狼の恩返し ~ノケモノ木こり乙女が婚約破棄して魔女に呪われた白狼王子に恩を売りつける話~
猫じゃらし様の獣人春の恋祭り企画参加作品です。
※2024/04/03 企画「モフモフヒーロー主義」に参加させていただきました。
◇
これは狼の恩返しの物語である。
『呪いにより狼にされた第二王子を見つけ出したる者、報奨を授ける』
都の大通りは王城のお触書を見たさに人で賑わっていた。
白毛蒼眼の狼をさがせ。
パン屋も花屋もメイドだって白いオオカミをみつけてごほうびをもらおうと躍起だった。
「行方知れずのアルルカ王子、なんてかわいそうに」
「なんでも黒魔術を操ることがバレて婚約を破棄された隣国の第三王女がはらいせに王子に呪いをかけ、白いオオカミになった王子は操られるように王城を脱走したんだとか」
「魔女の呪いか、恐ろしいねぇ」
「偽物の犬を連れてった男が兵士にこっぴどく叱られて百叩きだと、バカだねぇ」
町民の話題をかっさらう、白いオオカミ。
この肉屋の軒先でも客同士があーだこーだと話しているが、ひとり、無関心を装うものがいた。
ラギッタ・ウルハウス。
女だてらに森で木こり仕事で生計を立てている少女は、ニタァ……と頬をゆがませた。
肉屋の主人はズダンッ! と骨切り包丁を振るいながら声をかける。
「ラギッタ、なにか良いことでも?」
「おうともよ、オレの縄張りに“小汚いいぬっころ”が迷い込んできてよぉ~。こいつが怯えてんのか狂ったように吠えるクセに、怪我してやがんのか薪割り小屋から離れないでやがる。試しにくいもんくれてやったらよぉ、目の色変えて貪り食いやがるんだよ~。かわいいもんだろう?」
「へぇ、それで犬っころのために肉の切れっ端を買い込もうってわけだ」
「いやまぁ自分でも食うけどなァ、精がつかなきゃ仕事にならねぇからよ~」
ラギッタはくつくつと下品に笑った。
真っ赤な舌を惜しげなく垂らして、細長いマズルの突き出した獣の口を大きく開く。
山積みの薪木を軽々と背負い、黒毛に覆われたがっしりとした獣人の姿を見て、それを少女と判別せしめるのは見目にそぐわず美しく高い声質としなやなかな肉づきの輪郭、それとせめてもと少女らしく手製の装飾品で飾っているくらいか。
ラギッタの手製の装飾品というのは木工細工であって、三日月や星や花を象り、表面を薄っすらと色鮮やかに塗ったものだ。金銀や宝石の装飾品のように高値では売れずとも、馴染みの商店に安くとも卸せば生活の足しになるくらいには売れてくれていた。
並みの男どころでない怪力もあって、ラギッタの暮らしぶりは木こりとしては上々だった。
どさっと重たい音を立てて机に置かれた銅貨袋がその羽振りのよさを物語っている。
「これから薪を売っぱらってくるからよぉ、こいつで適当に見繕ってくんねぇかなぁ、肉をよぉ」
「釣り銭は?」
「使い切ってくんな、オレは細かいことに神経注ぐのはアクセサリー作りくらいでいいんだよ」
「はっ、気前がいいねぇ」
「なに、お荷物だったクソオヤジもくたばって、ひとり暮らしに犬一匹じゃ肩が軽いもんでよぉ~」
ケラケラと軽薄にラギッタは実父の死を笑い飛ばす。
軒先で井戸端会議にいそしんでいたご婦人方にあれこれひそひそ話をされても、気にしない。
いや、気にしてたら生きてやいけない。
ラギッタという黒獣の少女は長年、そういう生き方をしてきた。
「おい、どけ。薄汚いノケモノが、いつまで駄弁っている」
「あァん……?」
不意に背後から飛んできた侮蔑的な言葉に、ラギッタは心底に苛立ちを隠さず凄んで振り返る。
一体何者か。
ラギッタの怪物じみた外見を恐れず、喧嘩っ早さと怪力を知らずに不用意に猛獣の尾を踏んづけるような行いをする男は、しかしそれだけの備えがあった。
王国聖騎士だ。
この王国において、聖騎士に勝る個の武力はない。最上等の武器と修練を積み、魔法をも学んだごく一握りの聖騎士は実力と権力を兼ね揃えている。ゆえにラギッタを恐れる道理はなかった。
だからといってラギッタは怯えすくむ訳でもないが、肉屋の主人はすぐに低姿勢で接客する。
「おっと、これはこれはアルフォート様! おいラギッタ、用件は終わってんだあっち行きな」
「ちっ、わーったよ相手が聖騎士だからって媚びへつらいやがって」
癪にさわるが、ラギッタとて無闇にさしたる理由もなく王国聖騎士に歯向かうほど無鉄砲ではないので、ここはおとなしく退くことにする。
剣気。
ラギッタは聖騎士アルフォートの抜剣に気づき、その間合いを見切った。
そして、あえて動かず、されるがままに薪木を留めている縄を切らせてやった。
ガランガランと騒音を立て、背負っていた薪木が地面へと転げ落ちる。
「お前の不敬はこれで許してやる。さぁ、這いつくばって拾うがいい」
聖騎士アルフォートは若く、絵に描いたような美貌の騎士だった。
世の中どうにも不公平だ。なにせ周囲の人間達がアルフォートの行いに声援を送ることを選ぶ。
とりわけ町娘などもっとも媚びたもので「ああ、聖騎士様! そんな素敵」だとか「そんなノケモノなんて退治しちゃって!」とか、好き放題な言い草だ。
もっとも、ラギッタも過去にあれらの町娘と向こうの不注意でぶつかった時、文句を言ってくる小うるさい町娘相手にこれでもかと怖がらせて追い払ったのでおあいこさまだが――。
(あーあ、めんどくせェ……)
ラギッタは黙って薪木を拾い集めようとした。
這いつくばって、一本ずつ、まるで聖騎士に許しを乞うために土下座しているかのようだ。
「ノケモノは罪人の血を引く証だ。親の罪は子、そして孫まで呪いとして引き継がれる。その若さだ、罪人は親か、祖父母か。恨むのならそいつを恨め。一族郎党死罪にならず、生きて醜い姿をさらす罰を受けることで、こうしてお前が晒し者になることで民草は罪を恐れるのだ。その点では、ああ、お前はとても社会の役に立っている、それだけは褒めてやるよ」
「ん、ああ、あんがとよ」
「ちっ」
鉄の踵が、ラギッタの手を踏みつける。
激痛が走った。ラギッタとて、具足を身に着けたまま体重をかけて手を踏まれるのは耐え難い。
「ぐぁっ」
「何だ、その態度は! 薄汚い罪人の分際で!」
(くそっ、何なんだこいつ、なんかイラついてんのか、八つ当たりかよ畜生が……!)
