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甲殻の翼  作者: 月弓 陽
セントラル編
116/148

要望

 乾いた空気の中に木枯らしが吹いている。

 ぽつぽつと雑木林が見える田畑に囲まれた郊外の小さな武家屋敷、その東側にある道場の中庭で、スパン、立てられた竹が斜めに切りおとされて地面に転がった。居合斬りの手本を見せた侍は、新しい竹を立てると刀を脇に差したハルトを前に立たせる。

「もっと腰を落として。そう、それぐらい」

 寡黙な侍が言葉少なに手を添えて伝える。細身の侍が遠のくと、ハルトは鞘から抜いた刀を振りかぶり、呼吸を止めると一気に袈裟けさに振り下ろした。横っ面を殴られた竹は、くの字に曲がってすっ飛んで行った。

「まだまだだな」

 道場の縁側に腰を下ろしたカッツェがニヤニヤしながらハルトを見ている。

 ハルトは寒さにかじかむ手の痛みを我慢しながら刀をさやに納めた。カチン、刀のつばと鞘が合わさり音をたてた。

「今日はここまでにしよう。まきを割って足腰を鍛えるとよい」

 そっけなく言った侍に礼を言い、ハルトとカッツェは弟子たちの帰った道場を後にした。


 ハルトとカッツェが身を寄せている清右衛門せいえもんの道場には時折、胤月や飛甲機の生産に関わる技師が訪ねてくる。ハルトとしては飛甲機工房に出て手を動かしたかったのだが、目立った行動はキザイアやノーラが奔走している政治的な勢力図塗り変えの妨げになる。また、ハルトを取り込むために近づいてくるであろうニンディタの人間との接触をさけるのためにもキラナに滞在していることを極力隠すことにしたのだ。

 焚哉は正式な外交官になるために勉学に勤しんでいる。「また一緒にグランノルンで過ごそう」焚哉との約束を胸にハルトは修練に励む日々を送っていた。


 ハルトとカッツェはキラナの聖地のひとつ、古宮島を管理する狐人きつねびとの琴音の差配で、清右衛門という侍の自宅兼道場で剣術指導を受けながら居候いそうろうをしている。床板の雑巾がけからまき割り、炊事に風呂焚きと家事を手伝いながら剣術指導を受ける毎日だ。冬の厳しさがまだ和らがない今は、水汲みであかぎれをした手に軟膏を塗り込んでハルトは土間の裏で斧を握る。最初の頃は手の豆が潰れて大変だったが、今では厚くなったてのひらの皮は、木刀を使った型の稽古の後の薪割りでもけることはない。

 人って環境に慣れるんだな。

 土間の裏手の雑木林から切りだしてきた薪を切り株の上に立て、ハルトが薪割りに汗している間にカッツェは畑に入って根菜を引き抜いている。表玄関の裏手にある畑の先は遠く見える雑木林まで畑が広がっている。近隣の農家さんの畑だ。田にはまだ水が入っていない。大根や人参、芽キャベツに小松菜などの冬野菜を竹ひごで編まれた籠に乗せたカッツェが戻ってくると散乱した薪を拾いにかかる。

「おっ、随分早くなったな。日が暮れる前に風呂の分まで割れそうだな」

 気がつくと西側に離れた雑木林の黒い影の向こうに、鈍く赤い太陽が沈みかけていた。

 どこかでカラスが鳴いている。

「風呂は俺がやるよ。カッツェは野菜洗っといて。せいっ」

 脇目も振らずに斧を振り下ろしたハルトは、薪割りを終えると置き場で寝かせ乾燥が終わった薪を一抱え持って風呂場に向かう。風呂と言っても湯船に張った水を沸かすのではなく、焼いた石の上に水をかけて蒸気にあたる蒸し風呂だ。ハルトは炊き場の下に薪を入れるとねじった紙にマッチで火をつけて焚きつける。すすにまみれながら火吹きに息を注ぎ込み、薪に火がついたことを確認して炊き場を離れた。

「火付けも大分慣れてきた」

 ひとりごちながら足を早めたハルトが、外履きのまま土間に入ると清右衛門が米の入った釜の下の火加減を見いていた。ハルトはカッツェが皮をむき終わった大根と人参をまな板に乗せていちょう切りにしてゆく。手に持つ包丁は刀と同じ製法でつくらたキラナのものだ。ガラス化した蟲の化石を炉に入れて打つ、というキラナ独特の製法で作られ、使った後は必ず砥石といしにかけている包丁はすこぶる切れ味がよい。ハルトが野菜に手をつけたの見てカッツェが土間を出ていった。土間の端に昨日絞めて羽をむしり、血抜きをした首のない鶏がまだぶら下がっているところを見ると、どうやら卵を取りに行ったようだ。案の定、卵を三つ大事そうにかかえたカッツェが戻ってきた。吊るしてある鶏の足から麻縄を解き、大きめのまな板に乗せてモモに包丁を入れる。

