ヤキトンボの沼
伊右衛門とモモの鞍の後ろに大きな荷物が積まれている。
鞍のバックは膨らみ、背中には厚めのズタ袋。その上に革の防水性のシートが巻かれ、冒険の雰囲気が満載だ。
伊右衛門には投網と虫取り網が取り付けられている。これが高かった。耐火性の網は火吹き山に生息する地蜘蛛の糸製品でとても高価で予算のほとんどをこれに使った。
虫取り網は投網の一部を切り取って同じ糸で普通の虫取り網の枠に「私も役に立つでしょう。お土産よろしくね」と言いながらマーガレットが縫い上げた。
腰に鉈を下げたハルトは一旦リビングに戻った。
まだ出発には時間がある。
リビングではノエルがお弁当を作っている。
色とりどりの具材の挟まったサンドイッチが笹の葉に包まれてゆく。
笹の葉に包むのはおにぎりでしょ、と思うけど米がないのはしょうがない。ノエルのサンドイッチは美味しいし。
「今日のお昼くらいは美味しいものを食べたいからね」
「本当にノエルはお料理が上手ねぇ、もう家にお嫁に来たら?」
「お兄ちゃん、もう決めちゃいなよぉ」
ノエルの顔が赤くなった。しっぽも揺れている。
ノエルと子供が出来たら尻尾はあるんだろうか?ついハルトは考えてしまった。
未来へ希望に満たされた充実した毎日だ。ここで幸せに暮らしていけるならそれもいいかもなぁ。
ほわん、としたハルトの傍でノエルはせっせと手を動かすのだが、笹の葉に包んだサンドイッチを布袋に入れるノエルの顔が曇った。
何か心配事でもあるのか?
「そろそろだぞー」
ジュノーの声に家族総出で水車小屋に向かう。
しばらくして黒いコボルに乗ったルシール、黄色いコボルのベルーナがやって来た。
「着いていきなりなんだが出発は明日にしないか?」
ルシールが開口一番に予想外の事を言う。
「何かトラブルでもあったんですか?」
「トラブルになりそうなんだ。これから天気が崩れるぞ」
ハルトは空を見上げる。うろこ雲の浮いた空は青い。
「西風が湿気を帯びてる。南の山はきっと雨が強くなる。今日はトンボも少ない」
「ハル、この人は信用していい。俺も古傷が痛む。今日は様子を見よう」
ジュノーの言葉に出発は延期になった。
ノエルの浮かない顔も晴れた。
みんな凄いな。
天気予報という情報に頼る癖がついていたハルトは、身の回りの気配が醸し出す情報を意識していなかった事に気がついた。
昔の人はこうやって敏感にいろんな事を感じてたんだろうな。
工房の蟲の殻に驚いた二人と話しをしたりチェルトをしたりして過ごしていると本当に雨が降ってきた。「多分今夜のうちに上がるだろう」と言うルシールの話に、明朝早くに出発することにして日暮れとともに休んだ。
夜が明けた。朝焼けが美しい。
この地域では朝焼けの日は晴れるのだそうだ。
ブロック一家に見送られた4羽のコボルが南に向かって出発した。
秋空の下、美女と可愛い幼なじみと幼女と陸オウムに乗っての遠出だ。何の文句もありませんってば。街は東だったし南は初めてだ。
街への街道とは違い、豊かな自然の色濃い風景にハルト達は入っていった。
「そろそろ昼食にしよう」
ルシールがそう言う頃には辺りの景色は一変していた。
両脇を鮮明かつ深い緑の森に挟まれ、まだ青々とした小さな棚畑が山に向かって段々と細くなってゆく。まるで日本の原初の棚田の風景のようだ。火山の地熱があるのか真夏のように蒸し暑い。ハルトは革の上着を脱いだ。田んぼのあぜ道のように積んである石の上に腰を下ろしヒナギクに火を点けてサンドイッチを食べていると籠と鎌を持った老夫婦が歩いて来た。
「こんにちわ」
ノエルが挨拶すると老夫婦は足を止めた。
「旅の人かい?こんな所に珍しい」
「ロダ村から来たんです。ヤキトンボが出る沼はあっちで合ってますか?」
「ヤキトンボなんて美味くないぞ。蝗の方が美味い。もっとも蝗が出るとわしらが困るんじゃが」
そう笑う老夫婦におやつとして持ってきたフリッターを渡す。
「こりゃあ、ありがたい。お礼に沼に行く途中にある泉の場所を教えよう。分かり難い所にあるから知らないと通り過ぎ過ぎてしまう」
老夫婦に泉の目印を聞いて、小川で動物の胃袋に漆を塗った水筒に水を入れてから森に入った。幸い大型の獣や蟲に遭遇することはなかったが、道に迷い結構な距離を引き返したのが響いて沼地に着く頃には辺りは暗くなり始めていた。一旦森に戻る事にして野営出来る場所に寝床を確保し薪を集める。「ちょっと行ってくる」パチンコを持って出ていったノエルが帰ってくると手には雉のようなホロホロ鳥のような鳥を下げていた。
羽を毟った鳥を焚き火で炙ってナイフで少しずつ削り四人で食べる。
「ところでハルトはヤキトンボを採って何をするんだ?」
「お香を作って成人式の時に教会に納めようと思って」
「殊勝な心がけよの。そのためにこんなに金を使うのか。工房の蟲の殻といいお主の家は余程儲かっていると見える」
