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「私、絶対に結婚しませんから」
「…え?」
お近づきの印にと伸ばした手は握られる事もなく、俺は間抜けな顔のまま立ち尽くす。そしてきっぱりと言い切った彼女はミルクティ色のウェーブした艶やかな髪を靡かせて、部屋を出て行った。
コッコッコッ…と、規則正しいヒールの音がどんどん遠ざかって行く。
「ロ、ローガン…」
隣にいる父と母が困惑気味に俺に視線を向ける。俺はやっとの様に呟いた。
「ええと…どうしようか?」
俺はローガン・ウィリアムズ。このウィリアムズ領の主だ。
高齢の両親に代わってこの地を任せられて約15年。あまり肥えた土地ではないこのウィリアムズ領を守るために費やして来た俺は結婚なんてしている暇はなく、というより誰かを養える程の余裕がなく、ずっと独り身だった。
そうして気付けばもうすぐ35。誰か見初めた人と一緒になればいいと呑気にしていた両親も焦り始めた頃、城の使いが一通の手紙を持ってやって来た。
いつもギリギリの献上品と金で取り上げられない様何とか凌いでいる様な領地だ。こんな田舎に城の関係者が何の用かと手紙を受け取る。まさかついに取り上げられるのだろうかと手に汗をかいた瞬間
『一ヶ月後にお連れします。では』
使いの人はそう言って礼儀正しく頭を下げると、踵を返し足早に去って行った。
一ヶ月後に連れてくる?とりあえずここを取り上げられる訳ではなさそうだとほっと息を吐いた。しかしその受け取った手紙には、とんでもない差出人の名前と、衝撃的な内容が書かれていた。
“貴公とミラ・イヴァンチスカとの婚姻を認める”
この手紙の差出人の名を知らぬ者はこの国にはいない。そこに書かれていた名前はマルグ・ヴァン・フリート。この国の王だからだ。
なんと国王直々の見合い話だったのだ。なぜこんな田舎の、最早忘れられていてもおかしくない程小さな領地にこんな大層な話が舞い込んでくるのか。
実はウィリアムズ家は王族の血縁関係者から始まっている。この国には王族の血縁者を守る法律があり、それなりに恩恵を受けてきてはいるが、そんな事は誰も知らないくらい遠縁も遠縁の話である。
だとすると、ミラ・イヴァンチスカ。この人物の存在だろう。こんな田舎にまで轟いているのだ、この名も知らない者はいない。その手紙の差出人である国王の息子、王子の婚約者“だった“人物だ。
国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。そんな事実が明るみに出る様な、ある事件が起きた。
何と、王子が仲良くしていたご学友のミーシア様を階段から突き落としたというのだ。他にも根も葉もない噂を流してミーシア様を貶めるなどの陰湿なイジメをこそこそとやっていたり、彼女の使用人達も彼女の独裁にも近い扱いに手を焼いていたりなど、中々の悪女っぷりだったらしい。
他にも王子の婚約者という肩書きを使ってドレスやら宝石やらを買い込んでは自慢していたらしいく、色々と嫌気が差していたという王子は女神の様だと噂されているミーシア様と懇意になってしまう。それに嫉妬してかとあるパーティで彼女はミーシア様を階段から突き落とし、怒った王子が彼女の数々の悪行をバラしその場で婚約は破棄された。
この結婚は強制だ。何も要請なんてしていないのに、国王から結婚を認められてしまっている。そもそも断る術なんてないが、素直に了承しないと何をされるか分からない。
はっきり言ってうちは貧乏である。娯楽品なんて自由には買えない。それに俺はもうすぐ35歳を迎え、彼女はまだ20歳そこらだろう。恐らくそれがこの結婚の目的なのだと気付いた。
歳の離れた田舎の貧乏貴族の所へ嫁がせる。そうすればミラ・イヴァンチスカがミーシア様に近付く事は出来ないし、自分の愛する人に対して行った仕打ちの仕返しにもなるという訳だ。全くもって失礼な話である。だが俺はこの地を守らなければならない。どんな悪女であろうと、俺は領主として受け入れる覚悟を決めた。
そして冒頭に戻る。イヴァンチスカ家の使用人ではなく城の遣いに連れて来られた彼女は、結婚なんてしないと言い切った後部屋に引きこもってしまった。
その城の遣いから彼女の持参金が書かれた小切手を渡されたのだが、相場よりかなり多めの金額が書かれていて、案の定イヴァンチスカ家には一切関わらない様にと言われた。成程、この金で縁を切るって事かと理解したが、正直彼女に同情した。
いくら悪女でも生家に捨てられるとは酷い話だ。その為どれだけプライドが高くとも生きてく為に大人しくこの地に腰を据えてくれるのではないかと思っていたが、甘かった。しおらしくなるつもりは毛頭ない様だ。
食事も毎回扉の前に置いているが、一度も手を付けていない様子。一体どうするつもりなのだろう。正直こんな子どもじみた抵抗を見せる少女に構っている程暇ではないというのに。
日々の業務に追われている内にとうとう3日が経過してしまい、俺は強行突破する事にした。念のため我が屋敷唯一のメイド、マリアにはすぐに食べれられるスープを用意してもらい、医者にも来てもらった。
「ミラ嬢!いい加減何か食べて下さい!」
この扉の向こうにいるであろう彼女に声をかけるがやはり返事はない。少し扉から離れてふーっと息を吐く。
いくら自業自得とは言え、王子との婚約者という最高の人生から180度変わってしまったのだ。彼女の若さと性格から言って抵抗したくなるのも理解出来るし、すぐに受け入れろと言うには憚られた。
いや違う。本当はいつでも強行出来たのだが出来なかった。年齢を重ねているくせに、怖気付いていたのだ。
国全体が噂する程の悪女と、対峙しなければならない事に。
「扉から離れていて下さい!!」
俺は力一杯扉を蹴った。悲しいかな、何度も修正を重ね騙し騙し使っていた扉は俺の渾身の蹴りで呆気なく開かれた。この部屋だけではない、ほとんどの建具がそうである。
一目見た部屋の中には彼女の姿はなかった。慌てて中に入ると彼女はベッドの上にいた。しかしうつ伏せの状態でぴくりとも動かない。
「ミラ嬢!」
すぐに彼女を起こして意識を確認する。3日も食事をしていなかったのだ。呼吸はしているが、顔が真っ白だった。
「ローガン、急に起こしてはだめだ。そのまま寝かせてくれるかな」
「すみません」
一瞬死んでしまったのではないかと焦ってしまった俺は、そっと彼女を寝かせて来てもらっていたガイ医師に場所を譲る。
「3日も食べていなかったんだ。貧血状態になっているね。点滴をするよ。お嬢さん、私の声が聞こえるかい」
彼女はやや遅れて小さく頷く。先生は点滴の準備をしながら彼女に話を続ける。
「絶望するにはまだ早い。このウィリアムズ家の人達はとてもいい人達だよ。たかが領民の私達をまるで家族の様に、平等に、大切にしてくれるんだ」
先生がそう言いながら彼女の腕を消毒した。彼女は目を閉じたまま先生の話を聞いている。
「餓死なんて早々出来るもんじゃない。点滴が終わったら、大人しくご飯を食べるんだよ」
先生の言葉でハッとさせられる。やはり彼女はそういった選択をしようとしていたのだ。
(…もっと早く強行するべきだった)
拳を強く握りながら、彼女を見た。相変わらず目は閉じられたままだったが、彼女の頬に一筋の涙が流れていた。