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扉が壊れた事で引き篭もれなくなり、マリアも甲斐甲斐しく世話をするからか、彼女は大人しく食事を摂ってくれる様になった。
それでも会話をしてくれる素振りはなく、一応毎日部屋に通ってはいるが何を話しかけてもどこか一点を見つめて返事はない。俺もそれ以上は踏み込めなかった。
それが1週間続き、彼女に会いに行くことが憂鬱になって重いため息を吐きながら彼女の部屋の前に着くと扉が開いていた。窓を開けているのだろうか、風がさらりと頬を撫でる。
「失礼ね。入室の許可も取らずに入ってくるなんて」
窓の前で凛とした姿勢の彼女が立っていた。髪は結い上げられ、ずっと寝衣だった服は今日はドレスだ。さすが都会の令嬢だ。男でも分かる見事な代物である。
「…失礼、しました」
何故か目のやり場に困って視線を落としながら入室して扉を閉める。と言ってもまだ修復出来ていないので閉まりきらないが。
「もう起き上がっても平気なのですか」
「ええ、まあ」
何とも無愛想な返しだった。普通、それに続く言葉といえばご心配おかけして申し訳ございませんでした、とかだろうがそんなものはない。むしろこうして初めてに近い会話が出来ている事に今は満足するしかないらしい。
「これからどうされるおつもりですか」
「………」
さて、ここからが本題だ。両親は彼女が危うく自死を選ぼうとしていた事に心を痛めていて、ここにくる前も何とかしてやってくれと言われた。だが彼女が俺の事を拒否する以上、何もしてやれない。最初に彼女は言った。結婚なんてしない、と。
「結婚はしません」
やはり意志は固い様だ。これからの生活よりも誇りを守りたいらしい。馬鹿げてる、そう言いたい気持ちをぐっと堪える。しょうがないのだ。文字通り死ぬ程嫌なのだろうから。
「それは困ります。君と結婚する様国から言われているのです。背けば何をされるか分からない。
見ての通り、うちは貧乏です。この領地はあまり作物が育たず、昔から苦行を強いられてきました。色々な事業にも手を出してきましたがそれも上手くいかず徐々に領地は削られて、領民もこの地を愛してくれる村の人達と我々だけになってしまいました」
何とか取られないでいるのは、先述の通りウィリアムズ家の始まりが元々王家の血筋と関係していたからだ。王家を守る法律と、何とか毎年国から要求されるノルマをこなしているおかげで何とか現状維持してきた。
「不服だとは思いますが、どうかお願い出来ませんか」
そう言った瞬間彼女が俯いた。そこからまた無言になってしまった彼女に俺は頭を掻いてため息を吐く。全く、こんな少女に運命を握らされている自分が情けない。そこまで嫌だと言うのならこうするしかない。
「…分かった」
我儘を通す相手に丁寧な言葉など必要ない。俺は砕けた喋り方をする事にした。
「別に強制はしない。ただし、この屋敷にはしばらく居てもらう。ここを守る為にも君と結婚したというポーズは必要だからね。あっちから何も音沙汰がなくなったら、君の好きな様にしたら良い。後は何とか適当に理由を付けるよ」
「…いいの?」
きょとんとした表情を浮かべる。初めて年相応の幼い顔を見た気がした。
「高貴な方達は飽きやすいからな。そう時間はかからないだろう。それに俺の両親が君の事を大変心配してる。そんな中出て行けとも言えないし、そもそもどこか頼る所はあるのか?」
彼女がまた目を逸らした。
「…全く君は。どうするつもりだったんだ?」
俺はとうとう耐えられなくなって思わず嫌味をこぼすが返事は返ってこなかった。お得意のだんまりらしい。
「まあ、いい。ここで生活するにあたって伝えておきたい事がある。今君に専属のメイドをお願いしているが、ここは基本的に自分の事は自分でするのがルールだ。それにさっき言った通り貴族とは名ばかりでお金はない。前と同じ様な生活を求められても叶えてやれないので、そのつもりで」
「…分かってるわ」
意外にもこれには返事が返ってきて、拍子抜けする。贅沢を好み、使用人にも独裁に近い状態の扱いだったと聞いていたがやけに理解も良い。それでも先が思いやられるのには変わりはないのだが。
結局また無言になってしまった彼女から逃げる様に、その部屋を後にした。
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「それで?いつ見せてくれんだい」
「え?」
久々の村に降りての作業。来年の種まきに向けて乾燥させる作業を行っていると、村長のレイスさんに話しかけられた。今年で65歳になる、俺にとって第二の父親の様な人だ。
「え?じゃねえよおめえ。嫁さんだよ。ようやくこっちに顔出したかと思ったら、何も言わずに作業し始めやがって」
そう小突かれてようやく合点がいった。しまった、何も考えずに降りてきてしまった。
「あ、ええと…」
「やっと俺たちの領主様が所帯を持ったんだ。なのにお相手の素性を聞いても教えてくれねえし、知ってるのは都会からきたお嬢様ってだけ。あんな立派な馬車で来たんだ。ありゃあ城が所有してる馬車だろう?かなりの家柄だとみんな噂してるぞ」
さすがに結婚する事は隠せない為事前にみんなに伝えたが、相手は誰であるのかという事は言えなかった。何せ突然決まった話であったし、彼らですら知っている程の噂を持った人物なのだ。受け入れる準備を理由にはぐらかしている内に、彼女がやって来て、そして今日になってしまった。