「やっぱモモが美味いよなぁ」

 道場で見せたのとは別のニヤケ方をしてカッツェは軽快に鳥をさばいてゆく。

 ハルトが初めて首を飛ばされた鶏の足を持って逆さにし、ドバドバと血を土の上に落とした夜には鍋に箸を入れられなかったものだが、今では肉を見ると腹が鳴るようになった。

 畑の中で大きくなってゆく野菜を採り、森から動物の肉や火を付ける薪を得て、水の重さをひしひしと感じる日々は、世界との命の繋がりをハルトに感じさせていた。

 ハルトは「命の繋がりの中で私達は生きている。だからこそむやみに命を奪う剣を振るってはならん」と、口癖のように言う清右衛門の言葉を思い出す。

 

 切り終わった野菜をザルに乗せ、居間に履きものを脱いで上がると、囲炉裏の上で湯気をたてている鍋に入れ込んだ。菜箸で昆布を引き上げて味噌をといていると、酒と醤油に漬け込んだ鶏肉が乗った皿を持ったカッツェも上がってくる。カッツェは鶏肉を鍋のそばに置いて、おひつを持って釜に向かった。土間に降りたハルトは外に出て、柚子の木を吟味する。背を伸ばしてまだ木に残っている柚子の実を摘んでよく見る。黄色い皮が少ししなびているが絞る分には問題なさそうだ。

 お櫃としゃもじを持ったカッツェと、ざるに豆腐やねぎを乗せた清右衛門が座敷に上がると、炊きたての飯を蒸らしながらとりや野菜が煮えるのを正座して待つ。正座が苦手なカッツェは許されて胡座あぐらかいて体を揺らしている。

「そろそろ、よいか。頂くとしよう」

 豆腐と葱がひと煮立ちしたころで清右衛門がいうと、カッツェが茶碗によそったご飯に卵を割って醤油をたらす。

「うん、美味い」

 出来たての卵かけご飯に上機嫌のカッツェにハルトも納得する。何ということもないメニューなのだが火を使って炊いたご飯は美味いのだ。

 清右衛門が鍋に置いたお玉をカッツェに取られ、ハルトは箸休めに白菜の浅漬に手を伸ばす。二日ほど干して一日漬けただけだが旨味が染みこんでいい塩梅あんばいだ。

 食事時しょくじどきはあまり喋らず黙々と食うことが習慣になった二人は、鍋とお櫃が空になるまで食べた。

 いい歳をした清右衛門がなぜ一人暮らしなのかは聞いていない。知っているのは清右衛門が起きると隣の仏間ぶつまから線香の匂いが漂ってくること、納屋の片付けをしていて小さい子供が使うような物があったのに気がついたくらいだ。

 お茶が入った湯呑が空くとハルトは両手を合わせる。

「ごちそうさまでした。風呂、出来てるか見てきます。先に入って下さい」

 食器をお盆に乗せながらハルトが言うと。

「ありがとう」

 一言だけ言って侍は右膝を立てた。

 土間で洗い物をしているとカッツェが話しかけてきた。

「今日も飯が美味い。サウナもあるし幸せだわ」

「そうだな。放し飼いの鶏があんなに美味いと思わなかった」

きじも上手かったよな。今度はイノシシ狩りに挑戦しようぜ」

「イノシシはけっこう臭いキツイぞ」

「丁寧に下茹でして、浮いた油を取ると美味いぞ」

「そうなのか」

「守りの森じゃごちそうだったからな。イノシシと味噌はあう。絶対にあう」

 カッツェは和食をたいそう気に入っている。ハルトも別の意味で同じくだ。懐かしさもあるが、採れたての野菜や肉から得られる活力は大きい。食べることと生きることが近い生活で如実に感じたことだ。

 洗い物を終えた二人は離れに向かう、家屋の西側にある離れには、二家族が泊まれる客室と寝室が続きになっている部屋が二間ふたまある。カッツェとハルトが寝泊まりしているのは小さい方の寝室だ。一応プライベートを確保するために、水墨画の書かれた屏風で仕切られた寝室に布団を敷き、着替えを準備していると風呂の短い清右衛門が、上がったからお入りなさい、と伝えに来た。

