幽閉生活
ゴーン、ゴーン、起床を告げる鐘の音にハルトは目を覚ました。
冬の厳しい寒さと湖上から吹き付ける風が窓を揺らしている。意を決して毛布を跳ねのけ、簡素なベッドから降りると、すぐ隣に備え付けられた洗面台で顔を洗い、貫頭衣に頭を通す。
今にも凍りそうな冷たい水で顔を洗っったおかげで強制的に目を覚める。とにかく体を動かして熱を生もうとする。暖房を入れるコックを開いても作業時間にならないと階下からの熱は上がってこない。外から鍵がかけられた扉ののぞき窓からトレイを受け取って、古ぼけた椅子とテーブルに腰を降ろした。
ハルトが絶海の孤島、アルカトラズに幽閉されてから一年と数ヶ月がたっていた。断崖絶壁の孤島上の一角、政治犯収容区画は牢でこそないが独房である。テーブルの上のトレーに直に置かれた固いパンをかじり、何度も咀嚼して飲み込むのにも慣れたものだ。トレーの下を触ったハルトの顔に安堵の色が浮かぶ。慣れた手付きでテプルで留められている手紙を外してテーブルの上に置いた。
監視員にワタリガラスが運んでくる手紙は外の世界を知る唯一の手段だ。今日はノーラからの手紙が届いていた。「本を送ったから楽しんでね」手紙の内容を要約するとそんなところだった。事態の進展についてはとくに書かれていなかった。
読み終えた手紙は細かくちぎって窓の外に散らしてしまう。こんな連絡でも手元においていつまでも眺めていたくなるが、そういうわけにもいかない。手紙を運び、ハルトの部屋での行動を見て見ぬ振りをしている監視員の男がトレー置き場から食器を下げると、ハルトは鉄格子の嵌った窓の外の景色に視線を移した。
ハルトが幽閉されているのは一見庶民が住まう部屋とあまり変わらない。しかし政治犯とはそれすなわち最低でも準男爵の爵位を持った者になる。身の回りの世話を全てメイドや執事にやらせていた貴族には掃除や食器の上げ下げすら相当な屈辱になる。しかも逃走防止柵がしっかりと嵌った窓の向こうに見えるのは、重い灰色の空と荒れた水面だけ。絶壁の孤島に建つ収監施設の一角から見える景色は毎日ほとんど変わらない。
しかしハルトとってはそれほど苦ではなかった。前世では自分の部屋を掃除したり食器の片付けを自分でするのは当たり前だったのだから。それに昼間ならば曇り空でも陽の光がある。色のない厳冬の景色から目を離し、本棚に向かったハルトはノーラやノエルから送られて来た本やラノベの背表紙を見て回った。
「やっぱ送ってもらった本に癒やされるんだな。全然進歩してないな、俺」
ふう、ため息をつきながら中学の時に陥った事態を思い出す。ノーラが置いていったラノベにハマってやり過ごした日々。今回はノーラに加え、ノエルからも本が送られてきている。
「しかし、あの二人も考えてることが同じっちゅーか、なんというか。――ありがたいけど」
ハルトが手にとったラノベの表紙の裏には落書きがしてある。「お兄さん、ひきこもり生活楽しんでね☆」ソフィーの筆跡を見てハルトは思わず笑みをこぼした。
決まった運動の時間以外に部屋から出ることはできないが、逆に外に出たときこそ気をつけなければならない。いかつい男たちに監視されながら黙々とランニングをこなすハルトから露骨に情報を聞き出そうとしたり、上手い話を持ちかけようと怪しい輩が近づいてくる。できるかぎり部屋から出ないように心がけているハルトは、幽閉されてから誰の面会にも応じず、完全な引きこもり生活になっていた。
作業にも出てないし、立派なヒキニートの完成ですよっと。
