4.ブレない私
初回公開後に修正したら、驚くほど文字数が増えました。
暑い。とても暑い。
シャーヤラン領南部の初夏の雨期が終わってしまった。報道で今夏の雨季明けは早かったと言っていた。そして中期予報で、今年の夏は長く、涼しくなるのは遅そうだと。
山小屋は木々に囲まれているのと、すぐに近くに一年中温度の低い湧き水の泉と、その泉からの深さのない小川のせせらぎがあって、僅かに涼しさがある錯覚に陥るけれど、暑い。
モウリディア王国のどの地域でも首都基準の四季、春夏秋冬の言葉は使うけれど、その中身はぜんぜん違う。
シャーヤランは一年中夏だ。冬でも最低気温が十度を下回ることはほとんどない。
春、朝夕が少し涼しい。首都の夏と変わらない。期間は短い。
夏、非常に暑い。猛烈に暑い。期間が一番長い。
秋、朝夕が少し涼しい。首都の夏と変わらない。期間は短い。
冬、とても過ごしやすい。首都の春に近い。期間は短い。
管理所のスカウトを受けて職員となってから初めて実体験したシャーヤランの夏に、私はわかりやすく負けて寝込んだ。一年中暑いと知識では知っていても体で知る暑さは違った。
今はその暑さの中を走り回れるのだからだいぶ順応したと思う。
朝からギラギラの太陽光線。
ぷかぷか浮かぶ白い雲。
澄んだ青空。
昨日までの曇天が恋しい。
木々の向こうに見える山脈の氷河の一塊でいいから、いますぐここに飛んできてほしい。
そんなことを思いながら、山小屋の前の広場にリーダーとテーブルや椅子を設置していく。
「おおおっ! 本当にすまなかったあああッ!」
「すまなかったあああッ!」
「いいのよ、もう泣かないで」
「私たちこそ何もできなくてごめんなさい」
山小屋の前の広場で、オパールたちと番の妖獣と番とともに帰還したやんごとなき方のところの私兵さんらの感動の再会中。
一見するといい光景だが、もう数分ずっとこの調子。そろそろ暑苦しい。おもに私兵さんが。
オパールたちの妊娠騒動があった日、ボロボロ泣きながら謝ってくれたオパールたちが齎した追加情報によって、管理所は二度目の混沌に陥った。
私はチビとオニキスを労うために甘ダレのバーベキューに勤しんでいたけれど、リーダーは上層部を再招集して話し合い。
話し合いのあと、管理所の妖獣預かり受付窓口でくたばっていると聞いてフォレストサーペントの甘ダレ焼きを差し入れに持っていったが、所長が「聞いてない!」と陛下に噛みついていたと聞いて、そうだろうなぁと思った。それくらいオパールたちの話しには驚いた。
魔草の花蜜の採集は、オパールたちとその番をやんごとなきクソ野郎のところから引き離すために画策されたものだった。
オパールたちがさめざめと泣きながら暴露した話しに、私とリーダーが呆然としたのは言うまでもない。しかも、番とともにいる私兵数名を助けてくれと懇願され、所長を再度呼び出して話し合ってもらうしかなかった。
「お二人ともどうぞこちらへ」
「申し訳ない」
「ありがとうございます」
所長が声をかけ、山小屋前に用意したテーブルに誘う。
最初は管理所の建物の裏手での再開予定だったが、オパールたちが悪阻の不調で動けず、番と私兵さんに山小屋まで来てもらった。
関係者以外立ち入り禁止区域になるが、所長も同席しているし、すでにオパールたちから概要を聞いているので悪い人ではないこともわかっている。チビとオニキスが山小屋に繋がる道の見張りをしてくれているので、どこよりも安全な屋外会議室だ。
「さて、やっと話せますな。ここなら敵の耳も目もありません」
「まず、採集現場や船での貴殿への言動をお詫びします」
「事情がわかれば致し方ない。概要はそちらの妖獣と陛下から聞いております。今日はこれからのことも決めたく、当事者から事情をお聞きしたい」
優しく促す所長をチラリと見たが無視され、リーダーをチラリと見た離席は許されなかった。
