新しい家族
水車小屋を過ぎ、まだ青さが残る麦の穂が風に揺れる畑を過ぎると柵の中に群れる羊達の先にドームのある家が見えて来た。その家の生け垣の前に二人の人影がある。
二人は遥斗の姿を見つけるとが寝間着姿のまま玄関先から走り寄ってハルトを抱きしめた。
「無事だったのか、良かった」
「ショコラが吠えながら走って行ったから、もしかしてと思ったけど本当に帰ってきた。本当によかったわ」
涙ぐむ両親と普通なら再会を喜び合う場面ハルトは少し困惑しながらもハルの記憶と気持ちを思い出してゆく。
「心配かけてごめん。せっかくのイクリスの日だったのに。詳しいことは家に入ってから話すけど、森に迷って白猿とロッキの争いに巻き込まれて襲われたんだ。鳥の人に助けて貰って送って貰った。この人は鳥の人のカッツェさん」
「鳥の人だと!?」
「カッツェと言います。お話ししておきたいこともあって見送りがてらついてきました」
礼を言い、頭を下げるジュノーの横でマリエールも頭を下げてからノエルを見た。
「ノエル、久しぶり。まぁ大きくなって。あなたもハルを助けてくれたの?」
「私たち今鳥の人の森で暮らしてるんだけど、ハルが森に来たから一緒に来たんだよ。マリーお母さん元気だった?」
「おかげさまで。マーガレットも元気よ」
「とにかく家に入ろう。カッツェさんもどうぞ」
生垣に挟まれた門に入るとハルトは家の細部を見渡した。
白いタイルにレンガ色の瓦の屋根、家の真ん中にある青い屋根の天体観測のドームの壁も白いタイルで出来てる。あのドームを上から見たら青い目に見えるだろうな。モダンな作りの家だ。一階には大きな引き戸、作業場の搬出口か。
ハルトが落ちた窓とは逆側になる玄関には白い花の鉢植えが並んでいた。
マーガレットかな?でもマーガレットは春の花のはずなんだけど。
初めてのような懐かしいような気持ちでハルトは家の中に入る。家に入るとまた少しハルの記憶が蘇って来た。
蟲の殻を加工する一階の工房を横にして廊下を進み、家族が暮らす二階に上がる。キッチンのあるリビングのテーブルに座るとマリエールがポンプを押して水を出した。透明のガラスで出来たヤカンに水を満たすとコンロのようなものに乗せ、ボタンを押して火を点けた。マリエールは、ノエル、お湯が湧いたら下ろしてね。着替えて来るから、と伝えるとジュノーと共に部屋を出ていった。
部屋の中まで水道は来てるな。ポンプを押さなきゃだけど。中世ヨーロッパ風な世界だと井戸の水汲みや薪割り大変だろうなぁ、とか思ってたけど。それにあれ何が燃えてるんだろう?すぐ火が点いたけど。ハルトが近寄ってコンロを見ると中で燃えているのは炭だった。
ハルの記憶はあってもハルの常識はハルトの不思議なのだ。頭を捻るハルトの横でノエルが慣れた様子でお湯の沸いたポットを鍋敷きの上に置き、戸棚から出したカップをテーブルに並べてゆく。
「お兄ちゃんお帰りぃ」
目をこすりながらパジャマ姿のマーガレットが着替えた両親と一緒に入って来た。
「ノエル?」
「マーちゃんっ!」
この二人も感動の再会って感じだな。
「マーガレット、着替えて外のお花に水をやって来てくれるかしら、私達はノエルとハルを送ってくれたカッツェさんとお話があるの」
「わかった。その代わり今日の朝ごはんはパンに蜂蜜つけてね」
「朝ごはんの時間になったら呼ぶわね」
やっぱマーガレットもちゃっかり者だわ。
マリエールがお茶をカップに注ぐと花の香りが起った。部屋には幾つも花瓶がありマリエールが花が好きなのがよく分かる。
「カッツェさん、ハルをどうもございました」
「まぁ生きてて良かったですよ。おっと、ごめんなさい。ハルトは怪我をしてたんですけど腕の良い呪術師が癒したんでもう大丈夫です」
「ハルト?」
「ああ、森の外ではまだ幼名で呼ぶんでしたね。ハルの真名はハルベルトでしょ?我々の森ではイクリスを過ぎたら真名で呼ぶんですけどノエルとジルはハルと呼ぶし面倒なんで間を取ってハルトと呼んでるんです」
「私もマリエールですけど友達は今でもマリーって呼びますからね。ハルが成人の式典でハルベルトになってもハルって呼ぼうかと思ってましたけど、ハルより大人っぽくて呼びやすいですね」
