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甲殻の翼  作者: 月弓 陽
セントラル編
120/148

境界線

ゴールデンウィークなので早い時間に投稿してみました。

 おぼろげな空が明るくなってくる。水平線の下に控える太陽を感じさせる曙色あけぼのいろはまだ現れていない。

 風が冷たい。

 土手の脇に流れる最初の川を渡り終えたハルトは、軟らかい泥の中にまた一歩、足を踏み入れる。地元の漁師が好んで使う膝下まである革製の足袋を履いていても、膝まで埋まる泥は冷たく重い。

 ヌルっとして全然進まない。

 足を持ち上げ、泥から抜く度に気持ちがめげそうになる。

「あと何回繰り返せばいいんだ」

 源九郎の雨乞いが裏目に出てしまった。それでも一歩、また一歩と歩みを進めた。

 風は冷たく足元は泥で冷える。上着の襟元をたたて前を見る。

 三途の川を渡って帰ってるみたいだな。この子たちを元の世界に戻してあげないと。

 救出した大人を背に乗せた陸オウムの手綱を引くハルトは前を向く。土手に着いたときに腹ごしらえしたお焼きと甘い飲み物が力を生んでいた。


 空が明るくなってきた。しかし灰色の雲と泥だけの世界は寒々しい。

「夏だったらこのルートは使えなかったな」

 隣で手綱を引くティムが空元気を出して話しかけて来た。話している方が気がまぎれる。ハルトは乗った。

「ヤバい魚がいるんだっけ」

「マッドスキッパーな」

 泥の上を尋常でない距離をジャンプして飛ぶ魚だという。

 両目が頭の上についていてきょろきょろと辺りを見回す、縄張り意識が強くて人間にも見境なく飛びついてくるってやつね。んーと、何だっけ、日本にも似たのがいたよな。あー、ムツゴロウか。でかいムツゴロウとか怖いかも。ヌメヌメしてそうだし。そういや、干潟ひがたってもっとグロい魚がいたよな。名前は忘れたけど顔がエイリアンとしか思えないウナギ的なやつ。なんだっけあれ? あんなののデカイヤツがいたらやばい。

 ハルトはこんな魚はいないか、と聞いてみた。

「体がにょろーんと長くて、全体がヌメっとしててさ、顔がグロイの。でかい口に長いとがった牙がいっぱいついてるやつ。目は退化しちゃって無い感じ」

「ウラボスのことか? そんなのが出たら本気でやばいけどまだ寒いからな。夏だよ気をつけなきゃいけないのは。この辺にはかにも上がってこないから心配すんな」

「そういえば蟹もデカイよな」

「そうでもねぇよ。人よりちょっとデカイぐらいだろ」

 そうだよな。何でもデカイのが当たり前の世界だとそういう感覚だよな。

「蟹もウラボスも昔はこの辺でも捕れたらしいんだ。でも捕りすぎてもう上がってこない。昔はデカイのが沢山いたんだってよ」

 前の世界も大きい動物から絶滅したんだよな。魚もどんどん減ってたし。

「でも蟹は今でもデカイのがいるぞ。蟹に大型の船を引かせたり荷揚げに使う人間もいるって聞いたな」

「そうなのか。蟹ねぇ」

 意思疎通ができるんだろうか?

「お兄ちゃん、誰か来るよ!」

 伊右衛門が引く小舟を後ろから押す子供が後方を指差している。歩くことになった子供の名はフーゴ。ケヴィンとカールの知り合いだ。責任感が強く子供たちの乗った小舟を押している。近づいてくるのは、まだ遠くてよく見えないが、見慣れたシルエットだった。カッツェとキスカだ。もう一羽は清右衛門だろう。

「仲間だから心配しなくていい」

 良かった。ソフィーも残るってきかなかったから置いてきたけど、()()カッツェたちが来なかったら守り鴉で迎えにいかなきゃになってた。信じてたけど。

「フィレーネ、カッツェ達が来たぞ」

「あー、ほんと。むにゃむにゃ」

 ハルトのポケットに入っているフィレーネは寝ぼけている。

 少しでも距離を稼ごうと進んだ二人だったが徒労だったかもしれない。

 ソフィーと源九郎を乗せたカッツェと清右衛門は程なくして追いついた。ショコラもいる。泥の中を歩いて進むハルトとコボルに乗ってきた二人の足の早さにはそれこそ雲泥の差があった。清右衛門の春風は浸水する小舟を引いてきた。川を渡るのには使えなくても泥の上を進むには十分だ。

