甲殻の翼
リビングに降りると遥斗は中学二年の妹に森林公園のパンフレットを渡した。
「ほいよ」
「ありがとー。合宿の時に肝試ししようと思ってさ。なんか高い吊橋とかあったでしょ。あの先の森ちょっと暗くて怖かったし夜はヤバイかも」
「あーあの森な。でも明後日からなんだろ?肝試しって何か仕掛けるか?」
「ううん、仲のいい娘と行ってみよっかなぁってだけ。明日、海の日だし明日は海!」
「お兄ちゃんも参加していい?」
「ノーラ誘ってくれるんだったらいいよ」
「明日から東京だってよ」
「知ってて言ってみた」
「……ノーラ秋葉楽しみにしてるみたいだし、家族みんなの最後の夏だって言ってたから少しでもアメリカでゆっくりさせてやろうよ。今回は諦めるよ」
「つまんないなー。お兄ちゃんまだ神宮路さん気になってんの?ちゃんと彼女作ればいいのに。てかノーラと付き合っちゃば?趣味も合うんだし。自分好みに育てた幼なじみとか最強じゃん」
ニシシと真櫻は笑った。
「チロルー、散歩行くぞ」
キャン!困った時のチロルである。
遥斗はチロルの散歩から戻ると机の上に置いた写真を手に取った。
写真には遥斗の家族、ノーラの家族、綾乃とお祖父さん、その横に將も写っている。
緑に囲まれた風景に記憶が吸い込まれてゆく。
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「今年も来たねぇ、キャンプ!ん~森の匂いがするよぉ」
「おい、先にテント立てるぞ。將も手伝ってくれ」
森に囲まれた芝生の上に置かれた大量の荷物を解きながら小学五年生の遙斗は將に声を掛ける。
「俺初めてだから教えてくれ」
「まずシートを敷くんだ。まっすぐにしたらコレ打ち込んで」
將にペグとアルミの金槌を渡す。父さんは荷物を下ろした車を駐車場に停めに行って、母さんとノーラのお母さんのエミリさんはバーベキュー何処でやりましょうかねぇ、なんて話しながらテーブルを組み立て始めた。ノーラと真櫻も手を貸している。
將って何でか金槌が似合うなぁ、と思いながらシートを押さえていると
「痛てっ」
親指を握った將が蹲っていた。ノーラの笑い声が上がった。
父さんとロバートさんに、水を入れたタンクを抱えたノーラのお兄さんのジェームスさんが戻ってくると大きなテントが3つとタープの屋根が張られて日陰が出来た。ちょっとした村が出来た気分だ。
「もう遊びに行ってきていいぞ」
父さんのお許しが出て広い森林公園の探索に出発だ。ジェームスさんは大人チームに残るそうだ。ロバートさんは木と木の間にハンモックを吊るして読書を始めている。
虫取り網と虫かごを持って出かけた。
小学校5年生にしては子供っぽいけど自由研究になるかもしんないし。もしかしたらカブトムシ採れたりして。
みんなで脇道の森に入ってみたり、蝶を追いかけたり、小川で水の掛けっこをしたりといかにもボクの夏休みな森の時間が流れる。
ノーラ一家に誘われて2度目の森林公園の山道はまだまだ続いている。脇道から戻って大きな道を進んでいると二股に別れた道の片方から2人の親子が近づいて来た。
「あーー!綾乃ちゃんだ!」
ノーラが駆け出すと綾乃も駆け寄った。
「ノーラ!」
「こんなとこで会えるなんて!きゃー」
二人は互いの手を取りあって回った。
「どうしたの?キャンプに来たの?」
「お祖父様が寄り合いがあるからと連れて来て下さったの。入り口の所に神社があったでしょう?」
「夏休みだというのに塾とお稽古ごとばかりだと可愛そうじゃからな。それに神社には鎮守の森というのがあるがあれは森そのものを祀ってあるんだよ。森は神様なんじゃ。森に遊びに行くのはお参りするようなものじゃよ。それにお友達がキャンプに行っているから是非その日にとせがまれてはな」
