2.私の中の私のものではない記憶
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私がモウリディア王国の中でも一番有名なシャーヤラン領にある管理所職員になれたのはチビのおかげだ。自分で自分の進路も考えられなかった私にはまったくなかった未来。思いがけないことだった。
モウリディア王国では、二十四歳くらいまで学校や学院で学び、卒業が確定してから就職活動をする者もいるが、多くは自身のやりたいことを見据えて卒業の一年前~半年前くらいから就職活動する。
私は自分の未来のことを考えずに、とにかく勉強していた。
勉強していればいいと思っていた。
個人的事情で故郷を飛び出し、首都の学院に逃げるように通わせてもらえただけでも両親には御の字で、長く通えばそれだけ両親からの仕送りが続く。それが申し訳なくて必死に勉強して、飛び級に飛び級して「早く卒業しなくっちゃ!」という思いだけだった。
卒業したら働く未来を考えていなかった。
とにかく卒業。がむしゃらにひた走った。
私が首都で通っていた学院はモウリディア王国でも最上位の教育機関で、思い返すと志の高い学生が多かったように思う。
がむしゃらに勉強していた成果は実を結び、十六歳の初夏に学院から卒業予定通知の連絡があった。次の春にある試験次第で私は前倒しで卒業できる内容だった。頑張ってきた成果ではあるのだが、これから私はどうするんだ? と、自分の未来を何も考えていなかった事実に直面して茫然。
学院でお世話になっていたチャルデン教授や先輩方のほうが私の無計画さを把握していて、親身になっていろいろアドバイスしてくれた。
一番推されたのはチャルデン教授の下に残って研究者になる道。そのためには卒業試験とは別の試験を受ける必要がある。
どこかに就職して、外部協力研究者としてチャルデン教授の師弟関係を続ける道もある。
がむしゃらに勉強する中で、先輩から取っておくと就職するときに使えるかもと言われた会計士の資格を活かす手もある。
異分野に飛び込んで頑張る道もある。
何も考えていなかったけれど、道はあるから焦ることはないと言われ、気持ちを切り替えた。
その冬の終わり、チャルデン教授とともに参加したフィールドワークで、小指の長さくらいの小さいトカゲと出会った……死にかけていたトカゲを拾ったというのが正しい。
私はその死にかけていたトカゲを実験体として持ち帰り、世話をした。観察研究ではあったけれど、命をつなぐことができてホッとしたし、フィールドワークでお世話になった森に返したいと奮闘した。自分の就職活動より頑張ったと思う。
なんとかチビを森に連れて返してあげられる道筋が見えたのは春の半ば。並行して頑張って勉強してきた私の集大成の試験結果もよく、卒業が確定してしまった。
両親と兄は、せっかく首都で出たのだから首都で働くことを考えてみたらいいと言ってくれていたけれど、なんとなくの気持ちでやっていた就職活動は惨敗。首都での就職活動の感触がよくなければ、故郷に帰って両親が勤める湯治場か商店街のどこかで働かせてもらえないか頼んでみようという程度に、私は世の中を甘くみていたと思う。
夏休み前には卒業となり、教授の下で研究生とならないなら、学院を出ていかねばならない。
焦りはあったが息抜きも必要。
そんなある日、学院の裏庭で元気になったチビの餌になりそうな虫を探しに出た。
手のひらにいたチビが急に飛び降りて走り出し、目の前が急に眩しくなって反射的に目をぎゅっ閉じた。
なにごと? と目を開けたら、巨体の竜がいた。
鋭く長い爪のある前脚にガッチリ捕獲され、牙だらけの口の中に半身を咥えられるように持ち上げられ、ベロンと舐められ、涎だらけになった。
当たり前だが、突如の出来事に私は大パニック。あまりの恐怖に声すら出なくて、無声の悲鳴。
極悪顔の巨体竜となったチビは、どう見てもティラノサウルスで、アロサウルスで、ヴェロキラプトルで。
何時間も経ってようやく落ち着いたときに「ティラノサウルスってなんだ? アロサウルス? ヴェロキラプトル?」と、この世界にない情報が頭の中にあることを知り、これまたとても混乱した。
