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甲殻の翼  作者: 月弓 陽
王都編
94/148

綾乃の存在

 ハルトが神殿に向かった後の教室では放課後の時間が続いていた。ウルデは「難しい話したなんか疲れた」と額に人差し指を当てている。

「ウルデ様、ほんじゃわしと珠絵の射出実験でものぞきに来ますか? 大分威力が上がって爽快ですぞい」

「いよいよ本格的に撃つ実験ですね。撃ちますよ。私、撃ちますよっ!」

「物がでかいでな。肩を壊すなよ」

 射出機は人が持つとライフル以上の大きさになる。騎士が携帯しての使用も目論むハロルドは肩に背負うバズーカ型射出機の試作を終えていた。

「ドカーンと撃っちゃいますよっ、私!」

 珠絵はらんらんと目を輝かせ、へにょりと曲がった口元にヨダレをしたたらせハッハッ、と熱い吐息を漏らした。

「面白そうだな。あたしも行ってみるとしよう」

 教室の扉を開けたハロルドに珠絵が背中で三本のセーラーラインを揺らしながらルンルン鼻歌交じりにスキップしながらついて行く。二人に続いてウルデも教室を出た。

「わたしもアバターシュの汎用実験をしようかな。カッツェ付き合ってよ」

「さっき鳥の人がやっても、っていう話でまとまったんじゃなかったか?」

「アバターシュが誰にでも乗れるようなもの近づけて行くことは進めたいもの。ハルが上級騎士になるのはテストパイロットとして認められるのに政治の都合があるからかもだけど、中級騎士が扱うマナの量でも動かせるものになった方がいいでしょ。今のアバターシュを動かすだけだったらカッツェにも出来るけど、飛行ユニットが起動してる状態でも出来るだけ少ないマナで動くようにしたいの」

「そういうことなら、付き合うよ」

「えへへ、ありがと。その前にフィレーネの様子を見に行ってもいい?」

「そんなに良くないのか?」

「妖精の体調ってよくわかないんだけど見るからに元気がないから」

「そうか、なら俺も行くよ」

「うん、元気づけてあげて。じゃ、ノーラお姉ちゃんわたし達行くね」

「いってらっしゃーい。頑張ってね~ん」

 ノエルとカッツェを屈託のない笑顔でブンブンと手を振りながら見送るノーラに、そっと鮮やかなニット帽をかぶった焚哉が近づいた。

「ノーラちゃん、ちょっと時間いいかな?」

 真夏にもかかわらず剃り上げられた坊主頭を隠す為にノーラから送られたニット帽を被った焚哉にいつもの快活さが見られない。何か真剣な話があることを悟ったようにノーラは訝しげに焚哉の顔を見た。

「どうしたの? 真剣な顔して」

「相談したいことがあってさ」

 普段のおちゃらけた雰囲気の消えた焚哉にノーラはうなずいた。しかし焚哉はすぐには話し出さずずチラチラと胤月を見ている。ノーラは焚哉と向き合った教室の机から立ち上がるとおもむろに胤月に近づき、小声で胤月に話しかけた。

「胤月さん、焚哉くんが何か話があるみたいで」

「私がいるとお邪魔な感じかしら」

 もの寂しげな目を向ける胤月にノーラは微笑みかける。

「胤月さんが一緒にいると出来ない相談かもしれないじゃないですかぁ。本人の前だとしづらい相談かもしれませんよ?」 

「そ、そうよね。本人の前じゃ言えないこともあるわよね」

 どことなく落ち着きをなくした美男子の高僧胤月は「じゃ、タクヤルちゃん、私は先に戻るから戻ったら私の部屋に声をかけてちょうだい。キラナに戻る時の打ち合わせも終わらせちゃいたいから」焚哉に告げて、そそくさと教室の扉に向かって歩きだした。

「ノーラちゃん、胤月になんて言ったの?」

「それは、ひ・み・つ」

 人差し指をふっくらとした瑞々しい唇にあててノーラが笑う。半袖の白いセーラー服から伸びる柔らかそうな二の腕と唇の艶やかさに当てられた焚哉は顔を赤らめた。いつもの調子に戻った焚哉だったが胤月が教室の扉を閉めるとまた物憂いな表情に戻っていた。ソフィーが少し離れてその様子を見ている。

