判決
出窓に手を掛け、自室の閉じられたカーテンを少し開いてハルト窓の外を見る。相変わらず降り続ける秋の長雨に打たれた窓には水滴がにじみ、ここしばらく光を見せたことのない空には灰色の絵の具が何層にも塗り重ねられていた。
妖精の森で繭から綾乃を開放してから二週間がたとうとしている。
綾乃を救い出した後にキザイアたちが合流した。ウルデから事情が伝えられ、綾乃は鳥の人、アルフリードたちが守る天使の館に連れていかれ、將の魂が転移していたグレースのフォルマージュと破損したアバターシュをそれぞれのサジウスに載せて帰還した。
上級騎士になってから与えられたハルトの私室の中には出入り口に衛兵が二人立っている。外側にも二人いるはずだ。警護のために立っているわけではなく、軟禁されているハルトを監視する任に就いている憲兵の表情は厳しい。アバターシュの無断使用を咎められたハルトは自由を失っていた。
明確な命令違反を犯してアバターシュを持ち出し、妖精の森に向かった自覚のあるハルトはこの状況を受け入れている。しかし事はそう単純ではなかった。グレースの意識が戻らず、友軍への攻撃と無断使用とともに、アバターシュ損壊の罪にも問われているのだ。
重くのしかかる雲しか見えない窓に、ハルトの疲れ切った顔が映り込む。精気を失った顔色の中にある二つ瞳に光はない。綾乃のその後について一切知らされることなく仲間たちとの面会も口裏合わせを防ぐ名目で禁じられている。ハルトにとって、ただ無意味な時間だけが流れていく。体を作るトレーニングも今では時間を潰す手段でしかない。
希望を見いだせないハルトにとって、今はなにをやっても充実感を得られない。
アバターシュの修理はおろか、開発は中断、アバターシュに接近することすら許されていない。薄ら寒くなった秋の空気の中でハルトはこれまで過ごしてきた状況が根底から変わってしまったことをひしひしと感じていた。
「またかよ」
変化の真っ只中で迎えた秋を感じて、ハルトは力なく独りごちる。
前の世界で窮地に陥ったときには己に非はなかった。しかし今回は自分が招いたことが大きいのか身近に励ましてくれる人が身近に誰もいない。そうまでして何とか救った綾乃は、人ではなくウルデに言わせれば何者とも呼べぬ存在だった。「火の魔……」綾乃を初めて見たときに、ウルデが漏らしたのをハルトは聞き逃していなかった。
清廉で、自分に厳しく、他人を気遣うことができる綾乃に対して使うにはあまりにも似つかわしくない言葉だった。
だが、綾乃の激しい感情はハルトにも感じられた。ノーラや珠絵に対する黒い霧のような不快な感情が色や音になって表れていたことをあの場にいた全員が感じ取っていた。ノーラがどれほどショックを受けているのかも気になるが、それを知るすべもない。ハルトは椅子に腰を下ろし、深く身体を沈めると、眠っているとも目覚めているともいえないどんよりとした意識の中に再び落ちていった。
コツコツと扉を鳴らすノックにハルトは目を覚ます。どうやら座ったまま眠ってしまっていたらしい。いつもと同じ強さとリズムのノックで誰が入ってくるのかは分かっている。唯一ハルトの部屋を訪れ、外の状況を伝えにくるマティアスの来訪にハルトは少し気力を取り戻して立ち上がった。
ハルトの知りたい全てを語ってくれるわけではないが、マティアスはできる限りハルトの力になろうとしていた。これまでマティアスから聞いたことがハルトの知っている全てといってもいい。第三王女エレオノーラは分別のなさを追求され学園は休止、ハルトの軍規違反を幇助した疑いで、焚哉、珠絵、胤月はキラナに強制送還され、ハロルド、カッツェは守りの森へ、ノエルはアントナーラを経由してロダに向かったという。ハルトに上級騎士の資格を与え上層部に取り立てたキザイアも窮地に立たされ、それどころか王と王妃の立場も危うくなり、第一王女アンナの即位にむけて王宮が動き始めているということだ。