混乱したのだが、私は早々に原因を突き詰めるのを放棄した。
チビのほうが、私の中に私の生きて知ったこと以外の何かがあることを知り、私以上に驚いて大パニック。その姿を見ていたらどうでもよくなったのだ。
はちゃめちゃ慌てるティラノサウルス。なかなか面白い絵面だった。
チビは何日間も異能で私を調べに調べていたものの、悪影響はない、多分、おそらく……と、私に続いて諦めた。力尽きただけとも言う。
ただ、奥歯に物が挟まったように言いにくそうなチビの様子が垣間見えて、私は追求を止めた。
あまりにもチビが悲しそうだったのだ。
それに頭の中のことより、巨大竜チビの出現によって私のまわりは大騒動。
これからの生活をどうするかを考えるほうが何よりも優先だった。現実の忙しさに頭の中の謎の記憶のことを思い出す余裕もなかった。
不思議な記憶は私が意識的に思いだそうとして思い出せるものではなく、何かの折にふっと滲むように頭の中に広がる。
知らない食文化、知らない動植物、奇っ怪な建築物──。それを何度か経験すると、チビが「前世とか、そういうんじゃないよ」と疲れた声で言っていたのもなんとなくわかってきた。
一人の人生の記憶というより総合的な情報。
例えるなら、目の前に分厚い図鑑があるけれど、自分でページを捲ることはできない。何かの瞬間に勝手にページが開いてその情報を見せてくる。そんな感じだ。
私が生きるこの世界と似ているものも多いが、まったく知らないものもあり、慣れてくるとふとした時に浮かんでくる情報たちはなかなか面白かった。
ある時、頭の中に浮かんだ知らない料理が気になり、似たもの探しをしたら味噌や大豆の醤に出会って、各地の郷土料理や調味料に興味を持つようになった。あちこちの郷土料理に関心があることは趣味と思われ、おかしくは思われていない。
頭の中に浮かんだ便利そうな生活道具に似たものがないかと探した際は、お店の人に首を傾げられたり、道具の整備する職員に「お前はなにを言い出した?」と怪訝な顔をされたことがあったので、うっかり言わないように気をつけるようになった。
巨大な妖獣の出現は瞬く間に広まった。
学院の敷地内だったので目撃者は多数。私は学院の寮に戻れず、駆けつけた軍隊に保護され、移送され、何日間もチビとキャンプ生活だった。チビが私と離れたがらなかったし、私もチビと離れたくなかったので、外で寝起きするしかなかっただけなのだが。
軍隊に保護されてのキャンプ生活はある意味で隔絶した生活の日々。
外の情報を知ることはできたけれど、私は情報端末を投げ出した。
勝手に私とチビを撮影した写真、映像が世の中に溢れ、私の出生や学院での生活状況、成績などまで、面白おかしく嘘も混じって情報拡散されていた。
世の中が怖かった。消えてしまいたかった。
該当者の許可のない個人情報の拡散は犯罪になる。
数日間で収束させて拡散された情報は消してくれても、情報を見聞きした人の頭の中の記憶まで抹消できるものではない。
情報端末を投げ出した私はブルブル震えてチビから離れなかった。保護してくれた軍関係者方々すら面会を拒否するほど、私は殻に閉じこもってしまった。
ある種の諦めの境地に立つまで時間がかかったけれど、教授や先輩方々、駆けつけてくれた両親、兄、献身的に寄り添ってくれた軍医の方々のお陰で、なんとか立ち直った。
ようやくチビとキャンプしていたところで私の世話と監視をしていた軍職員の方々と食事ができるくらいまで回復した頃、降ってきたのが私を採用したいというスカウトのあれこれ。
私がガタガタと震えていた間に沢山のスカウトの話しが来たものは、両親が教授や軍関係者と相談して選別してくれていた。
陸海空軍すべて、国の何かの機関、あっちこっちの領、誰もが名前を知っている大商会などからスカウトがあり、どれも妖獣を確保したいチビありきのスカウトだったけれど、その中で私はシャーヤランの管理所を選んだ。
いくつかの先と面会したけれど、条件はどこもいい。
チビと出会ったのはシャーヤラン領の森。シャーヤラン管理所管轄の森だった。