「お、おやめください聖騎士様! ここは寛大なお心を見せねば評判に傷がつきます!」
「……なに?」
肉屋の主人の言葉に、聖騎士アルフォートは我に返ったようだ。
いかに聖騎士が敬われ、尊敬される立場であり、そしてノケモノであるラギッタが虐げられてもやむない立場であったとしても、良心のある町人の目にはそれが蛮行に見えていたのだろう。
囃し立てていた無責任な町娘たちも素知らぬ振りして黙ったところで聖騎士は興ざめになった。
「……肉屋、白いオオカミを捕まえるためにエサがいる。これで見繕え」
「へ、へい、慎んで」
ドサッと置かれる銀貨袋を、頭を下げながら肉屋は受け取り、仕事にかかる。
その間に、ラギッタは薪を拾い、ちぎれた縄を予備の縄で補って、黙ってここを立ち去った。
「は、はははっ」
そして人目につかない裏路地にきて、ようやく、声を出した。
下品に笑って、頬をゆがめた。
握り、開いて、手の動きを確かめる。黒毛に覆われた、いつもの手だ。素手より被毛のある分だけ頑丈なので鉄の硬さにも耐え抜いていた。
「ちゃんと手は動く。薪も無事だ。肉も買えるし金も入る。今日はラッキーだなァ」
ラギッタはくつくつと笑った。
あの聖騎士がなんとも滑稽でならなかったからだ。
「知るわきゃねぇよなぁ、まさか、オレサマが白いオオカミをもう見つけちまってるなんてよぉ~。けっへっへっ、あいつぅ、これから無駄に高ぇ肉を担いで暗い森ん中ぁさまようんだろうなぁ~。バカだよなぁ、オレサマが匿ってるとも知らずによぉ~」
ラギッタは隣国の魔女とやらに感謝する。
王国が騒然とする大騒動の渦中で、ひとり、ラギッタは野心に胸を高鳴らせていた。
「せっかく手元にある白いオオカミをよぉ、いつ奪われるとも知れねェごほうびの金貨に替えちまうのはバカのやることだよなぁ! たっぷりと恩義ってもんをすりこんで、手懐けて、オレサマにすっげぇー恩返しをしてもらわなきゃ損だよなぁ~! ぎゃははははっ!」
木こりの少女ラギッタは嘲り笑った。
そうでもしなきゃ、痛みと悔しさ、惨めさに心がめげてしまいそうな気がしたからだ。
◇
暗き森には魔物が棲むとされている。
木こりというのは案外と高給取りの職業で伐採権がなくては勝手に木を切ることができない。
つまり己の縄張りがあるラギッタはけして貧乏人とは言い難かった。
ではどうやって伐採権を得たかといえば、まず森に魔獣の噂を流して、次に魔獣に見せかけた事件を起こして、最後に放棄された暗き森の伐採権を横取りして、既成事実化したのだ。
ここまでせずとも慎ましく日陰で生きてはいけたが、大手を振ってバカ笑いして生きてやると誓ったからにはまず他人の顔色を伺わなくて済むだけの腕力と財力がほしかったのだ。
ノケモノは、呪いのおかげで怪物に近づくが、無条件に怪力が得られるわけではない。
素質として膂力は高くなりやすいが、カラダを動かして、しっかりと食べて鍛えてこそだ。
幸い、暗き森という縄張りのおかげで、はじめにほしかった腕力と財力はどうにか確保できた。
しかしながら前進しつつも、まだ満ち足りた生活を送れているとは到底、言えなかった。
「元気にしてたかァ? 金のたまご! 金のなる木! オレの白いオオカミ!」
鬱蒼とした森の中、木こり小屋にて。
縄で繋がれた白いオオカミは退屈そうに「くわぁ~」とあくびを噛み、じっとりこちらを見る。
“本当にいた”魔物に襲われて、何箇所か、白いオオカミは怪我をしている。
「ラギッタ、ぼくをいつまで待たせるんだ」
「けっへっへっ、しょうがねェだろう、こちとら牛肉サマを買いに行ってたんだぞぉ?」
「牛肉!」
白いオオカミはピンと耳を立て、目を輝かせて舌を垂らし、ハァハァと呼吸を荒げた。
第二王子も犬っころに落ちぶれて空腹になりゃ媚びへつらいもするものか。
かわいいやつめとラギッタは木皿に生の骨つき牛肉を盛って、白いオオカミに与える。
「ふんっ、味つけも何もないとは粗暴なお前らしいな」
「ンだとォ? こちとら苦労して買ってきたんだありがたく涙流して食いやがれよォ~おう」
「苦労? お前、金はあると豪語してたくせに、一体なんの苦労を……」
白いオオカミはくんくんと鼻先で匂い、肉の鮮度を確かめるのに夢中だったが、やがてラギッタの手に
滲んだ血の匂いに気づき、包帯のなされた手を見定めた。
「……誰にやられたんだ、ラギッタ」
「聖騎士サマによぉ~、アルフォートつったかぁ? オレサマの手をどうしても踏みたかったらしい変態野郎でよぉ~? いやぁオレサマも気持ちはわかるぜェ~、気に食わないやつを踏んづけたくなる気分なんていくらでもあんだよなァ~」
「何だ、その理屈は。どう考えても理不尽だ、なぜ理解を示す?」
「いやァ、道理は通っちまってんだよなァ~。強ェやつが弱いやつを踏みにじる。弱肉強食の世界ってやつだよな~。けっへっへっ、オレは自分でいつかやるつもりのことまで他人様をとやかく言う権利はねェと思うんだわなぁ、でなきゃいざその時になったら立場でコロコロ意見が変わる軟弱野郎だったってことになっちまう、カッコ悪いだろ?」
「……あきれた」
それはラギッタの本心でありつつ、強がりでもある。
蝶よ花よと生まれ育った白いオオカミ――アルルカ王子には到底理解の及ばない話しだろう。
しかし同情や哀れみの心を向けてくれているようで、尻尾はしょげ、空腹にも関わらず、待望の牛肉に貪りつきもせず、とうとう「ぐぅ~」と腹の音を鳴らした。
「ンだ? 料理しろってか? 毒は入ってやしねぇぞ、ほら」
「おい、年頃の若い乙女がガブガブと骨つきにくを素手でかじるな!」
行儀が悪いのは今にはじまったことではないので、ラギッタは白いオオカミの言葉を聞き逃そうとして、塩がなくても旨味のある牛肉の素材の味わいを堪能し。
そして引っかかる一言に、急にむせ返った。
「げほっ、ごほっ」
「どうした! 自分の入れた毒で死ぬのかお前は!」
「死なねェよどんだけ下賤なバカだと思ってんだよ!! んじゃねえよ、今、乙女つったかァ?」
