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「け、結婚はする気はない!?」
父の珍しい大きな声が響く。
「…声が大きいよ。それに最初から言っていただろ?」
「いや…言っていたが、村の人達の前であんな立派な挨拶をしていたから私はてっきり…」
そう言いながら、父が放心状態で近くの椅子に座る。突然呼び出されたと思ったら、式は挙げないのかと満面の笑みで言われたのだ。やはりすっかりその気になっていたらしい父には忍びないが、そもそも結婚する気はないと改めて告げた。
「彼女にはしばらくここにいてもらわなきゃいけないんだ。素性も明かさずにここで暮らすなんて無理だろ」
「それはそうだが…お前達がすっかり仲良くなってくれて、ローラと二人で喜んでいたんだぞ」
そんな気はしていた。両親は一体どういう気持ちで彼女と接しているのだろうかと。だけど聞くに聞けなかった。
「お前…本気か?村の人達もあんなに祝福してくれたんだぞ?また騙す様な事をするのか?」
だんだん父の語気が強くなる。そこが今一番心苦しかった。
「みんなには…申し訳ないと思ってる。でもしょうがないよ。彼女が結婚は出来ないと言っているんだ。それとも、彼女に無理強いするのか?」
父が黙った。それが出来ない人に俺は育てられたのだ。
「結婚出来ない理由をちゃんと聞いたのか?」
「いや、まだ」
「なら!」
父が口を開きかけて、閉じる。はあ、と父が大きなため息を吐いた。
「…とにかくもう一度聞くんだ。簡単に彼女の手を離してはだめだ。絶対に後悔するぞ。断言してもいい」
「…分かった」
父の部屋から退室する時、再び大きなため息が聞こえた。俺も部屋を出てからため息を吐く。
まさか彼女がこんなにもこの家に馴染むとは思っていなかった。予想外に素直な子で、みんな彼女の事を可愛がっているのが分かる。俺も、彼女がいる日常が普通になってしまった。
気合いを入れるように頰を叩く。ようやく始まった水車工事の様子を見に行こうとした時、ウィンターに声をかけられた。一難去ったらまた一難とは正にこの事。声をかけてきたウィンターが持ってきたのは一通の手紙。それがまた、新たな問題を巻き起こす事になる。
「あ!いたいた!坊ちゃん!」
「ミラ…」
何度注意したか分からない呼び名で俺を呼ぶ彼女。困惑している俺とは違って楽しげだ。
「お菓子を作ったの。今回はローラさんに付きっきりで教えてもらったから味は保証する…って、どうしたの。辛気臭い顔しちゃって」
俺が珍しく真顔になっている事に気づいて、彼女が怪訝そうな顔をする。無言で先程貰った手紙を渡した。
「何これ」
「城からの招待状だ」
「城から…?」
一気に彼女が警戒したのが分かった。恐る恐るといった感じで、その封を開ける。
「…婚約式」
俺と同じく目に飛び込んできた文章を、彼女が読む。あちらから何か仕掛けてくるとは思っていた。腹は立つが彼女を貶めるためにここに嫁がせたのだ。しかしこれはあまりにも陰湿すぎる。
「とんでもない嫌がらせだな。こんな奴が将来の国の頂点に立つ人間だなんて」
腹立たしげに頭を掻く。婚約破棄された話題の悪女が王子と新しい婚約者のパーティに来る。きっと噂好きなご貴族様の格好の餌食となるだろう。恐らくそれが狙いなのだ。
「城からの要請だからな。欠席する事は出来ないのが悔しいが、俺一人で行ってくる。君は体調不良で来れなかった事にして」
「…面白いじゃない」
「…え?」
彼女の一言で、俺が組んでいた段取りが一気に崩れる。
「面白いって…まさか行く気か?」
「勿論よ」
至極当たり前の様に返された言葉に、開いた口が塞がらない。馬鹿にされると分かりきっている場所に行くんだぞ?いくらなんでも強心臓すぎやしないか。
「無理する必要はないんだぞ?別に君が行かなくっても」
「行くわよ。這ってでもね。そうと決まればドレスを頼まなきゃ。この村にそういったお店は無いわよね?」
まさかの展開に追いつかない。行く気満々になってしまった彼女は俺を置いてどんどん話を進める。