チビのいた場所に行こう。
最終的に決めた理由はそれだった。
管理所は軍の管轄。軍人とは公務員。公務員になる未来なんて考えてもいなかったため、試験対策はしていなかったけれど、採用スカウトされた際の私はまだ十八歳前の未成年ということもあり、試験を受ける前から回答できない事柄については、採用後研修で学んでいく好条件。
わからないことは正直にわからない回答でよいという異例の試験を受けた。
学院の重箱の隅をつついてくるようなイジワルな試験よりは優しく、記憶力と暗記力が試される一般教養試験は無事合格。私にとっては学院で学んだばかりの内容が多かったのは幸いだったと言える。この試験の合否が王国の全公務員の第一関門の試験だと聞いていたので、そこを自力で突破できたことはホッとした。
高貴なる方々の家名や関係図などを覚えること、上流階級の方と会う場で必要になるマナーはほぼわからず、これは試験を受ける前からわからないと答え、シャーヤラン領およびシャーヤラン管理所が管轄する森についてどこまで知っているかの試験も三割程度しかわからなかったが、地域特有の事柄なのでこちらも採用後研修の範囲が知りたかっただけだと慰められた。
私が管理所への入所試験に取り組んでいた間に、チャルデン教授は学会に私のこれまでのレポートを提出し、外部協力の支援研究者として認めてもらってきたと、研究者としての証明書を手に入れてくれた。
シャーヤランの管理所に就職したあとも、研究者として教授とともに取り組んでいた苔の研究をそのまま継続できるなんて、思い描けない未来だった。
シャーヤランの管理所でも採用スカウト前に入手した私の学院の専攻学科などを踏まえ、管理所の研究職員を軸に提案があったが、あとから知ったのは教授が根回ししてくれていたのだ。本当に感謝しかなかった。
そうして私はシャーヤラン管理所の職員に採用されることになった。
チビともどもお世話になるため、妖獣とともに過ごす生活を軸に管理所での所属は妖獣世話班に配属された。
現在のシャーヤラン管理所の妖獣世話班のメンバーは、全員何らかの研究と兼務で妖獣の世話をしている状況なので、私が苔の研究を継続するのも特に問題なし。
妖獣についても管理所に入ってから本格的に学んだ。
チビの相棒として生きると決めたからには、妖獣という生き物がいるくらいの低レベルの認識では流石に駄目。
妖獣はこの世界の全生命体の中でも一線を画す存在で、長年研究されているが未知のことも多い。
首都のように人がうじゃうじゃいるところではあまり見かけないが、長閑な地域では人と生活の近くに妖獣がいるのは当たり前の光景で、私の生まれ故郷の商店街にも、ほぼ猫の姿の妖獣がいる。
妖獣と相棒契約している人も実は多くいるけれど、日常で見かけることが多くないのは、妖獣の相棒になった人は行政機関や軍に勤務することが多いからだというのは管理所の研修で教えてもらった。
私の故郷にも妖獣がいたので、妖獣について知識がゼロだったわけではない。
私の故郷にいる妖獣は特定の者と相棒契約はしておらず、湯治場と商店街のあたりに棲み着いている。
蹲った姿で幼児の背丈と同じくらいある純白の毛の猫の妖獣は、魚屋のオッチャンと酒屋のばあさまを気に入っていて、店先で看板猫になってみたり、気が向くと異能を使って店の配達を手伝っては、誰彼構わずイチゴを強請る。そんなわけで、いつでも妖獣にイチゴを与えられるよう、あの地域一帯ではイチゴの温室栽培をしていて、商店街周辺はイチゴ関連の商品が盛り沢山の観光スポットにもなっている。
妖獣に名前はない。
人を相棒にした妖獣は相棒の者からもらった名前を名乗る。
稀に相棒を持たない妖獣自ら名乗ることがあるけれどかなり稀。一定の地域に棲み着いて、その一帯の人々とともにいる妖獣は通称で呼ばれることがある。
私の故郷にいる妖獣は相棒となる人はおらず、イチゴちゃんという通称で呼ばれている。当の妖獣もそう呼ばれていることは認識していて、呼ぶとピクリと耳が動くが九割は無視される。イチゴちゃんと呼んで必ず応えてもらえるのは、魚屋のオッチャンと酒屋のばあさまだけである。