「ああ、乙女と申した」
「誰がだ」
「お前がだ」
「どこがだ」
「見たままだ」
「世辞かァ!?」
「ぼくをウソつき呼ばわりするのか、やはり失礼だな君は!」
「……うが」
木漏れ日の注ぐ、暗き森の木こり小屋。
木皿にごろっと盛られた骨つき牛肉を口にくわえていたラギッタは、それをポロッと落とした。
「な、なに言ってんだ、お前!」
「うろたえるな見苦しい!」
「んなっ」
王子にピシャリと叱られて、ラギッタは全身の毛が逆立つ落ち着かない心地のまま留め置かれる。
白いオオカミの姿形もあって、大口を開けて叫ぶとなかなか迫力がある。
「結婚適齢期の子女を乙女と呼んで、なにがおかしい。君はまだ十五歳だと言ってたじゃないか」
「いや、まぁ、そうだがよぉ~?」
「客観的事実なのだから、なにを否定することがある」
「いやいや無理があるぜぇ、オレを女とみなすとは。それとも何か、この白いオオカミサマにとっちゃこの見かけが綺麗にでも見えんのか?」
オオカミは仰向いて長々と一考し。
「いや、断じて絶世の美女ではない。ノケモノはノケモノにちゃんと見えている。だが、こちらもこの毛むくじゃら姿だからな、不思議と恐ろしげには見えない」
「なんだ、期待させやがってよぉ」
ラギッタは落胆を口にしつつ、骨つき牛肉を今度こそ白いオオカミに与える。
がつがつと食いつく姿はかわいいものだ。
ひとしきり食べ終わっても、まだ骨にこびりついた肉の断片を削ぎ落として食べる白いオオカミ。
ぺろりと口元を舐める仕草はまさに犬だ。
「期待、か。ラギッタ、お前はぼくに何を期待している? ぼくを王城に連れていけば、今すぐにでも一生遊んで暮らせる金をもらえるはずだ」
「ちっちっちっ、わかってねーなー」
ラギッタは包帯の巻かれた手を木漏れ日にかざして、じっと眺めた。
「この獣の指にでっけぇ宝石つきの指輪をよぉ、ハメてもなぁ、一体だれが褒めてくれるってんだ? 浴びるほど酒を呑んだって、吐くほど美味いもん食えたって、ノケモノはノケモノのままさ」
「罪人の呪いを解いてほしい、ということか?」
「……いんやぁ、生まれついてこの姿だぜぇ? 想像もつかねぇなぁ」
「では、何を望む……?」
ラギッタはニタァ……と頬をゆがめて、笑う。
けひひ、けひひと笑う。
「恩返しだなァ、期待すんのは。何がほしいだとかの“細かいこと”はいいンだよ。オレは恩を売る、お前は恩を返す! お前はプライド高そうだから報奨金よっか“すげぇもん”をオレにくれるんじゃねえかって企んでるわけよぉ~」
悪巧み顔を決め込むラギッタに対して、白いオオカミはあきれ顔をする。
「……さては何も考えていないのか」
「取らぬ狼の皮算用はしねェってことよォ」
ラギッタはそう魂胆を明かしては、下心を隠すことなく明かしながら白いオオカミの面倒を見る。
白いオオカミは逃げ出そうとせず、素直に紐で繋がれている。
もし王城に戻ったとしても、いつまた呪いに誘われて行方知れずになるかわからない。
だから当面、まず怪我が治るまでは様子を見るのだという。
◇
木こりの仕事は無闇やたらに木を切ればいいという訳ではない。
アルルカ王子にとっては見慣れぬ光景なためか、彼はオオカミの目と耳と鼻で深く観察する。
ラギッタの振るう鉄斧が少しずつ、樹皮に深く切り込まれていく。
コーンコーン、コーンコーン。
ここに退屈しのぎの木こり歌と小鳥のさえずり、風に揺られる森のざわめきを足してやる。
「ガンガラドラドン♪ ガンガラドラドン♪ 木こりは刻むよォ~ガンガラドラドン♪」
森のオーケストラの出来上がりだ。
緑風に舞った木くずが鼻先をかすめて、くしゅんと白いオオカミはくしゃみした。
やがて轟音を唸らせ、何十年という樹齢の針葉樹がひとつ、地に倒れ伏した。
小鳥が驚き、あわただしく飛び立っていくさまは何とも面白い。
「ふーっ、いっちょうあがり」
「ラギッタ、木こり仕事は楽しいのか。いつもお前は清々しい表情をしている」
「んァ? そりゃァ王子様、楽しいもんよォ。でなきゃ長続きはしないね」
「何を楽しみにしてる? 歌えることか? お前の歌声は声量豊かで美しいからな」
「……んが」
ラギッタはまたもや白いオオカミの言葉に調子を狂わされ、むずがゆそうにする。
「世辞はいいっての」
「ウソつき呼ばわりはやめろと言っている。第一、ぼくはお前に世辞を言ったところでさしたる得もない。それくらいは理解できるだろう」
「暗にバカ呼ばわりしゃーがって! でもまぁ褒めと貶しで差し引きチャラにしとくぜぇ~」
かんらかんらと笑ってごまかすが内心、ラギッタはとてもうれしくてならなかった。
歌声をほめられるだなんて、久方ぶりだったからだ。
「……オレの声はよォ~、がっしり太ェ首してるおかげか、それとも大声を気にすることもねェ森暮らしのおかげか、この見目醜さじゃ持て余すほど綺麗だと死んだ親父も言ってたなァ」
「それは認めよう。ぼくはお前のことを美女には見えないと言ったが、美声には聴こえている」
「へへ、ふへへへ、そーかいそーかい」
「だが笑い声は品性に欠ける。もう慣れてしまったがな」
「上品だ下品だ窮屈だよなァ~、オレへの恩返しに貴族の嫁なり何なりにしてくれってのもちったぁ考えてみたが、このなりで貴族令嬢だ子爵婦人だって無理があらァし、なにより自分の腕力で木ィ切り倒せなくなる生活もつまんなそうだからあきらめた」
「男勝りというか、本当に、年頃の乙女らしからぬやつだ。いや、憧れはあるのならば、それこそが乙女らしさとみるべきか」
「くっそ、やりづれェ……」
アルルカ王子は見かけこそ白いオオカミだ。獣だ。そこがラギッタには気負わず話しかけやすい。
しかし口を開けば中身はそのまま王子様。気位が高く、そして針葉樹のようにまっすぐだ。
きっと物怖じせずなんでもたずねることができ、誠意を尽くして答えてもらえる生活だったのだ。
「答えずともよいが、聞きたい。お前はどうしてノケモノに生まれたのかを」