面会に応じないのは名前を知らない貴族からの申し入ればかりだからだ。刑務官が「面会の申し込みだ」と高慢な顔をしてハルトの部屋の扉を叩く度に、ワタリガラスに手紙を運んでもらってキザイアにお伺いを立てるのだが、やはりハルトに面会を望んでくるのはハシュタルにゆかりのある貴族たちだった。
『大方ハルトをニンディタにスカウトする話だろう。監獄から出してやる。優雅な生活を保障する、などと言って籠絡しようするのが関の山だ。奴らが欲しいのはハルトではなくハルトの持っている知識と技術だけだ。放っておけ』最初にこう返ってきて以来『前回に同じく……』という返答しか返ってきていない。
親しい人ほど波風を立てないように表だって近づいてこないのをハルトも理解している。
読み飽きるまで読み込んだ本の並ぶ棚に、新入りが加わる期待に胸を膨らませて、作業開始時間が過ぎて熱を持ち始めた配管のそばに椅子に腰を動かした。何度も思い出しては胸に刻んだ記憶にまた潜る。目を閉じると収監される前に向かった天使の館が浮かんでくる。前世では綾乃にもらった組紐のお守りが窮地を支えてくれたのだが、今回は思い出が残っていた。
どちらかというと、今回は俺が綾乃を励ましてあげなくちゃいけない立場なんだけどな。
綾乃と再会して感じたのは、脆く消えてしまいそうな儚さと、匂い立つような色香だった。
判決が下る少し前、王宮の転移の間から飛んだのベルダンティアの館、白い天使の住まう部屋だった。天界の空中に浮かぶ島の中にある天使の館は、ハルトがこの世界に転移してすぐにアルフリードとカッツェに連れていかれた懐かしの場所でもある。ノルン三姉妹の次女、ベルダンティアの召喚に応え、アーヤノルンとなった綾乃の近況を聞いた。
「もう大丈夫ですよ。取り敢えずですけれども」
綾乃の精神状態が落ち着いたことを知らされたハルトは、ベルダンティアに導かれて庭先に出た。コスモスが爛漫と咲き乱れる庭を越えて、広大な森の中をしばらく歩いた。優しさがにじみ出るような微笑みを絶やさないべルダンティアの背中には、大きな乳白色の翼が揺れている。初めてその姿を見て興奮したときように、翼と同じ色のミニスカーと純白のニーハイの間を渡るガーターベルトにも不埒な気持ちは浮かんでこない。頭の中は綾乃を保護して、自分を呼んでくれた天使姉妹への感謝と、綾乃との再会への期待でいっぱいだった。
自然豊かな景観の中、木々の梢を映す青い水を湛えた泉が見えてくる。
大きな木の陰でしばらく待つように言われ、樫の木の幹に背中を預けて休んでいると、花をつけた金木犀の香りを越えてバイオリンの音色が聞こえてきた。
「綾乃が弾いてるのか。こんなに上手かったんだな。そういえばお稽古がどうとかってキャンプのときに言ってたっけ」
目を閉じて音色に聴き入る。
まるで綾乃の心の中を見ているようだった。
美しくも憂いを含んだ旋律。綾乃が奏でるG線上のアリアが空に溶けると静寂が訪れた。 小鳥たちの鳴き声や草木をゆらす風の音に混じってかすかに聞こえてくるベルダンティアと綾乃の話し声。話し声が聞こえなくなってしばらくすると、空を飛んで戻ってきたベルダンティアが背中の翼をたたみながら大地に足をつけた。
「行ってらっしゃい。アーヤが待ってるわ」
ベルダンティアの大きな蒼い瞳が弧を描いている。促されるままに木陰から一歩踏み出した。
鮮やかな緑に木漏れ日が差し込んできて眩しい。
木立の先に青く輝く泉が見える。
泉のふちに立つ、バイオリンを片手に持った純白の天使の後ろ姿。
透明感のある白い肌。
華奢な肩に流れる絹糸のような黒い髪。
心の中に焼き付いている綾乃そのままの細身のシルエット。小さな頭が、ハルトに足音に気がついて、振り向いた。