かかか、と神主さんが笑う。綾乃は顔を赤らめている。
「綾乃、みんなと遊んでおいで。そういえば今日はセンターの前で虫相撲をやっておるよ。外国のカブトムシも来ておるようじゃ。興味があったら後でみんなで降りておいで。最終は4時だったかな」
俺と將は顔を見合わせて
「行きます」
と答えた。
神主さんは帽子を目深に被り直してもと来た坂道を下って行った。
綾乃が加わった5人はそのまま進んで探検を続けた。
だんだん道が狭くなって立派な木が多くなる。
森を探索して発見したきのこを投げ合ったり、女の子は花を摘んだりしながら探索は続く。
山の中腹まで登ると道の先に吊橋が見えてきた。吊橋のたもとの看板を見ると吊橋の先の森を越えてセンターまで下れる。
「間に合うかな」
「大丈夫よ。きっと少し余裕があるくらいで着くわ」
手首を返した綾乃が時計を見て教えてくれる。白いワンピースが大人びて見せる綾乃は綺麗だった。
吊橋の幅はそう広くなく人がすれ違えるくらい。200メートルぐらいはあるだろうか。かなり長く見える。橋に乗るとグラっと足元が揺れた。
「ちょっと怖い」
女の子チームが躊躇している。
「大丈夫だ。俺について来い」
將が先頭を切って渡り始めノーラがそれに続き真櫻もノーラの手を握り恐る恐る歩き出した
「綾乃、行けるか?」
「大丈夫」
そうは言いながら、大丈夫でないと顔が言っている。
「一緒に行こう」
遙斗ほ綾乃の手を取った。
グラグラと揺れる足元に注意しながら歩く。暫く進んで山と山の間を繋ぐ吊り橋から下を覗くと川が見えた。川辺に見える人の姿が小さな点のようだ。
凄い高い。オレでも怖くなる。
一歩一歩ゆっくりと歩みを進める。森から出て、時折吹くようになった風が耳を掠めてもドキドキと鳴る心臓の音は消えない。
そろそろ半分だという所で急に視界が開けた。
「わぁ」
二人で思わず立ち止まって声を上げた。山の斜面と斜面の間の遙か彼方に小さくなった街並が見えた。
森の緑に囲まれて空中に浮いたような所で見下ろす自分が住む街並。
その感じをどう言葉にしていいのか分からない。
「素敵ね」
白い花が付いた麦わら帽子の中に、眩しいほどに輝やく笑顔がそこにあった。長い髪が風に揺れているに時間が止まっていた。
「こうしているとね」
時間が動き出す。
「自分が悩んでいることなんてちっぽけなことなんだな、って思うわ」
「悩み事があるのか?」
「そういうわけでもないんだけど……私の父は事業をやっているでしょう。学校でもご両親のどちらかがうちの会社に関わっている子が常に周りにいるのよ。恥ずかしくないようしっかりしなさい、分別をもって行動しなさい、いつも母に言われるの。小学校に入る時に名前はきちんと苗字で呼びなさい、人を尊重しなさい、って言われたことの意味は今では解る。私には必要なことだとも思ってる。でも本当はみんなのように、さやちゃん、ひろちゃんって呼び合えるような友達が欲しかった。でもそうしようとしてもなかなか出来ないの。不思議ね」
「だからね、ノーラと呼べるノーラは私にとって特別な存在。4年生になってノーラと図書委員で知り合って、ノーラ、綾乃ちゃんと呼び合う仲になって。英会話の先生に辞めてもらったのは悪かったけど、その時間をノーラと過ごせるようになって嬉しかった。お祖父様の神社で過ごすノーラとの時間は私には特別なものなの。6年生になったら図書委員ではなく生徒会に入ることになっているし」
「それとね、ノーラの忘れ物を届けに神社に来てくれた楠木くんを友達なんだから遥斗くんって呼べばいいのにってノーラは言ったでしょ。ハルトくんって呼ぶと昔のことを思い出してなんだか懐かしくなるの。あの時ハルトくんが私を守ってくれたこと、今でもちゃんと覚えてるよ――――もし良ければ、また来てね」