 小舟に乗せる子供をティムが振り分けてる間に、離れていたときの話を聞いた。清右衛門が足に怪我をしていたからだ。

 六羽のコボルに乗った賊と乱戦になり、五人を斬り落としているうちに、追いついた人足に清右衛門がボウガンで打たれた、とのことだ。ショコラが賊のコボルに噛み付いて敵を落としたりと活躍したとを聞いてハルトは頭を撫でた。はっはっ、と息を吐くショコラは嬉しそうだ

「残った一人とコボルは動けないようにはしてきたけど」

「お疲れ。フィレーネ、清右衛門さんはどうだ?」

「矢じりが残っちゃってる。今傷口を閉じると後が大変。血止めはしたけど泥には入らない方がいいね」

「そうか」

「それと気になることがある」

「なんだ?」

「どこかに馬を走らせてた。通報されたかも。河辺の干潟をしっかり見れば跡が残ってるのが見えるはずだ」

「やばいな。でも船を引っ張って来てくれてなかったら詰んでたよ。泥の中を歩いてると進まないんだ」

「とにかく急ごう。鳥笛を吹いてみる。そろそろ届くかもしれん」

 コボルに騎乗し、カッツェと清右衛門が気をきかせてかいになる木の棒を拾ってきてくれたのもあって俄然と速度が上がった。子供達も一生懸命泥の底に櫂をあてて小舟を進める。泥が深くなり、ショコラが歩けなくなるとハルトの後ろに乗ったフーゴが抱えた。

 二本目の川は浅く、幅もそう広くはない。歩いて渡るハルトとティムを、先に渡りきって同乗者を降ろしたカッツェと清右衛門のコボルが迎えにくる。ハルトと川の中で合流したカッツェが、陽が昇った干潟の遠くを見た。

「追手だ」

 ハルトも振り向いて確認する。

「馬がいるな」

 カッツェは再び吹いた鳥笛を胸にしまってハルトをコボルの上に引き上げた。水しぶきをあげてコボルが進む。急いで干潟を進む体制に戻して出発する。

 もう少し、もう少しだ、次の川を越えたらキラナに入れる。追いつかれても手出しができなくなる。

 曇り空から黒い影が降りてきた。カッツェの守り鴉だ。

「レーズっ、ここだ!」

 カッツェが空に向かって手を振り叫ぶ。しかし誰かを乗せたレーズは着地することなく川下に向きを変えて飛び去ってしまった。

「どうなってんだ?」

「とにかく進もう」

 小船を引くハルトと、単機で走ってくる馬やコボルの距離はあっという間に縮まってしまう。ハルトはフィレーネに小型噴射機をも持たせ、比較的足場の良いところに降りた。伊右衛門をソフィーに任せて小舟を先に行かせる。キスカに騎乗したカッツェ、疾風を源九郎に譲り、足首を泥に埋めるティムと共に迎え撃つ体制を整えた。清右衛門も止めたにもかかわらず泥の上に立ち、刀を抜いた。

「お侍さん、無理すんなって。怪我してんだろう」

「船には近づけさせぬ、それがお主の本懐であろう」

「――ちげえねえ」

 ショコラが唸る。

 馬に乗った軍人風の男が最初に着いた。

「貴様らが誘拐犯だな」

 馬上から見下ろす男にハルトが啖呵を切る。

「どっちがだよ」

 ハルトのポケットに潜んでいたフィレーネが飛び出し、馬に眠りの粉を吹いた。馬の前足が折れる。落馬する敵。目に止まらぬ速さで斬る清右衛門。

 コボルに乗った敵が迫る。八羽のコボルに騎乗した敵は体に防具、手には長い剣。一見して素人ではない。軍か警察の人間だ。ショコラがコボルの足の狙って食いかかったのをきっかけに斬り合いが始まった。

 泥が跳ね、ハルトが走る。

 清右衛門から借り受けた小太刀こだちさやを捨てた。

 小太刀と言っても清右衛門が使う長物ながものよりは短いという代物しろものだ。

 十分戦える。

 獰猛なショコラが食らいついた陸オウムの逆サイドにまわる。足を小太刀で払った。鮮血が吹く。バランスを失い倒れるコボルから敵が飛び降りた。ショコラが敵に飛びつき首筋に牙を立てた。

 乱戦になりつつも、船を引くソフィーと源九郎のコボルには近づけさせない。剣を交えた敵はハルトたちの実力を悟ったのか睨み会いになった。

「どうしますか?」

 指揮官らしき男に向かって敵のひとりが声を出した。

「軍が到着するまで押さえられればいい」

 まだ来るのか。

「隊長、何か来ます」

 川下を向いた敵の先を見ると守り鴉が戻ってくる。

 不可解なのはその下。泥の塊のようなものが二つ、泥の上とは思えないスピードで近づいて来る。

 何だ?