見張りの憲兵がくキザイア率いる軍属から公安に変わった今では王宮内部の動きはマティスからも伝わってこなくなってる。当初はキザイアの命令に背いたことへのお仕置きの意味での軟禁だったのだが、今では幽閉という言葉を使うのがふさわしい。マティアスでさえ差し障りのない話をすることしかできない。
それでもハルトは立ち上がり、扉の近くまでマティアスを出迎えに歩く。政治家貴族の配下の色が濃い公安所属の憲兵は、警戒の色を強めてハルトを扉に近づけさせようとしない。少し距離を置いて歩みを止めたハルトに、それで良い、とでもいいたげに、尊大な態度の憲兵が剣の柄にかけた手を緩めた。
外側にいる憲兵が開いた扉からマティアスが入ってくる。今日は独りではないことにハルトは驚いた。マティアスに続いて入ってきたのがキザイアだったからだ。王宮に帰ってきて以来初めての面会に、ハルトは渾身の力を込めて騎士の礼をした。キザイアの命令に背いたことに加え、予想外に大きな影響を、キザイアを含めた王宮全体に及ぼしてしまったことへの謝罪を込めた礼だった。
「王妃マリアの要請によりハルベルトを移送する、ハルト付いて来い」
キザイアに言われたまま部屋を出るハルト。キザイアとマティスに付き添おうとする憲兵をキザイアが止めた。
「王妃の命を受けた私自身が移送を行うと言った。お前たちの出る幕ではない。下がれ」
冷たく言い放つキザイアに憲兵はお互いの目を見合わせたが、それを無視してキザイアは歩き出す。マティアスに守られるようにして歩くハルトはキザイアに続いた。
憲兵の姿が遠ざかるとキザイアが歩きながらハルトに声をかけた。
「すまなかったな、ハルト」
「いえ、こちらこそ、本当に申し訳ありませんでした」
ハルトの肩にマティアスがそっと手を置いた。人気のない廊下で状況を説明するようにキザイアが口早に話す。
「ウルデ様がいらっしゃった。それでようやく母上もハルトを部屋から出せるように取り計らうことが出来た。これからまずエレオノーラの部屋に向かう。詳しいことはそこで話そう」
三人は第三王女エレオノーラであるノーラの部屋に入ったがそこにウルデの姿はなかった。ハルトの姿を見たとたんノーラがなりふり構わずハルトに駆け寄った。
「ハルトぅん、大丈夫? ちょっと痩せたね」
目尻に浮かべた涙を拭いながら、背伸びをしたノーラはハルトの頭に手を乗せて髪の毛を触る。久しぶりの仲間との触れ合いに、ハルトは涙腺が緩むのを感じた、が、自制して踏みとどまった。
「すまんがあまり時間がない。ウルデ様が来る前に話しておきたいことがある」
キザイアに言われノーラ、ハルト、キザイア、マティスがテーブルを囲んだソファーに腰を降ろした。
「エレオノーラ、ハルト、お前たちは妖精の森で救った友人のことが気になるだろうが、それはウルデ様が話されるだろう。今は私から伝えるべきことを話しておきたい。まずハルト、政治的な状況がかなりよくない。私の命令違反に対する処罰が軍法会議で下る予定だったがグレースの意識が戻らない。あの場にいた副官の中にハシュタルの息がかかった人間がいてハルトに不利な証言をしている。ハルトにはアバターシュの無断使用の上に友軍への攻撃、アバターシュの損壊の嫌疑がかかっている」
「自分がなにをしたのかは理解しています」
「ハルトが受ける裁判は軍事法廷ではなく、王都における最重要事項を扱う法廷で行われることになった。騎士を裁く軍事法廷ならば私の管轄内だが、私の手の及ばない範囲での裁判になるということだ。私もできる限り不当な判決が下らないように手を尽くすが、どこまでやれるかは正直未知数だ」
