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甲殻の翼  作者: 月弓 陽
セントラル編
119/148

逃避行


 医療施術研究所の看板がかかった正門。

 門の左側に設置された守衛室には明かりが灯り、夜勤の門番が一人、小さな守衛室に座っている。

「はーあ、何か面白いことでもないもんかねぇ」

 黒いマスクをした守衛が腕を伸ばしてあくびをした。

 馬車が近づいてくる音がする。門番が顔を出すと正門の前で止まった馬車から女が二人降りてくる。行きつけの酒場で人気の二人だ。

「おお、店は終わったのか? どうした、こんなところに?」

 紫色の髪の小さい女が胸元から身分証を出した。

「先生が身分証を忘れたから届けに来たの」

「そうか。すまんなぁ。建物の玄関に守衛室がある。そっちに持っていってくれるか? 馬車はそこにとめておいていいよ。見といてやる」

 男はグラマラスな方の女の胸元をチラ見しながら二人を通した。


 二人の女が鉄柵の門を入って四角い二階建て建物に向かう。これまでのぬかるんだ道と違って、石を敷きつめてある地面が砂利じゃりおとを立てる。正面玄関のガラス扉で中に誰もいないのを確認して扉を開き、入ってすぐ右にある守衛室の小窓を開けた。この時間は四人の警備員が二人一組で外の巡回に出ているはずだ。案の定、事務室のような守衛室の中には一人しかいない。

「ヨジュンさぁん。忘れ物を届けに来たわよお」

 色っぽい声で守衛を呼んだのは女の姿に化けた源九郎だ。

「おお、ミネコちゃ~ん」

 鼻の下を伸ばした守衛が近づいてくる。妖精フィレーネが小窓を開けた守衛の顔に近づいた。

「フィルちゃんも来てたのか」

「おじさん。お耳にふうーしてあげようか?」

「いいねぇ。嬉しいねぇ」

 酒場と変わらぬやり取りに、目尻が下がった守衛の顔が青い粉で包まれた。フィレーネの指にはハルトが作った簡易射出機が握られている。意識を失った守衛の頭上をすり抜けて、小窓から中に入ったフィレーネは守衛室の扉に飛んだ。

「うんしょ」

 小さな体の妖精が背中のはねまたたかかせながら木のかんぬきを横に引っ張る。しかしいかんせん体が小さい。顔を真っ赤にして、なんとか抜いて扉を開いた。

 ミネコが出窓につっぷした守衛を床に寝かせて縛り上げている間に、ソフィーが扉のそばに据え付けられたキーボックスを開いて鍵の束を取り出す。二人が外に出るとフィレーネがまた内側から閂をかけた。これで誰かが玄関口に降りてきても簡単に中には入れない。建物の入り口付近には二階と地下に通じる大きな階段がある。住み込みの施術師が二階から降りてこないとも限らない。

 鍵を受け取って勝手口に走るミネコをフィレーネがくるくると体を回転させながら追いかけていった。

 外に出たソフィーは門番に礼を言う。

「ミネコちゃんは?」

「中でヨジュンさんといい感じだから置いてきちゃったぁ」

「じゃあソリンちゃんは俺と話でもしよっか」

「うん」 

 目をにやけさせた門番も、青い粉にまみれて窓の下に消えた。


 フィレーネが事前に鍵を開けていった木戸の裏門から敷地内に入ったハルト、カッツェ、清右衛門、ティムの四人は、建物の勝手口の前で二手に別れた。

 闇にまぎれて建物の脇を進む黒装束のハルトとカッツェは、まだ巡回の警備員が持つ明かりが遠いことを確認し、植え込みの裏に身を潜めた。近隣に高い建物はなく、建物の部屋で明かりが灯っているのは守衛室だけ。辺りは暗い。二人組の警備員が正面まで来た。そのままやり過ごす。

 背後からの接近に、気がつくのが遅れた警備員に眠りの粉を吹きかける。体が崩れるのと同時に警備員が持っていた明かりを消す。地面に転がる二人の体を引きずって茂みに隠し、勝手口に素早く戻る。