後ろに手をまわして組み、はにかんだ綾乃は可愛い女の子だった。
何となく遠く、高い存在だった綾乃が一人の女の子になっていた。
綾乃はいつものままでいいと思う、とか、細かい事は気にするなよ、とか色々言葉を探したけれど
「わかった。また行くよ」
としか言えなかった。そして加えた。
「今日は遥斗くんでいいからな。夏休みしようぜ」
そうしてまた二人は歩き出した。
「お兄ちゃん遅いー」
橋を渡り終えるとみんなが待っていた。
「ごめんなさい。私、少し怖かったものだから」
綾乃がそう言うと「大丈夫だった?」と女の子チームが綾乃に集まった。
「よし。じゃあ進むぞ」
「出発進行ー」
將とノーラの掛け声を合図にまた森に入る。木立に囲まれた森に入ると急に暗くなった気がして大きな木の幹が昼間だと言うのに何だか不気味に見えた。その森の脇道には寄らずに進んだ。
森を抜けると明るくなって大きな道に出た。センターの建物も見えている。センターに向かって坂を下ると池が見えてきて、舗装された道の両脇には向日葵が列を作って列んでいた。綾乃と二人で立ち止まって見た。綾乃は熱心に向日葵を見ていた。
あの時のひまわりを思い出して気持ちが明るくなった。
それを過ぎると小さな花びらが群集して立つ青い花が植わっていた。何て花だろう?
「綾乃はこの花の名前知ってる?」
「サルビアよ、遥斗くん。あっちに赤いのもあるわね」
赤いサルビアに綾乃と歩く。二人で花の説明を読んだ。
ハーブティーにして飲むと緊張感がほぐれる、とか殺菌効果がある、などなどの説明の最後に、
花言葉
―青いサルビア・尊敬、知恵―
―赤いサルビア・燃える想い―
と書いてあった。
センターに着いて水を飲んだりお土産コーナーを見ているとアナウンスが流れた。
「今から昆虫相撲が始まります」
外に出ると切り株の土俵の周りを子どもたちが取り囲んでいる。虫が苦手なノーラも一応ついて来た。
カブトムシが向き合って試合が始まると角を下に入れたカブトムシが相手をひっくり返した。
「勝負が着きました。次の挑戦者」
司会のお兄さんの進行で別のカブトムシが置かれる。やっぱり大きい方が強い。
三試合を勝ったカブトがチャンピオンと書かれたカゴに入れられた。
「次は世界のカブトムシの王者決定戦です」
大きなカブトムシが切り株におかれた。「すげえ」と小さな子供たちは大喜びだ。
ヘラクレスオオカブトムシ。日本のカブトムシの3倍はある。頭の先の鋸のような長い角とその上にある更に長い角はまるでハサミのようだ。
「対戦者はコーカサスオオカブトムシです」
これも大きい。ヘラクレスより一回り小さいけど刀のように反った角が三本ある。
試合は白熱した。ヘラクレスは王者の貫禄でコーカサスを挟むが、足の長いコーカサスは爪でしっかり切り株を掴んで離さない。コーカサスは何度も挟まれたヘラクレスの角から逃れ、体を入れ替えてヘラクレスに挑んでゆく。最後は「本気だす!」と言わんばかりのヘラクレスに挟まれたコーカサスが戦意を喪失してギブアップした。
8888と拍手が鳴った。
「やっぱ強えなヘラクレス。大きいは正義!勝つことが正義!」
体が大きい將が言うのが直球で可笑しい。これで終わりかと思ったら続きがあった。
「最後に世界チャンピオンに日本のカブトムシが挑戦します。三本勝負です」
ヘラクレスと日本のカブトムシが向き合った。大きさが違いすぎてちょっとかわいそうなんじゃないか?と思いきや戦意を剥き出しにして立ち向かうカブトムシを応援したくなった。素早く仕掛けたカブトムシだったがやはりヘラクレスには勝てない。大きく突き飛ばされて一回戦終了。