何の疑いもなく顔がほころんだ。綾乃の涼しげな目元から困惑が薄くなったのが分かる。 ハルトは足を早めて綾乃に駆け寄った。
「綾乃、会えて嬉しいよ」
そのまま綾乃の両肩に手をかけて抱いた。
「遥斗、くん……」
耳のすぐそばで綾乃の声がする。息遣いが聞こえる。
身体を戻してハルトは綾乃を見つめた。綾乃の前髪には一筋の赤いメッシュが残っているが気になっても口には出さない。抑えれない気持ちが言葉になってゆく。
「良かった。また会えて――ほんとに良かった。心配したよ」
「ご、ごめんなさい……」
「――なんで綾乃が謝るんだよ。とにかく元気そうでよかった。それに、バイオリン綺麗だったよ。はじめて聴いたけどびっくりした」
「聴いていたの? 恥ずかしいわ……」
「なに謙遜してんだよ。上手すぎて驚いたって。俺もこっちに来てからちょっとだけ弾いたことあるんだけどさ。長い音をひとつ出すので精一杯」
「へぇ、遥斗くんもバイオリンを弾いたことがあるんだ」
綾乃の顔から暗い霞が晴れてゆく。
「弾いたっていうほどでもないかな。音を出しただけ。でも気持ち良かったよ」
皆で合奏したことが気持ち良かったとはハルトは言わない。
綾乃はまだ孤独感をもっているはずだ。過敏になってるっていうし言葉は選ばないと。難しいけど頑張ろう。
思わず口にしてしまったバイオリンの話だったが、綾乃とどう接すればいいのか、どれほどの時間をかけたのか分からないくらい考えてきたことが功を奏したようだ。試練を越え、自信をつけたハルトは綾乃をエスコートしようと手を差し出した。
「ちょっと歩こうか?」
白い丸テーブルに置かれたケースにバイオリンをしまった綾乃と、石畳の上に乗る。透明で真っ青な水が水底の岩に光の通して揺れている。泉の中には小さな魚が群れをつくっているのが見える。何者にも分けへだてなく注ぐ陽の光に包まれて、木立が並ぶ遊歩道を綾乃と肩を並べて歩いた。ゆるやかな時の流れが沈黙を柔らかいものにしていた。
「大丈夫か? 綾乃。気分悪くなったりしない?」
「え、ええ」
うつむき気味の綾乃にハルトは切り出した。
「けどさすがはベルダンティアがお住まいのところだよな。館の外に出たのは初めてだけどいいところだ。日差しは暖かいし風も気持ちいいし」
「そうね。今日はいい日だわ」
緊張を隠せず遠慮がちに目をふせていた綾乃は、ハルトの肩のあたりで視線をさまよわせた。
「その……ハルトくん、逞しくなった?」
「体は鍛えてるからな。鍛えてるっていうか鍛えざるを得なかったっていうか。でもさ、体を鍛えると心も鍛えられるような気がする。少々のことには動じなくなったと思う」
「それでなのね。何だか年上のお兄さんになったみたいな気がしたから」
「歳取ったってこと? ガーン」
「うふふ、違うわよ。何だか頼りがいがある感じがしただけ」
「前の世界にいたときの俺と比べるとそうかもしれない。少しは成長したんじゃないかな」
二人は泉に沿って歩き、反対側の平な天然の御影石の上に乗って泉を眺める。おもむろに綾乃が口を開いた。
「遥斗くんは何も言わないのね……」
「何って、なにを?」
「私のこの姿のこと」
綾乃が言っているのは、姿だけではなく、人でなくなったことだとハルトにも分かった。すぐには答えられなかったが自然と言葉が出てきた。
「綾乃の羽ってすごく白いね。ベルダンディア様は乳白色っていうか柔らかい感じだけど綾乃の羽はスパーホワイトって感じ」
「スーパーホワイトって……昔の車じゃないんだから」
「よく見せてよ」
羽の生えた背中に回ろうとするハルトから逃げるように綾乃が回る。
「いやよ。恥ずかしいんだから……」
「えーなんで? 綺麗じゃん」