イチゴちゃんのイチゴ強請りのおかげで、私の故郷の商店街の周辺はイチゴの名産地となった。
イチゴが一つの呼び水となって観光客が増え、湯治場の知名度が上がり、通年の登山客も増え、安定した観光収入は土地を潤してくれている。
私の曽祖父の時代くらいからいるイチゴちゃん。イチゴちゃんのおかげで街は盛り上がったと言う人もいるが、イチゴちゃんがいなくなっても続けていけるかは人次第。
人と妖獣、持ちつ持たれつと言う人もいる。
人視点の言葉で、人と妖獣が対等のように聞こえるが、管理所の研修で妖獣が絡む歴史を知っていくと、過去の人の過ちに心が軋んだ。そして、持ちつ持たれつという言葉には同意しきれない気持ちになった。
この世界の頂点は人ではなく、妖獣なのだろう。
妖獣はこの世界を監視している。
私個人の解釈だけど、幾人かの学者の説にもある一つの見方。
旧時代にあった人と人が己の欲に溺れて争い合った大戦争。何もかも奪う殺戮兵器により、人だけでなく、ありとあらゆる命が奪われ、土も海も死に、この世界からすべての命がなくなりかけた。
人の驕りが世界を殺した大いなる過ち。
大戦争は妖獣たちによって終戦する。
妖獣たちは戦争の中心となる者たちを滅した。都市ごと滅した。小さな島ごと滅した。大陸の一部もろとも滅した。
そのときの妖獣たちが救ってもいいと思った少ない命が、今に繋がっていると言われている。
旧時代の詳らかな情報は残っていない。
落ち着いた世の中になってからの推測でしかない。
けれど、きっとそうだったのだろう。
管理所で歴史を学び直して、私の中の私のものではない記憶が何かとチビに聞いたときのことを思い出した。
何回目かの私からチビへの確認の際に、とても悲しそうに口をつぐんだ姿が忘れられない。
以来、誰にも言わずに私とチビ、そして心を許せる数匹の妖獣にしかこの話はしていない。
人が奢り、欲に溺れて同じような過ちを起こそうとすれば、妖獣は人を殲滅する。
そのために妖獣は人の近くにいる。
私は歴史を学んでそう思った。
妖獣を怒らせてはいけない。そう思う。
しかし、まさか自分が妖獣の相棒になるとは思わなかった。
日々チビや妖獣たちの世話をしていると、脳天気さに脱力することが多い。妖獣による人類監視説が崩壊しそうな毎日だ。
山小屋から牧場に戻れば、ゴゴジは完全に土の中で、潜っていった穴の形跡すらない。さすが地竜種。土の扱いはプロフェッショナル。
「ゴゴジ、わかんなくなっちゃった」
「起きたら出てくるから放っておこう」
潜ったところとはぜんぜん違う別の場所からね。
私の山小屋の周辺か、チビの寝ている洞窟か、管理所裏手の農機具小屋の横あたりかな。
「あのね、コレ、ここにういてたんだけど、ぼくのあたまにのっちゃったの。父さんたちさわれなくて、リリカ姉ならとれる?」
「……ちょっと待ってね」
ゴードンの頭に乗っているように見えるのは半透明の板のようなもの。何度か見ていて知っている。妖獣が異能で作る伝言板。
この管理所で異能の伝言板を使うのはゴゴジくらい。チビやオニキスは直接会って話すので、異能の伝言板を使うことのほうが稀。
妖獣の異能の伝言板は、読ませる人を限定していると他の人は触れることができず、書いてあることも読めない。伝言板に重さはなく、作り出す妖獣によって大きさもまちまち。体のどこかに貼り付くと違和感を覚える代物だ。
ゴゴジの伝言板は大人の手のひらくらいのもの。読ませたい相手が読むと念じると文量によって大きさが変わることもあるが、ゴゴジの伝言板で大きく変化したことはあまりない。
ゴードンの頭にくっついたのは、ゴードンが接触する誰か──おそらく私に届けるために、ゴードンを中継ぎに選んだんだろう。
ゴードンの頭の上にある伝言板に手を伸ばせば、拒否されず私の手で握ることができた。
ゴゴジの伝言板をちらりと見たら文字は認識できる。だけど読めない。なぜならゴゴジの伝言はいつも古代文字。この古代文字が読める人はこの管理所でも数人しかいない。私は古代文字が読めないと何度も言っているのに私宛。なんて面倒くさい!