この席に私がいる必要はなく、なんなら全力で逃げたいけれど、オパールたちの不調を見る役目で、魔草の花蜜採集騒動の裏を聞かされることになってしまった。
パッと見だと判別しにくいほどよく似た双子の私兵さんは、ニコラさんとモルガンさん。
私たちは仮名でオパール一号、二号と呼んでいるけれど、カレルドとカロンというのが、その昔に二匹が認めた者が呼んでいた名前だという。妖獣自身から名前呼びの許可をもらってないので私はそう呼べないけど。
オパール一号がカレルド。番はピサラ。
オパール二号のカロン。番はカッサラ。
番となるフクロウたちからも名前呼びは拒否された。どう呼ぼうか悩む。フクロウ一号、フクロウ二号でもいいだろうか。
真面目な顔をして、ニコラさんとモルガンさんの話しを聞く。
「先々代の意思を受け継ぎ、我が家はカレルドとカロンを護ることを使命としてきましたが、当代の側に置くのはもう無理だと判断したのです」
妖獣の鱗や角、牙などは宝飾品として高値で取引される。人を相棒にする妖獣が手入れの際に抜けたものを譲り受けて、各地の管理所で預かり、適正価格で取引する。森の生態調査などで野生の妖獣が手入れの際に落としたものが拾われ、管理所に持ち込まれることもある。海に棲む妖獣もいるが沈んでしまうので、妖獣の体の一部が取得物として集まることはない。
残念なことに管理所を経由しない違法なルートもある。
無理やりに妖獣の鱗や毛を得ようと考える愚か者もいて、普通なら妖獣に返り討ちに遭い、怪我を負うか、最悪あの世に召されるだけだ。
しかし、例外が起きてしまった。
「異能封じか」
「強力な魔導具ではない聞いていたため、重要視していなかった我々が間違っていました」
「ピサラとカッサラの力があれほど封じられてしまうとは思わなかったのです」
「番を人質にして、束縛か。どこまでもロクデナシだ」
「お恥ずかしい話です」
所長の穏やかな合いの手がとっても怖い。
異能封じは妖獣の怪我の治療の際に使われる医療機器だ。
妖獣に異能があっても万能ではなく、毒を摂取したり怪我をしたら治療が必要で、しかしそういう状況になっているときの妖獣は異能の制御が効かず、攻撃的になってしまう。助けてあげたくても近寄ることもできないもどかしさ。
人と妖獣の良好な関係を土台として、長い歴史の中で生み出されたのが異能封じ。妖獣の怪我の治療の際に使われる医療機器として誕生した。
包丁は調理に使うものであって人を殺める道具ではない。
異能封じも悪用されてしまった。
妖獣の異能を封じて、無理やり言うことを聞かせる道具として使うのはもちろん違法である。無論、悪いことをしている者たちは隠れてやっているので事件として表に出てこず、逮捕が後手になる。
ニコラさんとモルガンさんが仕える当主はわかりやすく金の亡者。そんな当主が異能封じという特殊な魔導具を手にしたら悪いことに使うに決まっている。そして、本当に悪いことに使ってた。
オパールたち──カレルドとカロンの鱗は、私たちが宝石のオパールに例えたように美しい。
オパールたちに異能封じを取り付けることはできなかったが、番であるフクロウたち──ピサラとカッサラが捕まった。
番を囚われ、オパールたちは番の身を守るために鱗を剥ぎ取られていた。血だらけになりながら耐えていた。
「クソかな」
「リリカ、言葉遣い」
「すみません……」
ピサラとカッサラは魔導具の異能封じの力でねじ伏せられ、無理やりに当主と相棒契約を結ばれている。
本来、相棒契約は妖獣が認めて成り立つ契約。人から契約できるものではない。
妖獣が認めていない者と契約するのは苦痛でしかないという。
相棒契約は妖獣主体なのでいつでも解錠できるが、魔導具で縛られていて何度となく苦痛を与えられ、解除の行使もできない。