 カッツェと話しながら汗をながし、石鹸を使って体を洗う。別に沸かしたお湯で泡を流してさっぱりすると、下駄を鳴らして離れに戻った。

 ハルトは窓辺に寄って、冬の夜空に浮かぶ三日月を見る。遠くにこんもりとする雑木林は葉が落ちた枯れ木の影だ。細い月明かりしかない田畑は寒々しく、遠くに見える山の稜線はダイダラボッチの背中のように見える。山が動くんじゃないか、と思えてくることがある。しかしそんなことはついぞ無く、いつものように月と星だけが動いていった。


 開定、朝稽古、粥座しゅくざ、作務、稽古、薬石、開浴、開枕かいちんを繰り返す日常が続いた。


 冷えた日の光りのもとで、炊事に掃除と雑事を終えると、ぽつぽつと弟子達が集まってくる。

 農民である弟子達が道場に剣術を習いにくるのには理由わけがあった。夜の闇に紛れて渡し船に乗ってくる野盗が、農家の人たちが苦労して改良した苗や作物を盗みにくるらしい。時には背に腹を変えられないのか警戒の厳しい米蔵を襲うこともあるという。若い男達は口々にニンディタ人の賊に対処するためには剣術が必要なのだと語った。冬の今はそれほどやることがないため農民達は熱心に剣術の稽古に来ている。

 日本で剣術が盛んだった時代は、農民の反乱を恐れて身分の区分けがしっかりとなされていたのだが、食料の分配が行き渡り、隣国と河を隔てて接するキラナとは事情が異なるようだ。

 道場での型の稽古を終えたハルトは居合斬りの練習はやめて馬の代わりの陸オウム、コボルの世話にいくことにした。

 清右衛門さんが切った竹を見て植物の水と栄養の通り道を思い出した。資料を送ってもらったけどアバターシュのフレームの内部構造の参考に、って分かったかな? 爺さんとノエルのことだ。たぶん分かってくれると思うけど。

 ついつい開発のことを考えるハルトが清右衛門のコボルの飼育小屋を掃除していると、急にコボルがグェっといなないた。

 何だ? 仲間が近くにいるときの鳴き方だな。

 ハルトが飼育小屋の隙間から、玄関からまっすぐ進んだ先にある門を気にしていると案の定二羽のコボルが入ってきた。

 ん? 抹茶色の伊右衛門とカッツェのキスカに似たグレーのコボルだ。誰だ?

 真相を確かめようとして外に出たハルトに向かって、玄関脇の松の木から飛び出てきたのは意外にも大きな茶色い犬だった。

「ショコラ!! なんで!?」

  ハルトに飛びかかったショコラに顔を舐め回されながら門の方を見ると、抹茶色のコボルから小柄な人間が飛び降りた。フードのついた長いコートを着込んでゴーグルをかけているので人相がよくわからない。後ろの灰色のコボルの上に、同じ格好をして乗っているのは小太りな男だ。二羽には旅装用の大きなバッグがついている。

 長旅をしてきたらしきコボルから、フードとゴーグルを取った少女が薄紫色の髪をなびかせて駆け寄ってくる。

「おにーさーん! 久しぶりー」

「ソフィーかっ」

 ハルトの胸に飛び込んだソフィートとハルトがくるくると回る。ショコラがそばで嬉しそうに吠えている。ソフィーの小さな体がハルトの胸から伸びて回る。ソフィーの体から声がした。

「うわーーちょっとまってよお。目がまわるうぅぅー」

 砂色のコートのポケットから小さな顔を出したのは赤い髪をした妖精フィレーネだ。

「ほにょにょにょにょん」

 瞳の中にうず巻きをつくって妖精は失神した。

「フィレーネも来てたのか」

「お兄さんにお礼を言いたいんだって」

「お元気なようですね。ご無沙汰しています。ハルトさん」

 少し落ちついた二人にゆっくりと近づいたのはデニスだった。

 ハルトとデニスが再会の握手を交わしていると飼育小屋とそれほど離れていない離れからカッツェが出てきた。

「おおー、キスカ! 懐かしい」

「カッツェさんそこですかぁ。あたしは、あたしはぁ」

「よく来たなソフィー。でもまたどうしてこんな遠いとこまで」

「それは後でゆっくりにしましょう。あるじに挨拶をしたいのですが」

 手土産もお渡ししたいですし、デニスの申し出に四人は道場に向かうことにする。

 離れの軒下に寝そべっていたショコラが起き上がって近づいてくる。フィレーネがちょっかいを出しにいった。

「ショコラ、フィレーネを見といてくれな」

「ちょっと、それ頼むの逆じゃない!?」

 憤慨してハルトに向かって飛んでくるフィレーネをショコラがしっぽを振りながら追いかけまわした。ハルトが最初にこの世界に来て一緒に戦ったショコラとの絆は切れてはいなかった。ショコラはどこまでもハルトについてこようとした。

