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甲殻の翼  作者: 月弓 陽
アントナーラ編
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それぞれの道

 新工房の視察を終えたハルトはアリシアとパッカード家の私邸の前に立っていた。大商会のパッカードの名に恥じない屋敷だが、成金趣味の雰囲気はない。伝統に重きをおき、木造部分も目立つ自然と調和した邸宅にハルトはアリシアに導かれて入った。


「ここでゆっくりしていてくださいね。私は着替えて来ますから」

 応接室、と言ってもロダの工房の応接室とは比べ物にならない広さと調度品の数々。

 先代なのだろう。黒塗りの馬車の前で貴族と立つ年老いた男と若い男。その横に小さな女子が描かれてる絵画や、歴史を感じさせるパッカードの看板を抱いた小さな工房の絵などが壁にかけられている。その中に飛甲機を描いた大きな絵が2枚あった。一枚は操縦席のハルトの肩にアリシアが手を置いて立つ油彩だ。

「お茶をお持ちしました」

 ステュアートがカートを押すメイドを連れて入って来た。

「パッカードさんのお宅にこの絵があるのが感慨深いです」

「最初はお二人の絵をお嬢様が描かせたのですが、ジェルマン様が飛甲機はこれからのパッカードの象徴になる。とハルト様と飛甲機の絵も頼んだのです」

「なんだか照れくさいです」

「ハルト様、あなたは次代のパッカード当主になられるのです。威厳を持ち、胸をお張り下さい」

 威厳や持って胸を張れ、か。俺はそういう風に俺はなって行くんだろうか?意識が小市民のまんまなんだけど。

「しかしながらお嬢様は気さくなハルト様をお気に召してますから、この家の中ではいつも通りで良いかと思いますよ。おくつろぎ下さい」


 ハルトはステュアートに勧められたソファーに腰を下ろしてお茶を煎れたメイドに礼を述べた。

「初めましてハルト様。お嬢様の身の回りのお世話もさせて頂いておりますユーナと申します」

「こちらこそ宜しくお願いします」

 清楚な紺色のワンピースに白いフリルエプロンの正統なメイド服を着た壮年の女性の落ち着いた声にハルトは普段通りに答えた。

「お嬢様の言う通り、飾らない素敵な方ですのね。とても大きな貢献を商会にして下さったというのに」

「年長の方を敬うのは当たり前だと言われて育ちましたから。変なところがあったら教えて下さい」

「とんでもない。ありがたいことです」

「ステュアートさんにもお願いします。上流社会の言葉使いや作法もよくわからなくて」

「先代も当初は苦労なさいました。僭越ながら先代には私が指導したのです。おまかせ下さい」

 ステュアートさんが側にいてくれたら安心だ。

 ハルトがほっとした所に着替えたアリシアとジェルマンが入ってきた。ユーナが退出しステュアートは一歩下がって扉に前に立つ。

「ステュアートも座って下さい」

 ジェルマンにそう言われたステュアートはあらためてソファーに近づき腰を降ろした。


 婚姻は新工房の稼働が落ち着いた春から夏の間にという事に決まった。

 ハルトとアリシアが暮らす新宅を敷地内に建てることになり、ステュアートがハルトとアリシアに付くことが告げられた。ユーナも新宅に移るという。

 良かった。新しい生活も良い人達に恵まれて始められそうだ。

 安堵したハルトをアリシアは優しく見つめていた。


 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 守りの森の巨木。その中の一室に閉じ籠もったままのノエルの部屋にノックが鳴る。数日ぶりの来訪にノエルは神妙な面持ちで扉を開けた。兄のジルと久しぶりの両親の来訪だった。

「ノエル、父さんと母さんが帰って来た」

「ノエル、ロダでの話しを聞いたわ。ごめんなさい。遅くなって」

 母、エミーに抱きしめられたノエルは顔を横に振る。

「ううん、お父さんとお母さんが帰って来て安心したよ」

「すまないな、ノエル。でも待望の赤い石に繋がる遺跡を見つけた。ほら」

 父親のボブが革袋から小さな赤い石の欠片を取り出し手の平に乗せて見せる。

「これは欠片だけどもっと大きな石があったようだ、それも複数。王都の大掛かりな調査団に先を越されてしまったけれど、それでもこの赤い貴石には力がある。ノエルが『きっとあるよ、探してみようよ』と言ってくれたお陰だ」