番である自分たちが囚われていることに腹を立てて屋敷ごと爆破しようとしたオパールたちも、長いことともにあった一族に思うものもあり、やり返すことを躊躇ってしまった。
オパールたちは優しすぎた。
そんな状況を良しとしている者ばかりではなかった。
当主と妖獣を離す機会はないか。
なかなか妙案はなかった。
いくつか出た案を水面下で根回し続け、動いたのがシャーヤラン管理所が管轄している森での魔草クリスタルフラワーの蜜の採集。
破れかぶれで辻褄の合わない案のつなぎ合わせだったので、当主に悟られるとボツになりかけていたものだった。
他にも根回ししているものはあったが、どれもうまくいかなかった。
所長が断固拒否の姿勢だった採集依頼を、何がなんでも決行させるように水面下で仕向けたのが、ニコラさんやモルガンさんを始めとしたオパールたちを助けようと動いていた人たち。クソ当主の妹さんが陣頭指揮に立っていた。その裏に陛下もいた。
クソ当主の不正を告発したくても途中で握り潰される。
証拠を消され、陛下らも動くに動けないでいた。
誰が味方で誰が敵なのかわからない。
採集の裏事情はなかなか複雑かつドロドロだった。
とにかく当主からオパールたちを離す突破口を作ってしまえとなったそうだ。
「カレルドとカロンの飛翔能力がなければ難しい花蜜採集の話を何度となくして、希少な花蜜で得られる金に目を眩ませました」
妖獣の鱗はそんなに短期間に生え変わらない。だから無理やり剥ぎ取った大量の鱗を大放出して大稼ぎすることができず、計画通りいかなくて苛立っていたクソ当主に、妖獣の異能を使って稼ぐことを囁いたのは当主の妹だという。
「妹さんはまともなんですね」
「彼女が当主になればと願っていたのですが、叶いませんでした」
家族も一枚岩じゃない。仕える使用人も腹の探り合い。
「こちらにおられる妖獣でとても飛翔能力のある妖獣が大怪我をしたと聞き、依頼が受理されるようゴリ押ししました」
「花蜜にはカレルドとカロンが必要だと説き伏せ連れ出すことに成功しました」
「当主はピサラとカッサラと相棒契約しているので、採集に同行させればつぶさに状況がわかるでしょうと言い」
「ピサラとカッサラも離すことができました」
奇跡かと。
あとはタイミングを見計らって逃がし、野生に還らせることができれば、自分たちも逃げよう。そう考えていたが、この管理所に着いてからオパールたちの様子がとてもおかしい。
それに当主も馬鹿じゃない。これまでにも不正の告発をしたが、どこかで握り潰されてきた。
ニコラさんやモルガンさんらを監視する人が私兵の中にいて、採集隊を監視する私兵間で監視しあう奇妙な日々。
三日前の最初の話し合いの際、所長が私兵らが何もしないで邪魔だと不満を言っていたが、要は腹の探り合いをしていたのだ。
妖獣を逃がす機会にあるのに足枷となったのがピサラとカッサラに着けられた異能封じの魔導具の存在。当主の手に魔導具の制御機があるかぎり、ピサラとカッサラは逃げられない。魔導具の制御機の破壊または奪取の計画の連絡は全く来ず、逃がすタイミングがわからない。
本当に誰が味方で、誰が敵なのか。敵を欺くために自分たちは何を演じ続けるのが正解なのか、わからなくなりかけていたらしい。
もうため息。
当初は当主もこの採集に同行してくる予定だったが、首都で陛下主催の会合に招待されたので来ていない。無論そちらも仕込みだ。
オパールたちにボロ泣きされた日に概要は聞いていたけど、私の感覚だと馬鹿馬鹿しさを覚えてしまう貴族の世界。
ニコラさんとモルガンさん、ピサラとカッサラが知らなかったのは、オパールたちが妊娠していたこと。
オパールとフクロウたちはしばらく離れ離れとなる覚悟をした日、お互いに異能を流しあって別れを惜しんだ。
