天国と地獄
ハルトとカッツェをが家に戻ると、笑みを取り戻した家族とノエルに迎えられ、緊迫した空気が消えていた。ハルトの土産に喜んだ女性陣が用意した食卓の空気は華やいだ。
「これで一安心だな。けれどパッカードさんに大きな借りを作ってしまった。仕事を頑張らんと」
「そうだね、俺も早く良い仕事が出来るようになりたい」
「腕は急には上がらんが、目の前の仕事と真剣に向き合ってればそのうち納得出来るものが作れるようになるもんだ」
眼前の危機を脱した家族は日常に戻ろうとしてた。
「あなた、仕事の話しも良いですけど来週はハルの成人式ですよ。ご馳走のお買い物の予定も立てて下さいね」
「結婚する訳でもないんだからバザールで買えばいいだろう?」
「もう、これだから男って。お祝いの料理を作るのは女の楽しみなんですからね。たまには街で食材のお買い物をしたいわ」
「考えておこう」
「それにしてもお兄ちゃんがもう結婚できる歳になるなんてねぇ」
「俺はそれより仕事が出来るようになりたい、まだ早いよ」
本当は腕を上げてアリシアに本職で近づきたい、だけど。
「成人したら婚約する人間も多いんだ。早いなんてことはないぞ。お前も少しは考えておけ」
返す言葉が見つからないハルトをノエルが見つめていた。
「父さん、街や王都では身分や家柄に差があると結婚出来ないの?」
「貴族の女性と平民の男性はめったに無いな。逆は無いでもないが。基本的には貴族も平民も釣り合いが大事だ」
「釣り合わない結婚はないの?」
「無くはない。先代のパッカードさん、ジェルマンさんの父上は元職人だ。パッカードのお嬢様に見初められて婿に入った先代がそれこそ馬車馬のように頑張って馬車の品質が上がって商会が大きくなったそうだ。だからパッカード商会は今でも職人を大事にしてくれる。それに応える仕事を納められるようにお前も頑張れ」
職人でもお嬢様と結婚出来るのか!しかもパッカード商会には前例がある!よっしゃああ!
夕食を終え、自分の部屋に入ったハルトは机の引き出しを開けて小さな木箱を出した。工房で仕事をするようになって火を扱うのと汚れるので外した綾乃の組紐が大切に仕舞ってある。
色鮮やかな組紐はハルトにとってお守りから未来への希望に変わっていた。
翌日、セルドが来ない事に安心したハルトは無駄口を叩くことなく仕事に集中した。
気がついた時には終業時間を過ぎ、ケビンやミックはもう帰っていた。
「もう手仕舞いだぞ」
「もうちょっとで区切りがいいから、そこまでやっちゃうよ」
「終わったら火の確認をしておけよ」
夕食にも少し遅れたけど、馬車の仕事の遅れは取り戻せそうだ。自分の仕事もだんだん納得出来るものが作れるようになって来てる。
ハルトは充実感に包まれていた。
何かが可怪しい。
ハルトがそう感じたのはそれから3,4日してのことだった。作業の手順に迷ったハルトがケビンやミックの相談しても「今、手が離せないから」などど妙に余所余所しい。あの時のクラスの雰囲気を思い出したハルトの心に靄がかかった。
トラウマになってて気にしすぎなのか?そういえば暫く昼休みのサッカルもしないで仕事してたな。友達は大事にしないと。
そう思ったハルトだったが二人は仕事が終わるとハルトに挨拶もなく帰ってしまった。
「ちょっと可怪しいな」
食事時には仕事の話しをしないジュノーがめずらしく仕事の話しを口にした。
「父さんもそう思う?」
「ん?」
「何だか、ケビンとミックの様子が変だなって」
「いや、そうではなくて、普段ならもう届いてないといけない次の仕事の書類や図面が届かないんだ。そろそろ今の部品が完成するというのに」
ハルトは疲れた顔のジェルマンを思い出す。
「ジェルマンさん、あの時顔色が良くなかったから調子が悪いのかもしれないね」
「そうかも知れんな。成人式の前日には出来た部品を引き取りに商会が来る。その時には持ってくるだろう」
仕事の遅れを取り戻した工房は追い込みに入っていた。少し余裕の出来たハルトは昼休みに久しぶりにボールを持ってケビンとミックを待った。昼食を取りに自宅に戻った二人は午後の仕事が始まるまで戻ってこなかった。
ぎくしゃくしたまま午後の仕事が進み、やはり挨拶もなく帰ろうとした二人をハルトは外で呼び止めた。
「どうしたんだよ?何かあったのか?」
「自分の胸に聞いてみろ」
振り向いたケビンは怒ったような呆れたような顔していた。
「俺が何かしたのか?」
「お前、分かってないのかよ。それとも知らない振りか?」
「どういうことだ?」
「――お前はカトーリはみんなで作ったって言ったよな。それなのに自分だけで権利を登録したんだろ?俺たちの事は考えなかったのかよ」
確かにそう言ったことをハルトは思い出した。