 ソフィーいわく、デニスと一緒にロダ村に行ったときに、ハルトが追放状態にあるのを知ったマーガレットからショコラを連れ行ってあげてと頼まれたから連れてきた、ということだった。妹の心遣いにも感心したが、ハルトが王宮を離れている間にソフィーは随分と行動範囲を広げていた。


 道場の縁側えんがわに座っていた清右衛門はフィレーネに驚き、ソフィーをみて一瞬妙な顔をしたが、快く客間に泊まっていいと許しを出した。デニスの丁寧な挨拶と大量の干し肉や魚の差し入れも効き目があったようだ。旅装を解いて伊右衛門とキスカを飼育小屋に入れた後、離れの客間に荷物を上げる時間はハルトにとって有意義なものだった。王宮の状況はカッツェから聞いていたが、ソフィーから、王宮で綾乃と、ウルデと行ったオプスディスでまさると会ったことを聞いたからだ。どうやらソフィーは二人の様子をハルトに伝えに来たらしい。

「アーヤノルン様もマサグレさんも元気でしたよ」

「マサグレって……確かに將とグレースさんだけど」

「今は二つの魂がひとつの体に入ってるんでいろいろと大変だけど、そのうちひとつになるってウルデ様が言ってたよ。二人に会ってみて思ったんだけどね、あの図形ではエレオノーラ様が中心になってたけど人間関係の中心はお兄さんなんじゃないかな、って思ったから来てみたの。デニスさんもこっちに用があるからちょうどよかったし。それにあたしは芸をしながら旅ができるから、お兄さんがキラナを見て回るのに役にたつかなぁ、って」

「そりゃいいや。ハルトはこもってると考えてばっかいるからな」

「あーやっぱそうなんだぁ。えへへー」

 笑い合うカッツェとソフィー。

 お抱え詩人のソフィーは立場が弱くて、いろいろ立ち回らなくちゃいけないってカッツェは言ってたけど、それは言わないんだな。健気けなげだ。

 ソフィーの屈託のないの笑顔は、ハルト心の中で頑なになっていたものを柔くしていた。


 綾乃のことはあらためて聞くことにして客間を整えていると、柱に付けられた振り子時計が四時を差してボーンと四回鳴った。食事と蒸し風呂の準備を始める時間だ。炊事と風呂の準備には二時間近くかかる。

 土間に移動すると清右衛門は炊事場にソフィーが入ってきたことに戸惑ったようだったが、テキパキと家事をするソフィーに感心し、デニスが父親でないことを聞いてソフィーに尋ねた。

「グランノルンの王都からこんな遠いところまで来て、お主の父親は心配せぬのか?」

「お父さんはねぇ。今頃天国でお母さんと踊ってると思うよ。あたしがどこにいても見ててくれるから大丈夫だよ」

「――それは、悪いことを聞いたな。すまぬ」

「ううん。それより清右衛門さん。笹の葉はある?」

 ソフィーは清右衛門に出してもらった笹の葉に、途中で摘んできたというハーブと魚の切り身を包んで七輪に乗せる。

「良い香りがするな」

「でしょでしょ」

 ぱたぱたと団扇うちわを扇ぎながら、にっこりと清右衛門に笑いかけるソフィーから少し離れたところでデニスがカッツェに「主様あるじさまはいける口ですか?」と酒をあおる仕草をし「飲まないことはないですよ。月を見ながら飲んでたりします」と、聞くなりデニスは離れに土産の酒を取り戻った。

 いつになく賑やかな夕餉ゆうげに清右衛門もいつもよりも少しだけ饒舌だった。


 綾乃と將の話やカッツェが発ってからの王宮の話をすっかり聞き終え、キラナ見物にでも出てみようかとハルトが思い始めた頃、パッカードの馬車が門前に着いた。琴音と若い男が急遽片付けられた客間に通されると、狐人きつねびと族のおさである琴音から若い男が紹介された。まだあどけなさの残る、銀に近い長い白髪のくせっ毛が特徴的な色白の子供だ。ソフィーと同い年くらいに見える。

