ライバル
狐人族の舞衣の家から神殿に向かったハルトは上級騎士なるための訓練に臨み、日毎に厳しくなる試練に耐えていた。何とか試練に耐えたハルトにマティアスが近づく。
「臨界点が見えてきたな。ここ数日が勝負だ。最終段階に近づくほど精神的に大きな試練が訪れるだろうが、それもこれまでの積み重ねの延長線上にある。乗り越えられない、と思えるほどに大きく見えてたとしても、これまでの過程を思い出して乗り越えるしかない。今日はもう休むと良い」
訓練の終了を知らせるマティアスに励まされながらハルトは私室に戻った。
大きな試練。
寝台に横になりながらハルトは考える。
合宿のときにノエルにいわれたように無意識に封印しているものがある。それと向き合うことになるのかもしれない。そういえば、アリシアと一緒に行った孤児院からの紹介で飛甲機の風防のガラスを作ったよな。あの時は矢を防ぐことが前提になってたのと作るのが難しいそうなのでキャノピーで操縦席全体に覆うことを最初から諦めてた。もしあの時もう一歩踏み込んで、飛甲機を使う現場でどういうことが起こるのかをイメージしていればアリシアは蟲の毒にあてられずに済んだ。俺はそれを認めたくなかったのかもしれない。風防の飛散防止フィルムを作ってくれてる職人さんにもこっちに来てから会いに行ってない。無意識に避けようとしたたのか……頭の中で考えてるだけじゃなくて動いてみるか。
翌日、ハルトはアリシアと共に訪ねたフィルム職人の小さな店に向かった。しかし窓修理の看板は降ろされ店の中に家財はなく空き家になっていた。
引っ越こしたみたいだな。デニスさんに聞いてから来るべきだったか。
「どうかしたのかい?」
ガラス越しに店の中を覗いていると通りすがりの男が声をかけてきた。初夏だというのに使い込まれた白い長袖のシャツに革のベストを着込んだ老齢の職人風の男に、ハルトが店の店主に会いに来たことを告げると「商売が上手くいったらしくて引っ越したよ。大きな工房がついてる家らしい。ガラス工房が集まる区画の大通りだって言ってたよ。会いに行くんだったらよろしく言っとったと伝えておくれ」そう話した男はハルトに名を告げた。
ガラス工房が集まる地区の大通りで、特殊なフィルムを扱う店はないか通りすがりの人に尋ねると、最初はよく分からいという風だったが、ハルトが透明なシートで、と詳しく話しだしたとたんに「そりゃもしかしてテープのことかい?」と男が聞き返した。テープの名前が一般的になっていることに驚きつつもハルトが教えてもらった住所にたどり着くと、タイル張りの立派なビルに真新しいテプル商会の看板が一つだけついている。建物の全てがテープ商会のものらしい建物の玄関に詰めている守衛に「こちらに仕事をお願いしているクスノキパッカードの者ですが」と告げると、守衛の一人が建物の中に消え、フィルム職人の懐かしい顔と共に戻ってきた。
「ハルベルトさん!!」
ハルトの顔を見るなり破顔した職人が小綺麗な身なりで駆け寄ってきた。
「この商会があるのはあなたのお陰です。どうぞお上がり下さい」
熱烈に歓迎されながら店主の話を聞けば、フィルムを細く長く裁断し、糊をつけて芯に巻いたものがテープとして大ヒットしたのだという。注文に製造が追いつかない状態でアイデアを貰ったハルトに感謝してもしきれない、と両手を握られ何度も頭を下げられた。飛甲機と馬車のガラスこ風防使う飛散防止フィルムの仕事を継続してくれていることにハルトが礼を述べると「ハルベルトさんから最初に頂いた仕事を放り出したりなんかしたら罰が当たる。ご縁を頂いた仕事ですから」店主は誠実な言葉を返した。
案内された応接室も綺麗に整えられているが簡素で実務的な部屋で、主の堅実さを物語っているようだった。
「日曜日なのにすいません」
「いえいえ、とんでもない。クスノキパッカードさんからのお仕事を頂いてるお陰でテープの商売にも信用があるのです。今となってはテプルカッターとセット販売をしているテープの商いの方が大きくなっていますが、先程も言いましたように発端となったお仕事を頂いていることに感謝の念が絶えません」
――きっとあの家族にもノルン様の祝福がありますよ。
ハルトは清らかな笑顔でハルトを励ましたアリシアの顔を思い出した。
本当にそうなったみたいだ。悪いことばかりじゃなかったんだ。
胸の奥深くでわだかまっていたものが大地に吸い込まれるように溶けてゆく。
「よい所に移られてよかったですね。前の工房でこちらを教えて頂いて来たので尚更そう思います」
「そうだったのですか。それはご足労をおかけしました」
ハルトが老人の名を告げ、よろしく伝えてくれと言付かった旨を伝えるとテープ商会の主となった職人の顔が曇った。
「そうですか。自分が大変なのにあの人も親切な人だ」
「あの方に何かあったのですか?」