「あ、とれた!」
「うん、気持ち悪かったね」
「ぬあー、きもちわるかった」
ゴードンは頭のてっぺんをわしわしと揉んで、頭に残る伝言板のあった違和感を取り除いている。
なんとも言えない感覚なのだ。触れないのにそこにくっついている摩訶不思議さ。
ゴゴジなら直接私に伝言板を飛ばせるはずなのに、眠くて面倒くさがって近い者に託したんだろう。ゴゴジが起きてきたら幼児に伝言を託すなと説教しなければ。
ゴゴジの伝言板を私の頭の上に翳すとヒタリと頭のてっぺんにくっついた感覚。手に持っているのも邪魔なのでこうして運ぶ。もう慣れた。
「はい、ブドウ。もらったから半分あげる」
「わあ! おおつぶブドウ! やったあ!」
「そろそろ学校の通信繋がなきゃ遅刻しちゃうぞ?」
「うん! きょうはね、すうじのべんきょうなの! またねー!」
数字、数学か。頑張れよ。
ゴードンが牧場の建物に走って帰るのを見送り、えんえんと喧騒が聞こえてきていた斜め後ろを振り向く。
視線の先ではトーマスや牧場の従業員数名が草の上に座って上空を見上げていた。
上空ではオパール一号が体に小さな雷を纏わせていて、オパール二号の周囲にも朧に白炎が見えた。
対峙するのは腹がぽっこり膨れているチビとオニキス。二匹とも腹を上に向けて寝そべって浮いていて、その姿だけ見ると一触即発には見えないが、空気は非常にピリピリしている。
チビとオニキスがオパールたちに「落ち着けよぉ」と説得し続けながら、蜘蛛の糸のように張り巡らした網なのか檻なのかの範囲をジリジリ縮めてオパールたちを地面に戻そうと頑張ってくれているが、オパールたちに灼かれてしまい、うまくいっていない。
「リリカ、すまんがチビと連携してくれ」
「何があったんですか?」
「まったくわからん」
急にオパールたちが叫び、離れて見守っていた牧場の従業員さんに向かって突進したのだという。
従業員さんとオパールたちの間に突如現れた異能の障壁で事故にはならなかったが、障壁を作り出したのはおそらく地に潜ってしまったゴゴジだと思うが未確認。異様な雰囲気を察して、食事後の水浴びをしていたチビとオニキスが駆けつけて今に至る。聞く限り、オパールたちが爆発した理由を推測する事柄がない。
「チビーッ、オニキスーッ、穏便にーッ」
「今だって随分穏便だよね?」
「これ以上、どうやって穏便に?」
ヘソ天の二匹が上空からぶつぶつ言ってきたが、オパールたちはやんごとなき方のところから預かっているお客様なので怪我は避けたい。そのあたりはチビもオニキスも理解している。そんな人の事情をわかっているから今この状態なのだろうが、オパールたちを見ると瞳が真っ赤に変化していて、凄い怒ってる。うっわぁ、どうしよう。本当になんで?
「いっ! 痛い痛い痛いってば! なんなんだ! ゴゴジ!」
頭の上にくっつけた伝言板が頭を叩くように跳ねた。素直に痛い。この状況でなんなの! 早く読めってことか? だったら古代文字で書くなって! 前にも読めないって言ったのに!
「ち、ちびぃ〜、これ読んで〜! ぎぃっ、痛い痛い痛いっ」
「……」
この場で古代文字が読める人はいないが、チビとオニキスなら読める。
呆れた視線を感じるが、チビが高度を下げて伝言板に鼻先を触れると私の頭から板が離れた。なるほど、私が読めなくてチビに助けを乞うところまでゴゴジはわかって伝言板を作ったと……。
チビが読んでいる間、しばし落ちた無言。
オパール一号が纏う雷のバチバチとした音が空気を震わせていて、肌がビリビリ痛むのは気のせいではなさそうだ。
「……えええぇぇぇ……」
「なんて書いてあるの?」
「メンドウクサイことがオキルヨカンしかしない」
……だろうね。チビの棒読み加減で凄く伝わってきたよ。
「あー、うー、もうね、コレ隠すことじゃないや。トーマスや所長にも言えばいいと思う。あとリーダーとか、もう全員でいいよ、全員」
「?」
宙で寝そべっていたチビは顔をオニキスに向けると異能で何かを伝えた。オニキスが「はあああっ?」と素っ頓狂な叫び声にこっちが驚く。いったい何が書かれているの?