 そっと一度だけノックをすると勝手口の扉が開いた。

 ミネコと合流し、物陰に隠れてしばらく待つ。またノックが鳴り、ティムと清右衛門を招き入れると、清右衛門を勝手口に残し、ハルトたちは職員が地下に降りる階段の扉に向かった。地下足袋じかたびを履いた足元は全く足音をたてない。

 ミネコから受け取った鍵の束には、ご丁寧にどれがどこの鍵なのかを示す小さなプレートが一本一本につけられていた。鍵を開けて階段ホールに入り、音を立てないように気をつけながら扉を閉める。忍び足で階段を降りる。地下には監禁されている人たちを監視する警備員が一人いるはずだ。

『余計な話をしないように見張ってるだけだから半分寝てればいいんだよ。いい仕事だろ?』酒場での証言に甘えることなく慎重に進む。

 先頭のハルトが階段を降りきる手前で立ち止まり、壁から少しだけ顔を出して地下牢が並ぶ廊下をのぞきこんだ。無造作に置かれた椅子に腰掛けた警備員が、ロウソクの明かりで雑誌を読んでいる。牢の中から音は聞こえない。

 ハルトの手振りにフィレーネが音もなく飛んでゆく。青い粉に包まれた警備員の頭が胸元に落ちた。飛び出したティムが猿ぐつわを嵌め、後ろ手に縛り上げ始めた。

 ハルト、カッツェ、ミネコも廊下に出て、一番手前の牢の前に立った。便器と寝床のムシロしかない牢の中には三人の子供が粗末な毛布を被って寝ている。ハルトは牢の鍵を開けるとカッツェに鍵束を渡し、それぞれが担当する牢に向かう背中を見て牢の中に入った。人差し指を立てながら一人の子供の肩を揺する。もぞもぞと子供が目を覚ました。

 怯えた目をする子供に小声で話しかける。

「助けに来た。みんなを起こしてくれるか? 静かにだよ。」

 大きく目を見開いた男の子の瞳が廊下の明かりで光った。黙ってうないづいた男の子は隣で寝ている子を起こしにかかる。起きた三人の子供にハルトは説明する。今頃カッツェたちも同じことをしているだろう。

「いいか。これから外に出る。静かに歩かなきゃいけないから靴は手で持ってきて。外に出たら履いてもいい。追われるようだったらそのまま走るんだ。裏口の木戸を出たら馬車がいる。急いで荷台に乗るんだぞ」

 子供たちはコクリとうなづいた。

 ハルトは牢の出入り口に子供を立たせて外の様子をうかがう。一番奥の牢からティムに連れられた大人二人が廊下に出て次の牢に差し掛かると、ミネコが三人の女の子を連れて出してくる。隣の牢から出てきたカッツェが二人の男の子を外に出した。一人足りない。

 カッツェが小声で、ハルトに話しかけた。

「もう一人は一階の処置室にいるらしい」

 ハルトとカッツェ、ティムが顔を見合わせた。

「どの部屋だか分かるか?」

 この部屋だ。カッツェが見取り図を出して指を差す。

 守衛室に続くメインストリートといってもいい廊下の途中にある部屋だ。誰かが守衛室にくれば見つかってしまう。

 ティムが子供たちに聞いた。

「この中に、キラナやグランノルンから来た者はいるか」

 ほとんどの子供が手を上げた。

「兄ちゃん、このまま行こう。生き証人を連れて帰れば手を打てる」

 ティムの横から監禁されていた大人の女性がかすれた声を出した。

「処置室にいるのは息子なんです。どうか、どうか、お助けください」

 女性の夫が娘だという女の子の肩を抱いているのを見てハルトは即答した。

「その子を迎えに行こう」

「ここでバレたら全部が駄目になる。このまま行こう」

 そう主張するティムにハルトははっきりと答えた。

「俺の目的は証人を確保することじゃない。子供たちを救うことだ」

 ロウソクの明かりが揺れる中、強い眼光がぶつかり合う。ティムが視線を外した。

「分かったよ。俺と源九郎は予定通り救出者を馬車まで連れて行く。カッツェと行ってくれ。お侍さんは勝手口に残ってもらっておく。馬車に乗せ終わっても兄ちゃんたちがまだ来ないようだったら戻ってくる」