「そうね、持ってきたドレス何着かと宝石を売りましょう。そうだ、私の手切金があるわよね?」
「お、おい…」
例の持参金の事を彼女は手切金と言う。実際、あちらからの文も何も一切なく、彼女を連れてきた城の遣いもそんな言い方だった。彼女が手切金と言うのも正直頷ける。
ただ彼女のお金だし、結婚はしないと言われた時から一切手は付けていなかった。いずれここを出る時に渡してやるつもりだったのだが。
「それを使いましょう。あなたの事だから、どうせ手をつけていないんでしょう」
「いやいや、もっと大事な時にとっておくべきだろう」
「大事な時って?」
そう言われて思わず口を紡ぐ。君が出て行く時、なんて言えない。
「まあいいわ。売る物がどれくらいの値打ちになるか分からないし、足りなかったら補填という形にしましょ」
「…ほ、本当に行く気なんだな」
「ええ。ローラさんとマリアにドレスをどこで買えばいいのか聞いてこなきゃ」
そう言うと、彼女は意気揚々とその場を去った。しかもその数時間後にはウィンターに馬車を出してもらい、隣の領地にある街に行くという行動力を見せる。父母が勝手にウィンターを寄越したらしい。別に頼みたい仕事もなかったからいいのだが、みんなに頼られて嬉しそうに馬車を引くウィンターを見たら何だか面白くなかった。
昼前に出た彼女が帰ってきたのは夕方。父が贔屓にしていた商会のおかげで、ドレスと宝石は思いの外高く売れたらしい。本当は出してやりたい所だが無い袖は振れない。彼女もよく分かっているので俺に何も言わず、見栄を張る事すら出来なかったのが少し虚しかった。
そこまでは順調だったようだが、結局目的のドレスは見つからなかった。首都にいた頃はいつもオーダーメイドで作ってもらっていたらしく、やはり既製品では彼女のお眼鏡に叶うものはなかったらしい。かと言ってデザイナーなんて人間はこんな田舎に居るはずもなく、彼女は街から帰ってくるなり俺の部屋に来ていつもの独り言が始まっていた。
「どうしてもデザインが一昔前のものなのよね。首都から離れているし、しょうがないのだけど」
「これが田舎って事さ。パーティ用のドレスも持ってきたんだろう?それでいいじゃないか」
「でも使ってる素材は良かったの。城の舞踏会で使っても遜色ないくらい」
全く聞いちゃいない。そういえばドレスだけは母も毎回新調していた。と言っても彼女と違って母数が全く違うので2、3着程度だが。一度しか着ず、価値が下がる前に売っていた母が謎だった。男には分からない、女の世界の話なのだろう。
「そういえばこの村のファブリックもかなり上質な物よね。特に私の部屋にかけてある刺繍のレースカーテンなんて秀逸だわ。どこで買ったの?」
「ああ、あれはこの村の女性達が作ってくれた物だよ」
「え、作ったって…まさか布から?」
「そうだよ。代々機織りが得意な家があって、村の女性達はみんな教えて貰ってる。ここの布製品は大抵ここで作られたものだよ」
「信じられない、あんな大判のものを作っただなんて…。隣町で見たドレスといい、この辺りは機織りの名手が多いのかしら」
「んーどうだろう。でもその家の娘さんは村を出て嫁いでいる人もいるから、その可能性はあるかもしれないな」
そう答えたが、彼女は既に聞いちゃいなかった。またぶつぶつと呟いた後俺の方へ向いた。
「ねえ、お願いがあるんだけど。その機織りの名手って人に会わせてくれない?」
「えっ」
思わず顔を顰める。
「何で?だめなの?」
「だめというか何というか…その人は少し気難しいというか…。別にここまで必死にならなくてもいいんじゃないか?」
俺がそう言った瞬間、彼女がため息を吐いた。
「落ちぶれたなんて思われたくないの。そんなの、ここにいる人達に失礼よ」
そこでやっと彼女がここまで必死になっている理由が分かった。ただの女の世界の話と思いきや、どうやら俺たちの為らしい。たかがドレス、されどドレス、という事らしい。
「分かった。紹介する。ただ、はっきり言っておく。その人は君の事をよく思っていない。それでもいいんだな?」