「んー、あァ、いつかは聞くよなそりゃァよ? いいぜ、どうせあとで調べりゃわかるこった」
ラギッタは口を尖らせ、また斧を手に木を切りながら話して聞かせる。
「ノケモノってのは死罪に及ばず、投獄や流罪で足りず、そういうやつにやる刑罰でよぉ~。小狡いのはいざ戦争にでもなった時、ノケモノにゃ兵役が課されるンだが手柄を立てりゃあ呪いが解けるってな悪趣味な代物でなァ」
「……それは初めて聞く」
「三人だ。敵兵を三人ぶっ殺せば呪いはおのずと解けるようにできてやがる。逆に他の正規の解き方はねェもんだから、他の功績で呪いを解く時にゃ生贄を用意して首とらせんのよ。これを考えたこの国の魔法使いはイカれてるぜ」
白いオオカミは言葉を失い、低く獣のようにうなって静かに嫌悪を示す。
「で、どうして親父がノケモノになっちまったかは知らねェんだ。最後まで話してくんなかったからなァ。きっと軽蔑されるような後ろ暗いことやってんだ。親の罪を子にも負わすなんて古今東西よくあるこったからオレは理不尽だとおもうのはやめにした。四の五の言ったって、たったひとりの父親に恨み節ばっか言って暮らすのは惨めなもんよォ~。クソオヤジとは呼ぶけど、こりゃあ愛称みてぇなもんよ。オレもバカ娘だってよく言われたもんだからさァ」
「……よく話してくれた、ラギッタ」
「同情してくれんのか? いいねェ、オレは憐れまれるのがイヤってほど気位が高くねェからな。嫌われがちだけど、同情でパンがひとつ増えりゃ儲けもんよ」
コーンコーン、コーンコーン。
快音響く暗き森。
こうして思いの丈をつらつらと吐き出させてもらえることがラギッタには快感だった。
汚らしく例えれば、我慢していたものを――。いや、王子を相手にはさすがに失礼がすぎる。
「王子サマの方こそよォ、なにがどうして呪われてんだ? 噂じゃあ隣ん国のお姫様にやられたとかどうとか、しかしそりゃ下手すりゃ戦争もんじゃねェか」
「スザンドラに黒魔術をかけられたのは事実だ。しかし婚約を破棄することになったのは黒魔術が露見したからじゃない。我が国が、隣国への侵略戦争を企んでいたことをスザンドラ姫によって知られてしまったからだ」
「……あ? じゃあなにか? 元々やる気だったってのかよ、戦争を」
「……オレはウソつきになりたくなかった。彼女に誠実であるために、これが隣国を油断させるための政略結婚であり、このままだと君は人質になると告げた。だが、裏切られたという想いは当然、婚約者のぼくにも向けられた。当たり前のことだ。良心の呵責に耐えかねて白状するまで、オレは彼女を騙していたんだからな」
白いオオカミは遠くを眺めては苦しげに、しかし少し苦々しい塊が雪解けするように語る。
アルルカ王子の人柄からすれば、だれかに打ち明けたくてしょうがなかった秘密なのだろう。
「楽になったろ」
「ああ……」
「そいつを聞いちまったオレは弱みを握った、いや、握らされちまったかコイツは? ノケモノの言うこたァ戯言扱いだろうから誰にこぼそうと信じちゃもらえない。だが……いや、細けぇこたはいいわ。これ、貸し一つな」
「ああ、いずれ返す」
「楽しみにしてるぜェ~。それ、ガンガラドラドン♪ ガンガラドラドン♪」
木こりの歌が森に響く。
今日も今日とて、ラギッタは気ままに歌う。
鉄斧と樹木、小鳥と風、ノケモノの美声、ここにいつ頃からか、狼の遠吠えが加わった。
◇
白いオオカミの世話をはじめて二週間が過ぎた頃、星空を眺めてラギッタはじっくりと考えた。
いずれアルルカ王子はいなくなる。
父親を亡くして以来、ラギッタと言葉をかわしてくれる相手は商い人くらいになった。
黒き獣、ノケモノ。
家族はいない。友達もいない。恋人もいない。
ケダモノの身なりに生まれ育ち、父親から学んでしまったノケモノらしい粗暴な言葉を好んで使おうとも、心の底から野獣になりきることはできない。
ラギッタは乙女だ。年頃の、夢も希望も胸抱く少女だ。そう気づかせてくれるアルルカ王子に期待してしまう自分の変化を、ラギッタはためらっていた。
家族がほしい。友達がほしい。恋人がほしい。
アルルカはそれらを求めてよい相手でないことを、ラギッタは痛く苦しいほど知っている。
「星空に想いをはせる、か。やはり君は乙女だな、ラギッタ」
ラギッタの心中などつゆ知らず、アルルカはまっすぐな言葉を吐く。
「なァお前、ウソつきは嫌いなんだろう? じゃあひとつカンタンな質問に答えてくれよ」
「いいだろう、言ってみろ」
深呼吸をひとつ。
そしてよく考えてみる。
王子の怪我は治りつつある。刻限は近い。
どこぞのおとぎ話ではほんの一時いっしょに踊るだけで王子様は美女と恋に落ちた。
美女とは程遠いノケモノのラギッタでは一夜の舞踏で事足りるわけもなく、千夜の寝物語を語り聞かせられる猶予もない。
それでも一縷の望みを抱いてしまう愚かな自分によくよく思い知らせるために、言葉を選ぶ。
あきらめのつく返答を、ノケモノのラギッタらしく求めて。
「お前さァ、乙女だなんだと口だけ言ってもよォ、いざって時、オレのこと女として抱けるかァ?」
我ながら最低で下劣だと自嘲する。
あっさりフラれるか、それとも同情して言葉を濁すか、どちらにしろこれで清々する。
ラギッタはわかりきったはずの返答を、ため息をしつつ心待ちにした。
「ぼくは第二王子だ。みだりな婚前交渉はしない。抱くのは人生の伴侶だけだ」
「はっ、そりゃそーだなァ~、悪ィ、意地悪なこと聞いちまって」
「もし人生の伴侶に君を選んだとしたら、その時、ぼくは君を愛せる自信がある」
「……んが」
「純粋に、ノケモノの君に欲情できるかと言いたいんだろう? 間違っているか?」
アルルカの言葉ならば冗談でも世辞でもない。夢か、正気を疑うべきか。
それほど衝撃的なことをアルルカ王子は口にする。まっすぐにも程がある。
「あ、合ってる、けどよォ……、い、いいのか、そんなこと言っちまって」
