巣立ち
空虚で無為な日々が積み重なってゆく。
ガラス張りの温室に日が昇り沈む。それがただ繰り返される日々。しかしその単調な繰り返しの中にも細やかな変化があった。蕾を膨らまさせてゆく花。誇らしげに広げていた花弁を落とし、隣の蕾にこれから咲く隙間を譲って散りゆく赤い花。這いつくばって手を伸ばすように必死に蔓を延ばし、天に向かって伸びた茎の先に小さな黄色い花弁が開いた。命の営みを見守るようにハルトは温室の世話を続けた。
どれくらいの日にちが経ったのか分からなかったが、ハルトが守りの森に入って以来、初めて温室にハロルドが上がって来た。ハルトの顔を見てハロルドが口を開いた。
「ちょうどええ。ちょっと付き合え」
初号機を出すように言われたハルトは守り鴉のレイヴンに乗ったハロルドに導かれ、いつものロダ村付近の泉に降りた。そこには三頭の馬に乗った騎士達が待っていた。
降りてみるとオーブとその側近だった。
「ここまでで良い」
側近の2人が頭を下げる。
「ハルト、これからまた森に入るんじゃが飛甲機をオーブに貸してやってはくれんか?」
「それは構いませんけれど」
「良いのか?」
「その方がオーブも良いのではないか?」
「心遣いに感謝する」
オーブが飛ばす初号機に並走する守り鴉の後ろに乗ったハルトはハロルドに尋ねる。
「どこに行くんですか?」
「オーブの恒例行事じゃ。行けばわかる」
奥深い森に降りた。そこは結界の光の壁の向こうに蟲の死骸が数多く横たわる奥森との境だった。結界は崩れた遺跡から延び、その遺跡の隅に一本の剣が地面に突き刺さっている。
オーブは剣の辺りの雑草を抜き、剣を拭いて汚れを落として輝きを取り戻させると花を供えて膝を折る。そして両手を組んで祈りを捧げ始めた。
立ち上がったオーブにハルトが近づくとその奥には数え切れない数の剣が立っていた。
バトルフィールドクロス。戦死者の墓標である。
「ここは蟲の暴走を食い止めた場所でな。多くの命がここで散ったんじゃ」
「あの時ここで食い止めねばロダは無くなっていただろう」
すれ違いざまにハルトにそう言ったオーブは初号機に戻って撫でるようにその装甲を触った。
「あの時にこれがあれば救えた命もあったはずだ」
「――もう二度と同じ過ちは犯さぬ」
振り向いたオーブは墓標に向って言葉をかけた。
初号機に乗り込み飛び立ったオーブを追う守り鴉の背中でハルトはハロルドに問う。
「何があったんですか?」
「まだオーブが若かった頃の話しじゃ。オーブは結婚したばかりの女流騎士の奥方をあそこで亡くした。それ以来オーブは妻を迎えておらん。人が生きるにはそれぞれの理由がある。オーブがお前を可愛がるのも二人が望んでいた息子を見るように思えておるのじゃろう。それと今回のアントナーラの事件の発端となったのもあの付近じゃ。悔しいじゃろうな。オーブは」
それから無言の二人を乗せたまま守り殻は飛んだ。
側近が待つ泉の脇に降りたオーブにハルトが歩み寄る。
「アントナーラに戻ります。三機の飛甲機を格納出来るスペースは有りますか」
「作らせよう。だがハルト、無理はするなよ」
「2,3日したら行きます」
オーブはそれに頷いて馬上の人となり、ハルトは初号機を工房へと向けた。
ハルトがロダの家に戻り部屋に入ると机の上に広げたままだったアリシアからの手紙が折り畳まれ、花瓶に入られた白いゼラニムの花は散っていた。ハルトは赤いゼラニウムの鉢植えを持って裏庭にゆき、花をつけはじめた緑の中に植え替えた。ロダに戻っていたノエルが窓からそれをそっと見つめていた。
ハルトが工房に入り、ジュノーとミックに家を飛び出していた事を詫びると二人は無言で頷いた。二号機を動かし、初号機の整備を済ませると予定通りにミックが完成させていた二号機の一部分を赤く塗る。
終業時間の6時を工房の振り子時計が指すのを見てハルトはジュノーに「話しがあるんだ」と伝え二人でリビングに上がる。マリエールも二人と共にテーブルを囲む椅子に腰をおろした。
「父さん、母さん、俺、騎士になるよ」
「しっかりな」