「そ、そうなの。変じゃ、ない?」
「いや,綺麗だなぁ、って思うだけだよ」
「ほんとに?」
「――こっちの世界に来てから驚くことは沢山あったし、少々のことには動じなくなったって言ったよね? それに俺にとって綾乃は綾乃だから。その白い服だって似合ってる。一緒にキャンプしたときのこと覚えてるか?」
「もちろんよ」
「あのときの綾乃、白いワンピース着てたろ。大人っぽくてかっこいいなぁ、似合うなぁ、って思った」
はにかむ綾乃のハルトは続ける。
「今の白い服も似合ってると思うよ。翼も含めて」
「ありがとう。でもね……私は白に逃げているのかもしれない、とも思うの。白い自分でいるは幸せではあるんだけれども……」
綾乃は面はゆそうにうつむき、恥じらいの色を浮かべた。顔元を隠す髪の先に指を伸ばして絡ませるのはハルトが見たことのない仕草だった。
「赤は危険で黒はもっとヤバいんだろ?」
「どうやらそうみたいね」
毛先で遊ばせていた指を止め、仮面を作って隠すように口を一文字に結んだ。表情を強張らせた綾乃を見て、ハルトは慎重に言葉を選びながら繰り出してゆく。
「綾乃は三つの色の中からひとつ選べって言われたら白が一番いいんだよね?」
「ええ、一番ましというかなんというか……」
「綾乃がなにを気にしてるのかは分からないけど、自分が一番好きな色でいいんじゃないかな? 自分が好きな色でいればいいんだと思うよ。――俺はさ、自分の弱いとこやかっこ悪いところを認めたくなくて、意固地になってたことがあったんだけど、それが自分なんだから別にいいじゃん、って思ったことがあって、受け入れたら楽になったというか、成長できたような気がしたことがあるんだ」
「自分を受け入れる?」
「そう。ダメな自分とか弱い自分とかを認めちゃうの。すごく難しかったけど、受け入れてからの方が強くなれた気がする。居直ったら強くなるって不思議なんだけどホントだった。変に頑張るのをやめたら、それまで悩んでたことが嘘みたいに上手くいったことがあったんだよね」
気負うことなく淡々と、泉に視線を向けたまま肩肘を張らずに語った。綾乃の瞳には少し、驚きの色が浮かんでいた。
「それにベルダンティア様が白なら大丈夫、って言ってるんだしさ」
「やっぱり遥斗くんはすごい。それにベルダンティアを信頼してるのね」
綾乃が纏うモヤモヤとした空気が消えていた。
「俺も来たばっかのときに助けてもらってるからさ。てか呼び捨て!?」
「ベルがそうして、って言うから……」
「マジですか、ベルですか。ベル呼ばわりですか。いいなぁ。ベルダンティア様とそんな関係なんて。ちょっと羨ましいんだけど」
「うふふ、ほんとに遥斗くんって気にしてないのね。私がノルンだってこと」
疑っているというよりも不思議そうな顔をする綾乃に優しさを込めて強く言った。
「さっきも言ったよね。綾乃は綾乃だって。背中に翼があって、アーヤノルンって名前になっても俺にとって綾乃は綾乃だ。こうやって、前となにも変わらないで会えてるんだしなんの問題もなくない?」
嘘だ。問題がないわけじゃない。ノルンは天使だ、永遠に今の姿のままで綾乃は生きることになる。けど今は、今の自分を受け入れて欲しい。どこを向いて進んでいくのかを考えるのはそれからの話だ。人にもまだなれるだし。でも焦るな。今はそのままを綾乃を受け入れてもらおうって決めたよな。というか本気で綾乃は綾乃だと思うし、ぶっちゃけ天使になった綾乃もフツーに可愛いんだけど。うん、かなり可愛いし、綺麗だし、生で肩とか見ると興奮するし、じゃなくて! ……落ち着け、俺。