気に入ったわ。とマリエールは微笑んだ。
「ところでお前はあの夜どうしちまったんだ?やっぱりあのフェアルのせいか?」
「どうやらそうらしい。でもあの妖精も女神さまに言われてやったことだって」
「あのフェアルめ。何であろうと今度出てきたら許さん」
「森で白猿とロッキに襲われた怪我は鳥の人が癒してくれたんだけど、足首に掛かったロッキの毒を癒してくれたのはあの妖精のフィレーネなんだ。そんなに悪いやつじゃないし足首もまだ完全に治った訳じゃなくて、また治しに来てくれるみたいだから手荒なことはしないで欲しい」
「そうなのか?それなら仕方が無いな」
「それとジュノーさん、ここからが大事なことなんですけど」
カッツェが本題を切り出した。
「我々が発見した時、ハルトはロッキの毒の霧の中にいて意識も無く危険な状態でした。我々の森に連れ帰って癒しを施したのですが、目覚めた時には記憶を無くしていたんです。大分思い出したようですがまだ思い出せないことがあるみたいです」
ジュノーとマリエールは困惑した表情を隠せない。
「ハル、あなた何を覚えていないの?」
「そんなこと言われても、覚えていないことが何だか解かったらもう思い出してるってことでしょ。分からないことがあるから記憶がまだ戻ってないんだろうって」
「ハルはどんどん良くなってるよ。わたしと昔話したりゲームしたりしてたらどんどん思い出したから。それにわたし、鳥の人から癒しの指輪を借りて来たから暫くハルと一緒にいて癒しを続けるから大丈夫だよ。心配しなくていいよ」
この世界のことを知らないハルトが困った時に助けるように言われているノエルはそう説明し、遥斗の傍に付く理由を作った。遥斗が転生者だと知られない方が良いというのもあるが、ハルベルトがこの世界から居なくなったことを伝えて悲しませることもないだろう、というアルフリードの配慮でもあった。
「鳥の人がそこまでハルにしてくれるのか……」
「実は奥森でちょっと気になる動きがあるんです。今回のロッキの動きもそれに関係しているかもしれなくてハルトの話はとても役に立ちました。そのお礼だと思って下さい。それに蟲は一度襲った人間を忘れません。それから守る為にも祈りを込めたペンダントをハルトに渡してあります」
ベルダンティアのペンダントはそういうことになっている。
「ハルが大変お世話になりました。尊き鳥の人に救って頂いた感謝をジュノー・ブロックの名に懸けて忘れません」
ジュノーは立ち上がって右手を胸にあてカッツェに頭を下げた。マリエールも続いた。
「そんなに気を使わんで下さい。俺も暫くしたらこの村に派遣されます。多分街の騎士見習いとして派遣されることになるんでしょうけど任務の一環なんでお気遣いなく」
「何か蟲に不穏な動きがあるのでしょうか?」
「いや、もしもの為にですよ。村人にもあまり大げさに思って貰いたくないんで私にはざっくばらんに接して下さい。若輩ですし呼び捨てにしてくれると助かります。ハルトお前もな」
「しかし……」
躊躇するジュノーを置いてハルトは
「わかった、これからはカッツェって呼ぶよ」
「あらためてよろしくな。ハルト」
カッツェはと二カッと笑って答えた。
マリエールとノエルが朝食の準備を始め、鼻歌を歌いながらスクランブルエッグをふんわり焼いたノエルは、ノエルはお料理が上手ね、とマリエールに褒められて尻尾をフワらせ腰を振って喜んだ。朝食の準備が整うとマーガレットが入って来た。
「お兄ちゃん、家出どうだった?楽しかった?」
「家出じゃねぇっつーの。大変だったんだぞ」
「なーんだ」
どうやら性格も似てる模様。
パンにベーコン入りのスクランブルエッグとソーセージ、サラダにミルクの朝食、食事が美味しいことに安堵したハルトの顔に笑みが溢れる。ハルトはハーブが効いたドレッシングをサラダに追加した。マーガレットはスクランブルエッグにケチャップをかけてバターと蜂蜜を滴らせたパンをもぐもぐと食べている。
ほんと仕草がよく似てる。金髪だけど。俺の茶髪はお父さん似なんだな。
テーブルに並んだ瓶の中にはマヨネーズもあった。
前の世界の恋しいものを自作しなくてもよさそうだ。マヨラーでもないけど無いのは困る。