「ソフィーちゃんはいても大丈夫だよね? ソフィーちゃんには出来るだけわたし達転移組の仔細なとこまで記録しておいてもらいたいから……」

「うん、大丈夫だよ。気をつかってくれてありがとう。ソフィーはもうすっかり友達だし信用してる」

 焚哉はソフィーに笑いかけた。ソフィーはいつものハイテンションな素振りをみせまいしているのか、机の上に腰を下ろして足をぶらぶらさせつつ焚哉にそのあどけない顔を向けた。

「わたしは王宮のお抱え詩人として秘めるべき事はしっかりと秘めますから心置きなくどうぞ。恋ばなも遠慮せずにカモーン――。っていうのは嘘でぇす。私はいないものと思って話してもらっていいですにょん、焚哉さん」

「わかった」

 焚哉はノーラに椅子を勧め、自分も席について生徒用の机を挟んで向き合った。

「ハルトのことなんだけどさ。頑張ってるなぁと思うし、試練にも打ち勝ってもらいたい。だけど、気になってることがあって」

 話しだしてもなお迷いを見せる焚哉。

「……うん。話して」

「僕と胤月は飛甲機の納入で一旦キラナに戻るだろ? 式典は一日だしそんなに時間はかからない。納入される五機の飛甲機はすぐに訓練と生産体制を整えるモデルとして使われる。それ以外にも僕と胤月がこことキラナを往復するのに一機貸し出されることになってるんだ。貴重な飛甲機を余分に貸し出してもらった上に使用期限が長め降りてる。そうまでして聖地の情報を収集して欲しいってことなんだよ。蟲が人里に入ってきたら聖地に引き寄せられるっていうのは知ってるし、情報を集めておく意味もわかってるつもり。でもハルトはけっこう無理をして機体の貸し出し許可を取ったらしいんだよね」

「確かに飛甲機はまだ貴重でいろんな部署から、使わさせて欲しい、って要望が出てる状態だもんね」

「でしょ。航空地図の必要性や聖地の情報収集が大事なのも分かる。でもこんなに急いでハルトが聖地の情報収集を進めてる理由を知ってる?」

「そこら辺は特に聞いてないかな」

「そっか……」

 腕を組みそこから先を言うべきか悩む様子の焚哉。しかし焚哉は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「ねぇノーラちゃん。僕たちのいた世界からこの世界に移ってきたのって僕たちだけなのかな?」

「――もしかして他にもいる、って焚哉くんは思ってるの?」

「ノーラちゃんに心あたりはない?」

 口をつぐんだノーラは何かを知っているような顔をしている。言えないのか言いたくないのかどちらでもあるように見える顔つきをしたノーラを、焚哉は見守るように見つめながら口が開くのを待った。

「確証はないんだけど、可能性はあるかもしれない」

 焚哉はうなずき、次の言葉が出てくるまでじっと待つ。

「わたしが転移する前、あの教室で見た最後の記憶にあるのはハルトぅんの姿なんだよ。だからわたしの方が転移するが早かったんだと思うんだ。多分みんなの中で一番先に転移したんじゃないかなって思ってる。ハルトぅんもそれには同意してる」

「うん、全員同時に転移したんじゃないらしい、っていうのは僕も納得してる。あの日、工学部の部室の中にいたのはハルトとノーラちゃんの二人だったんだよね。でも後から来るはずだった人がいたんじゃないかな?」

「どうしてそう思うの?」

「あのとき僕と珠絵は校舎の外に出る非常階段の扉の近く、生物準備室の後ろの扉のあたりの廊下で光に包まれて動けなくなった。あの緑色の光に重力があるみたいな感じで動けなくなった。近づくことは出来るけど離れられないって感じかな。それで目を閉じてお経を唱えることしか出来なくなっちゃったんだけど、僕が最後に目を開いてみた記憶では教室の前の扉が開いてたんだよ。あの状況であの光からのがれて教室から出た人がいるとは思えない。だとしたら入った人がいるんじゃないのか? って思って。僕たちが最初に部室についたときには扉は閉まってたから」

