妖精の森
澄んだ水のような日差しが濃緑の樹海を照らしていたのもつかの間だった。
下界を覆う雲が厚くなると、通信環境が悪化し、眼下で雲海が渦を巻く今では戦闘区域本部との通信は困難な状況になっている。
「カッツェ取れるか? 通信に問題ないよな」
「近距離通信までアウトになったどうしようもない。今のうちに装備の話をしておいた方がいいんじゃないのか?」
アバターシュが乗るサジウス実験機のコクピットから発っせられたカッツェの声は他のメンバーにも届いたようだ。
「ハル、フィレーネが今のところ妖精の森に蟲はいない、って言ってるよ」
ノエルはカッツェの守り鴉を委ねられて手綱を握っている。
「でも先輩、繭の根を切るときに邪魔になるまではガトリングを装着しておいた方がいいと思います。パージする方が簡単なので」
奥森の原野から回収されたガトリングは整備され右腕に再装着されている。
「弾倉は鎮めの粉よりも眠りの粉を装備しといた方がよいじゃろう。珠絵、まだあったな」
「はい、まだあります。先輩、グリーンのラインが塗装されているマガジンです。マガジンスペースの中央にあります」
サジウスに同乗している珠絵が振り向き、機体後部にマガジン収納スペース中央を指差した。サジウス実験機はフォルマージュのサポート機であるサジウス・ワン、サジウス・ツーとは異なり、アバターシュのサポート機としての実験に入った仕様のままだ。冷却ライフルと火炎放射器を腹の下に抱えた姿は長距離援護射撃機の様相を呈している。
ハルトはサジウスとのロックを解除し、アバターシュを片膝立ちの姿勢から解放して飛翔すると、サジウス後部からマガジンを取りだし換装したまま並走する。その様子を後方から監視するようにフレーム状態のフォルマージュを乗せたサジウス・ツーと直掩機を足した三機の飛甲機が少し距離を取って飛んでいる。装甲と武装を起動していないフォルマージュはただのフレームでしかないが、どこかしら威圧感が伝わってくる。
「思ったより育っているな」
ウルデが妖精の森上空に到達したのは初めてだ。
妖精の森を覆い隠す分厚い雲は、台風を上から見たような渦を巻き、中心には大きな光の柱が立っていた。茜色に染まり始めた空の中で、ひときわ明るく、赤く太い光が天空まで伸びている。直径五十メートルはあろうかという赤く鮮やかな光の柱がはまるで意思を持っているかのように揺らめいている。深い緑色が広がる森の中で、妖精の森と呼ばれる区画の上空だけが渦を巻く雲に覆われ、野太い光が立っているだけでも異様な風景なのだが、不安を増長させる要因は他にもあった。
「あれってロダの方向ですよね」
ロダ村の方角にも光が立っているのだ。
「双眼鏡を使うと珠絵が転移した方角にも光の柱らしきものが見えるよ」
焚哉は器用にも双眼鏡を両目に当てながら操縦している。
「光の柱の根本。嵐の中心がちょうど繭の位置になる。進んでみよう」
一団が雲海の中心に立つ光の柱に近づくと光の柱がフラッシュし強烈な刺激が目の中に飛び込んできた。瞬きを繰り返し目を慣らすと、白い天使と二人の側近の天使が雲上の空に浮いるのを見つけた。飛甲機群と白い天使、お互いが近づき合流する。飛甲機群の中から抜け出た黒の天使、ウルデと白い天使、ベルダンディアが邂逅する。
「ベルダンティア、スクルディアを感じるか?」
「ええ、でも如実に生命力が落ちているわ。弱々しいものしか届いてこない。天候に影響されて感じにくいけれどそれは確かよ。でもその前に見て欲しいものがあるの。ついて来て」
ベルダンティアは一団を風が強過ぎて近づけない光の柱を迂回させて元来た王宮の方面に誘導した。
「ウルデ様、王宮の方にも光の柱が立ってます。なんだかぼやけちゃってるけど」
