ひらり
ひらり。ひらひらり。
薄桃色の花びらが舞い降りる。
霞のように続く桜吹雪の並木坂をあがる人影が三つあった。
爛漫と咲き満ちる桜の下で、立ち止まった着物姿のノーラが花で埋まった枝を見上げる。桜色の振り袖から裾にかけて薄紫の川と白い桜の華が流れ、帯は絹光沢の美しい白桜。藤色の伊達締めが柔らかさを出しつつ、ハート結びにされた金と真紅の帯紐が全体を引き締めている。
服飾番長、珠絵が命名、の面目躍如な装いのノーラはご機嫌だ。
「キラナの春はきれいだねぇ。王宮にも植えてもらいたいよ」
「交流事業とかで贈ろうか? 僕も来年は王宮で見たいし」
正式な外交官になった僧侶姿の焚哉が答えた。第二位階を示す紫の法衣は胤月と同じ色だ。
「余裕だな。しかもいつの間にか僧正様にもなってるし。すごいよ、焚哉」
ハルトが讃えたのは、焚哉が密かに試練を越えて上級騎士と同じ資格を得ていたからだ。
「僕なりに思うところもあるからね」
ハルトとカッツェはキラナの政治の中枢、本山に身を寄せている。しかしそれも明日までだ。ノーラは国外追放処分が解けたハルトを迎えに来ているのだった。「だって、お花見したかったんだもん」第三王女自らのお迎えに驚いたハルトにノーラは言ったものだ。
「桜の咲いた坂をのぼりたい」と、言い出したノーラにハルトと焚哉は付き合っている。わざわざ坂を下ってまた登って来た。どうやらノーラは桜が満開の高校の坂道をのぼることを楽しみにしていたようだ。今では叶うことのない望み。海外からの転入という入学が夏だったノーラを思うと付き合ってあげたくもなる。
焚哉を誘ったのはハルトだった。焚哉の受けた試練がどういうものだったのか興味があった。
焚哉は「個人的なことだから」と試練の核心部分は口にしなかったが、興味深い事実があった。焚哉の意識の中に現れたのは神々ではなく仏様だったと言うのだ。
「多分さ。物質的な存在じゃない高次の存在を認識するのに、自分の意識が影響してるんじゃないかな? 自分の中にあるイメージを再構築して接してる的な」
「なるほどな」
「それと何を基準に加護が降りるかっていうのも、神様や仏様が認めて下さるっていうよりも、自分の決心をどこまで本気で信じられるのか? の方が大きいような気がしたね。個人的な感想だけど」
「どうしてそう思った」
「じゃないと辻褄が合わないところがあるんだよ。これ以上は個人的なことになるから言い難いんだけど……」
ハルトの試練にはアリシアや綾乃への感情が大きく関わっていた。言い難いことがあるのはよく分かる。それ以上聞くのをやめて坂を登った。二の丸の庭園には茣蓙に座って花見を楽しむ仲間達の姿があった。
「カナブン型を観光バスに連れてきちゃうとか職権乱用じゃね?」
「いいじゃん、たまには。焚哉くんの外交官就任とハルトぅん復帰のお祝いも兼ねてなんだし」
「まぁ俺もみんなに会えて嬉しいけど」
「でしょでしょ」
三人は花見の席に戻って腰を下ろす。
「米の酒は酔うのお。ええ具合じゃ。わははは」
真っ赤な顔をしたハロルドの前には陶器の徳利が転がっている。小柄で白いあごひげが長いハロルドは瓢箪に入った日本酒を直飲みし始めた。
もうほっとこう。二日酔いになってしまえ。
ホステス業を覚えたソフィーのお酌が様になっていたのも飲みすぎの一因かもしれない。
ソフィーはハロルドを叱っておちょこを持たせた。どうやら大人ぶってお酌をしたいらしい。珠絵も調子に乗ってお酌をしまくっている。珠絵はカニ柄の反物で仕立てた和装を着ている。服飾番長のノーラの見立てで、珠絵はすっかりカニちゃんにご執心だという。