「それが環境が変わったからか、体調を崩してしまってね。それで俺も看病してたんだよ」
「ああ?大丈夫か。お前こんな所で作業してる場合じゃねえだろ」
「もう大分回復したから。もっと元気になってから、皆んなにお披露目するよ」
「…そうか?本当は綺麗な嫁さんだから、独り占めしたいだなんて理由じゃねえだろうな」
レイスさんのまさかの発言に思わず手が止まる。まさか他の人達にももそう思われているのだろうか。
「違うよ。ほら、俺も早く奥さんの所に行きたいから、さっさと終わらせよう」
「へえ、奥さんねえ。はいはい」
にやにやしながらレイスさんが作業に戻る。きっとこの場を離れたらまた別の人に捕まってしまうだろう。
俺たちは領主領民一丸となってこの土地を守ってきた。その為、もうみんな家族の様なものだ。彼らにはいつかは本当に彼女を紹介しなければならないだろう。建前上、妻なのだから。それまでに、あの頑なな性格を少しでも軟化させておかなければ。
結局場所を移動しても色々な人に揶揄われたり、せっつかれたりと散々な目にあい、これは早く会わせなければ仕事も出来ないと知った俺は、げっそりとした面持ちで屋敷へと帰った。
「あら、お帰り。坊ちゃん。随分とお疲れの様ですね」
マリアが大量の洗濯物を入れた籠を持って現れる。
「…まあね。それにしてもなんだよこれ。屋敷中のシーツを洗ったのか?」
「ああ、お嬢様がシーツが毎日替わらないのが気になると言われるので、もうまとめて洗っちゃおうかと」
「…何だって?」
顔色が変わった俺にマリアがハッとする。しかしもう遅い。慌てて何かを言うマリアを置いて、俺はすぐに彼女の部屋へ向かった。
あの事件からもう二週間が経った。壊した扉も直ったし、彼女が再びおかしな行動に出るような事もない。ただ。
「ミラ嬢、話がある」
「どうぞ」
了承を得て部屋に入る。3日前彼女専属のメイドを雇った。名前はニイナで、マリアの息子から紹介してもらった彼女と同じくらいの歳の子だ。そのニイナの給仕で、彼女は優雅にお茶を嗜んでいた。
やはり俺の言った事を全く分かってくれていない様だ。結局この一週間、彼女はこの部屋から一歩も出ていなかった。
「何の用かしら」
「前と同じ様な生活はできないと言った時に君は分かっていると言ったね」
「ええ。だから持ってきた物でやりくりしているわよ」
「じゃあ、自分でシーツを洗えばいいじゃないか。お茶を飲みたいなら、自分で淹れればいいじゃないか」
俺の言いたい事が分かったのか、彼女の表情が変わった。
「マリアとかいうメイドに何か気になる事はないかと聞かれたから、シーツの事を答えただけよ。このお茶だってニイナが欲しいか聞いてきたから、了承しただけ。してくれなんて頼んでいないわ」
「あくまでも彼女たちが勝手にしている事だと?」
彼女の手が止まる。明らかに怪訝そうにこちらを見た。
「…あなた本当に領主?随分と偏った思考をしているのね。何もそこまで言ってないじゃない」
「ただ世話をされてきただけの人間に言われたくない。君が何もしないからだよ。彼女達が気遣うのは」
恐らくうちの事情は理解してくれているのだろう。だが今まで世話をされるのが当たり前すぎて、彼女には自主性がないのだ。しかもここの屋敷の人達は優しいからすぐにやってあげてしまう。自分の大切な人達を今までの使用人の様に扱って欲しくなかった。
「何も全てしろとは言わない。俺だってやってもらっている事は山ほどある。給仕するのが彼らの仕事だからね。でも最初から何もせずに彼らを当てにするのはやめてくれ」
「当てになんてしてないわ!」
「してるんだよ。今までやってもらうのが当たり前だったから分からないんだ。分からなければ、聞けばいい。俺達はそうやって助け合ってきた。これ以上人員を増やす事は出来ないんだ。彼らの仕事を増やさないで欲しい」
「………」
彼女が無言で立ち上がった。
「多分、マリアはリネン室にいると思う」
俺の言葉を聞いた後、彼女はそのまま部屋を後にした。てっきりもっと反抗されるかと思った。表情は随分と反抗的だったが。
「ロ、ローガン様…私…何か余計な事を」
いつの間にかニイナが蒼い顔をしていた。
「違うよニイナ。君はメイドとして当たり前の事をしただけだ」
ニイナはここに来る前は彼女の様なお金持ちの屋敷で働いていたらしい。ここに来てまだ3日だが、何度もカルチャーショックを受けている様だ。それくらい、ここは異例づくしなのだ。
「でも彼女はいずれここを出るんだ。その大変さを分かってもらわないと」
そうだ、彼女は何も分かっていない。こんな何も出来ない状態で頼れる所もないのに一人で生きて行けるわけがない。その為に厳しくしているのに。
「…………」
そこまで考えて、俺は小さくため息を吐いた。この間まで彼女の自殺未遂に責任を感じていたというのに。もっと冷静になれ、いい大人が。
「…ローガン様?」
「…あ、すまない。ニイナ。君を雇ったのは、彼女と歳の近い子が近くにいる方がいいと思ったからなんだ。今まで通り世話をしてくれていい。ただ、全てをやるのではなく教えてあげて欲しい。彼女は1人で生きていく力が必要なんだ。君とはまだ短い間柄だけど本当に良くやってくれている。あのマリアが褒めるほどにね」
ニイナが複雑そうに微笑む。後は、彼女次第だ。