ソフィーを後ろに乗せたノーラ機に、腰から伸びる黒い翼を広げて自立飛行する黒い天使ウルデが近づいた。飛甲機の計器で方角を確認したウルデの声が全機の通信に入ってくる。
「王宮から立つ光がぼやけているわけではないな。後ろにもっと大きい光がある。ぼやけたように見えるのはそれでだ」
天駆ける金狼がウルデに近づいた。
「セントラルが反応している、ということじゃな。難儀な」
「セントラルって果てなき泉の中心にある島ですよね。ここから見えるものなんですか?」
ノーラの問いにラフィーが答える。
「島というても小さな領地くらいはある。太いの光が王宮方面の空を染めとるようじゃな。セントラルはこの世界の中心じゃ。お前達が転移してきた星の五角形を内包してしまう聖なる図形の中心でもある。しかし今立っている全ての光の中心地は間違いなくここじゃ」
「どこから突入すればいいでしょうか?」
ハルトの言動からは焦りが滲み出ている。
「この嵐を抜けて飛甲機が降りるのは無理じゃろうな。妾が道を開こう。白狼達よ、用意はいいか」
三頭の白狼は無言でうなずくと、それぞれが等間隔に距離を取った。正三角形を描いた位置で、白狼達が空中で自分の尾を追うように右に回り始める。三ヶ所から巻き起こる風が雲の中に三つの円を描き出す。円の一部が嵐の風に流されて右巻の尾ひれを作った。雲の中に絵の具で描かれたような三つ巴の紋が浮かび上がった。焚哉が目を見開いて見つめる紋の中心から、金狼が上空に向かう。巴の三角形の頂点と等間隔になる位置でラフィーが静止すると、正三角錐が黄金色に光った。眩い光を放ち、底面が割れる。紋の中心から門が開くように雲が消え、森の木々が姿をあらわした。紋の中の風はぴたりと止んでいる。まるでそこだけ時間が止まっているかのようだ。
「ハルトから行くが良い」
ラフィーの言葉にアバターシュを降下させたハルトに続き、装甲を起動したフォルマージユ・グレースとサジウス・ツーが降下し直掩機が追随する。カッツェと珠絵の乗るサジウスが負けじとそれを追った。ノエルの守り鴉が続く。
「ソフィーちゃん行くよ」
「はい、エレオノーラ様」
「光栄だわ、鳥の人の族長とご一緒だなんて」
「元じゃと言うとろうが。ウルデ様の前で女性を後ろに乗せるわけにはいかんのじゃ。おとなしくしとれ」
ノーラの飛甲機に続きハロルドが守り鴉を降下させた。
「胤月とハロルド先生仲いいじゃん、ナターシャ先生しっかり掴まっててくださいね」
「楽器が上手なタクヤル様ですもの信用してますよ」
焚哉が操縦する機体が降下するとラフィーが降下を始め、三つ巴の中が薄く曇り始めた。
「ラフィー、白狼達を使い潰すつもりなの?」
ベルダンティアが紋を描く白狼達を心配そうに見つめている。
「まだ一度や二度はこやつらだけでも道を開けるだろう。援軍が来たときに入れぬのでは意味がない」
「そう無理をさせるものではありません。アルフ、あなた達三人なら援軍が来たら中に伝えることくらいはできますね?」
「はい」
「鳥の人を残します。白狼達も中へ」
「アルフリード、頼んだぞ」
ベルダンティアに続きウルデが降下し「者共、ついてこい」ラフィーを紋中に通した白狼が紋を作っていた運動をやめると同時に雲に潜った。
雲の下は強い雨を大きく渦を巻く中に風が横殴っていた。森の中心から吹き出してくる風向きで、計器に頼らなくても目指す位置が分かりそうなくらいだ。
前方には力強い赤い光が上空に立ち込める雲にむかって伸びている。渦の中心に進むにしたがって雨脚は弱まっていった。
高度を下げて森の木々の間に入り赤い光の方向を目指す。
ハルトには細かい霧のような焦燥感がまとわり付いていた。
スピードを上げようとするハルトをラフィーが静止し一団を止めた。