「坊主、帰ったら忙しくなるぞ」
ろれつの怪しいハロルドが、ハルトの肩を抱いて絡んできた。酒癖が悪い。何に忙しくなるのかは結局聞けずじまい。けれど戻れば焚哉と胤月も参加して学園が復活する。ノーラがご満悦なのも納得だった。
大正ロマンルックのノエルが酔いつぶれて寝てしまったハロルドとカッツェに上着を掛ける。
ナターシャの横笛の音が桜吹雪に溶けていった。
「お世話になりました」
わざわざ本丸の前庭まで見送りに出た大僧正に丁寧に礼を言い、ハルトがカナブン型に乗り込むと添乗員がハッチが閉めた。ちなみに綺麗なお姉さんが着ているキャビンアテンダントの衣装はノーラがデザインしたものだ。紺に白ラインのセパレート。スカート丈は短く黒のストッキング、首元でストライプのスカーフをリボン結びにしている。
見た目重視だな。うん、キレーなおねえさん悪くない。
カナブン型をハルトがしっかり見るのは初めてだ。遺跡の戦域ではすぐに妖精の森に向かって見る暇などなかった。人員輸送を主な目的とするカナブン型は腹部全体が収容スペースになっている。別の個体の甲羅で客室が覆われ、側面には四角いガラス窓がついていた。
飛行服を着る必要がなくて普段着で乗れるのは便利だな。
最大で三十人近く運べるカナブン型だが、この機体は座席が並んでるため収容人数が少ない。見た目は本当にバスのようだ。最後尾がベンチシートになっているのがそう思うわせるのかもしれない。高度が上がると機内の気温が下がるので、座席に毛布が用意されている。窓際の席についてシートベルトを締めた。静かに浮上した窓の外には、キラナの機体の証である白い機体に赤い丸と放射線が塗装されたロッキ型の護衛機が見えた。
こんな気持ちで飛甲機に乗るのは初めてだ。
ハルトは平和的に利用される機内でショコラの頭を撫でながら思った。
騎士団総長キザイアの執務室に挨拶向かうとキザイアとマティスに迎えられた。
將はまだ復帰してないか。
挨拶を終え、工房区域に入ると見慣れない施設が増えていて様子が一変していた。
第二開発工房の外見は変わらない。しかし中に入るとアバターシュとサジウスを隔てていた壁が取り払われ、工房全体がアバターシュ生産工房になっていた。いかにもキザイアと黒騎士専用の機体だとひと目みて分かる色と特徴を持ったアバターシュの最終調整が行われている。他にも三機の人型の製作が始まっていた。まだフレームと筋繊維が剥き出しだ。
サポート機であるイカルスとサジウスは生産と整備、格納を同時にこなす新たな施設に移された。アバターシュの格納庫も新設されている。近いうちに仕上げに入った機体も移されるだろう。
ハルトは第二工房を出て隣に建設された量産型アバターシュ開発実験工房にむかった。
天井が高い四角い建物の新開発工房では、新たな材料と構造のフレームの実験がノエルとハロルドを中心に行われている。帰りのカナブン型の中でも「迎え酒じゃ」と呑んでいたハロルドは案の定三日酔いで寝込んでいたらしく頭がボサボサ。
だから言ったのに。
ノエルの前には蟲の触覚など、マナの感応度が高い繊維を束ねた素材が何種類も置かれている。開発工房には流通度を計測する魔道具がずらりと並び、白衣を着た技師たちが計器盤をのぞきこみながらこまめに手を動かしている。
ハルトとノエルが中心になって作った機体はファースト・アバターシュと呼ばれるようになっていた。キラナにマティスが乗ってきた機体だ。晴れてハルトの専用機になった機体のフレームの予備パーツや、魔獣の骨を削り込んだパーツが解析機にかけられて、新規造成された素材との比較が行われている。