「美人は3日で慣れる。ノケモノも3日で慣れた。そして7日で気に入った。君の方こそ答えてくれ。もしぼくが生涯オオカミのままだとして、男として抱けるか?」
「抱ける!!」
即答してしまった。嬉しさに狂喜乱舞するあまりに後先考えずにラギッタは言ってしまった。
しかし後悔はない。素直な心境だ。そう、別にラギッタはアルルカという白狼の姿形を一目気に入ってこんなじれったい気持ちになってるわけではない。王子はそれと同じと言いたいのだ。
「さて、猥談はここまでにしよう。ぼくは呪われてオオカミにされた男だ。あまり刺激の強い話に興じて間違いを犯すのは王族として困る。もう寝よう、おやすみ」
「お、おやすみ」
そう告げて、アルルカ王子はまさに好き放題に思うがまま言って藁のベッドに潜り込む。
ラギッタもあくびを噛み、寝ようとする。
しかし翌朝、どうしてか目覚めたのは九時過ぎであった。
◇
暗き森のどこかで狼の遠吠えを聴いた。
そうした噂はいつしか町に広まり、薄気味悪いと避けられがちな暗き森にも王子捜索の手が及ぶ。
兵隊も、聖騎士も、町民も、農民も。
白いオオカミ探しに血道を上げるようになっていく。
薪売りに赴くたびに情報を仕入れる。どうも捜索の手はラギッタの縄張りに迫っている。
「……ぼくは第二王子の立場にありながら父上の策謀を邪魔立てしてしまった。今後どう扱われるかはわからない立場だ。今のうちに申し出れば、ラギッタ、多額の報奨金はお前のものになる」
木こり小屋の縄はもう解いてある。
白いオオカミは傷も治り、その気になればひとりで王城へ帰ることもできる状態だ。
もしラギッタが不在の時に捜索者がやってきた場合、王子の意志で動ける準備は整っている。
「ラギッタ、ぼくはウソが嫌いだ。恩返しができるかどうか怪しくなった以上、もうここでは暮らせない。ぼくを王都へ連れていき、それでおしまいにしよう」
尻尾をしなだれさせ、深刻そうに言葉するアルルカ王子。
ラギッタは木皿にいつもの食事を盛りつけて「ンじゃあ、これ食って準備しな」と告げる。
ラギッタは背負子を担ぎ、いつもはアクセサリーを売りにいくために使う木箱に白いオオカミを詰め込み、重たさも何のその、王都まで担いで出かける。
道すがら、ラギッタはさびしげにこぼす。
「住む世界が違ェってのは端っからわかってるんだ、オレサマだって」
「……ああ、そうだな」
「お前は第二王子でよォ、オレはノケモン。でっけぇ恩を売って、すっげぇ恩返しをしてもらうって約束だからなァ、そりゃお前がまた王子様に戻ってくれなきゃ約束を守れねェんだよなぁ」
足取りは重かった。
白いオオカミ入りの木箱はいつも背負っている山ほどの薪木より重たく感じた。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、重たかった。
重たすぎて、つい足を止めたくなるが、ラギッタは薄ら笑いを浮かべて歩くのをやめなかった。
「でもなァ、大した恩も売れてねェ気がするんだ。そしたら小さな恩返しでもいいはずだぜ。オオカミにできることなんざ野うさぎとっ捕まえてくる程度かもしんねェが……」
「……確かに、それも悪くない」
「森の“ガンガラドラドン”にこっぴどく痛めつけられたお前を見つけた時ァ、小汚くても金のオオカミに見えたもんなのに、今はすっかり色褪せてやがるぜ」
「ラギッタ、お前は幸せなれ」
「言われねェでもそーするよ」
ついに王都に辿り着く。
しかし白いオオカミ探しはとうに終わっていた。
聖騎士アルフォートの手によって「白いオオカミの亡骸」が見つかったのだと町民は口々に語る。
第二王子アルルカはもう死んだことになっていた。
魔女の呪いによって人狼と化し、最後は誰も傷つけぬようにとアルフォートの手を借りて、自ら命を絶ったという“潔い死”の物語がそこにあった。
そして広場では、当のアルフォート本人が雄弁に呼びかけていた。
「今こそ亡き王子の無念を晴らす時だ! 我こそはと思うものは剣を携え、軍に続け!!」
演説は人々に火を灯す。
第二王子アルルカの人気は捨てたものじゃなかったらしい。容易に、仇討ちのためにと国民を憎悪と憤怒に導くきっかけとなった。
それはもう、まっすぐ立派な針葉樹ほどよく燃える乾いた薪木になってくれるように。
戦争がはじまる。
白いオオカミ探しとは、第二王子の死去という計略の“仕込み”にすぎなかったのだ。
「……あるわきゃねェなァ、報奨金なんて」
「そんな、バカな……! 父上はなんて愚かなことを……」
「“偽物の犬”を連れて行ったやつァ百叩きだったか、けへへ、こりゃとっとと逃げねーと」
足取りは軽かった。
白いオオカミ入りの木箱を背負っていても、薪木を売り払って金子に替えた帰り道より軽く感じた。
とても、とても、とても、とても、軽かった。
軽すぎて、ついスキップをしたくなるが、ラギッタは薄ら笑いを浮かべて跳ねるのをやめておいた。
◇
アルルカ第二王子は木こり小屋に帰り着いたらすぐに熟考をはじめた。
ああでもない、こうでもないと低くうなり、苛立ちながら知恵を絞る。
しかしひとりでは良い考えに至らず、ラギッタに問う。
「この愚かな戦争を止めたい。父上の野心、父上の罪はぼくの罪だ。なにか考えはないか!」
「おいおい、オレサマをバカだとわかって聞いてンのかァ?」
「そうだ! バカでもいい! お前の意見が聞きたい!」
「んじゃァバカにもわかる単純明快なことをひとつ教えてやるかねェ」
ラギッタはなにか思いついたように振る舞う。
実際、何も考えついていない。
しかし何か、記憶の中にひらめきが眠っているような気がして、この一ヶ月間を振り返る。
森の魔物、聖騎士、骨つき牛肉、木こりの歌。
隣国の姫君、黒魔術、オオカミの呪い、告白、ウソつき。
「……ああ、コレかァ」
木こりの少女ラギッタは渾身の笑みにニタァ……と笑って、言葉した。
「お前はウソが嫌いだ。ンなら、ウソを暴いちまえばいいんだよなァ?」
戦略は決まった。