「そうよ。ノエルのお陰でいにしえのマナを扱う技術が復活すかもしれないわ」

 石を手渡されたノエルは窓の光に翳して見る。透き通った赤い石が陽光に輝いていた。


 その頃、アルフリードの執務室、巨木の中の守りの森の本部にはアルフリードとハロルドがいた。ウルデと幼い人の姿になったラフィーの姿もある。

「まったく、あの小僧の言うことには手を焼かせられるわい」

「だがハルトが言うように、本当に鎮めの粉を撃てるようになったら蟲と人間の戦い方が変わる。森を治める妾としては期待したい。蟲と人との諍いで森が荒れずに済む」

「ウルデ様は如何お考えでしょう?」

「あたしはあいつを認めてやった手前何も言わんよ」

「ハロルド様の今後の動きは?」

「わしは差し当たって坊主2号の接続機構の面倒を見ようと思う。アントナーラの飛甲機の数を増やして騎士団が空から哨戒が出来るようになるのは大きいからの。先ずはそれからじゃ」

「うむ、奥森の蟲にこれまでにない動きがある。スタンピードの予兆かも知れぬ。情報収集に人間が入って来るのは正直助かる。それに気になる事もあるのでな」

「火炎蜂のことですね」

「そうじゃ。あの火炎蜂は妖精の森に近い結界を破って出てきた。一旦は妖精の森を目指した事が判明しておる。妖精の森の迷いの術に弾かれて進路を変えたとしても何らかの強い力に惹きつけられて出てきた事は明白じゃ。それはおそらく噂の繭だと睨んでおるのだが」

「スクルディアが何をやってるのかは解らんけど、何かに巻き込まれてるなこれは。ベルダンティアが主神の神々を訪ねてまわっているがまだ連絡がない」

「いずれにせよ鎮めの粉の射出実験にも取り掛からねばならん。本来ならマナの通った卵を手に入れるには王宮に協力要請すべきなんじゃろうが王族に話しを持っていくと面倒な事になりそうで頭が痛いわい」


「今の王はマトモな部類ではなかったか?妾はそう認識しておるが」

 はて?という顔で首を傾げるラフィーにウルデが答えた。

「まぁ今の王族は王、王妃共に真っ当なんだけど、馬鹿息子どもはほっとくとして、姫達の王位継承で揉めるだろうな、あれは」

「どういうことじゃ?」

「グランノルンの王位は男が継ぐ、しかし実権は王妃に有るよな。女の尻しか追いかけてない王子どもに王妃が後を継がせるとは思えん。そうなると王女が婿を迎える事になるのだがこれも癖がある奴ばかりでな」

「第一王女には会うた事があるが、あれは、ほわわんとして見えるが実は切れ者じゃぞ」

「その天然第一王女の継承権を騎士団総長を務める第二王女が狙っている。自らも出陣し、蟲からの防衛に実績を上げている第二王女を王妃に担ごうとする勢力も大きい」

「確かにあの女なら最も有効な手立てを持って蟲からの被害を抑えるだろうが、蟲など殺してしまえば良い、という気性はちと危険じゃな」

「その第二王女の勢力がここ最近大きくなってるんだ。第三王女が古代の文献を読み進めて軍備を格段に強化する物を作りつつあるとか何とか」

「まだ成人もしておらん変わりもんか。異常に本が好きなやつじゃな」

「古の魔術を復活させるであろう第三王女を王妃に、という勢力も出来つつあるらしい。何かに取り憑かれたように古代文明の石版の解析に没頭しているとか言っていたな。変態と言ってもいい程の本好きだが草紙や漫画の類ばかり欲していた姫のはずなんだが。王族は何か隠してるような気もするんだよなぁ」