「いえね、息子の商売が思わしくなかったらしく息子家族がニンディタに移住したんですが連絡が取れなくなってしまったそうなんですよ。小さい孫を可愛がるのが生きがいみたいな人なのに行方知れずになってしまって……」
ここでもその話になるのか。経済的に厳しい家庭を狙ってるみたいだ。
引き続き風防ガラスのフィルムの仕事をお願いすると「今ではもっと大きなフィルムが作れるようになりましたからご要望があったら言って下さい。それもあってガラス工房が集まるここに越して来たのです。裏には大きな工房もありますので」
二人は握手を交わし、玄関先まで出た店主の何度も腰を折っての見送りに恐縮しながらハルトは馬車に乗った。
王宮に戻ったハルトはデニスとの会合にハロルドとノーラにも来てもうように手配し、オーブに報告の手紙を書いた。ニンディタでの子供の行方不明とアントナーラでの拉致が無関係とは思えないことを添えると神殿での試練の時間になっていた。いつものように神殿の入り口で落ち合ったマティアスにハルトは師への尊敬をこめて挨拶をする。
「すいません。日曜日なのに」
「最初からわかっていたことだ、気にするな。それに来週の日曜日は休めるだろう。ハルトが音を上げなければ、だが」
上級騎士になれば子供の捜索にも意見を出しやすくなる。やりきって見せる。
新たな動機を得たハルトは気合を入れて試練に臨んだ。
「真の己の姿を見つめ、向き合え」
聞き慣れたように頭に響いてくる言葉はハルトが克服する度に意味を変えてくる。
自分で意図して出かけアリシアの記憶が身近にあったハルトの中にありありとアリシアの姿が浮かんで来る。
『――大丈夫だ。アリシアのことはもう過去になってる』
『本当にそうなのか?』
『守れなかったのに?』
『守れなかったのに』
『『『守れなかったのに』』
「――――守れなかった。俺はアリシアを守れなかった。だからこそ大切なものを守れるようになりたい。人を守るものを作りたい」
ハルトの意識の中で玉の中に宿った神々が現れては周囲を巡り、ハルトの深淵を撫でては去る。
『彼女がどれだけ苦しんだと思っている』
『確かに辛かったと思う。蟲の毒を当てられて意識を失うほど苦しめてしまったのは事実だ』
『お前が飛甲機など作らなければ彼女は苦しまずに済んだのではないのか?』
『飛甲機はそれ以上に人の役にたっていると思う。パーツをひとつ作リ出すだけでも道が開けた家族もいる』
『ふむ。人に役立つか……しかし彼女の本当の苦しみは肉体的なことなのか? お前は彼女が今も、いやこれから先もずっと苦しみ続けることを考えたことがあるのか?』
『どういうことだ?……』
アリシアとの別離を過去として受け入れ、克服したと思っていたハルトの胸中がざわめきたった。自分の体を感じられない精神の世界にいるはずなのに吐き気や頭痛を感じるようになってくる。
『彼女は何故お前から離れた。何故だ? 聡明な彼女が自分の身勝手を押し付けるだけの愚かな人間だと思うか?』
『……そうは思いたくない。けれど……それでも、それでももう過去には囚われない。過ぎてしまったことを悲観するより前を向いて進みたい。今をどう生きるかの方が大事だ』
『うむ。アリシアがお前のためを思って別々の道をゆくことを決めたとしても、お前はそれを踏み越えてでも進むということか』
『それはどういうことだ!?』
「ハルト、大丈夫か?」
外から見守っているマティアスはハルトの血の気が引いた顔が苦悶の表情に歪むのを見て試練を続けてよいものか判断をしかねていた。マティアスも自身もハルトの影響を受けて体が小刻みに震えている。
『今日のところはここまででよかろう』
ハルトの体から力が抜け、床に崩れ落ちる寸前で駆け寄ったマティアスが抱きかかえた。荒い息を何とか整えたハルトはマティアスと共に神殿を出て王宮への帰路についた。
「負荷が上がって来ている。私にも強く影響が出ている。まだ耐えられるか?」
「体は辛いですし、心の深いところをえぐられてる感じです。でも負けてられない」
「それはグレースに、ということか?」
「どっちかというと、自分に、です」
「うむ。向いている方向は良い。人が窮地に陥った時に最終的に頼れるのは自分だけだ。それを学ぶのがこの訓練の大きな目的の一つでもある」
「それに今向き合ってることはこの試練に臨まなくてもいずれ向き合わなくちゃいけないことのような気もするんです」
「私は今ハルトが抱いている意思を尊いと思う。ハルトの師となったことに誇りを持とう。これからは師弟関係だけではなく支え合う友としても接しよう」
ハルトはマティアスとの信頼関係が揺らぐことがなくなりつつあることを感じながら二人で歩みを進めた。王宮の門を入り、屋根のついた回廊を歩いていると、前方から黒い軍服に身を包み、短く黒髪を刈り込んだ体格のよい騎士が歩いてくる。