「ところでジュノーさん、俺がこの村に来た時に住む家ってありますかね?ノエルは暫くこちらでやっかいになるとしても俺までという訳にはいかないんで」
「ノエルの家族が昔住んでた家が空いてます。それほど傷んでないから掃除すれば大丈夫でしょう。私達で準備をしておきましょう」
「あのお家まだあるんだね!」
「新しく来た村長が奴隷を住まわせるから貸せと言ってきたんだが断った」
「奴隷を使う村長さんなの?」
「街の役人には評判が良いらしいが俺は好かん。村人にもあまり好かれてはいないようだな。カッツェが住んでくれるなら大助かりです。何時までに準備をしておきましょうか」
呼び捨てと敬語が混じったジュノーの話にカッツェは苦笑いしている。
「半月か遅くとも一月くらいで来れると思います、街での手続きもあるんで。それまでノエルをお願いします」
「ノエルはお料理も上手だし率先してお手伝いしてくれそうですもの。逆に助かるわ」
「私お皿洗ってこよーっ」
話を振られないうちに、という風にマーガレットが動き出して和やかな朝食が終わった。
朝食が済むとカッツェは森に戻るという。
「森でも引き継ぎやら何やらあるからな、早めに戻るよ。ハルトの両親が良い人で助かった」
そう言いながらリビングを出る背の高いカッツェが入り口の上の壁にゴツン!と頭をぶつけた。
「痛って」
頭を押さえるカッツェ。
頼もしいけど、おっちょこちょいなとこが將みたいだな。思わず笑っちった。
生け垣の門で深々とお辞儀をするハルトと家族、両手バイバイのノエルに見送られてカッツェは森に帰って行った。
カッツェを見送るとジュノーは仕事場に向かい、マリエールも「今日は午後から仕事だから今のうちに飼育小屋のお掃除だわ。ノエル、ハルをよろしくね」とエプロンをかけて外に出て行った。
「マリーお母さんは医術師、呪術師みたいなものだけど、の助手をしてるんだよ」
「そうなのか。母さんって呼べばいいんだよな」
「うん、ハルはそう呼んでた」
ハルトとノエルはリビングの扉の前を右に折れた。廊下の先にハルベルトの部屋がある。廊下の右側は一階の工房から吹き抜けになっていて、様々な見慣れないものが天井から滑車で吊り上げられていた。一番奥の部屋の前にあの蟲が吊られていた。頭、胴、羽とパーツに分割されていてやはり殻のようだ。
「何であれが動いたんだろう?」
「神様は気まぐれだからね。イクリスの夜だったしやっぱり悪戯したかったんじゃないかな?」
もしそうだとしても悪質だよな、と遥斗は思う。
部屋に入るとあの夜の部屋だった。
「今はハルの記憶があるから分かるけど、あの時は何が何だか分からなかった」
「多分大変だったよね。私が同じことになったら泣いちゃうと思う」
ハルトは感慨深く部屋を見回し本棚に近づいた。物語の本の他に加工技術の本がある。『グランノルンの仕事・加工職人編』という本を手に取った。焼き物とガラス加工、石切、蟲の殻の加工、炭焼き、が主な項目だった。これらが主要産業の様だ。
蟲の殻の加工は基本的に手作業で炉に入れて熱した道具で加工するのか。
焼き物とガラスはこの世界ではスタンダートな工業製品で、そのどちらにも必要な炉の燃料は蟲の粘液や鱗粉を混合したりしたものを焼き締めた炭なのか。
炭の種類は多岐に渡っていて種類ごとに焼き方が違い、職人の腕が大きく影響すると書かれている。
「やっぱり電気は無いのか。この家の照明もランプか蝋燭だけだし。鉄が無いから鋳造が発達しなかった。電気も生まれなかった。その代わり蟲の殻や器官を利用した技術が発達してる。で合ってるな」
「ハルは何を言ってるの?」
「ハルトだった時の世界と違う所を考えてたんだ。これから何の仕事をしていくのか考えなきゃだし」
「それじゃジュノーお父さんのとこに行こうよ。ハルはお父さんを超える職人になるんだよ。そう言って頑張ってたもん」
「分かった。父さんのところに行ってみよう。困ったら目配せするからフォローよろしくな」
「うん」
ハルトとノエルは工房のある階下に向った。
ハルトは仕事場に向かいます。まだまだ知らないことばかり。
次は、ノエル先生、です。