金髪幼女は尊大な上に結構なツンだな。どんな甘やかされ方をしたんだろう?こりゃ世間の波に揉まれとく必要があるな。なんかあったらいっちょ揉んでやろう。
「ハルは虫除けのお香が作れないか?っていうのもあって来てるんだよ。世の中の役に立つ物が出来るかもしれないからって家族も応援してくれてるの」
一応目的は濁しておいた方が良いだろうと思ったけどノエルは二人を信用してるみたいだな。いやいや、ルシールの色気に惑わされてはいかん気がする。
「出来たらいいなぁ、くらいで素人に簡単に出来るとも思ってないんだけどね」
「けど、もし出来たら金になりそうな話しだな。上手くいったらあたしらも一枚噛まさせてくれよ」
「上手く行ってまた採集に来なきゃいけないような事になったら警護を依頼するよ」
「そういう意味じゃないんだけど……」
しょんぼりするルシールから寝ずの番をやることになって交代で起きる順番を決めてコボルに囲まれた寝袋に入った。
梢から朝日が差し込んでくる。ハルトは工房の作業用の革の上着に袖を通して革の手袋を着けた。
ヤキトンボは大きさは元の世界と同じくらいだが甲羅のついた硬い虫が好物で、食べる時に火を吹いて甲羅を剥がして食べるらしい。人も直接火をかけられると火傷をするし服が燃えて穴が開くのだという。ノエルも寝袋の下に敷いていた革の布地を肩から掛けて荷物を積んでいる。ハルトは革布をベルーナに貸してやり沼に向かった。
沼のほとりに深い紅色のヤキトンボが群れをなしている。
沼に倒れ込んだ倒木に登ったヤゴたちの背中が割れ、産まれたての赤い体に七色に輝く羽を広げている。
「そろそろやるか。みんな準備はいい?」
「あたしはこれがあれば十分だ」
鞘から抜いた剣を朝日に光らせて、変わらない服装のルシールが周囲の警戒に立つ。
「頼んだぞ。蛙の粘液まみれの女の子を連れて帰って変態扱いされる訳にはいかないからな」
ハルトはヤキトンボの群れに投網を放った。
ノエルは虫取り網ででヤキトンボを追う。
ヤキトンボは順調に集まって革袋もいい感じで膨れてきた。
ベルーナはそれを見ながら立っている。
「ベルーナも投げてみろよ、少しは仕事しろ」
ハルトはベルーナに投網を出した。
「何故ゆえにそげな事をせねばならん」
「立ってるだけでお金を貰える程、世の中甘くねーの」
グイッと更に投網を押し出す。
ベルーナはルシールに顔を向けて助けを求めるも、やってこいとルシールに顎で示されて渋々投網を受け取った。
「ここをこう持って、投げたい所より少し上に投げるつもりで投げてみろ」
手とり足取りベルーナに教えるハルト。何だかんだで優しい男なのだ。
ベルーナの投げた投網にヤキトンボの群れが入る。
ハルトと一緒に網を引くベルーナの顔が緩んだ。革手袋をしたハルトとノエルがヤキトンボを革袋に入れ終わると
「もう一回やる」
ベルーナは群れの濃いところに投網を投げた。調子に乗ったベルーナの投げた投網は沼の上の倒木の折れた枝に引っかかって引っ張れない。
「自分のやったことは自分で責任を取るもんだ」
ハルトに言われたベルーナが沼の上の倒木を歩いてゆく。近づいたヤキトンボに焦ったのか皮のマントを落とした。それを拾い上げてから「網を破らないように外せよー」とハルトに言われたベルーナは「何でこの私がこんなことを……」とぶつぶつ言いながら膝をつけて屈み込み、倒木の枝に引っかかった投網を外した。
「「あっ」」
音もなく沼から現れたヌメっとした黒いモノがベルーナの上半身を飲み込んだ。
山椒魚だ。
ハヤアシサンショウウオが枝に足を引っ掛けベルーナを沼に引きずり込もうと体をくねらせる。ルシールか駆け寄って足元に剣を振ると月さやのように山椒魚の鼻先が削げた。粘液が飛び散って二人に降りかかる。
それを見入っていたハルトとノエルの後ろでガサり、と音がした。
二人が振り返ると人を丸呑みできそうな黄色に赤い斑点の蛙が3匹森から顔を覗かせていた。
ハルト向かって伸びる蛙の舌を咄嗟に腰から抜いた鉈で落とす。粘液の混じったべたりとした血飛沫に視界が真っ赤に潰れた。
革のマントを振り落としながらノエルが放ったブーメランが別の蛙に眉間に刺さる。それと同時に伸びた舌でノエルを巻き取ったもう一匹の蛙の口にノエルが引き寄せられてゆく。その蛙の顔にモモが飛び込んで爪を立てた。ノエルは足首から短剣を抜いて巻き付い舌を切り落とす。
金髪がべったりしたベールナを脇に抱え、投網を靡かせながら走ってきたルシールが倒木から飛び降る。
「撤収するぞ!」
紫紺の瞳を見開いて大声を上げるルシール。ベルーナの指笛を聞いて駆け寄る黄色いコボルに二人は飛び乗った。ルシールの無人のコボルがそれに続く。
ノエルはモモのお尻を叩いて黒いコボルを追わせ、伊右衛門に乗ったハルトの後ろに後ろ向きに飛び乗ると背中を合わせた。
ノエルの腰の革袋から取り出された丸石が次々と蛙に向かって撃ち出され、次第に蛙の姿が小さくなっていった。
結局女の子は粘液まみれで、俺の顔は血まみれだ。何でこうなるの?俺望んでないよ?