「うむ、森の遺跡、正確には古代の神殿の遺跡を狙って王宮の調査団が森に入って来ておった。ボブとエミーが残された赤い貴石の欠片をこの森の持ち帰っておる」


「まったくハルトの飛甲機と言い、なんで急に物事が動くかなぁ。メンドクサイ」

「スタンピードに備えろ、という大自然の導きやも知れん。後手に回る前に打てる手は打って置きたいと妾は考えるが」

「そうですな。蟲の暴走はもうごめんじゃ」

「あの時のお前はかっこ良かったぞ」

 ウルデはハロルドを見つめた。


「そうは言うても今はただの老いぼれですからな。さて、わしはわしのやるべき事をやるとするかの。射出機の件は王族にはある程度の結果が出てから話そうと思います。それでよろしいかな?」

「良かろう。卵の殻については妾が手配しよう」

「ありがとうございます。では」

「妾も自分の森に戻る」

 ハロルドとラフィーはアルフリードの執務室を出た。


「ラフィー様にお気を使わさせてしまいましたかの?」

「たまには二人で会わさせてやれ」

「はい」


 エレベーターで階下に降りた二人の歩く廊下の先でカッツェがノエルの部屋に入っていった。

「ノエルは大丈夫かの?」

「ノエルは強い娘です。大丈夫だと思うておりますよ」

「ノエルを頼んだぞ」

 ハロルドは黙って頷いた。



 しかし、ノエルはいつまで経っても自室に籠もったまま一向に出てくる気配がなかった。厳しかった寒さが日ごとに緩み、森の木々の隙間から射さしこむ光が守りの森を照らす時間が伸びてゆく。


「アルフリード様、ノエルは大丈夫でしょうか?もう二月ふたつきになります」

「カッツェ、傷ついた獣は完全に傷が癒えるまでその姿を現すことはない。食うか食われるかの世界に身を置く種族の生存本能だ。それがノエルにも色濃く流れているのだろう。今はそっとして置いてやりなさい」

「しかし、いつまでもこのままでは……私もそろそろハルトの警護に戻らねばなりませんし」

「今ノエルは古代の文献を読み込んでいる。ロダの聖地の地下の文献を模写してるうちに古代語を読めるようになったのでな。赤い貴石について調べている。夢中になれるものがあるのだ。そのうちに心の傷も癒えよう」


 敬愛するアルフリードにそう言われていても、ノエルを案じるカッツェは意を決したようにノエルの部屋を訪ねた。カッツェが守りの森にいられる日々に終わりが近づいていた。

「ノエル、あまり無理するなよ」

「ありがと。でももうこの森にある文献は殆ど読んじゃったから」

「ノエルは凄いな。俺にはそんな沢山の本は読めんよ」

「ううん、カッツェには感謝してる。カッツェだってアリシアさんのこと好きだったんでしょ?」

「気がついてたのか」

「まあねぇ。って言うか分かりやすいよ。カッツェは」

「女って怖いな」

「女じゃ無くても分かるって」

 久しぶりノエルの顔が緩んだ。しかしまた引き締まった表情でノエルは告げる。

「わたしロダに戻る。モモちゃんの事もあるし。それにハロルド様はいずれ王宮に行くんでしょ。だったらわたしも行ってみたい。赤い貴石が王宮でどう使われてるのかを知りたい。王宮にある文献も読んでみたいし」

「飛甲機の開発者になってるから王宮の閲兵式に同行できない事もないな。けど文献を読まさせてくれるかは分かんないぞ」

「あの貴石の使い道を考えてる人なんてそう多くないと思うから何とか食い込んでみるよ」

「ほんと恐れ入るよ」

「女は切り替えたら早いし強いんだよ」

「もう大丈夫なんだな」

「うん」

「やれやれ、男の方が引きずるって本当だな」

「カッツェは凄いよ。辛いはずなのにそれを見せなかったでしょ」

「これでも一応は騎士だからな」

 


「俺、来週にはロダに戻るけど」

「一緒に行く」

「よし、一緒にロダに帰ろう」

「うん」


 ノエルは窓の外を見る。木の根本の緑の中に小さな黄色い花がポツリと咲いている。奥深い守り森にも春の気配が近づいていた。



それぞれの道を進み始めるハルトとノエル。

次回は水曜日に投稿します。

読んで頂いてありがとうございます。感謝です☆

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