ジュノーの短い言葉と、全てを知っているようにただ頷いたマリエールはハルトの言葉を受け入れた。
「今まで本当にありがとう」
「お前が選んだ道だ。巣立つ息子を見送ろう、マリエール」
「今夜は私も祝杯にお酒を注いで良いかしら」
「マーガレットとノエルにもジュースを持って行ってやろう」
ジュノーはガラス戸棚の一番上に飾ってある取っておきの酒瓶を出し、5つの杯とジュースを乗せたトレーを持ったマリエールと共にマーガレットの部屋に入った。
ハルトが騎士として貴族になることがマーガレットとノエルに告げられ杯が満たされる。
「ハルベルト・ブロックの新たな門出に」
厳かに杯が掲げられ、ハルトが杯を空けると「今夜はここで夕食にしましょう」と言い出したマリエールの言葉にノエルが部屋を片付け始め、ハルトとジュノーがマーガレットのベッドの横にテーブルと椅子が工房から持ち込まれて並べられる。家族との思い出話しは、何時しかマーガレットが読んでいる漫画の話しになり、これまでの日常はこれで最後なのだと、その時間をハルトは噛み締めた。
翌朝、警護の騎士団の長であるジョナサンに飛甲機を移動させ飛甲機開発の本拠地をアントナーラに移すことを告げたハルトは、翌日の移動に向けて整備とチェックに念を入れた。
ミックは使い慣れた溶接道具をジュノーに譲ってもらい、ハルトも工房で身の回りの品を残す物と持ってゆく物に選り分けた。
「ハルト、これを持って行け」
ジュノーが蟲殻を加工する古びたコテを差し出した。
「俺が父親から受け継いだものだ。先祖代々伝わって来たものだ。お前にはブロックの血が流れている。どんな時でもそれを忘れなければ大丈夫だ」
ハルトは無言で頷き、両手でそれを受け取って大切に革の布で包んで木箱の中に入れた。
準備を終えたその夜、一人部屋に戻ったハルトの部屋をノエルに支えられたマーガレットが訪れた。マーガレットの腕にはやっと立てるようになったというくらいのショコラの子供が抱えられていた。
「ちょっとくらい世話してから行きなよね」
ハルトは子犬を受取り小さな茶色い背中を撫でた。
チロルが来た時もこんなだったな。
一旦部屋を出て、ショコラと共に部屋に戻ってきたノエルの腕から降ろされた更に3匹の子犬に囲まれてテンテコ舞いになったハルトを見てマーガレットは笑った。
ショコラと子犬達と共に最後の夜の眠りについた。
裏庭で離陸を待つ三機の飛甲機を囲む家族とノエルと騎士団の姿が集まる。ノエルは伊右衛門を連れてモモとアントナーラに向かうことになっている。「一人で大丈夫」と言ったノエルだったが帰投する騎士団と共に走る事となり閲兵式までに合流する事になっていた。
ハルトは部屋の窓から手を振るマーガレットに手を振り返し、飛行服のベルトを緩めて胸の内ポケットから懐中時計を取り出した。成人式の日に家族から贈られた懐中時計で時間を確かめ、旅立ちの時を胸に刻む。
懐中時計を胸の内ポケットに戻し、飛行服の上から懐中時計の上に拳を重ね敬礼の姿勢を両親に向けて取った。
「行ってくる」
ハルトにジュノーとマリエールが駆け寄った。
長く厚い包容を二人を交しハルトはタラップを上がる。
後部座席にミックが乗り込みハルトは初号機の羽を震わせた。
二号機にジョナサンが、零号機にユージンが乗り込み三機の飛甲機がロダの空に舞った。その姿が見えなくなるまでジュノーとマリエールは裏庭で、マーガレットは部屋のベッドから手を振り続けていた。
アントナーラの開発工房の着陸地に降ろした飛甲機が敷地内の移動用に作られた台車に載せられ、騎士と技術者たちが開発工房に運んでゆく。もうしばらくすれば専用の格納庫が用意されるのだと言う騎士の案内でハルトは館に向かう馬車に乗った。オーブの謁見室に繋がるエレベーターの前でアリシアがいた病室に繋がるエレベーターの扉を見る。
もうあの部屋にもアリシアいないんだな。俺は守るべきものを間違えた。けど、いや、だからこそ守ることを生業としてこの世界で生きている人たちと共に行こう。
決意をあらたに病室に通づるエレベーターに出入りする人々を眺めた。