「…分かった」
彼女は一瞬驚いた様な顔を見せたが、すぐに覚悟を決めたらしい。ならば俺が出来る事は一つだ。
翌日、村に降りてリンダの家へ向かった。大方の村の人達は彼女を受け入れてくれていたが、やはり全員が全員という訳ではなかった。特に女性、その中でもリンダはどうも彼女の事が信じられないらしい。
前までは俺に気軽に話しかけてくれていたのに、彼女を紹介してからはある一定の距離を感じていた。出来たらもう少し時間を空けてから話をしたかったがしょうがない。俺は意を決して、リンダの家の扉を叩いた。
「リンダ!ローガンだ!」
何度か扉を叩いて待つ。やがて足音が聞こえ、扉が開いた。
「…何?」
明らかに怪訝そうな表情。しかも彼女を視界に入れた途端それは更に濃くなった。
「突然訪問してすまない。彼女がどうしても君に会いたいと言ってね」
それでも来たいと言ったのは彼女だ。用件を説明した俺はそっと身をひいた。二人が対峙する。
「初めまして、リンダさん。ミラと申します」
「…都会のお嬢さんがなぜ私なんかに?」
リンダが皮肉げに返す。既にいたたまれない空気になっていた。
「私の部屋にかけられているレースカーテン、この村の女性方が作られたとお聞きしました」
「たくさん作ってきたから一体どれのことを言っているのか分からないが、そうだろうね」
「見事な刺繍もですが、何よりあの生地。絹ではないのに手触りが良く、程良い透け感と光沢感と張り。もしや、オーガンジーと呼ばれる物ですか?」
その瞬間、驚いた様にリンダの目が開いた。慌てて取り繕う様に、咳払いをする。
「…そうだよ」
「やっぱり!」
彼女の目がぱっと輝く。
「あの、私と一緒にドレスを作って頂けませんか」
リンダと俺も、彼女の言葉に固まってしまう。
「あ、あんた…何を言ってるんだい?私は普段使う様な物しか作ったことがない。ましてやあんたの様なお嬢様のドレスだなんて」
「勿論私がデザインします。刺繍も得意ですし、裁縫だってやります。だから、どうかお願いします」
「お願いしますたって…それはいつ必要なんだい」
「一ヶ月後です」
「い、一ヶ月後!?」
リンダが軽くふらつく。すかさずリンダを彼女から離した。
「…リンダ、すまない」
「ローガン!あの子は一体何を考えているんだい!」
「いや、まさかあんな無理難題をふっかけるとは思わなくて…。その…やはり難しい事なのかい?」
「難しいも何も、一度も作った事がないんだ。上手く出来るのかも分からないのに、こんな短期間で作れだなんて…」
「彼女も手伝うって言ってるし…だめかな」
「あんた達は一体何をそんなに焦ってるんだい?」
こうして俺は、リンダに彼女の事情を説明した。王子と新しい婚約者との婚約式に招待された事、それは恐らく良い意味ではない事、何より彼女がドレスに強いこだわりを見せるのは、俺達を思ってくれているからだという事を。
「…私には、ただの見栄にしか思えないけどね」
「リンダ…」
リンダは頑固な人だ。受け入れてくれれば優しいが、それ以外の人には厳しいし、その境界線の壁は厚くて高い。どうしようかと悩ませていたら、リンダが彼女の方へ近付いた。
「あんた、裁縫をやるって言ってたけど出来るのかい」
「ウィリアムズ家の方々に繕い方を教えて貰いました。あとこれは、私が刺繍したものです」
「お嬢様お得意のハンカチかい。…成程。まあまあの腕だね」
ちらりと見たハンカチを彼女に返し、リンダが扉を開ける。やはり駄目なのだろうか。諦めかけた瞬間、リンダが彼女に中に入る様促した。
「オーガンジーが使いたいんだろう。さすがに今から織るんじゃ間に合わない。いくつか残ってるから、見るかい」
「ええ!」
再び彼女の顔がぱっと輝いた。
「ローガン、帰りは遅くなるかもしれないから、お嬢さんはうちの旦那に送らせるよ。旦那様と奥様によろしく伝えておいてくれるかい」
「分かった。ありがとう、リンダ」
「まだやるとは決まってないからね。とりあえず話を聞いてみるよ」
そして彼女はリンダに促されるまま、家に入って行った。一体、どうなる事やら。