「本当にすいません。僕の軽はずみな行動が王宮全体を揺るがすような事態を起こしてしまいました」
「アバターシュを持ち出したことは結果オーライだった。アバターシュが先行していなければ結界の修復は間に合わなかっただろう。ほんの何時間かの間の行き違いだったのだ。動機がどうであれ、私がウルデ様からの連絡を受け、遊撃部隊を率いて出撃しなかればならない状況を悟ったのと、ことの重要性を理解していたハルトたちが出発した時間の差は。結界破壊から妖精の森でのあらましを理解している私は、すでに十分謹慎したお前をこれ以上咎めるつもりはない。私の理解不足をカバーした評価すべき事項だとさえ思っている。しかし今回の件を政治的な動きに利用されてしまっていてな……」
「王と王妃にまでご迷惑を……」
「そう気に病むな。タイミングが悪かったのだ。王宮は蛇の巣窟のようなものだ。蛇どもが格好の獲物を捉え、肥えたところで王位を操ろうとしているというだけのことだ」
「そうは言っても、キザイアお姉さまの立場も悪くなってるんじゃ……」
「そこは案ずるな、エレオノーラ。私は騎士団長であり次期王妃の座を狙う王家の一員だ。蛇どもの好きにはやらせん。むしろこの状況を利用して食ってやる。もちろん家族として母上に父上、姉妹である姉上やお前のことも大切に思っている」
キザイアはキツめ美貌の目元を緩めると、安心させるように口角を上げてノーラに顔を向けた。
「エレオノーラは風当たりが弱まるまでおとなしくしていて欲しい。ハルトが心配なのは解るが下手に動くと逆効果だ。すまんがしばらく耐えて欲しい」
「分かりました。お姉さまにお任せします」
「お前に失望されないように、全霊をかけて臨むと誓おう」
ノーラとキザイアが口をつぐんで見つめ合ったところで、扉が開き、黒の天使ウルデが入ってきた。
「待たせたな」
「いえ、ちょうど私もハルトとエレオノーラに直接伝えたいことがあったのでちょうど良い機会でした。では、私はこれで失礼します」
席を立ったキザイアにウルデは、
「お前も居てかまわんぞ」
と着席を促したがキザイアは席に戻らなかった。
「いえ、部外者の私がいては言葉を濁さねばならぬこともあるでしょう。エレオノーラとハルトがいた異世界に関わるお話でしょうから、私の耳があることを気にせずお話しください」
ハルトの監視を外すわけにはいかないのでマティスを残す、といいながらキザイアは部屋を出ようとする。
「そうか。王宮がいささかメンドウなことになっているのは王と王妃から聞いた。後でキザイアの部屋も訪ねよう」
「お気遣いありがとうございます。お待ち致しております。では」
「待て、その前に伝えておこう。結界の遺跡襲撃の折に世話になった礼を言う。ラフィーからも謝意を伝えてくれと言付かってきている」
「私は職務を果たしたに過ぎません。それに決してやりきったとも思っていません。今の状況を生んでしまったのも私の理解が至らなかったからだとも思っています。もっとエレオノーラやハルトの話に耳を傾けるべきだったと反省しています」
「そう自分を追い込むな。また後でゆっくり話そう」
「かしこまりました」
自らの手で扉を開け、足元までを覆い隠す白いマントが扉の外に消えると、外で待機する執事によって扉が閉められた。ウルデはキザイアが座っていた席に腰を下ろした。
「さて、久しぶりだな」
「はい」
ハルトとノーラは同時に答え、ウルデと向き合う。マティアスは席を外して視界の中にかろうじてハルトが入る位置まで離れた。
「綾乃は大丈夫ですか?」
ハルトの第一声を分かっていたように、ウルデは落ち着いた声で答える。
「大丈夫だ。アーヤノルンは大分落ち着いてきている」