対策本部ではなく謁見室に呼ばれた意味をハルトは理解していた。
謁見室には数多くのオーブの部下が集い、側近が傍らに立つオーブの前に出たハルトは直立して言葉を放つ。
「只今戻りました」
その先を促すようにオーブは頷いた。
「騎士として、私の持つものをこの地の為にお役立て下さい」
「――ハルベルト・ブロック。其方の申し出を謹んで受けよう。連邦貴族としては王宮の承認が必要だが、アントナーラの貴族と認め、騎士としての入団式を明後日に行なう。ベンヤミン、ハルトに式の詳細を教える騎士を一人と側使えを付けろ」
ベンヤミンに続いて謁見の間を退出するハルトに、両側に並んだ騎士たちが敬礼を掲げてゆく。騎士たちは献身的に蟲の襲撃から街を守ったハルトに、左の胸に右手の拳を当てて敬意を示した。まだ騎士ではないハルトは敬礼を返すことはせずに心の中で礼をつくしそのまま歩いた。
館の一室を与えられたハルトにユージンと老齢の男性の側使えがついた。ハルトは二人と挨拶を交わすとユージンと共に初号機の格納された開発工房に戻って私物を馬車に運び込んだ。馬車が開発工房の表玄関から出発すると病棟になっている製造工房を回って裏門に出ようとする。怪我や毒を負った兵士達はすでに病室から出て、大部分が仕事に復帰しているというユージンの説明に安堵するハルトの目に、通用門から中の様子を伺うケビンとカールの姿が映った。
ハルトは通用門に馬車を寄せてもらう。
「ケビン、カール」
「ハル!」
門を守る騎士に事情を話したがケビンとカールは中に入る事が出来ず、ハルトが門の外に出て立ち話になった。
「会えて良かったよ。ここで働く者だって言っても入れてもらえなくて」
「事件で警備が厳しくなってるから。ところでどうした?」
弟のカールが答えた。
「友達がいなくなったんだ。誘拐があったんだろ?ハルなら何か知ってるかも知れないと思って」
事情を聞くと職人の家族で仲の良かった同い年の子供が帰って来ない。という事だった。
「八人の子供はアントナーラの近辺の納屋から助け出されたんだけど、それ以外の拉致された子供の消息はまだつかめてないらしい」
「そっか……」
「領主様や騎士団も必死になって探してる。信じよう」
「すげーいいヤツだったんだ。俺に出来ることはないかな?」
「領主様はアントナーラ子供は俺の子も同然だって言って探してる。任せよう。何か分かったらすぐ連絡するよ。一月もしたらここの仕事が始まると思う。それまでに行方がわかることを祈ろう。仕事の方も始まることが決まったら連絡するようにしとくからもうちょっと待ってて」
「分かった。ありがとな。ハル」
くだけた口調で話せるアントナーラでは貴重な二人を見送ってハルトは馬車に戻った。
「働いてもらう予定だった職人さん達の事も考えないと」
「その前に入団式の作法と閲兵式の打ち合わせだ。始業が遅れた職人への補償は運用部が考えてくれるさ」
ユージンの言葉にハルトは一つ一つやるしかないな、と思い返し眼の前にあることに集中する事にする。この春で入団から三年が経ち、寮を出るユージンはアントナーラに新居を構えてミックの姉を迎えることになっている。
ミックのお姉さんが無事で良かった。
ミックの家族は四人全員がアントナーラに移る事になっており両親の仕事も決まったようだ。
部屋に戻ったハルトは入団式の手ほどきをユージンから受け、式での受け答えのイントネーションと言葉と言葉のあいだの間などの作法を側使えの男から叩き込まれた。ハルトについた側使えは引退した騎士で、入団後は基本的に寮に入ることになる新団員の寮官兼教育係なのだそうだ。
「時間がない。もう一度。今日中に受け答えを覚えるように。明日は特殊な入団に際しての挨拶に入る」
どちらが仕えているか分からないスパルタ式で作法を叩き込まれた。
入団式の当日、初めて鎧を着込んだハルトはユージンと教育係に連れられて館の広間に向かう。
思ったよりずっと軽い。腕の装甲だけ少し重めの殻になってるのか。盾代わりにする所だからな。剣を振り下ろす時も重みが乗るように、とか?