グレースさんだ。
ハルトはすれ違う前に挨拶を交わそうとしたが、ハルトを寄せ付けようとしないグレースの発するピリピリとした空気に会釈をするにとどまった。
「気にするな。テストパイロットの判断が出るまではお互い近づかない方がよい」
マティアスの言葉に頷いたハルトの背中がグレースから遠ざかっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
グレース・オプシディアンはグランノルンの北東の関所であるオプシディスの領主の長男として生まれた。
オプシディスは王都と間の交通を山脈に阻まれた果てなき泉の北側に位置する辺境に隔絶された地だ。深い崖の下を流れる河を挟んだ隣国ルッシアとの交易は今はない。高台に位置する岩場の冬は長く、作地面積も決して大きくない。領民の多くはその地名の由来である天然石の採掘と洞窟から産出される燐粉を使った細工、そして僅かに掘り出される蟲の化石の加工を生業として細々と生計を建てている。
それなりの広さを持つ領地の東の端である僻地に領主が館を構えることにも理由があった。大国であるルッシアからの侵攻を食い止めることを使命として、代々グランノルンの一員としての地位を築いてきた一族なのだ。
領地の収入の多くを王都からの補助金に頼っている財務は切迫しつつあった。
ルッシアとの国交が閉ざされてから長い時が流れ、その存在理由が薄れて久しい。ルッシア側と渡された大きな石橋の付け根に構えられた砦の門を閉じ、橋を管理することだけが主な役割になりさがっていた。蟲を阻まねばならない森とも接していないために、領地としての存在意義を疑問視する声が王都の議会で大きくなっている。北部の森を有する領地との併合さえをも議論される始末だ。
オプシディスの歴史をひも解けばルッシアとの戦役で上げた輝かしい武勲が並ぶ。蟲の化石で作られた装甲馬車は重鈍な動きながらも無敵の防御を誇り、ルッシアの兵を寄せ付けなかった。古来はルッシアの地の色が濃かったオプシディスを多くの犠牲を払って占拠してから守り続けてきたのだ。しかし化石を掘り尽くした今では新しい装甲馬車を作ることどころか保全にも難儀する有り様で、グランノルン王都の商人を目当てにした民間の交流も途絶えている。税収を得る手段を失い、貧窮の中でグレースは育った。「誇りを持て、望むものを勝ち取れ」古式ゆかしい家訓を父親に刻みこまれながら。父親は長男であるグレースに惜しげも無く教育を注いだ。王都の上級貴族と変わらぬ教育を無理を押して父が与えたのも、変化をもたらさねばいずれ没落することを自覚してのことだろう。領地存続の危機を感じ取ったグレースは父の意向に背き故郷を出た。自分が王都で出世することで故郷の人々に富をもたらすことを胸に秘めて。
「神の御神託があったのだ。私はやれる」
その決意と、自身の戦士としての血統は騎士団総長キザイアの婿候補にまでグレースを担ぎ上げた。
後ひとつ。マティスより強いことを証明できれば。
格好の機会にグレースは出くわす。それはアントナーラとの模擬戦だった。
「フォルマージュを操ることで疾風のごとく地を駆ける速度とマナの物質化という化石よりも強く軽い装甲と盾を手に入れた。空を飛ぶとはいえ攻撃手段を持たぬ飛甲機などというものを恐るることはない。投擲武器を持つ私の方がマティスよりも有利だ。こんな好機を得るなど幸運でしかない。アントナーラの飛甲機を叩き落としてキザイア様の伴侶となり、私は王になる」
グレースは意気揚々として模擬戦に臨んだ。
しかし、過度な期待が油断を生み、自信という驕りが隙を呼んだ。結果は散々たるものだった。無敵と評されたフォルマージュのコアを破壊され、動かぬ骨の塊となった醜態を王族と大勢の貴族達の前に晒した。
「気落ちなぞするものか。ここで諦めるわけにはいかない」
そう自分に鞭打って再び立ち上がろうとする度に心の中に声が響く。俺なら出来る、勝つまでやる、と。
御神託の言葉が大きくなるにつけ精神に不調をきたした。記憶を失うことも散見される状態にまでいたってしまった。
「一度父上の顔を見に行ってこい」
キザイア様の言葉を断れず、意を決して初めての里帰りで病床の父に詫び、何とか復調して王都に戻るとまたあの男が立ちはだかった。新型フォルマージュの開発だけではなくテストパイロットも努めるという。エレオノーラ派の中心に入り込むだけではなくキザイア様の寵愛をも受ける男、ハルベルト。あの男にだけは絶対に負けない。
グレースは血が滲むほどの力で拳を握り込んでいた。
一筋縄ではいかない試練に自分と向き合うハルト。
対決するグレースのハルトに対する敵対心は大きい模様です。
ハルトは試練を超えることができるのか?
次回「内なる神」
金曜日の投稿になります。




