そのまま思い出すことは放棄した。

 せっせと黒餅団子を整形していたら、スライムのいた場所に残された黒石豆の皮だけをギュッと固めた食べかす。


「なんで皮だけ残すかな? 食べちゃってよ」


 ブヨン! ブヨン! ブヨン!


 嫌だね! とでも言いたげ揺れにため息。

 このスライムはトマトやブドウの皮も残す。リンゴは皮も種も芯も残さず食べてしまうのに何のこだわりなのか。甲虫を捕まえたときだってすべて溶かし食べてしまったくせに、どうしてトマトやブドウや豆の皮は残すのか。

 考えるだけ無駄だ。そもそもこのスライムに一般スライムの生態は当てはまらない。


 今朝の餌担当はルシア先輩。

 私は予防接種三日目なので走り回るかもしれない妖獣の世話業務からは外れて、かなり久しぶりにほぼ一日窓口業務だ。

 予防接種後三日目を全員無理のない勤務にしたのは自分たち。私は三日目になれば腕の痛みだけだが、三日目でも怠さが残ってつらそうだったのはフォローにはいってくれているメイリンさん。自分たちで無理しない勤務スケジュールにしたことをよかったと思った。


 起きてきたチビとオニキスが山小屋付近で寝ていた妖獣たちを牧場まで連れて行ってくれるので、私も牧場に寄り道してルシア先輩に挨拶してから管理所に向かう。

 ベリア大先輩のいる散髪室は朝からやっていて、顔を出すと朝イチの客が済んで次の予約客が来る隙間に着き、タイミングよく話しができた。


 伯父を助けにシシダに向かう前に緑連豆メニューとチビの街デビューで領主館に行くとなり、急遽ベリア大先輩に髪を整えてもらったが、あのときの私は心身ともに疲労困憊だった。ベリア大先輩からは倒れないかと思うほど疲れ切っているように見えていたらしい。


「緑連豆メニューはなかなか好評じゃないか。あたしも食べたよ」

「前回これを作ったときに菜園にたくさん生って放置されていたから黒石豆と同じようにならないかと作ってみただけなんです。まさかこんなことになるとは思いませんでした」

「緑連豆のディップソースを甘くしようと思ったこともなかったよ」


 黒石豆と同じように煮詰めて甘くする豆料理は他にもあるけれど、緑連豆はペーストに不向きな豆で、ディップソースにする調理方法もマイナーだった。私の頭の中にある謎の記憶が教えてくれなければ、私もやろうとは思わなかっただろう。


「それにしても式典と緑連豆とチビの街デビューと立て続いて、終わったかと思えば次はチビの歌手デビューかい。あんたは忙しいねぇ」

「私自身が忙しいわけではないんですが……」

「ははは! 確かにね!」


 ベリア大先輩にアッハッハッと豪快に笑われ、散髪室で準備していた職員さんにも肩を震わせて笑われてしまった。


「ま、元気な顔を見れてホッとしたよ。この前は本当に顔色が悪かったからねぇ」

「あのときは急に領主様に会うとなってビクビクドキドキしてましたし」

「あの爺さんは多少のマナー違反は気にしないよ」


 確かに領主様はフランクだ。どちらかと言うと領主夫人が私にとっては鬼門なのだが、そういえば領主夫人のマナー研修の日程が空白で再開はいつだろう? 秋を過ぎたら研修日程が出るかな? 

 学院時代、記憶力というより暗記力だけで飛び級していた能力が、上流階級のマナーには活きず覚えが悪い。メイリンさんに聞いて復習しておこう。

 自分で切った前髪が若干斜めだったことを指摘されたが、とくに気になるほどでもない。

 陛下がシャーヤランにいらっしゃるときはベリア大先輩に整えてもらおうと予約を入れて散髪室を出た。黒餅団子は少し多めに持ってきたから散髪室のメンバーのおやつ分として足りるだろう。


 散髪室を後にして、セイの様子を見に向かった。早朝ルーティンの収穫作業も終わっている時間だから作業小屋にいるかと思えば誰もいない。セイは休みだったら池のところのハンモックで寝ているはずがそこにもいない。

 音と声のする方に向かうと新しく建てた温室の横に簡易ビニールハウスを建てていた。

 ホワキンさんとナタリオさんが設置の指示を出していたので近寄って聞いたら、急遽緑連豆の栽培をしないと不足になりそうだという。


「そんなに売れてるんですか?」

「そんなに売れてるんだってよ。この数日の売れ行きのまま続いた場合、下の街の畑や周辺で放置で生っているのを掻き集めても足りなくなるって領主館の試算を会議で共有されて、ウチも下も緊急で緑連豆の植え付けだよ」