「最近俺にもいろいろあってさ。乗りこなきゃいけないことがあったんだ。そのときに思ったんだ。あるがままでいいって」
「でも私、人じゃないのよ……」
「知ってるか? 綾乃。天使と人は結婚だってできるんだよ」
「えっ!?」
「いや、ま、その、とにかくあんま気にするようなことじゃないってこと。今の綾乃はそのままで綺麗だと思うよ」
あちゃー、なに恥ずかしいこと言っちゃってんだ俺。綾乃も黙っちゃたったし話題を変えなきゃ。
「――俺はさ、こっちに来てみたら職人の息子だったんだ。父さんに頭にげんこつ落とされながら仕事覚えたりしてさ。最初は大変だったけど今ではこっちに来てよかったな、ぐらいに思っててさ」
「虐待されていたの?……」
妙なところに綾乃が反応してちょっと落ち着いた。
「いや、そんなことはないよ。むしろ逆に嬉しいくらいだったかな。開けっぴろげで清々しい感じの人なんだけど、仕事に対してはまじ厳しくて。けどそうやって仕事を仕込まれたのには感謝してる」
「そうなんだ。良かった――それに私だけじゃないのね。戸惑ったのは」
「そうだよ。焚哉なんて前の世界じゃ家業のお寺を継いでも絶対坊主にはしない、逆に髪を伸ばしてバンドやるんだー、なんて言ってたのに再会したらツルッパゲに剃られててさ。大笑いしたよ」
よし、いい感じに戻ってこれた。
「ああ、お経を唱えてくれてたお坊さん、今井くんだったわよね。確か」
「それにノーラが転移したのは王族だ。第三王女として魔界みたいな王宮の中で暮らしてる。口には出さないけどあいつもいろいろあると思うよ」
「それは……、きっと大変でしょうね」
綾乃の中に納得する何かが生まれたようなのを見て、深い話しをしすぎて失敗したか? と気に病んでいたハルトはひとつ息を吐いた。もう一度深呼吸をする。
「綾乃だけじゃないよ。みんな何かを抱えてこの世界で生きてる。それに何かを乗り越えて生きてくってさ、転移しなくても同じだったのかもしれない」
ぽちゃん、小さなカエルが泉に飛び込んだ。波紋が広がっていく。
「遥斗くん、強くなったわね」
綾乃がじっとハルトを見ている。
「だといいけどさ。――中学の時は心配かけたな。お守りをありがとう」
「ううん、あんなことしかできなくてごめんなさい」
「そんなことないよ。あの組ひものお守りには随分救われた。元の自分に戻れなかったのは俺が不甲斐なかったからだ。でももう大丈夫」
「分かるわ。今の遥斗くんは昔の遥斗くんみたいだもの。ねぇ覚えてる? 幼稚園のときのこと」
「もちろん」
泉のほとりに腰を下ろして、日が暮れるまで話をした。
あの後、俺がやらかしちゃったらしくて、綾乃の羽が赤くなりかけて、ベルダンティア様が「ちょっと刺激が強すぎたようね」って駆けつけてくれたりしたっけ。
会えてよかった。
ギクシャクしながらだったけどお互い安心した感があった。
でも、まさか綾乃に拉致された経験があったなんて。詳しくは聞かなかったけど、綾乃が髪を切ったんだからどんことがあったのかは大体分かる。「本当に怖かった」って言ってたし。
たぶんこの世界が閉じてるのは綾乃の深層心理だ。
なんとか力になりたい。
立ち上がったハルトは窓辺に向かう。窓の下に見える湖面までは随分と距離がある。断崖の絶壁が高いのだ。
「けどなぁ、なんとかブレイクじゃあるまいし脱獄は無理だな。アメリカの連ドラみたいに簡単にはいかない、つーか無理」
いつ晴れるとも知れない曇り空を見る。
「いつまでここにいるんだろう」
何度も口に出してきた言葉がつい出てしまう。
綾乃も心配だけど、將は魂が融合してなくて二重人格になってるんだよな。しかもグレースさんの人格と折り合いが悪いとか、あいつ大丈夫なのか?