「アーヤノルン、ですか……」
「お前たちの知る綾乃という女の魂は人でないのでな。今は、私たちはそう呼んでいる」
「綾乃ちゃんの背中に天使様の羽ができましたもんね。色がちょっとあれだったけど」
「今はほとんどの時間を白い羽ままでいられるようなった。精神的に不安定になると黒ずんだり赤くなったりするが」
「ウルデ様の翼は黒いですよね。ヤキトンボ採集に行ったとき、はじめて会ったときからそうでしたけど翼の色が重要なんですか?」
「私の翼とベルダンティアやスクルディア、それにアーヤノルンの羽は形が違うだろ。私の翼は腰から生えているし」
「はい」
ウルデ様の方が羽根はがふさふさとして翼の種類は違うけど、生え方としては鳥の人と同じだ。
「アーヤノルンを連れ帰るときに告げたが私は半神半魔なのだ。ベルダンティア、スクルディアとは姉妹ではあるが別腹でな、父親が別で少々やっかいなやんちゃ者なのだよ。今はその話はひとまず置いといてアーヤノルンの話に戻すが、彼女の羽はベルダンティアたちと同質のものだ。背中に羽を持つ天使は、色が白以外の色に固定されると色の性質を属性とした別の種族だと認定されてしまう。だから正統なノルンとして認知されるように安定させる必要があったわけだ」
「何か儀式みたいなことをやったんですか? 僕のときはベルダンティア様に頂いたお香のようなものを使ってハロルド爺さんが儀式をやってくれたんですが」
「いや、彼女はしっかり自分の記憶を持っているし、依代になったのが生まれたてのフェルンだから元の体に記憶と呼べるものはない。記憶の共有は必要ないんだ。綾乃の記憶を持った新たなノルンが生まれた、ということになる。しかしノルンとして存在するには精神的に問題があった。彼女が自分の心を落ち着けることだけが、問題を解決する手段だったのだ」
「そうだったんですか。ハロルド爺さんが守りの森に戻ったって聞いてたからてっきり何かの儀式の手伝いに行ったんだと思ってました」
「ハロルドはアーヤノルンを心配してというよりも、私を心配して戻ったようだな。アーヤノルンの世話をすることで私が半神半魔であることと再び向き合わなねばならぬことを心配してくれたようだ」
「そんな事情があったんですね……いろいろある中でありがとうございました」
頭を下げるハルトにノーラも習って精一杯感謝を示している。
「私はそれほど気にしてはいないんだがな。心配性で優しい男なのだよ、私の夫は」
「はいっ!? おっと、って言いました? 今」
「お二人が何となくあやしいなぁとは思ってましたけど、ウルデ様ってそういうご趣味だったですかぁ、年上好き?」
目を輝かせたノーラにウルデは笑ってみせながら続ける。
「これは口外しないでくれ。ハロルドにも私が漏らしたことを言うなよ。それに私は老け専ではない! ――その昔、ある困難にハロルド一緒に立ち向かったことがあってな。そのときの彼はそれは格好良かったさ。ともに大きな困難に立ち向かい、共感することも多かった。しかし私はその感情を恋だとは思わないようにしていた。私はノルンだ。永遠とも言われる時の流れの中を生きている。だがハロルドは人間だ。私にとって、短い時間の中で老いて死んでゆく。ハロルドと同じ時間を生きて、一緒に年を取って、支え合う間柄にはなれん。そう思って自分の感情を押し殺していたのだが、彼はそれでもいいと言ってくれた。自分にはあなたしかいない、とな。彼の強い想いに打ちひしがれてたしまった私は自分の気持ちに素直になって受け入れた、というわけさ」
「――素敵ですねぇ……」
うっとりとノーラがウルデを見つめる中でハルトはわなわなと震えていた。
「それじゃぁ綾乃も……」