「村長のことがあってバタバタしてたからそこまで頭が回ってなかった。ごめん。正式に俺に権利が出来たらみんなで登録し直そう」
「はぁ?何言ってんだお前。お前は登録した権利を村長に売ったんだろ?その金を独り占めしたって村に来た商人に聞いたぞ」
「そんなことする訳ないだろ!」
「俺がガキの頃から知ってる仲のいい商人に聞いたんだ。嘘を付くのもいい加減にしろ!良い機会だから言っとくけど俺達はもう工房には来ない。この工房に良い噂がないって話しも聞いたしな。成人したら街の工房の仕事を探すことにしたから。じゃあな」
「ちょっと待てよ!」
ハルトの声に振り返ることなく二人は工房を後にした。
翌日、ケビンの父であるベントも工房に来なかった。「いったいどうしちまったんだ」と零すジュノーと午前中の仕事を終え、事情を調べに村に出たカッツェを交えて昼食を取った。
「私にも村の人達は余所余所しいですね。セルドが嫌がらせに商人に噂を流させたんじゃないでしょうか?」
「しかし困ったなこれでは納期に仕事が間にあわん。あと少しだと言うのに……」
「権利がこちらにあることを証明する書類を取ってきて噂を消してゆくしかないですね。俺が行って来ましょうか?」
対策を練っていると、玄関のドアノッカーが鳴った。
ジュノーとハルトが玄関に降りて扉を開けるとパッカード商会のエンブレムをつけたテオが立っていた。
「書類を二通お持ちしました。受け取りにサインをお願いします」
ジュノーが2つの受け取りのサインをして話しかけようとすると
「確かにお渡ししました。それでは失礼します」
有無を言わさず振り返ったテオは、そのままコボルに乗って帰ってしまった。
「何だ!?あの態度は」
ジュノーは扉を開けたまま封を破って書類を取り出す。続けてもう一枚の書類に目を通すジュノーの手が震えた。
「何の書類なの?」
「カトーリの権利がセルドに移った。それとパッカード商会が明日部品を取りに来るそうだ。別の工房に引き継ぐから未完成でも構わない、と。出来てもいない物を引き取って別の工房に回すという事がどういう事だか分かるか?お前は信用出来ないから仕事を任せられないと言ってるんだ。これは絶縁状だ」
その場に凍ったように固まったジュノーをハルトは呆然と見つめるしかなかった
「お困りのようですな。詳しいことは私からお話しましょう」
玄関の外に村の商人のような格好をしたデニスが立っていた。
デニスと工房の入り口の応接間に入るとカッツェも呼んで欲しいとデニスは言う。ソファーに座った三人がデニスと向き合った。
「いったいこれはどういう事なんでしょうか?」
「お怒りはごもっとだと思います。初めに断っておきますが、今日の私はパッカード商会の者ではなく個人として来ています。私はパッカード商会を離れることを決めました」
まだ暫く籍はありますがね。そう言いながらデニスは続ける。
「今回の件はジェルマン様がセルドの脅しに屈した訳ではありません。ご自身でお決めになった、というより後添えのソアンに従ったと言うべきでしょうな。パッカード商会は今経営が思わしくないのです。昨年上級貴族に納めた馬車が走っている最中に倒れる事故があったんですよ、車軸に問題があったとか。私は嵌められたんだと思ってますがね。しかし真面目なジェルマン様は失った信用を取り戻す為にその貴族と繋がりのあるソアンを娶った」
「そんなことになっていたんですか……」
「事故の補償も大変ですな。商会が傾くほどの額です。ソアンは同郷のセルドを通じて融資を受けることを纏めました。パッカードはその内ソアンに乗っ取られるでしょう……沈む船から鼠は逃げ出すもんですが、その鼠だって同じ船に乗っていた仲間のことを気にしながら船から降りるんじゃないですかね?」
そう言いながらデニスはジュノーを見つめた。
「カトーリの権利を得たセルドは権利を担保に息子の貴族の身分を手に入れました。セルドは大貴族からのパッカードへの融資を持ちかけ、ソアンは融資にセルドが口添えをする条件として出したアリシア様とスネイルの結婚をジェルマン様に押し通して融資の話を纏めてしまいました。大きな商会は三代目が潰すと言いますがスネイルがその三代目になるんでしょうな」
「そんなっ!!」
思わず立ち上がったハルトだったが、じわじわと無力感がハルトを満たしてゆく。その重さがハルトの体をソファーに沈ませた。
「ハルベルトさん、今回はあなたもいけませんでした」
「僕に何か落ち度があったんですか?」
「あの日の午後、あなたがサインした書類に、権利をギルドではなくパッカード商会が預かる、と書かれていたことに疑問を持ちませんでしたか? あの書類は一度書き直されています。あの日ギルドに来たソアンがジェルマンに新たに書き直させたのでしょう」
