15
宿屋に到着し、ロレンツォとウィンターにスープの差し入れを渡す。2人ともとても喜んでくれて、彼女も嬉しそうに笑っていた。
そして宿屋の店主にグラスを2つもらい、部屋に戻って買ってきたアテとスパークリングワインを小さなテーブルに置く。栓を抜くとポンッという小気味良い音と共に、原料である白葡萄のいい香りが広がった。
「これは期待できそうね」
彼女はそう言いながら、グラスに注ぐスパークリングワインに釘付けになっている。注ぎ終わると、彼女が何も言わずにこちらに手を出した。俺は微笑みながら彼女に瓶を渡し、グラスに注いでもらう。
「お疲れ様」
「あなたもね」
そしてグラスを傾けて乾杯し、一口含んだ。
「美味い」
「本当ね!」
俺にとっては少し甘めだが、どうやら彼女の好みだった様だ。綻びながらまた一口含んでいる。
「知ってる?ナッツとチーズを一緒に食べたら美味しいのよ」
「随分と洒落た食べ方だな」
「あれこれ研究したの」
彼女の言われた通りにする。確かにナッツの塩気とチーズのまろやかさが絶妙だ。そこにスパークリングワインを流し込む事で口がさっぱりして、また手を伸ばしてしまう。
「いいな、これ」
「でしょう?あと魚のオイル漬けにクラッカーを割って食べるのもおすすめ。クラッカーに乗せて食べると手が汚れるでしょ?でもこのやり方だとスプーンですくえるから綺麗に食べられるのよ」
アルコールも手伝って普段話さない様な事をペラペラと喋る彼女を見ながら、また一口酒を含む。そういえばこうやって2人で酒を飲むのは初めてだ。
「戻ってもまたこうやって酒を飲もうか」
「ええ、ぜひ。嬉しいわ、いつも1人で飲んでいたから」
「…そうか」
じゃあ先程言っていたあれこれ研究した、というのは1人でしていたんだなと思うと切なくなった。それが顔に出ていたのだろうか、彼女が静かになった。
「ミラ?」
「あなたに話そうと思う」
「何を…」
とまで聞いて理解した。
「君の噂についてか?」
「うん」
彼女が覚悟を決めた様に俺を捉えていた。
「分かった。しんどくなったら途中でやめてもいいからな」
「…うん」
やや時間を空けてから、彼女は口を開いた。
「…私は幼い頃から、父にお前は王妃になる人間だと言われてきた。常に王族としての一流の気品とプライドを持て、下の奴らとは付き合うな、ひたすら上を向けってね。私は父の言う事だけを信じていた。というよりそれしかなかったの。私という存在は、王妃になる事しか価値がないと思ってた。
私は父の言う通り家柄で人を判断して、自分より下と判断すれば“あなたとは住む世界が違う”何ていう言葉を平気で吐いてた。そんな事を言う事自体小物なんだけどね。でも幼いから、父の言葉を曲がって受け止めて、結果どんどん孤立していった」
子どもは親の言う事が全てでありそれが世界になる。彼女は1ミリも疑わずに、その土台を作ってしまったのだ。
「宝石もドレスも父が一流の物をと惜しみなく私に与えるから、父親の財源で好き勝手していると言われた。違うと言いたかったけれど、みっともなく言い訳をするな、そんなしょうもない噂をする様な格下の奴らの事なんて気にするなと言われた。私はまた父の言う通りにした。私はさらに孤立して、もう誰にも本音を言える人がいなくなった」
彼女が手元のグラスについた水滴を撫でる。少し間を空けた後、再び喋り始める。俺はとにかく黙って彼女の話を聞いていた。
「父の斡旋と、幼少期からの英才教育のおかげで私は無事王子の婚約者になった。ただ、私は王族とは何たるかと言うのは教えられたけど、人に愛される方法は教えられなかった。
婚約が決まった頃、ケビン様はよく私に会いに来てくれた。どこかに連れて行ってくれたり、私の事を知りたいとも言ってくれたりした。でもケビン様のやる事全てが理解出来なかったの。あの方は王族なのだから、相応しいと認められた婚約者と結婚すればいい、私の事なんて深く知る必要はないと思ったし、それをケビン様にも言った。
ちっとも笑わず、将来夫となる自分の事を知ろうともしないのに、王妃という立場には固執する。そんな人間、嫌になるわよね。その頃にケビン様は彼女と出会った」
ケビン様は彼女をちゃんと愛そうとしたのかもしれない。国王陛下は他国の姫を娶られたが、それはそれは政略的なものだった。きっと彼女もその様な人間相手ならば良かっただろう、よりにもよってケビン様は愛を重んじる人だったのだ。
「当たり前よね。自分を純粋に愛してくれるんだもの。やがて2人が懇意であるという噂を聞いてやっと私は焦り始めた。でもどうすればいいのか分からない私は、ケビン様の名前を使って宝石やドレスを買い込んだ。父が私にそうしていた様に。実際はケビン様に払ってもらっている訳ではないのに、そうすれば寵愛を受けている事を周りに示せると思っていた。でもそれは逆効果で、ケビン様にもやめてくれって言われた。やがて私が参加するパーティにも彼女が来る様になって、更に焦りが募って使用人にもキツく当たるようになった。
…こうして噂の悪女様は出来上がり。幼少期から嫌われていたこともあって、話しに尾鰭がついたり、根も歯もない噂も回り始めた。確かに私は彼女を恨んだけど、悪評なんて流してないわ」
「信じるよ」
「…ありがとう。それを覆したとて何もならないのだけど」
そこで彼女は俯いてしばらく黙った。俺は椅子を寄せて彼女の隣に行き、手を握る。
「もういいぞ。よく話してくれた」
「…いえ、まだ言わなきゃいけない事がある」
やがて彼女は呼吸が荒くなり、フーフーと息をし始めた。
「ミラ、無理しなくていい」
そう言っているのに首を横に振る。そして絞り出す様に言った。
「…あの日、私は彼女にキツく当たった事を謝りたくて…そんな噂は流していないと弁解したくて…」
あの日。彼女がミーシア様を突き落とし、婚約を破談にさせられたあの事件があった日だ。彼女はこれまで言われていた父の言いつけを初めて破ろうとしたのだ。
「でも…私が手を肩に置いて声をかけただけなのに…彼女は恐怖で声を上げた…そして階段から落ちたの…すぐにお前がやったんだって責められた。私は違うと言ったけど、信じてもらえる訳もなくて…ねえローガン…」
彼女は俺の名を呼んで縋りついた。手が震え、涙が頬を伝っている。まるで捨てないでくれと縋る彼女の背中をさする。俺は今から、彼女の最大の告白を聞く事になるだろう。
「…わ、私は…本当に彼女を…突き落としてしまったのかも、しれない…」