「隣のヘイシーラ領に依頼して掻き集めるって言ってたが、仕入れ量によっちゃ販売制限の話も出てたなあ」


 ホワキンさんとナタリオさんがそれぞれ教えてくれた。

 緑連豆を今から植えても生るまで四ヶ月から半年かかる。シャーヤランはこれから少しずつ涼しくなっていくが、緑連豆は暑いのが大好きで涼しいと成長が遅い。新しく建てた温室で育てられればよかったのだろうが、こうなるとは思っていなかったから温室は冷房設備も稼働させていて、涼しめの気温で育てる別の作物でいっぱい。それでビニールハウスとなったのだそうだ。


 ホワキンさんが会議で知ったことを教えてくれて、領主館と管理所共同で計画した内容だと、実はここまで爆発的に売れる試算ではなかったそうだ。私はメニューの試作までで販売計画以降は参加していない。

 領主館での試食会の際に、目の前で繰り広げられた喧々諤々とした議論を思い出す。売り出したときに領都民にも観光客にも知ってもらって定着させるためにはという議題もあった。できれば早い段階で商店街などでも売れないかと、ずいぶん無理なことを言っていた人もいた。

 何にしても材料がなければ提供できない。

 シャーヤラン領にある農家に、空いている温室や活用できるビニールハウスがあれば、この秋冬の間に緑連豆栽培に取り組んでほしいというお達しが飛んだことも聞き、なんとかなるといいなと願った。


「あの、ところでセイは?」

「セイは会議室だ。相棒さんが戻ってきたんで会いに行ってるぞ」

「あれ? あ、そうだ。今日だ」


 ポケットから端末を取り出して近々のスケジュールを見れば、言われた通りで頭の中の日付がズレていた。


「セイの契約ももうすぐ終わりかー。人手不足ー!」

「領主館から何人か紹介があったと噂なんだが、総務の第一面接がどうだったか聞いてないんだよなー。俺との面接がセッティングされたら即採用なんだがな!」


 ナタリオさんの叫びに愛想笑いしか返せない。

 シャーヤランは農業が盛んなので農業従事者は非常に多いが、管理所の菜園に勤務するには管理所職員にならないといけない。管理所の職員は公務員。つまり公務員試験があり、ちょっとハードルが高い。

 商会や組合が運営する農業従事のほうが採用試験のハードルはだいぶ低くくなるので、そちらに人材が流れてしまいがちなのだ。

 伐採班や整備班などでは対処する内容によって、一時的に民間から人材に来てもらうこともあるけれど長くはない。

 収穫だけなどのピンポイントなことは短期アルバイトでも凌げるが、欲しい人材は長期的に取り組んでいける人。

 なかなか解消しない管理所の菜園の人材不足。領主館から紹介がうまく繋がることを祈るしかない。


 私の予防接種休暇中のセイの様子はいつも通り至極真面目だが、緑連豆の生産計画のザルさにぶつぶつ言っていたそうだ。そして緑連豆メニューの中ではスムージーが一番好みだったらしい。菜園の職員みんなで順に食べに行って制覇したことにクスリと笑ってしまった。


 今日と明日のスケジュールをしっかりと思い出し、セイとは明日会えばいいので妖獣世話班の窓口で事務作業に向かった。まだ窓口を開けるには早い時間だったので、管理所にある妖獣用の仮眠所の掃除をして待つ。寝ている妖獣がいないからいくつかの檻をずらして隅っこも掃除。静かにこそこそ掃除をするより短時間でスッキリした。


 掃除道具を片付けてトイレに向かう途中、ルシア先輩からチビとオニキスがルーティン巡回に行った連絡を受けた。

 チビは式典デビューと街デビューを経て、特定の依頼が入らない限りは決まったルーティンの仕事を請け負うことになった。オニキスが持っていたルーティン業務から引き継いだもので、管理所と森の境にある防護柵の点検だ。

 このルーティンをオニキスはしっかり効率化していて、要所要所に魔獣を感知すると知らせが飛んでくる異能の何かを仕込んでいる。チビに部分的にそれを引き継いだら、あのビカビカギラギラ光るものをあっちこっちに仕掛けて、人より先にキィちゃんに怒られていた。


「森をナイトクラブにしないでちょうだいっ!」


 とても絶妙な表現だった。

 プンプンに怒るキィちゃんだったけど、聞いていたメンバー全員で笑いが止まらなかった。


 ルシア先輩に「巡回してくる〜」とだけ言って飛んでいったというので、オニキスからチビへの引き継ぎの続きだろう。あの二匹が飛び回っていれば、そうそう魔獣も出て来ないはずなので、時間があるだけ飛んでいてくれていいと思う。