二回戦は睨み合いになった。ジリ、ジリと隙を伺うカブトムと王者の風格のヘラクレスを固唾を呑んで見守る。カブトムシが動いた。下に潜り込んだカブトムシをヘラクレスが巨体で押さえこむ。ダメか……そう思った瞬間、カブトムシが角の二股をヘラクレスの角に掛けた。一瞬でブレンバスターを決められたヘラクレスが腹を見せて宙を舞った。
「うおおおおお」
歓声が巻き起こった。
「すげええ」「感動した!」みんなの熱視線を浴びたカブトムシは誇らしそうに角を揺らしている。
「すごおぉい」
「凄いわね」
ノーラと綾乃も驚いている。
突然、カブトムシが甲殻の翼を広げ、長い後ろ羽をブゥンと鳴らして飛に上がった。
「ああー」
子供達の声に見送られて小さな王者は大空に消えてゆく。
ざわめく子供達の中で綾乃が
「自由になったのね」
と独り呟いた。
センターに入ると綾乃のお祖父さんが居た。
「今日は楽しかったわ。どうもありがとう」
「まだ暫くだいじょうぶじゃぞ、皆は何処でキャンプをしておるのかな?そこまで迎えに行ってあげよう」
「良いのですか?お祖父様」
「かまわんよ」
テントを張った場所を案内板で指しながら神主さんに教えた。
「綾乃ちゃんも一緒に泊まればいいのに。今日は子供は子供のテントで一緒に寝るんだよ。マットの予備もあるよ。ご飯も食べ切れないくらいあるし」
「うちもタイルケットは余分に持って来てある」
「でもご両親にご迷惑をおかけするわけにはいかないわ」
「迷惑だなんて思うわけないでしょ。それにそう言うってことは綾乃ちゃんの予定は大丈夫ってことだよね?」
綾乃ちゃんとキャンプしたいよぉ。とノーラがせがむ。
「私は大丈夫なのだけれど……」
綾乃はお祖父さんの顔を伺う。
「それならお世話になっておいで。明日のバイオリンは午後からじゃろ。それに間に合うように迎えに来てやるで。綾乃は自分の気持ちを我慢してしまう所があるからな。たまには素直になりなさい。栄一と薫子さんにはわしから話しておくから心配せんでええ。そうじゃな、わしもご挨拶に行くからみんな車に乗りなさい」
「ありがとうございます!お祖父様!」
「わーい!綾乃ちゃんとキャンプーやったー」
車に乗せてもらってテントに戻った
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テントに戻った時に撮った写真は記憶を鮮明にしていた。
その後も色々あった。蚊に刺されて怒ったノーラをみんなで笑いながら蚊取り線香で囲ったり、バーベキューの後はジェームスさんの望遠鏡を交代で覗いてみんなで芝生に寝そべって夏の星座を探した。
翌朝、暑さと陽の光に起きると遥斗の貸した短パンにノーラのTシャツを着た綾乃と川で遊んだ。みんなびしゃびしゃになって笑いころげて泥んこで帰ると怒られた。
その年の秋になると遙斗は時々神社に遊びに行くようになった。
綾乃は昔はお蚕様の部屋だっという部屋に日本の神話や家紋の本、編み物や組紐の本を置いていてよく編み物をしていた。ある時、お蚕様の成虫が載っているという写真集を見せてくれた。虫が苦手なノーラは見るのを拒否していたけど意外なことにモフモフで小さい動物のようなお蚕様の写真を見るとこのバタフリー飼いたい!と手のひらを返して綾乃と遥斗を笑わせた。
綾乃は武葉槌命という織物の神様を祀っている天羽神社の巫女がやる神事には2つあって、一つはお祭り弓という弓矢の神事でもう一つが機織りなのと教えてくれた。神事だから大人にならないと織らせてもらえないという布を織るのを楽しみしていて、その時に気に入った模様を織れるように色んな模様を編んでいるのよ、と柔らかい笑顔で遙斗に教えた。
森での思い出でした。
次は「リボルバー」です。遥斗の所属する工学部がロボット大会に望みます。