 不審がった敵も動きを止めている。先行する守り鴉が降りてきた。乗っているのは琴音だった。守り鴉の大きさに敵が動揺し後ろに下がった。琴音がカッツェをレーズに引き上げ飛んだ。干潟の上では敵味方とも近づいてくる泥の塊に見入っている。

 なんなんだ? あれは。

 泥の下にうごめく足が多数見える。

「せんぱーい」

 泥の塊に見えたのは巨大な蟹だった。珠絵が乗っている。高速横歩きで側面を前にして尋常ではない速さで接近してくる。もう一匹の蟹がソフィー達に向かって進路を変えた。珠絵の乗った蟹が敵との間に割って入る。

「かまわん、切れ」

 指揮官の号令と共に戦闘が再会。

「カニちゃん、やっておしまい」

 珠絵が甲羅に設置されたくらから号令をかけると、蟹は口元で触覚を震わせて泡を吹き、巨大なハサミを持ち上げた。甲羅のくぼみで黒い目をぎょろり、と一回りさせ、素早い横移動で敵コボルの後ろに回り込む。首をハサミにつかまれたコボルが持ち上げられ、背中の敵が落ちる。コボルを投げ捨てた蟹のハサミが敵を払った。妙な向きに折れた人の体が泥に沈む。

 カッツェが上空から射った矢がコボルを倒す。清右衛門は敵に臆すことなく一人、また一人と斬り倒してゆく。ティムの剣捌けんさばきもなかなかのものだ。ハルトはカッツェが置いていったキスカに乗った。

 ハルトたちが戦っている先ではコボルからほどいた小舟の縄を、もう一匹の蟹が悠々と引っ張っていた。十一人の人間を乗せた三艘の船を引いてもまだ余裕がありそうだ。そのまま川に入ったところを見ると底の抜けた船も含めて引っ張り切る自信があるあらしい。

 蟹が水に浸かると鞍に乗った男の下に、鮮やかな青い甲羅が姿をあらわした。

 小舟を引くことから開放された伊右衛門と春風を、疾風の手綱を握った源九郎が連れてきた。ハルトは叫ぶ。

「みんなっ、川を渡ろう! 渡ってしまえばキラナだ」

 

 敵の増援が向かってくる。しかし次の川を渡れば国境を越えたことになる。国境を越えての越権行為は宣戦布告と同義だ。

 ハルトたちは防衛戦から退却戦に切り替えた。

 珠絵の蟹が盾になりコボル達が入水した。追いついた敵の援軍は珠絵の蟹を迂回し二つに割れた。ハルトたちと並走して挟み撃ちの体制を取った。

 もうちょい、もうちょいっ。

 ひゅん! 矢が頭をかすめた。

 向こう岸の干潟が見える。蟹に引かれた小舟はすでに最後の川を渡って浮島に向かっている。

 ハルトが乗るキスカの足元から水の流れが消えた。他のみなも干潟に上がった。

「残念だったな。ここはもうキラナだ」

 振り返ると、ニンディタ側の上空に三機の飛甲機が姿を見せていた。

 結界の遺跡でみたロッキの変種型だ。しかしもう手出しはできない。

「川の流れなぞ変わるものだ。死人に口は無い。こいつらを殺せ。 子供もひとり残らずだ!」

こつらどこまで。

「フィレーネ。 光を立てくれ」

「あいよー」

小さな妖精が両の拳を胸元で合わせ、華のように開いて空に伸ばした。

 赤い光が天に向かって立ち上がる。

「S.O.S、S.O.S」

 てへっ、フィレーネは余裕の表情だ。

 浮島から見覚えのある飛甲機が出てきた。

 濃緑色の機体はアントナーラの機体。白地に赤はキラナの機体だ。青とグレーの機体には黄色いオーブ・アントナーラのパーソナルマークがある。総勢十二機の戦闘飛甲機が近づいてくる

 オーブ直々のお出ましだったんだ。さぞかしれったかっただろうな。

 ハルトを驚かせたのは最後に出てきた大きな機体だ。三本角さんぼんづのの中型機に人型が乗っている。

「アバターシュ」

 黄金の装飾が施された完成形のアバターシュがサジウスから分離した。青い巨人が左肩から剣を抜く。ロングソードを胸元に掲げ、不動の姿勢で降下してくる。

「何だあれは……」

「これでもやるか? こっちの飛甲機は遠距離からでも、お前ら飛甲機を落とせるぞ」

 敵機は前方キャノピーのみ旧型だ。全く進歩していない。ニンディタは屈折率の高い防弾ガラスを技術的に作れない、という話も本当のようだ。

 敵指揮官がコボルに背を向けさせた。

「退却だ」

 敵が引くのを見届け、振り返ったハルトの目に映るのは、コクピットハッチを開いたアバターシュ。黒いパイロットスーツに身を包んだマティスが体を乗り出した。

 オーブの機体が降りてくる。


 帰ってきた。

 