「すまん、そうでもないのだ。それを先に話そうと思っていたのだが流れでついな。お前たちに伝えねばならん重要なことが幾つかある。ここからは順を追って話そう。脱線しそうになったら戻してくれ。どうも私は感覚的に話してしまっていかん」
言いながらウルデは長い銀髪をかきあげて紫紺の瞳を二人に向け直した。
「まずは、そうだな。私がアーヤノルンにしてやれることはおおかた終わった。ノーラはこの世界が閉じている理由が分からんと言っていただろう?」
「はい」
「それは綾乃の潜在意識によるところが大きい。彼女は過去に囚われ心に傷をかかえたままこの世界に来ている。他にも理由があるようだが、ともかく危険なほど心が病んでいるのだ。ノルンとして存在できるかどうかの境目はなんとか超えられそうだが、過去を司る私の役目はここまでだ。ここから先は現在を司るベルダンティアに任せた方がよいだろう」
「綾乃は心が病でしまうくらいに何かに悩んでたってことですか?」
「悩みがあるというのでは可愛いすぎるな。逃げる込む先を探し、逃げられないことを悟って世界の破滅を望んでいたというのが正しいと思う」
「そんなバカなっ」
まぁ落ち着け。声を荒らげたハルトにウルデは諭すように言葉を重ねる。
「ハルト、人は外から見ているだけでは分からんもんだよ。しかも彼女は自分を外に出すことができない環境で育った。彼女の本心は彼女にしか分からんさ。しかし、だ。取り敢えず破滅以外に希望を見いだせないような極限状態は脱した。アーヤノルンはベルダンティアに支えられながら今と向き合おうとしている。これからの彼女の気の持ちよう次第ではノルンではなく、人として生きてゆけるかもしれん」
ふぅ、やっとここまで来た。と一息ついてウルデは紅茶のカップを口に運ぶ。
「彼女がどういう存在になるのかは綾乃が今後なにを思って生きようとするのか次第だ。だが今の彼女に必要なのは安心してゆっくりと自分と向き合う時間だ。ベルダンティアとはかなり打ち解けている。今のアーヤノルンがなにを思っているのかは、女の子のプライバシーですから、とベルダンティアは私には教えてくれんが、悪いようにせんだろう、ベルダンティアなら」
「綾乃ちゃん、早くよくなるといいね。ハルトぅん」
「そうだな。でもベルダンティア様がついていてくれるんだ。きっと大丈夫だ」
転移してすぐにベルダンティアに助けられた経験があるハルトの言葉には説得力がある。ハルトは少し時間を使って自分の体験を話し、ノーラを安心させてからウルデに顔を戻した。
「ところでスクルディア様からなにか聞きましたか? 未来を司る天使様は一体なにをしようとしてたんでしょうか?」
「それが私にはよくわからんのだ。なにをやっていたにしても、なぜもっと早い段階で自分で解決しようとしなかったのだ、と聞いたら『だって黄色い服を着た道化師は自ら演じようとはしないものだもん』とか言うし……わけが分からん。――ただスクルディアを繭に閉じ込めたのは神ロキのようだ。スクルディアのやってたことを邪魔したかったようだな。それもあってスクルディアは遠回しにフィレーネを使ってハルトを誘導し、転移した仲間が集まるように仕向けていたらしい。気が遠くなるような話だが、ハルトが洞窟の壁画を見つければ飛甲機を作り出すことは解ってたみたいだ」
「俺はスクルディア様の手の平の上で転がってた、ってことでしょうか」
「そう段純なことでもない。スクルディアは未来を司る天使だから断片的なイメージは掴んではいたようだが……それと綾乃の魂が転移してきて繭を強固なものにしてしまったのは予想外だったそうだ。お前たちが助けたときにあの繭は真紅の宮殿みたいになっていただろう? それと黒くもなった。出てきたばかりのアーヤノルンも同じだ。その色には意味があるとベルダンティアは言うのだが、やはりプライバシーに関わるからと私には教えてくれん。ただ、これだけははっきりしている。月が登りきるまでにアーヤノルンを繭から連れ出すことが出来なければこの世界は滅んでいた。間一髪だった。あらためて礼を言う」