その実現のために一路、ラギッタと白いオオカミはアクセサリー売りに扮して小屋を立つ。
ただし、今度の目的地は王都ではない。
隣国だ。
木工細工のアクセサリーを売りに行ったことは一度や二度ではない。ラギッタは何食わぬ顔して隣国に潜み、戦争に備えて騒然とする街中をくぐりぬけ、山と森を相手に育んだ身体能力、そしてアルルカ王子の隣国訪問時の記憶を頼りに、あれよあれよと目的地に到着する。
スザンドラ第三王女の別荘だ。
警備と軟禁を兼ねた厳重な別荘の守りを突破、ラギッタは第三王女の御前に姿を見せる。
「何者!? ノケモノ!?」
「けっへっへっ、王女様、愛しの婚約者サマをお届けにあがりましたぜェ」
木箱から飛び出したるは白毛蒼眼の凛々しきオオカミ。
呪われし第二王子アルルカ。
哀れ、亡くなったはずの白いオオカミの姿に王女は驚き、そして涙ながらに後悔を口にした。
「生きておいでだったのですね、アルルカ王子! わたくしは、貴方に裏切られたという想いのあまりにあなた様に呪いをかけてしまった! けれどそのせいであなたが死に、戦争まで起きようとしている! わたくしは、とても愚かで取り返しのつかないことを……!」
「スサンドラ王女、愚かだったのはぼくも同じだ! しかし今は一刻を争う! ぼくの呪いを解いてください! そうすれば父上のウソは暴かれる!」
王女を説得する王子。
ふたりの間には積もる話もあれば、ラギッタには知る由もない深い想いもあろう。
誰の目から見ても、今ここにラギッタの居場所はなかった。
そしてすべてが終わった時、このふたり、両国の王子と王女の復縁こそが平和の架け橋になるであろうことは明白だった。
めでたし、めでたし、というやつだ。
ラギッタは何も言わず立ち去ろうかと女々しいことを一瞬考えるが、しかし、まだ王子へ売れる恩はあるはずだと最後の秘策のために踏みとどまった。
そして王女様へと願い出る。
「王女様、オレにたんまりと金貨を袋に詰めてくれねェですかねェ」
「金貨……? ここまで王子を送り届けてくれた礼として、それはお安い御用です。あなたは家でも土地でも宝石でも、その金貨で欲しいものを得て然るべきです」
見当外れの使い道。
無礼千万と承知の上でも、思わず、ラギッタは小汚く笑い飛ばしてしまった。
「買うのは“肉”でごぜえますよォ! ぎゃっははははっ!」
愉快、痛快。
これから起きる大番狂わせにラギッタは笑いが止まらなかった。
◇
暗き森は両国の国境沿いに面している。
出陣した王国軍は暗き森を通り抜けてしまえば、いよいよ本格的に戦争がはじまってしまう。
一番槍の名誉を賜ったのは他ならぬ聖騎士アルフォートだ。
亡き第二王子の仇討ちと意気込んだ軍勢を率いて、我が物顔で行軍する。
「進め! 兵どもよ! 憎き魔女に正義の鉄槌を下すために!! わっはっはっはっはっ!」
「聖騎士様につづけーっ!」
勇ましき軍靴の音。軋む鎧。行軍の疲弊も何のその、高い士気がそれを補っている。
一軍はやがて国境を守る味方砦に到着する。
歓迎する王国の旗に気をよくしたアルフォートは大手を振って、英雄気取りでやってくる。
しかし突如、隣国の国家が鳴り渡り、王国の旗に並んで隣国の旗まで掲揚されたのだ。
「何だ、なんのつもりだ!? 砦が奪われたのか!?」
『静粛に! 静粛に! アルルカ第二王子の御前である!!』
拡声の魔法道具を通して、威厳高い声で告げられた名に王国軍はざわめき立った。
そして高き塔の上に現れたる白きオオカミの姿に、さらに王国軍は動揺する。
『これなるは、その男! 聖騎士アルフォートが死を偽りしアルルカ第二王子その人である!』
「な、なんだって……!? 王子が生きてる!?」
「一体どうなっているんだ!」
白いオオカミに釘づけになる王国軍に焦り、聖騎士アルフォートは剣の切っ先を向けて、こちらも拡声の魔法道具を用いて抗弁する。
『騙されるな! 偽物だ! 白いオオカミなどいくらでも用意できる!!』
しかし塔側の演説はアルフォートを無視して進む。
もうひとり塔の上に現れたのは他ならぬスサンドラ第三王女、王国軍の討つべき魔女だ。
『今よりスサンドラ第三王女の手によって、両国の和解と共に、解呪の接吻を執り行う!』
『な、ま、待て、待て!』
白いオオカミと隣国の魔女。
高く遠い塔の上で行われているとはいえ、たくさんの兵士が見守る中では見間違いようもない。
解呪の接吻。
白いオオカミの鼻先にキスが行われるや否や、ふたりは燦然と輝き、呪いは立ち消えた。
国民のよく知る、アルルカ第二王子の生還だ。
にわかさに信じがたい光景に場が静まり返る中、アルルカは第一声を発した。
『諸君! 戦争は終わりだ! ぼくは生きている!!』
大歓声が上がった。
兵士たちは喜び、そして王国軍を率いる偽りの英雄アルフォートへの疑問を口にする。
『ま、まやかしだ! アレは王子の偽物だ! おのれ魔女め!! 全軍、魔女を討ち取れ!』
強引に攻撃命令を下すアルフォート。
彼に従う一派をはじめとして、攻撃を告げる号令の太鼓が鳴り響けば、混乱している王国軍は緩慢ながらも砦への攻撃態勢を取ろうと弓に矢を番え、魔術師の部隊が前に出てくる。
一触即発。
このまま味方同士による血で血を洗う戦いがはじまるかに思えた時、轟音が響いた。
大地が揺れる。
鳴動する。
「今度は一体なんなんだ!? まさか……」
「森の“ガンガラドラドン”が出たのか!?」
そう、そのまさかを王国軍は目撃することになった。
その頑丈な巨躯によって樹木を薙ぎ倒し、岩を踏み砕き、森の魔物がこちらへと向かってくる。
それを先導する者がいた。
特大の、肉汁したたる焼きたて牛肉を背負子に背負って森を駆け抜けるラギッタだ。
「ガンガラドラドン♪ ガンガラドラドン♪ ぎゃははははっ! ぎゃーーはっはっはっはっ! いいぞ! こっちだ、オレサマごとマルカジリにするつもりで追ってきなァ!」
これが決定的に王国軍の戦意を喪失させた。