「頼む」

 階段に進むと、頭上で扉の覗き窓から外の様子をうかがっているフィレーネが、早く、と手招きしている。小窓の外に人影はない。扉を開けたハルトはティムを先頭にして子供たちを送り出した。子供もそうだが、大人の二人はかなり憔悴していて足元がおぼつかない。

「大丈夫ですか。肩を貸しましょうか?」

 言ったハルトに「いいえ、息子をお願いします」奥歯を鳴らしながら、震える足を前に進める女性にフィレーネが近づき、癒やしを施し始めた。母親の背中を見送ったハルトとカッツェは処置室に向かう。

 

「カッツェ、今回はコソコソ作戦は通用しない。速攻でいくぞ」

「オーライ」

 剣を抜いたカッツェとハルトが中央通路を走る。あらかじめ鍵を選んでおいたハルトが扉を開けると、すぐさま中に入って扉を閉めた。処置室のベッドの横には大きな箱型の魔道具がある。

 ベッドに寝ている子供の腕から伸びたチューブを通じて血液が魔道具に注ぎ込まれている。

「何をやってんだ?」

「治療じゃないことは確かだ。実験って言ってたからな」

 寝ている子供の顔は痩せこけて青白い。ハルトが肩を揺すっても起きない。

「フィレーネを連れてくれば良かったな……」

「悩んでてもしょうがない。俺が背負う。管を外そう」

 ハルトとカッツェは慎重に子供の腕の血管に刺さった四本の管を抜いた。ハルトがカッツェの背中に子供を委ねて扉に向かう。

 少しだけ扉を開いて、廊下の様子をうかがう。人影はない。

 ハルトが先に出た。カッツェが出て走る。ハルトが扉を閉めて追う。

 廊下が長く感じる。なんとかこのまま……。

 やっとの思いで角を曲がる。もう一度角を曲がって勝手口に繋がる洗濯もの置き場を兼ねた部屋に入った。

「先に」

 清右衛門が開けた扉を駆け抜ける。そのままひた走る。

 裏門を出るとソフィーが回した馬車がある。先発した子供たちの乗り込みが終わった荷台にカッツェの背中から下ろした子供を寝かせるとフィレーネを呼んで「最優先で診てくれ」と言い残し、御者台の源九郎に馬車を出す指示を出す。そのままコボルを繋いである空き地に走った。

 先行したティムと清右衛門が伊右衛門とキスカを木に繋いだ縄をすでにほどいていた。コボルの背中に飛び乗り、手綱を打って馬車を追いかける。


 ティムが乗ったコボル、疾風を先頭に伊右衛門が続き、横にはカッツェのキスカ、殿しんがりの清右衛門の春風に囲まれた幌付きの荷馬車が街道をひた走る。

 コボルで馬車の先導するのは、馬の方が足が速くて難しい。しかし源九郎は絶妙な間隔を保ったまま鞭を打つ。

 山場を越えたと判断したハルトは伊右衛門のスピードを落として荷馬車の後ろにまわった。

「フィレーネ、どうだ?」

「取り敢えず大丈夫。でも他のみんなにはあんまり癒やしが効いてないよ。怪我とか病気じゃなくて体力が落ちてるだけだから。ソフィーが滋養のある食事と飲み物を配ったよ」

「了解。ありがとな」

「どういたまして」

 ハルトはスピードを上げて元の位置に戻る。その前にカッツェと並んだ。

「順調だったな。船着場ふなつきばについたら乗り込むだけだ。もう終わったようなもんだ」

「フラグ立てんなって」

 でも飛甲機強奪のときはカッツェが立てたフラグは発動しなかった。このまま行ってくれ。

 ハルトは伊右衛門の手綱を今一度打った。


 二時間かからずに街道沿いに松並木が増えてきた。

 もうちょいだ。

 下見で何度か通り、この時間にも確認しに来た道に安堵が浮かぶ。

 そのまま何事もなく船着き場に入った。

 スピードを落としたティムがハルトに先に行くように促し、荷馬車を停車位置に誘導する。船にはいきなり近づかず、少し離れた場所に馬車を留めた。打ち合わせの通り、清右衛門が馬車の警護に着き、ティムを先頭にハルト、カッツェ、がコボルに乗ったまま船に近づく。荷馬車から降りたショコラがついてくる。