オパールたちは体の中に残る番の異能を長く自分の中に留めようとして、それが妊娠に繋がった。そう願っていたわけではないのだと言っていたが生命の誕生は不思議。
番が採集隊とともに連れて行かれ、そのあとになってオパールたちは自分たちが妊娠したと気付いたものの、私たちに言い出せなかった。
言えばピサラとカッサラにも伝わってしまう。そうすると計画が狂う。どこまで計画が進んでいるのかわからない。当主の妹君やニコラさん、モルガンさんたちの逃亡の道筋もできているのか。そこが一番わからなくて不安だった。
オパールたちは本当に優しかった。
人は人を簡単に殺める。
ぐるぐると考えて、言えなかった。
相手を思う気持ちから、掛け違いみたいな状況に陥っていたのだ。
三日前の陛下まで呼び出した会議のあと、当主にもオパールたちが妊娠していることは伝わっている。絶対ろくでもないことしか考えてないだろうことも予想できる。
「それでこれからどうするんですか?」
「もう簡単に行こう。陛下に当主交代の命令を下してもらう」
素朴な私の疑問に所長が答えてくれた。
陛下も裏で採集依頼に噛んでいた。いくつも用意したシナリオの中に鉄槌を下すことも織り込み済みだという。できれば穏便に済ませたかったみたいだけど。
それにしても貴族の世界オソロシイ。
オパールたちがニコラさんたちが逃げる手立てを整えられたのかを心配するのも頷ける。
この計画も綱渡りだっただろうし、綻びも起きかけていた。
オパールたちを含め、ニコラさんたちを正式に保護することに間に合ったからよしとするしかない。
「そちらの妖獣よ、当主との相棒契約は解除して繋がりを切ってしまおう。少しは苦痛が軽減できるだろう。魔導具の制御機の回収がまだできていないが、そちらは陛下が手配している。その魔導具も外せる準備をしよう。もうしばらく待ってくれ」
所長がフクロウの姿の妖獣たちに呼びかける。
悪用されている異能封じで不定期に苦痛を与えられているらしく、たまに苦悶の声をあげるのが痛々しい。
所長の言葉にオパールたちもフクロウたちも涙だ。
「ぶーん。キィちゃんだよー」
重苦しい場に不釣り合いな声が降ってきて、私の頭の上にドシンと落ちてきたのは妖獣のキィちゃん。
モモンガのような姿のキィちゃんは特定の相棒となる人はいないが、二百年ちかく管理所の管轄する森に棲み着いている妖獣だと自分で説明してくれたのは、私がここに採用されてすぐの頃。
「キィくんと呼べ」と言っていたのが、今朝になって急に「キィちゃんと呼べ」と言われたのでその通りする。こういう大先輩には逆らわない。
ここのところ見かけなかったが、氷河のある山脈付近まで気ままな散策旅に出ていたらしい。自由なキィちゃんである。
「キィちゃん爪が痛い……」
「ありゃ、ごめーん。話し合いは終わった? まだ? あら、そっちのねぇさんつらそうね?」
キィちゃんの言葉にオパールたちを見たら、一号が地面に突っ伏して吐きそう。ほとんど何も食べてないから吐くものもないのに。
「……あつい……」
熱が籠もって気持ち悪さが悪化してしまったみたいだ。泉のところまで連れて行ってあげたいけど、触られることが駄目な状態なので水を持ってきて掛けるしかない。
「氷つくろっか?」
「本当?」
「遊んでくれる?」
「……す、少しならね?」
「やった! んじゃ、ほいっと!」
キィちゃんは氷を生成したり、あれこれ凍らすのがとても得意。泉かその奥にある湖の水を材料に巨大な氷を作ってくれた。
キィちゃんは対価なしには助けてくれない。キィちゃんが満足するまで遊ぶことが対価で、キィちゃんは遊びと言うけれど人は命がけの内容だ。
オパールと同じくらいの大きさの氷を一号の体に寄せて、部分的に砕いた氷を口先に差し出したらガリガリ噛み砕いてくれた。
ピリピリと雷が手を襲うが、これくらいなら静電気。
「あお、い、とま……」
「トマトね。わかった。ちょっと待ってて」