ただでさえ疑惑の聖騎士に味方を攻撃しろといわれ、ロクな準備もなく砦攻めを命じられ、あまつさえ死んだはずの第二王子が現れて、討つべき魔女とキスをした。
そこに森の王たる魔物ガンガラドラドンの出現、あっという間に王国軍は散り散りになる。
「おのれ、かくなる上は!! 第二王子の命だけは奪わねば!!」
孤立無援となった聖騎士アルフォートは己の忠臣を従えて、無理やりに砦へと攻め上る。
伊達に実力で選ばれた訳ではなく、少数精鋭の部隊が暗殺を達成させようと鬼気迫る形相で駆け上る。砦の守備隊や王女の親衛隊を持ってしても、その猛攻は耐え難かった。
「ちっ、往生際が悪いなァ聖騎士サマよォ!!」
特大牛肉を放り捨て、ガンガラドラドンが夢中で食している間に、ラギッタは全速疾走した。
そして聖騎士アルフォートの後背を、逃げた騎士の落としていった戦斧、ハルバードで強襲する。
すかさず受け太刀するアルフォートは驚愕した。
「貴様、あの時の薄汚いノケモノ!」
「ぎゃひひひっ! ひゃっはっはっはっはっはーっ! 知るわきゃねェよなァ聖騎士サマよォ! あン時! オレが王子サマのために肉ゥ買いにきてたなんてなァ!!」
「ぐっ、こいつ、なんて馬鹿力だッ!」
アルフォートとて剛剣の使い手だ。大振りな両手剣を軽々と振り回す膂力は、ノケモノのラギッタと互角。いや練度を考えれば実力は遥かに上のはずだ。
しかし物事、勢いづいた“弾み”ほど恐ろしいものはなく、ラギッタはノリにノッていた。
己の保身のために必死であがくアルフォート。
己の欲得のために必死でもがくラギッタ。
聖騎士とノケモノ。
今や両者は生きるか死ぬかという弱肉強食の世界、シンプルな同一線上に立っていた。
「ぐっ! 光の精霊よ! 六泉八山四川二歩!! 光条示すは白竜の尾! 宿れ、滅光剣!!」
「んなっ!? 魔法剣ってやつかァ!?」
刹那、聖騎士の剣はそれこそ光る竜の尾が地表を薙ぎ払うように絶大な威力の一撃を放った。
直撃をかわし、なおかつ余波をハルバードで防いでなおラギッタは光撃に弾き飛ばされる。
それだけに終わらない。滅光剣は余りある威力が減衰せず、逃げ惑う一般兵にまで死傷させた。
「ハァハァ……。薄汚いノケモノが、手こずらせやがって」
「う、うが、なぜ、我々まで、アルフォート様……」
死にゆく兵士を、アルフォートは冷たく見下ろして言い放つ。
「……ああ、すまない。戦いに夢中で目に映らなかった、許せ」
「ふざけ……かはっ」
足首を掴み、息絶える兵士をわずらわしそうに蹴り払って、アルフォートは武器を失ったラギッタにトドメを刺そうと迫る。
ラギッタはこの時ばかりは笑えなかった。
体中に走る痛みに耐えかねて、強がりでも笑っていられなかった。
(ああ、くそ、いっそ命乞いでもするかァ? また地べたに這いつくばってよォ。いや、今度は見逃しちゃくれねェか、はは。流石に、もう肉屋の親父が助けてくれるってのもねェわなァ)
天高く太陽へ届かんばかりに掲げられる、アルフォートの滅光剣。
――ああ、断末魔の叫びってなに言えばいいんだっけ。
「ラギッタ!!」
「ぐわっ!?」
自分の名を叫ぶ者がいる。
聖騎士アルフォートの腕に噛みつき、獰猛に、必死に、狂ったように襲いかかる。
白いオオカミの勇姿がそこにあった。
(……その恩返しは考えてなかったぜェ、王子様)
呪いの力を纏った白狼といえど、強靭な鎧には牙も通りきらず、振りほどかれた時点で詰む。
一瞬のチャンス。
決定打を与えるためには立ち上がって、武器を拾い、全力でトドメを刺す必要がある。そのために欠けたワンアクションを補う手段が、ささいな一手がないかを探す。
(何か、何か、何か……! そうだ、こいつだ!)
ラギッタは投擲した。それは見事にアルフォートの顔面に命中、小さな隙きを生じさせた。
「ぐっ、目が! 貴様ァ!」
とっさに投げつけたのは木工細工のアクセサリーだった。
「はっはっはー! やっぱ乙女はみだしなみが大事だよなァ!!」
死物狂いでラギッタは長柄の折れてしまった戦斧、ハルバードを短く握り、手斧代わりにし。
豪快に、横一文字に胴体へと叩きつけた。
一撃目が刺さる。鋼の鎧をも切り裂いて刃が皮を切る。まだ足りない。
二撃目を叩きつける。鎧を貫いて肉をも切り裂いた。まだ足りない。
三撃目を振り抜いた。肉をえぐり、ついには骨を砕いた。まだ足りない。
「たぁ~おれぇ~るぞぉ~ッ!」
アルフォードという名の巨木がゆらりと倒れ、地に伏した。
まだ息がある。もう死ぬのはわかっているが、ラギッタは徹底的に勝利の美酒を味わいたくて。
横一文字の傷口を、ここぞとばかりに踏みつけた。
「ぐああああああっ!! 殺せっ、一思いに殺せェ……!」
「まだ喋れンのか、聖騎士ってのはバケモンかァー? ぎゃはははっ! ……まだ英雄にでもなれると思ってんのか、お前」
「……は?」
「お前らの悪巧み、一切合切白状してもらうためにゃー公衆の面前でまた演説してもらわなきゃなんねェからよォ~? “首から上”は大事に伐採しておかなきゃ……ナァ!!」
ラギッタは一刀両断に首を落とす。
しかしアルフォードは息絶えることなく、首なし死体となった己の胴体を見つめることになる。
事が終わって、ゆるやかに降り立ったのはスサンドラ第三王女。
聖騎士が散々に魔女と罵ったスサンドラは“デュラハンの呪い”を彼に施していた。
「あなたはもう、自らの意志で死ぬことはできません。悪行のすべてをさらけ出すまで、この胴体は大事に預かっておきますから、五体満足で墓石に入れるよう私達に協力してくださいね」
こうして偽りの戦争は幕を閉じた。
◇
暗き森では今日もまた森のオーケストラが開かれていた。
そこに狼の遠吠えはない。
「ガンガラドラドン♪ ガンガラドラドン♪ 木こりは刻むよォ~ガンガラドラドン♪」
ラギッタは一人暮らしに戻った。
アルルカ第二王子は己の務めを果たすために権謀術数渦巻く王城へと戻っていった。
王国と隣国の和平が成立したのはめでたいことだ。