「それをハルトぅんに話した?」

「思い出したのは最近だけど話した。それからハルトは聖地についてこだわるようになったような気がする。それに……」

「それに?」

「その前に聞いてもいいかな?」

「うん」

「ノーラちゃんは誰かあの日部室に来る予定だった人を知らない?」

 ノーラが焚哉の問いに答えるまでにはしばらく時間がかかった。

「……来るかもしれない、人がいた。でも来たかどうかはわたしには分からない」

「その人の名前を聞いてもいいかな」


「――――綾乃ちゃん」


「やっぱりそうか」

 焚哉は窓の外に目を向けた。焚哉が向き直るのを待ってノーラは絞り出すように声をだした。

「やっぱり、ってことはハルトぅんは知ってたってことだよね?」

「知ってた、っていうのとはまた違う感じなんだ。ハルトは誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気がする、でも気がするだけかもしれない、思い込みかもしれない、って自信なさげだったけど、その声は神宮路さんだったんじゃないかって思ってるみたい」

「そうなんだ……わたしも確証がないんだけど、教室の扉が開いてたなら綾乃ちゃんが教室に入って来たのかもしれないと思う。あの日わたし綾乃ちゃんに会えたら会おうね、ってメッセージを入れてたの。誕生会の招待状を渡そうと思って。でも綾乃ちゃんのおうちは厳しくて受け取ってくれるかどうか分からなかったし、工学部の部室に行くのは伝えてあったけど待ち合わせてたわけじゃないの……それに……」

 ノーラの言葉には続きがあるようだった。しかしその言葉は語られることはなかった。

 焚哉はそれ以上聞くことをしなかった。

「ありがとう。話してくれて。でもノーラちゃんの誕生会、僕も誘って欲しかったなぁ」

 頭の上に後ろ手を組んで焚哉は口を尖らせるとノーラ見てから笑いかけた。

「ごめんね。まだ知り合ったばっかりだったから。でも、タマちゃんと相談していい感じだったら来てもらえたらなぁ、とは思ってたんだよ」

「いいよいいよ、無理しなくても。結果的にすんごい遠回りになったけど、こうして話せるようになったんだし。状況的にはとんでもないことになってるけど」

「そうだね。随分とんでもないことになってるよね。わたし達」

 ノーラも大きな桃色の瞳を焚哉に向けて笑いかけた。

「ノーラちゃんなんて姫さまだもんなぁ。あまり苦労してる顔を見せないけどほんとはいろいろあるんじゃないの?」

「まぁねぇ……何もないと言えば嘘になるよ。でもそれをいったら焚哉くんだって同じでしょ。聖人様なんだし」

「僕の場合は救われたところもあるからね。前の世界で得た知識や考えてたことをこの世界で活かせるっていうのはそう悪いことじゃないと思うんだ。悩みがないわけじゃないけどそれは前の世界にいたときからあまり変わらないかも」

「何か悩んでるの?」

「悩んでるっていうか、考えて続けても答えが出てないっていうか……」

「今度は焚哉くんが話す番だよ。差し支えなければ話してみてよ」

「うん、ありがとう。僕さ、お寺の跡継ぎになることには疑問を持ってはいなかったんだ。ファッション的なことは別にしてだけどね。でもお寺ってある意味権威でしょ。説法を垂れる資格が僕にあるのかなぁ、僕が話すことで救われる人がいるのかなぁ、っていうのは凄く気になってた。僕は自分の言葉で誰かの助けになれるような人になりたいんだ。でも、なりたい、って言っちゃうってことは、そうじゃない自分を自覚してるってことでもあるんだよね。人を導ける人でありたいとは思う、仏教の教えってそういうものだし。でも時々自分はそういうのに向いてないんじゃないかと思っちゃうんだ。僕は自分が楽しんで、それを見て周りの人が幸せになってくれると嬉しいと思うタイプなんだと思う。だから音楽をやってたのもある。実はハルトみたいに自然に人を引っ張っていく魅力を持った人を羨ましいな、って思いながら見てたんだよね」