オパール一号がなんとか言葉にしてくれた。これまでの警戒を解除してくれて、三日前からこうして交流ができている。
「青いトマト?」
「完熟していない緑色のトマトです。昨日から急に一口でいいから齧りたいって言い出したんです」
「美味しいのか?」
「いえ、まったく美味しくないです。熟していないので。齧ってすぐに吐き出します。でもなぜか齧ったあと、しばらくの間は落ち着きます」
番のフクロウと私兵さんたちが驚いて訊いてくるのも無理はない。
オパール一号が熟していない緑色のトマトを噛りたいと謎なことを言いだしたのは昨日から。言われるがまま菜園に熟していないトマトがないかを聞いたら、摘果の時期が過ぎていて菜園では用意できず、下の街の郊外でトマト栽培をしている組合に繋ぎを取ってくれた。
菜園の班長が向かってくれて、詳細は言えないが、管理所で預かっている妖獣がなぜか熟していないトマトを欲しているのでとお願いしたら、熟していないのを食べたがるなんて変わってるねぇと言いながら、まだ廃棄処分になっていなかった緑色のトマトを譲ってくれた。
オパール一号の謎のトマト齧りがいつまで続くかわからないが、向こう一ヶ月くらいは確保したいことも伝えてあったので交渉もしてきてくれて、普段は捨てるものだし、今後ずっとということではないなら、取りに来るなら無料でどうぞと言ってもらえてありがたい限り。
一年中トマトの収穫ができるよう植える時期をずらしてハウス栽培していて、定期的に摘果しているところがあって助かった。
いただいてきた緑色のトマトは山小屋の保冷庫に入り切らない量があったので、手元に持っておく分以外は菜園班管理の収穫倉庫の冷蔵保管室に置いてもらっている。
オパール一号のために積んでおいた籠をみたら在庫ゼロ。私が取りに行くのが筋だろうが、今この場を離れるわけにもいかない。
菜園班の共通連絡網にメッセージで連絡したらすぐに菜園の班長さんが返答してくれて、「誰かに持たせる」と快く引き受けてくれた。
トマトが来るまでにオパール二号とフクロウたちも何か食べようと声とかける。
番のフクロウたちに保冷ボックスの中の肉や果物などを見せて、食べたいものを選んでもらう。番が差し出せばちょっとだけ食べるオパールたち。そのちょっとを無理せずに積み重ねて栄養を摂ってほしい。
「我々も昼にしよう。アロンソ、リリカ、頼めるか」
「はい」
「皆様はこちらでお待ちください」
朝の調理場の手伝いのときにビーフシチューを作ってあり、ついでに職員寮の売店で適当に見繕ってきた惣菜類を山小屋に用意してある。
ビーフシチューは山小屋の竈で温め直し、温めたほうがいいものを温熱機で温め直してテーブルに持っていく。
リーダーとともに並べてみたが、よく言えばバラエティー豊か。正直に言おう、とりとめがない。
私は実は満腹だ。所長と私兵さんらが来る前に売店で買ってきた果物を並べてオパールたちが食べられるか確認していた。駄目だった果物をつまみ食いしていたらお腹がタポタポになり、トイレが近い。
所長、呆れた目で見ないでほしい。オパールたちのためだったんだってば。
「世話係殿、レモン水をいただきたいのだけど」
「どれくらいほしいですか?」
「朝にいただいた桶の半分くらいで。……その、できれば氷入りで」
「わかりました!」
「手間を掛けさせてしまってごめんなさい」
「いえいえ」
オパール二号とも話しができるようになった。
オパール二号は酸っぱいものを欲しがち。ならばと愚直にレモン水を試してみたら、これがいい具合。
サッと番のフクロウが近くにやってきて、私が準備するレモン水を見ていた。
「世話係殿、レモンの希釈はどれくらいでやっておられるのか?」
「この濃縮小瓶の半分に対して桶いっぱいになる水の量です。かなり薄めです。今回はその半分ですね。氷を入れたので水の量をその分減らしましたが酸っぱみを求めたら、途中で濃縮液を足してます」