広間に入ると練習した通り、兜を脱ぎ、受け取りに来た騎士に渡す。
ずらりと整列した鎧を着込んだ騎士の集団の中央が割れオーブが座る壇上の椅子に向って道が出来る。
その動きに一切の乱れはない。ハルトを通す騎士達が形作る通路の最前列にはロダから戻ったばかりのジョナサンとアントナーラ騎士団の鎧をまとったカッツェの姿があった。結界に派遣されている部隊と門戸の警備を除いての騎士団員ほぼ総出の式である。
騎士達の間をハルトは最前列まで歩みを進る。一旦立ち止まるとハルトが通ってきた道が埋まり騎士達が前を向く。
ハルトは名を告げを終えると、壇上のオーブの両脇を騎士団長、大司教が固め、上級貴族達が一列後ろに並ぶ上段に向かって雛壇を登る。
立ち上がったオーブの前でハルトは胸に拳を当て、片膝をついて傅いた
「アントナーラの騎士として、この身をこの地の人々に捧げます」
「一般の騎士の入団とは違い特殊な入団ではあるが、ハルベルト・ブロックを我が領地の騎士として迎える」
ベンヤミン騎士団長がオーブ・アントナーラに手渡した剣がオーブの手から授けられる。両手でそれを受け取り、立ち上がったハルトは胸の前に掲げた。
「私の持てる全てをこの地の為に」
剣を逆さに返し、先端を床につけてオーブに一礼し、体を入れ替えて正面に向けた。
「私の持てる全てを仲間となる全ての騎士に」
一糸の乱れもなく整列した約400名の騎士達が一斉に拳を胸に当て、敬礼をハルトに捧げた。
ハルトは剣を腰の鞘に納め、敬礼を返す。
それを見届けたオーブが騎士達に向かって語り出す。
「皆も知っての通りハルトは飛甲機を生み出した男だ。それが我々にどれほどの力を与えてくれるのかは既にこの場で語る必要もないだろう。我々の仲間となったハルトを鍛え、守れ。この度の襲撃は人によって起こされた。蟲からの防御だけでなくテロという新たな人との戦いにも備えねばならぬ。これまでの常識を捨て、何が最も有効な防衛となるのかを騎士団総員一丸となって考えよ」
ドンッ!騎士たちの胸が拳で叩かれ、一打ちの打音が広場に響き渡った。
「ハルベルト・ブロックを中級騎士として騎士団に迎える。新たな団員を迎えた皆の活躍を期待する」
オーブは騎士団を一瞥し腰を降ろす。
アントナーラにおいて中級騎士とは尉官を意味する。いきなり上官となるハルトの言葉を下級騎士が後方で見守っている。
自分の言葉で話せ。と教育係に言われた挨拶をハルトは発した。
「私は貴族の生まれではありません。しかしブロックの名に恥じぬよう、という父の言葉を胸に汗を流して来ました。神の武器を打ったとされるブロックの名を汚さぬ働きをもってアントナーラ騎士団に尽くします。この地の人々から災いを取り除き、その顔から笑顔を奪わせぬ為に。ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」
表情に一切の甘えを見せること無くハルトは語った。
一瞬の間をおいて騎士団の敬礼の打音が響いた。
良かった。受け入れられたみたいだ。落ち度のない仕事をしてやる。
再び通路を作り、向き合った騎士達の中を、表情を引き締め、背筋を伸ばして歩きハルトは退出した。
新たな門出を決意したハルト。
年内の投稿は今日で納めようと思います。
良いお年をです。