 正座をするときに源九郎はキツネ耳とモフリとしたしっぽを消した。

「この子は白狐しろぎつね源九郎げんくろうといって、わたくしのいとこにあたる初音の息子なのですが、ニンディタで暮らしていた家族ごと人さらいに会って、この子だけが何とか逃げ出して来た。という状況でして……」

 道場の稽古を休みにした屋敷はしんとしている。

 

 とうとうと源九郎から経緯が語られた。

 姉と両親、四人で暮らしていた家に突然押し込み強盗が入り意識を失いました、から始まって、目隠しが外されたときには姉と両親の姿はなく、子供が沢山いる施設の牢の中に入れられていて長い間過ごしたが、呼び出されて身体検査を受けたときに「獣人じゅうじんは使えん」と外に放り出された、というものだった。ニンディタでは差別が酷く獣人けものびとであることを隠して暮らしていたとのことだ。牢の中には異国の子供もいたという。

 逃げ込んだ先の家の老夫婦が親切な人で、あの施設からはよくむくろが出る。無事でよかった、と国境を渡る荷物の中にまぎれこませてくれて逃げてきたのだった。

 施設のある街の名を聞いたデニスがこめかみに指を伸ばした。情報通であるデニスには心当たりがあるようだ。押入れにしまったバッグから書類の束を取り出したデニスは、何枚かを抜き取って、鉛筆と一緒に源九郎に差し出した。

「この中に施設で聞いたことのある名前があったら印をつけてください」

 源九郎はじっくりと書類を見ると文机の上で幾つかの名前に印をつけて始めた。

 なんの書類なのかをハルトが問うと、

「行方不明の方を地域別にまとめたリストです。先ほど源九郎さんが連れてゆかれたルサンという街の近辺で行方が知れなくなった人たちの名前も載っています」

 言いながら、デニスは源九郎を見つめていた。

 源九郎から返ってきた書類には六人の子供と二人の大人の名前に印がしてあった。三人の子供の名前に下線が引いてある。ハルトが下線の意味を尋ねるとデニスは、

「アントナーラで拉致された子供です。しかもこの子はハルトさんの友達、ロダ村出身のケビンとカールさんの知り合いの子供ですね」

 フーゴ・ブラックスミスと書かれた名前を指して言った。

 今となっては随分と昔に思えるが、「できる限りのことはする」と、友達と交わした約束を思い出す。

「でもよく無事に出られたな」

 カッツェの疑問を含んだ言葉に源九郎が噛み締めていた唇を緩ませた。

「近いうち施設を変えるから問題ないだろうって。狐人なんぞを殺してたたられたらかなわん。どうせすぐに野垂れ死ぬだろうって、言ってました」

 正座をしてうつむく源九郎には、怒りとも悲しみに暮れた絶望ともとれる涙が浮かんでいる。

 皆が腕を組んで考え込む中、デニスが口を開いた。

「琴音さん。国境を越える手形はすぐに手に入りますか?」

「はい。それはできますが」

 聞いてから、しばしあごの上で指を遊ばせていたデニスの手が離れた。

「みなさん、数日時間を下さい。私は胤月さんのところに知らせながら、今回私がキラナに来たもうひとつの目的を果たそうと思います。そしてここからが大切なことなのですが、ルサンの街にはすでに人を渡してあります。ですが今の体制では救い出すことは難しい。増援が必要です。ハルトさん、カッツェさん、行きますよね」

「はい」

「もちろん」

 デニスは二人の意思を確認して続けた。

「では潜入している人間に国境まで迎えにきてもらいます。私はどうすれば一番良いのかを考えながら出かけてきます。今はまだ単なるニンディタにおける国内事件です。源九郎さんの証言だけでは、おそらくキラナの軍は介入できない。ニンディタ政府に捜査依頼を出しても、拉致が政府主導、もしくは政権に近い人間が首謀者の場合は逃げられてしまいます。お二人は旅の準備を整えておいてください。二、三日したら戻ります。カッツェさん、コボルをお借りします」

 デニスは旅支度を整えると本山に向かってコボルの手綱を打った。


キラナに拉致された子供の救出に向かうことを決めたハルト。

次回「潜入」

水曜日の投稿になります。


和というか江戸というかそんな舞台に文体が変わったような気が。山本周五郎大先生リスペクトなのです。段々元にもどると思います。笑 ニンディタ潜入編もそう長くならない予定なのです。

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