「木々の様子がおかしい。地脈が暴れておる」
「どこに繋がる地脈だ」
空中で静止し、腰から生やした黒い翼をまたたかせるウルデも森の木々に紫紺の視線を流す。
「先程の遺跡への影響が一番強そうじゃがこの近辺一帯じゃな。枝分かれしておる。たぶん、じゃが、繭が崩壊するとこの辺り一帯のマナの性質が変容する」
「結界が機能しなくなるということか。そんなことになったらスタンピードが起こるぞ」
「妾たちは地脈を鎮める。繭を頼む」
ラフィーが三頭の白狼を連れて離脱した。
「私たちは進みましょう」
ベルダンティアが先頭を飛んで動き出す。
中心に近づけば近づくほど強くなっていた風が突然凪いだ。同時に周りに木のない開けた場所に出た。
地表から一本の大木の根が横に伸びている。
静かにたたずむ巨木の根もとでコオロギが鳴いている。
巨根の上には先端の見えないほどの白い繭。
大きく曲線を描く繭の頂点らしき部分から赤い光が雲海にむかって伸び、強い光が雲の上で拡散されているのが透けて見える。視線を下げると繭の根元が赤くなったり黒くなったりとまだらに染まり、繭の中には行く末を心配するように幾つもの小さな光が点滅している。光のひとつひとつが妖精の形をしていた。
「妖精の魂がこんなに集まってるなんて」
繭の根元には、花の芽のような小さな繭が突起している。人の背丈ほどの繭が、生まれたての白い真綿に包まれ、うすら赤く艶めいては黒く染まる。繭の芽が色を変化させると、それを写したように大きい方の繭が色を変えてゆく。
なんだ? ミクロとマクロがシンクロしてみたいだ。
粒子の運動や、小さな花の花弁が、大宇宙の銀河の渦と呼応するかように大小の繭が反応していた。心音を発し、微かに鼓動する繭の芽の中には長い髪の女性のシルエットが薄らぼんやりと見てとれた。
「綾乃……」
人影が綾乃であることを確信したハルトがアバターシュを繭に近づけた。突如、繭が真っ赤に染まった。
「綾乃ちゃん」
ノーラも飛甲機を降り近づいてゆくと、真紅の繭の中に黒いまだらが生まれた。ノーラが距離を詰めるとさらに黒い部分が大きくなってゆく。
「神宮路先輩なのですか?」
珠絵が恐る恐る近づくと、繭は一瞬にして漆黒に染まり、不快な高周波を出しだした。まるで人が近づくのを拒絶しているようだ。ハルト達が繭から離れると音が消え、繭の色が薄くなった。
「ウルデ様、これは……」
困惑した顔を初めてハルトたちの前で見せたハロルドがウルデに尋ねた。
ノーラと珠絵がさらに繭から離れると繭が白色に戻ってゆく。
「少し落ち着いたか――小さい繭の中にいる女が自滅を望んでいる。ということだろうな。正気に戻さないとこのままでは……」
「繭の根を切って分離すればいいんですよね?」
ウルデの言葉を拾い上げたアバターシュがカトラスを抜こうとする。
「待って下さい!」
ベルダンティアが腕を上げてアバターシュを静止した。大きな繭の周囲を飛んでいたベルダンティアに仕える少女天使達が舞い降りて来た。
「大きい方の繭の中にいるスクルディアからの伝言です。小さい繭を無理やり切り離すと中にいる存在が死んでしまうわ」
「そんな……綾乃、綾乃っ!」
ハルトが綾乃の名を呼ぶと再び繭が赤く染まった。
「――綾乃だと」
この場にいるはずのない声がハルトの耳に届いた。声の主を探して振りむいたアバターシュにフォルマージュが剣先を向けていた。
「遥斗っ! お前に綾乃は渡さんっ、俺はそう言ったはずだっ!!」
切りかかったフォルマージュ・グレースの剣を盾でしのいだアバターシュが後ろに下がりながら浮上する。着陸しているカッツェの乗るサジウスを飛び越えて繭を背にして踏みとどまった。
「やっと表に出てこられた」