「ハルト、泥まみれだな。臭そうだから近寄るなよ」

「久しぶりに会ってそれはないでしょう、オーブ」

 小舟から降ろされた子供たちがサジウスの甲板に乗せられてゆく。

 ハルトの隣で「オーブ? 呼び捨て?」ティムが目を丸くしている。

「ハルト、泥まみれじゃアバターシュに乗せるわけにはいかんな。変わってやろうかと思ったけどやめた」

「マティアスさんも。もー」

 くくく、マティアスまでもがからかった。しかし金髪の下の表情は、再会の喜びを隠していない。

 まあ、言われてもしょうがないくらい泥まみれだけどさぁ。

 干潟の上で倒れたり転がったりしたハルトは全身泥まみれだ。

「おい兄ちゃん。兄ちゃんはその巨人に乗れるのか?」

 ティムは目を白黒させている。

「ハルトはグランノルン王都の上級騎士だ。このアバターシュの生みの親でもあるのだよ、ティムくん」

「はぁっ? 兄ちゃん、いやハルトさんはそんなスゲー奴だったのか」

「マティアスさんもやめてくださいよ。今まで通り兄ちゃんでいいよ、ティム。世話になった」

「さぁ、取り敢えず上陸しよう。ハルトはうちの飛甲機にティムと乗れ。コボルは俺たちが誘導する」

 オーブの命に従って着地したロッキ型に、取り敢えずタオルで泥を拭ったハルトとティムが乗り込んで浮上する。

「ほんとに飛甲機も運転できるんだ、ですね」

 ティムの口調がおかしなことになっている。

「飛甲機も俺が生み出したんだ」

「はぁ!?」


 浮間ではデニスや狐人たちが煮込み料理と大量の湯を沸かして待っていてくれた。お湯シャワーを浴びるソフィーはうっきょー、と大はしゃぎだ。

「若いっていいなぁ」

「なにジジむさいこと言ってるですか? 先輩」

「珠絵か。ひさしぶり。ありがとな。ところであの蟹なんなんだ?」

「デニスさんが頑張ってくれました。それはまたゆっくり話しますね。紹介したい人がいるんですけどいいですか?」

 体格のいいロングヘアの男が近づいてきた。髪の色は深い紫。顔が日に焼けている。もう一匹の蟹に乗っていた男のようだ。

「ジュリアン・パッカードです。叔父がお世話になっています。ああ、弟もか」

 整った顔つきに見知った顔の面影があった。

「ということはキラナで海運を営んでるっていう……」

「一度会いたいと思っていました」

 差し出された手を取って握手を交わした。

 ジェルマンのさんの甥っ子でアリシアの従兄妹いとこになるのか。

「ジュリアン・パッカードだって。船商会の?」

「そうだが」

「ティム・イーソンです。お願いがあります」

 ティムはジュリアンの前に出て頭を下げた。

「あなたの商会はイーシャとも繋がりがあると聞きます。俺を船に乗せて下さい!」

「――確かに個人的な繋がりはあるが。国交はなくともうみの上で会えば交流は生まれる。しかしなぜ?」

「今回救出できた人はほんの一部なんです。多くの人がイーシャに連れさられた形跡があります。それを追いたい」

「僕もお願いします。姉と両親が行方不明なんです」

 源九郎も横に並んで頭を下げる。顔を上げたティムが加えた。

「こいつの姉ちゃん、すっげー美人なんすよ、じゃなかった、すごい巫女狐みこぎつねなんです。他人のために命張っちゃう、みたいな。そんな人を見捨てておけない」

「ティムとその姉は仲間なのか?」

「いえ、会ったこともない」

「――ははは、面白いっ。会ったこともない女を追いかけてイーシャに入りたいか。気に入った。ちょっと話をしようか」

 ティムと源九郎は拳を合わせてジュリアンについていった。

 あの二人いつの間にあんなに仲良くなってたんだ……

 ハルトは清右衛門やデニス、琴音に今一度礼を言って回った。

 オーブやマティアス、アントナーラのパイロット達と楽しげに話すハルトを珠絵が見つめていた。


懐かしい顔に元の世界に戻った感覚がしたハルト。

次回は珠絵視点です。「湖畔の記憶」 明日投稿します。

干潟にいるグロい魚はワラスボです。興味のある方は画像検索してみてください。

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