浮いたままのチビが前脚をちょいちょいと動かしてきたので、おでこをチビの前脚の爪にくっつければ、頭の中に直接チビの声がした。
──オパールたち妊娠してる。イライラが増しているのは悪阻だから優しく。妊娠しているこの時期に番と離れ離れにするなんて馬鹿なのか? 隊はまだ帰らない? byゴゴジ
「はあああっ?」
オニキスと同じように叫んでしまった。
ゴゴジの『馬鹿なのか?』の愚痴は、採集依頼をゴリ押ししたやんごとなき方の人たちのことだとすぐに分かった。オパールたちを預けていくときも揉めたのだ。だってオパールたちの私ら世話係への警戒度が凄かったんだもん。
やんごとなき方とは正しくは貴族だが、尊敬する貴族のことは『高貴なる方々』、バカにするときは『やんごとなき方々』と言い出したのは前所長だと聞いた。管理所の職員間だけの隠語である。前所長の時代にも面倒くさい何かがあったのだろう。紐解く気はない。
「リリカ?」
「あー、えー、トーマスせんぱい、タスケテください」
「リリカに先輩呼びされるのは、碌なことではないんだよなー」
「ははは……」
トーマスにはチビがひょいと伝言板を作って読ませたら、「はあああっ?」と言うデスボイスが響き渡った。
トーマスパイセン、お怒りごもっとも。伝言板を覗き込んだ牧場の従業員さんたちも、叫ぶか絶句だった。
妖獣には雌雄の概念がない。けれど番うことはある。番う妖獣は希少な研究対象になるレベルで相当稀だ。
詳しいことはわかっていないけれど、番う妖獣は離れ離れにしないほうがいいのは、妖獣に関わる者なら基礎で知っていることだ。恋路をジャマして異能の暴力にやられたくない。
妊娠しているということはオパールたちは雌なのか。
チビとオニキスは口調が人の性別の男性に近いので、雌雄の概念はないけど雄と思っていいのだろう。
「……チビ、オニキス、オネェサマたちともう少しお話してみてくれないかな?」
「えー」
「えー」
「私とトーマスで所長たちと話し合ってくる間、お願いッ!」
「えー」
「えー」
人の事情で番と離れ離れにされたオパールたち。悪阻のせいで苛立っているのか、人のせいで番と離れ離れなことに怒っているか。あの真っ赤に変化した瞳は相当だ。人である私やトーマスが声をかけても雷と炎の雨が降ってきそう。せめて瞳の色が正常に戻るくらいに落ち着かせてほしい。
「よし、落ち着かせることができたら、チビとオニキスにはフォレストサーペントを振る舞ってやろう」
「ほんと?」
「まるごと?」
「ああ、丸ごと」
トーマスがご褒美を出すと言ったらチビとオニキスは俄然やる気になった。
少し前に脂の乗ったフォレストサーペントを秘蔵の甘口の大豆の醤をベースにしたタレで焼いて美味しく食べた。普段はスプラッターな血だらけ生食を好むチビとオニキスが、珍しく味付きをむしゃむしゃ食べてハマったほど。
……まさか?
「え、もしかして」
「リリカの甘ダレは絶品だったなー!」
「だったーっ! よし! オパール姐さん、オパール姐さん、おちつこー!」
「俺たち姐さんたちの食べたいものなら何でも狩ってくるぜー!」
あの醤油は高いのにーっ!
「さ、リリカ、今のうちに所長たちを呼び出すぞ」
「たかいのにぃ〜」
「……経費で落ちる! 多分!」
「ひしおぉ〜」
オパールたちの雷と白炎が飛び交う中、綿あめのような何かをポンポンと生み出して、胡散臭い物売りのように前脚を揉み手するチビと、パステルカラーのシャボン玉や花をポンポン生み出して、三尾ある尻尾で揉み手しているオニキスを頭上に放置し、私は「醤は経費、絶対経費」とつぶやきながら、トーマスに背を押されて管理所に向かったのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
プロット版に近い形で投稿開始を始めたために記載不足が多々ある自覚がありますが、まずは完結することを目標に書き進め、完結できたら各話の記載不足等を補うつもりです。
たまに「活動報告」も書いています。お時間があればご確認をお願い申し上げます。