「ハルトぅんは元々そういうタイプだよね。面倒見もいいけど引っ張ってくれる人だとわたしも思う」

「でしょ~。やっぱ女の子ってそういうタイプがいいのかなぁ? ショック~」


「恋バナに突入ですか!? このタイミングを待ってましたぁ」

 おりゃー、ソフィーが焚哉とノーラの間にある机に突っ込んできた。

「なんだよソフィー、思春期だなぁ」

「あー、お兄さんぶらないで下さいよ、タクヤさん。あたしの大好物なのです。恋のお話は」

「あんま他人ひとの話ばっか聞いてると耳年増になっちゃうぞ」

「あたしの理想はおばあちゃんですからね。どんと来いです。それに」

「なんだよ?」

「さっきのタクヤさんとノーラさんはいい感じでしたよ」

「ほんとっ!?」

「いいお友達、って感じでした! てへっ。男と女でも友達になれるんですねぇ。ソフィー違った意味でかんどーしました、えっへん」

 腰に手を当て胸を張るソフィーに焚哉は、このー、と飛びかかり、制服のスカートをひるがえしながら逃げたソフィーを追いかけ回す焚哉。焚哉がソフィーの短いソックスを履いた足首にタックルすると、バタン、と音を立てて床に大の字に倒れたソフィーがうっきーと焚哉の腕に噛み付いた。痛ててて、痛い、痛いってばソフィー、教室に響く大きな声。あははは、ノーラの顔からさっきの会話の中で一瞬浮かんだ影が消え、笑い声が二人のわめき声に混じっていった。

 

 その頃、神殿の加護と試練の間ではハルトがねっとりとした脂汗を顔に浮かべていた。

 目を閉じて球体と鏡に向かうハルトの心象風景には幾つもの玉が浮かんでは動き、ハルトに問いかける。

『お前にとって騎士とは何だ?』

「人を守り、人のやく、に、たつ、こと」

『人の役に立つ? それは自分の純粋な意思なのか? 気になる女の気を惹きたいだけはないのか?』

「そ、んな、ことは、ないっ!」

『なぜそう言い切れる?』

「これは自分の意思だ。例えこれが、綾乃を想う気持ちから生まれたものであっても自分が望む意思だ。あんたらは一体何なんだっ」

『我々は何ものでもなく全てでもある。この世界の全てであり、お前自身だ』

「わ、け、のわからな、いことを」

 苦悶の表情が一層険しくなるハルトをマティアスがじっと見守っている。

『お前が我々を理解する必要はない。我々がお前に納得できるかどうかだ』

「あなたたちが俺自身だって言うなら俺はすでに納得してる。この気持はアリシアを守れなかった後悔かもしれない。人の役に立ちたいと思うのは綾乃への想いからかも始まったことしれない。でもそれが何だって言うんだ。俺は俺だ」

 ハルトの中に流れるマナが体中を蹂躙し、身体の震えが大きくなる。震えというかわいいものではない痙攣がハルトの全身を震わせる中で口から血にまみれた泡が吹き出していた。

『お前自身がまだ見えない』


 身体を縦に折って崩れ落ちたハルトに駆け寄ったマティアスは呪文を紡ぎ強制的にマナの流れを止めた。膝を付き、床に倒れ込んだハルトを仰向けにして介抱するマティアスはハルトの顔に水をかけると癒やしの呪文を紡ぐ。ハルトに鈍い意識が戻ってくる。薄っすらとハルトのまぶたが開いた。

「厳しいな。始める前はよい状態だと思ったのだが。今日はこれ以上は危険だ。明日は休みにしてペースを落とすか?」

 ハルトは答えることが出来ず、動くことのない口の側についた血を頬を伝った涙が流してゆく。 おもむろに息を吸い込んでは吐き出す動作を何度かくり返したあとにそれが言葉になった。

「だ、い、じょう、ぶ、です。――まだやり、ます」

「ハルト、お前はそこまでしてアバターシュ開発を今のメンバーで続けたいのか? 体が鍛えられているからといっても命に別状はないとは言いきれんのだぞ。ここで引くという決断を下しても誰もとがめはしない」

 水差しを直接ハルトの口の中に入れ水を飲ませつつ問うマティアス。ハルトの喉が鳴り水を飲み下したハルトの言葉が明瞭になってくる。

「開発のことだけじゃないんです」

 手の平を開いては閉じ、末端のしびれをほぐしながらハルトは涙を拭って身体を起こす。

「これは自分との戦いのような気がしてるんです。なら一層ここで負けるわけにはいかない。もう少しで何かを掴めそうなんだ」

 マティアスの目を真っすぐ見るハルト。マティアスはハルトの震える肩に手を置いた。

「私に伝わってくるハルトの負の感情は恨みや後悔の類ではない。ただひたすらに辛い、という強い感情だ。これを乗り越えるのは相当厳しいと思う」

 マティアスはハルトの手を握り立たせる。

「明日は休息日としよう。体調を整えて再び臨もう」

 マティアスのその言葉にハルトは「はい」とだけ答えた。



綾乃存在が浮上してきました。ハルトは綾乃を探しだした模様。

次回「自分らしく」水曜日の投稿になります。

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