「そうか。果実から作るとなると何個分だろうか」
「うーん。五個くらいかなぁ」
「大変申し訳ないのだが、レモンから作って与えてみたい」
「じゃ、このあとレモンを買ってきますね」
とても真剣に尋ねてきたオパール二号の番のフクロウは、桶を異能で浮かせて運ぼうとして自分が地面に落ちてしまった。異能封じの魔導具のせいで本来の力が出せないでいる。悔しがっていたが、私が運べる重さなので大丈夫。焦らないで欲しい。
「上からこんにちは! リリカ、トマト!」
「ありがとうございます!」
木々の上から浮遊バイク特有のフォーンという音とともに、高度十メートル以上を飛行するときに鳴らさないといけないピコンピコンという音が聞こえてきたと思えば、菜園で見かける職員さんが熟していないトマトを持ってきてくれて、ほかにも数種類の野菜が入っていた。
オパールたちの悪阻が酷く、何が食べられるか探っていると共有しているので、種類で攻めてくれることに感謝。
オパール一号の口元に緑色のトマトを置く。ここからは番のフクロウに任せた。
未熟なトマトを齧ったあとの口直しは、完熟トマトか、リンゴか、砂糖水。
オパール一号が落ち着いたら、何か食べられないか聞いて欲しい。ほとんど食べられなくて肋骨が浮いて見えてきていて心配なのだ。
あれこれ用意を整えて、所長たちのいるテーブルに戻った。
テーブルに並んでいたとりとめのない料理は、まあまあなくなっていた。残ったものは私の夕食の惣菜としてありがたくいただく。
「コストゥ殿、カレルドとカロンへのきめ細やかな対応に感謝する」
「感謝する」
「え、へ? あ、その、いえ、仕事ですし」
席に着いた途端、私兵さん二人に礼を言われたが、あれこれ妖獣の世話をするのが私の仕事。それでもこうして感謝されると嬉しい。
「あの、この管理所にはコストゥの家名がとても多いので、リリカと呼んでください」
私の家名コストゥは、この国で一番多い家名なんじゃないかと思うほど多い。隣に座るリーダーも、トーマスの前の姓も、研究職二人も臨時で来てくれる医務員さんもコストゥ姓。全員親戚関係ではまったくない。
「では、リリカ嬢」
「じ、じょ……う……」
慣れないっ!
「ぶふっ」
リーダー笑うな!
「リリカ殿でよろしいか?」
「はい、よろしいです、はい」
「リリカ、落ち着け」
所長も笑わないで!
リリカ嬢なんて呼ばれ慣れなくてドキドキしちゃった。
今回の裏事情まで知るのはまだ一部。
管理所にも防音完備の会議室はもちろんあるけれど、山小屋のほうが安全。なぜなら管理所職員でも用がなければわざわざ山小屋まで来ない。
なおかつ今はチビとオニキスが山小屋までの道の見張りをしてくれているから、出入りを察知できる。それくらいデリケートな話しなのだ。
所長は陛下から頼まれて手助けする内容に必要なことを聞いていた。
ニコラさんとモルガンさんがこれからしばらく滞在する場所や避難する先のこと、採集現場に残っている私兵は誰が敵で誰が味方なのか──。
この山小屋は安全だから気を張らずに話してほしいし、二人とも長いこと神経を張り詰めていたと思うから、この先はゆっくり休んでほしい。
所長は採集隊も終了させると決めていた。採集した花蜜がクソ当主の手元に届く前に捕まってほしい。
常に多忙でやらなければならないことは山だろうけど、その隙間に私の経費申請が所長のところまで行ったら速やかに承認してほしい。思ったよりも額面が大きく、部長決済より上になってしまった。ああ、醤を使い切っちゃったから早く買いたい。
「……今この場で経費承認の催促を言う度胸は流石がリリカだ。ぶれないな」
「口に出てましたか?」
「驚くほど全部な」
失敗失敗。
完全解決するまでのオパールたちの日々の世話はお任せを!