深層心理では望んじゃってたのかもしれないけど……。
「あー気持ち悪い」
顔に粘液を滴らせながら、より一層体の線がくっきりと浮かび上がったルシールが服の胸元にペタペタと風を送っている。投網に絡まったままだったヤキトンボを革袋に入れて荷物を整え自分のコボルに乗り直した4人は泉を探した。根本に赤い花の咲く大木の枝に手ぬぐいを見つけて裏に回ると微かな獣道があった。下草の茂る獣道を進むと開けた岩場に泉が湧いていた。奥の岩場からは湯気が立っている。
「わーい、温泉だー」
バンザイしたノエルがさっそく服を脱ぎだした。
「決して覗くでないぞ」
ハルトを睨むベルーナ。
「はいはい」
ハルトは水辺に近づいて顔を洗った。
「ルシールのって綺麗だねぇ」
「お前こそ年齢の割に何だそのメロムは」
「まだまだモモオくらいですよぉ」
「さじづめベルーナはミニプラムルだな。いや、その種だな。わはは」
「失敬な」
「ベルーナ様もそのうち大きくなりますって。まだお若いんですからぁ」
きゃっきゃっと騒ぐ声が聞こえる
単語が何を指してるのか知らなくても何の話ししてるか分かっちゃうんですけど……
覗きませんよ。覗きませんとも。覗いて鶴になって飛んで行かれちゃ敵わないですからね。
更紗みたいな大きめの布を余分に持ってきて良かった。キャンプの時にこういう布が色んな場面で使えるを実感したからな。
敷物にもなりバスタオルにもなり風呂敷にもなる布は森林公園でのキャンプで大活躍したのだ。
バスタオルを巻いた風呂上がりのような格好の女の子達が洗濯を始めると、ハルトは温泉に入った。温かいお湯に浸かって生き返った感満載で泉の畔に戻ると、ハルトが鉈で落としておいた木の枝に通された女の子の服がコボルの鞍の後ろで旗のように風に靡いていた。黒い布を巻いたルシールは何故か網タイツだけは履いている。なんのポリシーですかそれ?
風呂上がりスタイルの女の子達を乗せたコボル達が服の旗を靡かせて村への帰り道を進んだ。
リアルに充実した採集の結果がどうなったかというと
爆発した!物理的に……
家に着いたハルトが、スコップに一掴みのヤキトンボを乗せて乾燥させようと工房で七輪に乗せたらバンッ!!! 豪快な音がして爆ぜた。
念の為に溶接用のガードつけてて助かったわぁ。やっぱ焦っちゃダメだな。
何だかんだあったけどルシールさん達が協力してくれたからゲット出来た素材だ、大事に使おう。父さんにも大分お金を使わさせちゃったし。虫取り網は置いてきちゃったからマーガレットのご機嫌も取らないと。
ハルトはランプの灯る工房で木板にヤキトンボを並べながら、マーガレットに何食べさせようか?と考えていた。
窓から零れる工房の光を見つめる2つの黒い影が暗い森の木の枝の上に立っている。
「あいつは何かやらかしそうだな」
大きい方の紫紺の瞳の女が呟いた。
「監視を続けねばならんな」
小さい影の黒いフードからは金色の髪が覗いている。
二つの影は胸に赤い星のついたローブを翻して森の闇に消えた。
何とかヤキトンボを採集出来たハルト。
次は「村祭りとそのツケ」です。