殊勝にもウルデが立ち上がって二人に深々と頭を下げた。
「顔を上げてください、ウルデ様。俺たちは綾乃を助けたかっただけだ」
「そうですよ、ウルデ先生」
「ノーラ、お前にもあらためて礼を言いたい。お前がハルトやお前たちが転移してきた聖地の位置が幾何学模様のポイントなっていることに気が付かなければ間に合わなかった。本当に助かった」
「そういえば、將というかグレースさんの故郷がもうひとつな点だったんだよな?」
「うん、間違いないね。オプシディスには聖地とされている所はないけど、蟲の化石がまとまって出てた所だもん。なにかがあるんだろうね」
「そういうことか」
「グレースの一族の本拠地がバッチリその位置になるからねぇ……」
「まだ意識が戻らんそうだな」
「もしかすると戻っていないことにされてるのかもしれませんけど……」
「グレース、というかお前たちの仲間のマサルの件もなにとかしてみよう」
「よろしくお願いします」
「ベルダンティアはお前たちが転移してきた場所が描いた模様が正五角形で五芒星を内包しているにえらく興味をしめしていたぞ。アーヤも幾何学模様に詳しくて二人は模様の話で盛り上がってる。それをきっかけに二人が打ち解けて仲良くなったからまぁいいんだが」
「綾乃ちゃん凄いなぁ」
「スクルディアを手玉に取ったのだ。かなりの強者だと思うぞ。なんでも神に仕える一族の生まれでもあるとか。神に通づるなんらかの力を持っていることがノルンとしてこの世に生を受けたこと関係しているのかもしれんな」
「でも人間として生きて行ける可能性もあるんですよね?」
「むろんだ。さっきも言ったが彼女の意思次第、といったところだ。ハルト、時期がきたら館に来てもらいたい。王には転移の間を使わせてもらうように伝えておいた。ベルダンティアから指示が出たら迎えに来よう」
「ハルトぅんだけなんですか? わたしは行っちゃダメなんですか?」
「時期と順番が大事らしい。そのうちノーラや焚哉たちの出番もくるさ。気長に待ってやってくれ」
ハルトは久ぶりに人と話し、綾乃の状況を聞けたことでひとまず落ちついた。マティアスに連れられて自室に戻った。
その後しばらく経ってハルトは天使の館に呼ばれた。密かに転移の間を使って再会した綾乃との時間を胸に秘めながら取り調べを受け、裁判の日を待った。
朝夕に寒さを感じるようになったある日、ハルトは騎士の正装に着替えて王宮内の特別法廷に出た。傍聴人席は貴族たちでごった返し、入れなかった人間の分まで聞いてやろうと、目をギラつかせた人々で埋まっている。検察と公安、軍属に囲まれ、どこに味方がいるのかわからない状態でハルトは裁判長と向き合った。判決を告げる木製のハンマーが振り下ろされる。
「判決を言い渡す。王都グランノルンの威信そのもである強大な兵器を私情で持ち出した罪、同胞である上級騎士、グレース・オプシディアンに殺意をもって攻撃をしかけた罪により、ハルベルト・ブロックの騎士の資格を剥奪。アルカトラズへの流刑とし、無期限の幽閉を言い渡す」
大きく目を見開いたノーラの横で、キザイアが口を固く結んで奥歯を噛み締めた。オーブの握りこんだ拳が震えている。手錠をはめられ、うつむきながら連行されてゆくハルトをニヤリとした顔つきで見つめる貴族の姿は少なくなかった。
理解者と協力者に助けられつつも、貴族たちの政治情勢の濁流にのまれるハルト。
次回「幽閉生活」
水曜日の投稿になります。