「フレームのパーツから作れるようになれば、魔獣の骨を探し回るよりよっぽど効率的じゃ。お前の資料が役にたっとる」
顔色が冴えないハロルドが言った。
爺さん飲みすぎっしょ。まだ唇青いし。
ハルトが突っ込むとハロルドはウコンの粉末を溶かした黄色い飲み物をがぶ飲みした。
「もっと言ってやってよ、ハル。ハロルド様ったら、頭が痛いからってまたお酒を飲もうとしたんだよ」
さすがのノエルも堪忍袋の緒が切れたらしい。
「実験資料が出来たら届けるね。ハルはそろそろ作業の時間でしょ。また学園で」
白衣と赤いメガネがすっかり板についたノエルに言われ、ハルトは工房を出る。次にアバターシュの格納庫に足を運んだ。アバターシュに乗って行う『作業』に従事することをキザイアから言い渡されているのだ。懲罰、というわけではない。アバターシュを無断使用した罪は抹消されている。
格納庫のハンガーには整備を終えたファースト・アバターシュの胸のコクピットのハッチが開かれて待機していた。いつでも搭乗できる状態だ。
獰猛な顔に騎士の兜のトサカ。蟲の殻を外装にした曲線的な装甲が複合的に絡みあっている。
薄いブルーを基調にした主要な装甲に金色の装飾がなされた完成形アバターシュを見入る。
武装は装着されていない。盾と武装はハンガーの両サイドにいつでも装着できるようにセッティングされている。パイロットの控え室でパイロットスーツに着替えると、懐かしい感触つつまれてハンガーの階段を昇った。
久しぶりのアバターシュのコクピットだ。
ハルトはハッチを愛でるようになでながら乗り込み、二重のハッチを閉めて液体化したマナに浸かる。モニターに火が灯り映像が入ってきた。
「発進どうぞ」
「ファースト・アバターシュ、出ます」
何か名前を考えてあげたいな。キザイア様は自分のアバターシュにまた名前をつけるだろうし。
アバターシュが足を踏み出してハンガーから前進すると目の前の壁が上下に開口してゆく。
ペガサス級強襲揚陸艦二番艦のカタパルトハッチみたいじゃん。
ノーラ分かってんなぁ。テンションあがるー。
前方が眩い外の光に四角く切り取られた。
アバターシュが軽く浮上し、背中に飛行ユニットにマナの光が吸い込まれてゆく。
「ハルト、行きます」
言ってみた。っていう動画作りたいぐらいだわ。この世界じゃできないけど。
「うおっ」
思ったより出力がデカイ。改良したとは聞いてたけど、アバターシュの体が軽い。
果てなき泉の湖上に直接出るハッチを抜けるとハルトは感触を確かめるようにアバターシュの体を左右にひねりながら高度を上げた。
反応速度も早い。これもう大規模改修したぐらい違うぞ。アバターシュ改って言ってもいいぐらいだ。
陽光が降り注ぐ湖上でアバターシュを思う存分舞わせたハルトは上空から王宮に入る。王宮を囲む壁のあちこちで土木作業が行われている。敵性を持った飛甲機の襲撃に対応するため、対空機銃を設置する作業が急ピッチで進められているのだ。これまでは必要なかった湖面側にも随所に見張り台が作られていた。夜になれば王城の塔には接触をさける光石が輝く。
ハルトは眼下に視線を落としてモニターの解像度を上げる。パイロットの意識に追随する視点制御モニターは手で操作する必要がほとんどない。何かを思うとその通りに反応する。魔道具バンザイである。
あれだ。
武装工廠の前に、台座に乗ったガトリングが引き出されてくるのを見てアバターシュを降ろした。
アバターシュの右腕に装着されるガトリングの二倍はある全長。三十ミリ口径の対空砲に繋がれたワイヤーを持って空中に上がる。