“首だけ騎士”アルフォートの証言をはじめとして、侵略戦争を正当化しようと暗躍した奸臣らは罪に問われる。しかし、死罪か流罪、ノケモノになるものは誰もいなかった。
現国王は表向き老年を理由に王位を退き、継承権第一位の第一王子に王座を譲った。
後々、アルルカ第二王子は公爵家を創設するなり何なり、二番手としての地位を確立する。
隣国の姫君との復縁も取り沙汰され、そちらに婿入りすることになるかもしれない。
とにもかくにも、世は平和になり、すべてが元ある場所に帰っていった。
「あいつ、元気でやってっかなァ……」
なんて懐かしむうちに、ラギッタは忘れ去られた“恩返し”を思い起こす。
スサンドラ第三王女にもらった大量の金貨は特大牛肉を用意してなお有り余っているが、これはよく考えるとアルルカ第二王子に貰ったわけではない。
なんなら今の今まで、恩返しといえるのは命がけで戦い、窮地を救ってくれたあれっきりだ。
いやしかし、一国の王子に最下層民が死を覚悟して助けてもらえただけでも十分すぎるとも――。
「薪、売りにいくかァ」
めいっぱい背負えるだけの薪を担いで、今日も今日とて売りにいく。
ただ黙って歩くのも退屈なので喉を痛めない程度に、たまに歌いながら歩く。
「真っ白オオカミ恩知らず~♪ 犬ころ忘れぬ一宿一飯、狼忘れる一宿一飯~♪」
――この歌、流行んないかなァ。
そうぼんやり考えながら歩いていると、ふと後ろをついてくる白い犬に気づく。
そう、犬だ。野良犬だ。
まさか白いオオカミだなんて訳はない。
ましてや一国の第二王子が何食わぬ顔して嫌われもののノケモノの後ろをついてくるはずがない。
「真っ白オオカミ恩知らず~♪ 犬ころ忘れぬ一宿一飯、狼忘れる一宿一飯~♪」
「その歌は流行らないし、流行らせないぞラギッタ」
「……ンだよ、今更なんだ。魔女殿との結婚報告かァ? けっ」
乙女と白狼は互いに前を向いたまま、顔を合わせずに喋る。
「婚約は破棄されたままだ。戦争をめぐる陰謀はさておき、あんな恐ろしい魔女との結婚はイヤだ。嫉妬ひとつで何をされるかわかったものじゃない」
「和平はどうすんでい」
「兄上の嫁として第二王女が嫁ぐ。これで何もかも片付いた。ぼくは晴れて自由の身だよ」
「……王女のキスで呪いが解けたクセによォ、真実の愛はどこいきゃがった」
「冷静に考えてみろ。呪いをかけた張本人が呪いを解いただけだ。キス? 真実の愛? その場限りのパフォーマンスにすぎない。ちなみに今の姿は単なる変身魔法だ」
「お忍びスタイルってかァ? そりゃオレサマといっしょにいるとこ見られちゃまずいよなァ」
ラギッタは胸が痛くて仕方なかった。
本当は、こうして再会できたことを全身でめいっぱいに表現したかった。
ぎゅっと抱きついて、力一杯にわしゃわしゃしてやるのもいい。あるいは王子様の姿に戻って、逆に愛犬みたいに可愛がられるのも夢がある。
すべては高望みだ。
「ラギッタ、ぼくと結婚してくれ」
過ぎたる妄想がついに幻聴になったのか。ラギッタは「聴こえねェなァ」と反射的に答える。
「ラギッタ、ぼくと結婚してくれ」
今度こそ確かに聴こえてしまった。でもラギッタは「犬っころとかァ?!」と突っぱねる。
「オレへの恩返しに結婚だって? 冗談だろ? 王子様の人生をオレみてーなゴミ屑ンために汚しちまっていいわけがねェンだからよォ~!?」
そう怒鳴って、ラギッタは後ろを振り返ってしまった。
斜め下に向けていた視線を、少しずつ、おそるおそる上向ける。
あの時、塔の上で見た美青年――正真正銘のアルルカ第二王子がそこに立っていた。
――なぜか、狼の耳付き。服装は庶民が少々着飾った程度で王子と気づく通行人はいない。
「……んが」
「ラギッタ、ぼくと結婚してくれ」
アルルカは噴水広場の石畳みに膝をつき、ごくありきたりな様式のプロポーズをしてくれた。
差し出したのは指輪だ。
いつか話した“でっけぇ宝石つき”の指輪だった。
「……受け取ってくれるか」
一般聴衆の見守る中、逃げ場のない告白を仕掛けてきたアルルカ。
完全にラギッタの負けだった。
「はい」
他にどう答えればいいか、まったくもってラギッタにはわからなかった。
生涯ではじめての、ノケモノである自分を忘れた瞬間だった。
これから先どうなるか、それらの“細かいこと”がどうでもよくなってしまうほどに嬉しくて。
ポロポロとこぼれる涙を拭いて、ラギッタはごまかすように笑った。
「ん、ほら、これでいいかよ」
黒き獣の指先にあつらえた宝石つきの指輪は不釣り合いな気がしてしまう。
しかしアルルカは「よく似合っている。その黒く艷やかな指は夜空のように宝石を輝かせる」とかつて冗談めかしてラギッタの望んだような褒め言葉をささやく。
自然と湧き上がってくる聴衆の拍手。
広場の噴水が祝福するように飛沫をあげ、せっかく乾燥させた背中の薪を少し湿らせる。いや、噴水がなくても、今日の薪はきっといつもより湿っぽいか。
「ンだよ、ホントにすっげェ恩返しになっちまったなァ、はは」
「いや、狼の恩返しはまだこれからだ。ぼくは君といっしょに歌って暮らしたい。ただし、狼は恩知らずだって歌はこれっきりだ」
「ちっ、気に入ってたンだがなァ。しゃーねー絶版にしといてやるよォ!」
かくて狼の恩返しの物語は幕を閉じます。
めでたし、めでたし。
お読み頂きありがとうございました。
お気に召しましたら、ぜひ評価(☆)やブックマーク等をよろしくおねがいします。
今回は「獣人春の恋祭り」という素晴らしい企画に出会い、着想と執筆の機会をいただくことができました。他の同企画作品も個性的なものが多くケモいです、ぜひよろしくおねがいします。
自作としては他二作
「F.S.ダブルフォックス」(SF空想科学)
「九尾の狐は瑞獣なりや」(歴史)
も投稿しております。
なお、当方のケモい作品は過去長編作「〆サヴァ 冒険者ギルド開業記」や「ケモ奥方は仇討ちをあきらめたい」がございます。
ケモおかわり! という方はこちらもどうぞ。