山小屋を去る前にニコラさんとモルガンさんはオパールたちと別れの挨拶をした。
ニコラさんとモルガンさんはこれから先、クソ当主の魔の手の届かないところに避難となる。二度と会うことはない。
「本当にありがとう」
「もっと早く、俺らの父が決断して別離すべきだった」
「あの妹君にも感謝を伝えてほしい」
「ああ、陛下から伝わるはずだ」
「最後に名前を呼ばせてくれ。カレルド、カロン、ピサラ、カッサラ、達者でな」
「ニコラもモルガンも元気で」
今この場でオパールとフクロウたちは、これまで寄り添っていた者たちから呼ばれていた名前を捨てた。近い将来、野生に還るために。
所長と私兵さんが管理所に帰っていって、私とリーダーはテーブルの片付け。
チビとオニキスものっそりと山小屋に来てくれた。
「あ、氷だ。いいなー、いいなー」
「自分で作ればいいでしょー」
チビがオパールたちの傍である氷をみてキィちゃんに強請っている。キィちゃんは自分で作れと素っ気なかったが、午前中にチビとオニキスにだいぶ遊んでもらったのを思い出したのか、ドスンとチビと同じくらいある見上げないとならない大きさの氷を山小屋の前に作ってしまった。
「じゃ……」
邪魔! と思ったが、氷からの冷気が涼しい。
氷が溶けきったら山小屋前の地面がぐっちゃぐちゃになりそうだが、そうなったらチビに焼き固めてもらおう。
「ニコラさんとモルガンさん、本当によく似てましたね」
「双子でもあそこまで似ているのはすごかった」
片付けながらリーダーと話して気がついた。
オパールたちも双子で、番も双子で、ニコラさんとモルガンさんも双子。双子がここまで揃う確率を誰か計算してくれないだろうか。
「くだらないことを考えるほど疲れたんだな」
「私は下っ端なのにこんなドロドロした話しを聞いてしまうなんて……」
「残念なことにオパールたちの世話をする以上は関係者だ」
はい、その通りでした。
残った惣菜類は適当に保冷庫に放り込み、カップ類を洗う。テーブルと椅子の片付けはリーダーにお願いした。
「妊娠しようと思って妊娠したわけじゃないっていうのが不思議なんですが、普通、妖獣って繁殖しないですよね?」
「そういう事になってるな。妖獣は己の体を作り変えて長く生きる個体が多い。番うこと自体、歴史的にも少ない」
「はあ……」
ふと、馬に似た姿のオパールたちとフクロウにしか見えない妖獣が、どうやって妊娠に至ったのかを考え、疑問符をぶっ飛ばした。
洗い物の手が止まって私の頭の中が疑問符で埋め尽くされていたのはリーダーにバレバレで、妖獣はそもそも雌雄がなく性交渉はないと教えてもらった。
お互いの異能を混ぜ合わせて新しい命を宿す担当が、一時的に人で言うところの雌になるのだという。おお、摩訶不思議。
私は小さなトカゲだったチビが、突如巨大な竜になってから必要に迫られて妖獣について詳しく学び始めて二年と少し。知らないこともまだ多い。
妖獣世話班のリーダーも稀に妖獣も妊娠するという知識だけはあったが、実際に妊娠している妖獣と接するのはオパールたちが初めてなのだという。
昨日リーダー室に籠城して出てこなかったのは、情報端末で国立図書館の書物を検索しまくり、各地の管理所で妖獣の世話をしている部隊に問い合わせて、妊娠している妖獣の世話の注意点などを聞きまくったりしていたそうだ。なかなか情報は少なく、むしろ今回の世話の内容をレポートにしろと依頼されたとボヤいていた。
しかし、昨日何度ノックしても出てこないと思ったらオパールたちのためだった。そんなリーダーの情熱に尊敬しつつ、私の追加申請した経費の承認をしてくださいと迫る。いつもは申請したらすぐに次に回してくれるのに、今回なんで遅いんですか! と、言いに行ったのに出てこないし!
「その醤にかける情熱はなんだろうな?」
「単に懐事情です。隠し持っていたのも全部使ったんで、仕事で使ったものは経費! はい、承認よろしくお願いします!」
「トーマスめ……」
リーダーから見ればトーマスは後輩。マドリーナと結婚する前は妖獣世話班にいたけれど、マドリーナと結婚を機に牧場へ。
今現在で妖獣世話班のメンバーではない者の言うことは信用するなと言うけれど、何かわからないことがあったらトーマスに習えと言ったのもリーダーですが。
リーダー、そろ~と視線を外さないでほしい。
トーマスが大型妖獣に助けを乞うために必要とした物品は経費になると言ったので!
あの言葉は牧場の従業員が数名聞いてますので!
はい、承認してください!
お読みいただき、ありがとうございます。
初回投稿後に大幅修正したのですが、それでもまだ記載不足がある作品だと自覚と反省をしています。
でも、まずは完結することを目標にして、完結できたら見直すことにします。
感想や評価等をいただけましたら、とてつもなく嬉しいです!