城壁の一部が四角くくり抜かれている。対空銃座を設置するために整地された区画が幾つも見える。設置場所を示す旗を見つけて降りる。ガトリングの設置にかかった。「対空砲を荷馬車に乗せて運び、いちいちクレーンを設置して配置するよりもアバターシュがやった方がよっぽど早い」キザイアが言うように、対空銃座は壁の上部に設置される箇所もあるのだ。
今日はこの作業が四ケ所ある。
急ピッチで進む対空砲の生産が追いつけば、壁の加工や土木作業も手伝うことになっている。
飛ばなくてもいいから作業用の人型が欲しいな。
それぐらいだったら下級騎士くらいのマナ操作量の人でも動かせるんじゃないのか? ノーラと爺さんはそれも見据えているのかも。明日の学園の放課後に聞いてみよう。
設置作業をこなしていく過程でアバターシュ改に慣れたハルトは格納庫に戻った。
翌日、前日よりも少ない設置を終えたハルトは、第二工房二階の執務室で学生服に着替える。久しぶりの学園開催日に教室に向かう。少し遅れて教室に入ったハルトは女子のセーラー服を見て感慨深げに席についた。
隣でカッツェがにやにやしている。
前の席ではソフィーが珠絵にちょっかいを出し、
ピンクの猫耳をつけたノエルとノーラは仲のよい双子の姉妹のよう。
焚哉の後ろ姿を胤月が保護者席から見つめ、その隣にはウルデの姿があった。
ウルデ様ともゆっくり話したいな。
教室の扉が開いた。白いパンツスーツ姿のキザイアがパンプスをコツコツ鳴らしながら入ってくる。教壇についても背筋を伸ばす必要のない姿勢に金髪の巻き髪が揺れている。黒板を背にして教壇の前に立ったキザイアを見て、ノーラが生徒達に号令をかけた。
「キリーツ」
礼、着席、が終わって、キザイアが艶めいた口元を開いた。碧い瞳が生徒たちを見つめる。
「今日は転入生を紹介する。仲良くしてやって欲しい」
生徒たちに言ってから、入ってきた扉の方を向き「入れ」と一言。
ガラガラガラ。扉が開く。
黒い詰襟に白いカラーが逞しい首元を覆っている。広い肩幅に短い黒髪。灰色の瞳をしたグレースが黒板に進み、背中をみせて名前を書いた。
「グレース・マサル・オブシディアンだ。マサルでいい。そ、その、よろしく……」
恥ずかしそうに頭を下げる学生服を着たグレースに生徒たちは唖然としたままだ。
ノーラだけがニヤニヤしている。
背後から声がした。
「仲良くしてやってくれ。私からも頼む。もう中身はお前たちが知っているオオイシ・マサルだ」
振り向いた生徒達にウルデは紫紺の瞳の片方を褐色肌の中でつむってみせた。長い銀髪を揺らしてウルデが立ち上がる。
「ほら、どうした? 仲間が増えたのだぞ。もう魂は安定している。歓迎してやれ」
ハルトが席から立ち上がった。
「そうこそマサル。あらためてよろしく」
何も言わず、動かないマサルにハルトは席からはなれてマサルに近づき拳を差し出した。マサルが握った拳が正面で合わされて、上から下からコツンコツン。
「マサルー、またよろくね」
「おおう、ノーラ。よろしくな」
「あれは大石先輩ですね」
「うん、大石くんだね」
「うっきょー、制服を着るとカッツェさんにちょっと似てますねぇ」
ざわめく教室をノーラが静めた。
「はい、ではこれから席替えをしまーす。新学期だしね」
ノーラが黒板に書いたあみだくじに生徒たちが集まっていった。
ひらり。
教壇の横に置かれた盆栽の鉢植えから、
ひとひらの桜の花びらが舞い降りた。
グレースの魂と融合したマサルが仲間になり、平和な時間が戻ってきました。
明日も投稿します。ハルトは綾乃に会いに行きます。
「キセキ」明日は17時に投稿します。