転移したとき、階段の踊り場から魔法陣の光が漏れる部室に綾乃が入って行ったのをみて追いかけた。廊下には誰もいなかった。部室の中には消えかけた綾乃しかいなくて入ってすぐに綾乃は消えた。魔法陣は消えかけていた。
ということは將が一番最後に転移して、中途半端な転移になってグレースさんの意識の下から出てこれなかった、ということだ。もう他には転移した生徒や先生はいないだろう。
綾乃が安定したら將の魂を救うってウルデ様は言ってたけどどうなったかな。
ともかくみんな動いてる。キザイア様も釈放にむけて動いてくれてるし、オーブは第一王女のアンナ様とニンディタの拉致事件を調べながら俺もことも頼んでくれてる。学園は復活してないけど大分風向きが変わったみたいで、爺さんにノエルとカッツェは王宮に戻ってアバターシュの増産に手をつけてるって話だしな。量産機かぁ。俺も作りたい。でも今は待つしかない。
ハルトは自力で出来る筋トレに精をだし、幽閉生活の時間を潰した。
いつものように部屋に閉じこもったまま過ごしていると、窓の外に機影が見えた。
ん? 誰だろう?よくみえなかったけど三機以上いたような。
しばらくして「ハルベルト・ブロック、管理局へ来るように」部屋の扉を開けた刑務官に告げられ、監視役の男と共に入った管理局には入所以来会ったことのない所長が待っていた。
「釈放の命が出た。入所時に預けた私物を受け取って出所になる。キザイア王女様が迎えに来られている」
ハルトは所長と監視役の男性に「お世話になりました」と礼を述べ、私物を受け取ると厳重な警備体制の扉をくぐる。出迎えの玄関ホールにはキザイアとカッツェがいた。
「すまんな。遅くなった」
「いえ、ご迷惑をおかけしました。わざわざ来ていただいてありがとうございます。キザイア様」
「兄貴、お勤めご苦労さまですっ」
真顔で慇懃に、深々と頭を下げるカッツェ。左手は腰に膝の上に垂らした右手が前を向いている。
「なにやってんの? カッツェ」
「ははは。エレオノーラ様が会ったらこうして、っていうからさ、――ほんとにお疲れさん。ハルト」
「もー! 帰ったらとっちめてやる。その前に成人のお祝いを伝えたい。やっとお祝いしてあげられる」
ノーラと珠絵は昨年の秋に成人の儀を受け、成人しているのだがハルトは祝いの言葉すら掛けてあげられていなかった。
「ハルト、実はまだそういうわけにもいかんのだ」
「どういうことですか、キザイア様」
「釈放は認められたが身分の復帰とグランノルンへの立ち入り許可まではまだ取り付けられていない。すまんが今はまだ出してやることしか出来ない」
「そうなんですか……じゃぁどうすればいいですかね?」
答えたのはカッツェだった。
「仲間がいるだろ。国外に」
「そうか、キラナなら入れるんだ」
「焚哉と胤月さんがキラナで待ってる。一緒に行こう」
「私はこのまま戻るが、しばらくキラナのやっかいになってこい。時間はかかるかもしれんがここまで迷惑をかけたのだ、騎士団に戻って来たらビシバシ働いてもらうからな。覚悟しておけよ」
にやり。美貌を印象づける紅が引かれた口の端がもちあがった。
ヒッキー生活、とりあえず脱出です。
綾乃との回想が入って長くなってしまいました……ごめんなさい。
次回「それぞれが出来ること」金曜日の投稿になります。