 船主らしい恰幅のよい男の前に出た。

 ショコラが低く唸った。

「時間通りですな」

「積み込みを始めていいか?」

「随分と良い料金を頂きましたからね」

「では始めるぞ」

「何を持ち込もうとしてるのか知らんが相当価値のある積み荷のようだな。こちらに渡してもらおうか」

「なに?」

 船主の後ろに控えていた体格のいい人足にんそくに囲まれた。何人かは剣を持っている。

「ちっ」

 舌打ちしたティムが指笛を吹いた。ショコラが伊右衛門に近づいてくる人足に飛びかかる。馬車は回頭を始めている。

 人足を蹴散らして包囲を突破した。ニンディタ人が乗ったコボルが三羽追いかけてくる。ショコラ戻って飛びかかり、勢いを殺してくれた。しかし奥からまだコボルが出てくる。

「俺が引き受ける。行け」

 騎乗で剣を抜いたカッツェが速度を落とした。手綱を打ったハルトとティムは馬車を追う。春風に乗った清右衛門が逆走してきた。

「拙者もゆく。後ほど合流しよう」


 まだ暗い松並木を横目に、川沿いをひた走る。時折後ろを振り向くが追手は来ない。しかしカッツェと清右衛門、それにショコラも姿を表さない。

 随分走ったけどまだあるな。

 走り続けるうちにプランBとして用意した、小舟をつないである河辺を暗がりの中に見つけた。

 源九郎とソフィーが馬車から子供たちと二人の大人を降ろし終え、無人の馬車を野に放った。夜が明ければ、背が高い幌馬車があればここにいると教えるようなものだ。

 カッツェたちはまだ来ない。子供たちの様子を確認する。診療室で寝ていた子供は意識を取り戻していた。しかしまだ歩ける状態ではない。ハルトは子供たちをソフィーと源九郎にまかせて、ティムと明るくなりはじめた川辺りに降り、小舟の様子を見に行った。

 目の前に広がる干潟の先には川のように水が流れている。水深の浅い川を三本越えて干潟を横断せねばならない。前日に源九郎に雨を呼んでもらったのは少しでも小舟が浮力を大きく得られる区域を広げたかったからだ。

 干潟の中は国境線があいまいだ。しかし三本目の川を渡ればキラナの領土と見なされる。その先の浮島にはデニスや胤月が手配した友軍が待機しているはず。アントナーラの騎士もいるかもしれない。

 二時間はかかる横断になるが勝算はある。

 川で下流に流されることを計算に入れて選んだ土手下には小舟が三つ回航されている。底が平らで泥の上でも滑る小舟をコボルで引いてゆくのだが、カッツェと清右衛門が到着しないと出発できない。今は二羽しかコボルがいない。

「ちっ、やられた」

 小舟の縄をほどきに行ったティムが舌打ちをした。ハルトが行くと三艘のうち一艘の船底が抜けていた。

「相場の倍を払って買い取ったってのに……すまねぇ。今回の俺はいいとこなしだな。ニンディタ人のがめつさを甘くみてた。馬車の馬を残しときゃ良かった」

「幌付きの荷台を隠せるところがないんだからしょうがない。子供を優先して船に乗せよう。大人にはコボルに乗ってもらって俺たちが歩いて手綱を引けばいい。二艘しかないならすぐに出よう」

「待たなくていいのか」

「伝令に源九郎に残ってもらう。大丈夫だよ。カッツェと清右衛門さんは必ず来る」

他人ひとを信じるのか?」

「ああ」


 二艘の小舟に子供を振り分け、憔悴している大人と子供を一人ずつコボルの乗せても一人乗れなかった。子供の中で一番年上の子供が「自分が歩く」といい、小船に乗った子供が「疲れたら代わるからがんばって」と励まし合う。ソフィーの用意した食事がごちそうだったそうだ。子供たちは希望を失っていない。フィレーネも「大丈夫だからねぇ。お兄ちゃんたちはすごい人だから安心してねぇ」と子供たちの上を飛び回っている。

 いざとなったらフィレーネに光を立ててもらうか。

 ハルトは冷たい水に足を入れて先頭に立ち、伊右衛門の手綱を引いた。

 

やっぱり、なプランB発動です。

すごもりゴールデンウィークなので明日も投稿します。

次回「境界線」明日朝8時に投稿します

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