 トイレから出て窓口に戻る途中、会いたくない人に会ってしまった。テルフィナだ。しかし、会ってしまったのだから仕方ない。

 テルフィナも私を認識して顔が若干強張ったような気がしたが、私は小さく会釈して通り過ぎた。

 私が彼女に何かをしたということではないのにこの気まずさが続くのかと思うと気が滅入る。誰に相談しても気にするなと言われるのがオチな予想はしつつ、今日窓口で一緒になるメイリンさんとサリー先輩に相談することにした。


「気にしない。それしかないわね」

「そうねぇ。何か突っかかってきたり、嫌がらせをされているなら対応を考えなければだけど」

「いえ、今はとくに何かをされたり言われたりはないです」


 ハッキリとした助言のサリー先輩と、今も何かされているのかと心配して聞いてくれたメイリンさん。

 お互い気まずさがあるだけ。

 この気まずさを作り出したのはシャナイと一緒になって私に付きまとって嫌な気持ちを植え付けたテルフィナだと思う。

 式典デビュー前の制服に好き勝手なことを言われたときがピークで、私の我慢も限界となり爆発したが、今はテルフィナに怒りも何もない。シャナイによるペンキぶち撒け事件に気持ちの区切りをつけたことで、テルフィナのことも忘れていたくらいだ。

 だが、気まずい。


「変に避けるとまわりが勘ぐるし、現状維持だよね」


 サリー先輩は正直言うとテルフィナのことを忘れてたと苦笑された。シャナイの起こした事件の印象が強く、そう言えば私に突っかかっていたのは二人だったなと、この相談で思い出したくらい忘れていたという。私もテルフィナに会うまでそうだったので、シャナイの事件の印象が強くて忘れている職員も多そうだ。

 

「何かあったらまたすぐに相談してね」

「ありがとうございます」


 サリー先輩とメイリンさんに聞いてもらえただけでも少しと気持ちが楽になった。

 サリー先輩は会議に向かい、窓口をメイリンさんと守る。そうはいっても預かり予約の問い合わせはポツポツとしかなく、メイリンさんに相談して私は遅れている研究レポートまとめを頑張った。

 一区切りした際に陛下が来る際のマナーの不安を吐露したら、その日の昼食は急遽メイリンさんによるマナー講座になってしまった。


「リリカは自信がなさすぎよ。その不安が顔にも動きにも出てしまうのが一番の課題ね。できているから自信を持ちなさい。ほら、俯かない、猫背にならない」

「は、い……」

「数をこなせばいつの間にかできるものです。焦らなくても大丈夫ですよ」

「は、はい……」


 たまたま食堂で会ったラワンさんも同席して食事のマナー講座。メイリンさんもラワンさんも上品に食事をする姿に尊敬しかない。

 ナイフが皿にカツンと当たってビクッとしてしまう。どうやったら音を立てずにステーキ肉をカットできるのか。


「慣れよ」

「慣れですね」


 そうかもしれないけれど、こんなにどっしり分厚く大きなステーキが出る会食はないと思いたい。


「リリカ、こんな分厚いステーキが出るわけないと思っているなら間違いよ。陛下と王弟殿下が揃ってこの肉のこのドッシリ感のある分厚いステーキが好きなの」


 言ってないのに心の声はメイリンさんに読まれた。


「陛下の船にお招きされていると聞いています。それなら見聞きの知識だけでなく、実際に体験しておけるものは体験するのはとてもよいかと」


 ラワンさんに言われてステーキ肉を見る。厚さおよそ五センチメートル。厚さを見てナイフに力を入れすぎ、カツンと音を立ててしまったのは、予想外の柔らかさだったから。知れば次からは力加減がわかるというもの。


「明日は魚料理ね」

「リリカさん、慣れです。頑張ってください」

「……」


 しばらく私の昼食はメイリンさんによる臨時のマナー研修会になることが決定した。


お読みいただき、ありがとうございます。

「誤字報告」で誤字・脱字・誤変換へのご指摘をいただけて感謝です!

引き続き、よろしくお願い申し上げます!


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愛賀綴は複数のSNSにアカウントを持っていますが、基本は同じことを投稿しています。どこか一つを覗けば、だいたい生存状況がわかります。

愛賀綴として思ったことをぶつくさと投稿しているので、小説のことだけを投稿していません。
たまに辛口な独り言を多発したり、ニュースなどの記事に対してもぶつぶつぶつくさ言ってます。

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