無力感が絶望に変わってゆく。家族を支える仕事を奪われ、アリシアという希望も奪われた。だがハルトに出来ることは無い。
「この先私は個人として情報を集めて動きます。この工房はパッカード商会の仕事が大きいんでしょう?」
デニスは工房の中を見渡せる応接室と工房を隔てるガラスの壁に目を向けた。
「私は王都での蟲殻の動きにも目を光らせています。この工房のお役に立てそうな事も話せると思うんですよ」
「助かります。当面は貯えで何とかなりますが、新しい取引先を探している間は私自身が仕事が出来ません」
「ここのところ蟲殻が高騰していますよね。それは蟲殻が王都に集められているからなのです。けれど王都の職人に加工の仕事が出された形跡がない。どうやら王宮の内部で何かを作っているようですな。加工職人が王宮に引き抜かれています。王都には仕事がありそうですよ」
「この工房を畳め、と」
「いやいや、誇り高き職人の生き方に口を出せる程の男ではありませんよ、私は。私の話が何かの参考になれば、ということです。――続けますが、王都では魔術具を扱う魔導師も王宮に招集されています。魔道具の修理が遅くてかなわないと商人が言っていました」
「魔導師ですか。何か大掛かりな魔道具でも作ってるんですかね……」
うーむ、と考えむジュノーにハルトは尋ねた。
「父さん、魔導師って魔道具を作るだけなの?魔術の研究をしてるとかはないのかな?」
「魔術?マナは魔道具に流して使うもんだ。昔話しみたいな事を言うな」
「いや、王都には魔術とか魔法が使える人がいるんじゃないかな?って思っただけ」
誤魔化すハルトにデニスは笑う。
「やはりハルベルトさんは面白い発想をしますな。結構、結構」
少し場の空気が緩む。デニスの話しが始まると再び引き締まった。
「王都の動きが気になって色々と調べてみたんですがね、かなり厳しく口外が禁じられているようで何をやっているか全く見えてこないのです。第三王女様のプロジェクトだという噂を聞いてコボルを納めに行く商人について行ったんですけど、まだ未成年の少女がそんなことを率いているとも思えなくてですね。見事に釣られてしまいましたよ、あれはカモフラージュでしょうね。今はどんな蟲が持ち込まれているのか蟲狩りと運搬商人から情報を集めています。そこから何か解るかも知れないのでその時は相談に乗ってくれませんか?」
「蟲の種類や何処を使うかによって用途が違うからそこは力になれるかもしれません」
「助かります。私が蟲殻加工の仕事の話しを聞いたら持ってきましょう。お互い協力していきましょう、ということで一つ宜しく」
デニスは頭を下げた。
「ところでカッツェさん。鳥の人の森では何か変わったことはないですか?奥森のことは蟲狩りや運搬商人に聞けるんですけど、鳥の人の森の話しを聞く機会はないもので」
「蟲狩りと通じているようなので知ってるかもしれませんけど、奥森の蟲が以前より頻繁に出てきていますね。王都の動きもそれに関係あるのかも」
「本当ですか!?蟲狩りからは聞かない話しです。それを蟲狩りが知らない筈がない。結界の維持と守る騎士の領分の話なので口外を禁じる指示が出ているのかも知れませんけれども」
「そうかも知れませんね。でも警戒することに越したことはありません。人里に蟲が出た、という話は聞きませんか?」
「今の所聞きませんね。――他にはないですか?些細なことでもかまいません」
「そうっすねぇ。うーん。ああ、イクリスの夜にフェルンがこの村に出たのは知ってます?我々の森にもちょくちょく顔を出してます。そろそろ村にも来るんじゃないかな?」
「フェルンですか。それは珍しい。妖精自体がここ20年程姿を現してないですよね?王命を受けた捜索隊が妖精の森に行ったきり帰って来なかったとか。蟲狩りも妖精の森の近くでは道に迷うと言ってました。森に詳しい蟲狩りがですよ。いやぁ、良い話を聞いた」
「僕は足に毒を受けてしまって半月に一度くらいそのフィレーネという妖精に癒してもらってます。いつ来るのかは分からくて、かなりきまぐれですけど。デニスさんが村に居る時に来たら教えましょうか?」
「私が村に居ない時でも教えて貰えると嬉しいです。仕事の件もありますから連絡方法を教えておきましょう。コボルを扱う商人にデニーを呼んでくれと言えば伝わります」
その後も暫く雑談を交した後「それでは今日はこのこの辺で」とデニスが帰ると重い現実がブロック家を覆った。
ジュノーがマリエールに仕事を失った事を伝える暗い雰囲気の中で、仕事と友人とアリシアさえもを失ったという事実をハルトはあらためて深く感じざるを得なかった。
事態はまだ終わっていませんでした。
今日は二話投稿します。続いて「成人式」です。