ハルトが幼い頃から聞いてきた声だった。
「將、なのか?」
再び剣を振りかぶったフォルマージュ・グレースが走り込むその先で、カッツェがサジウスから二本の長物をパージして緊急発進させた。渾身の力で降り下ろされるフォルマージュの剣を再び盾で受けるアバターシュ。黒の騎士をイメージをそのまま描き出したような荘厳なフォルムのフォルマージュの頭上で赤い鬣が揺れている。洋剣を盾で押し返そうとするアバターシュの左腕がフォルマージュの剣の重さに振動する。
「なんて力だ。お前、將だろっ!? どういうことなんだっ!」
「俺はグレースというこの男の中に封印されていた。何度叫んでもこの男は俺の声を神の神託だと思っていたようだがな。だが綾乃を目の前にしてこのままじゃいられない。やっと体が俺のものになったというだけの話だ」
「…………落ち着け、將っ。今はお前と争ってる場合じゃないっ」
「何を今更っ。王都騎士団の頂点まで登りつめた俺の邪魔ばかりしやがって、俺にはオプシディスの民を救う義務がある。父上と俺の顔に泥を塗ったことを忘れたとは言わせんぞっ」
爪を大地に食い込ませ、体内に込める力をマナの光として背中から放出するアバターシュが翳す盾の上で、震える剣を滑らせた黒いフォルマージューが即座に腰を落として横蹴りを入れた。蹴りの衝撃に吹き飛ばされたアバターシュがなんとか踏みとどまろうとする爪痕が地面に流れ、深みを増していく。
「何が起こっている?」
黒い羽の天使と白い羽の天使が駆け寄った。
「もうひとりいた、ということでしょうね」
「そういうことか。ハルト! その男はグレースとの記憶が混濁している。気をつけろっ」
ウルデの言葉に状況を理解したハルトは、アバターシュの肩を向けてフォルマージュに体当たりをかます。憎悪をむき出しにした黒いフォルマージュがアバターシュに斬りかかる。ハルトは繭を守るためにフォルマージュの腹にアバターシュの体を入れて押し戻した。
「パイルバンカーを使うとを將を殺してしまう……」
クリンチしたまま膠着した。カッツェの後方からの狙撃をものともせず、黒騎士が力まかせにアバターシュの腕をほどいて距離を取る。
フォルマージュを乗せてきたサジウスと直掩するロッキ型の機体が垂直離陸した。
「ノーラ、焚哉、お前らはグレースのサジウスと援護の飛甲機を押さえるんじゃ」
浮上した二機の飛甲機が離陸した機体に立ちはばかる。ノーラの駆る機体はキザイアのものだ。騎士団総長と同盟国に貸し出されている機体に迂闊に攻撃をすることができず、直掩機とサジウス・ツーは着陸する。近づいたウルデが釘を差す。
「それでいい。今のグレースはグレースではない。ノルンである私がお前たちの行動の正当性を証明してやる。おとなしくしていろ」
打撲系のリアイラブルソード、ロングソード抜いてフォルマージュと対峙するアバターシュ。獰猛さを含んだ顔つきがフォルマージュを見据えている。
黒騎士が動いた。
交わった剣からカン高い音が響き火花を散らす。
目の前で繰り広げられる巨人の戦いに、繭の色が赤と黒のまだらに染まり、色の変化が早まってゆく。
「いかん。繭が動揺している。胤月、焚哉と経を唱えろっ! ソフィーとナターシャは鎮めの歌を!」
ウルデの指示に地上を走った四人が繭の芽を囲んだ。
焚哉と胤月が真言を唱え始める。
詩人の二人は僧侶の二人から少し離れると、地に膝をつけて祈るような姿勢で手を組んだ。「古代語で歌われる穏やかで優しい聖歌があったわね。それを歌うわよ。ソフィー」ウルデとベルダンティアが僧侶と詩人の背中を守るように前に立つ。
フォルマージュとの死闘を繰り広げながらハルトは背中の繭にむかって心の中でつぶやく。
――なぁ、覚えてるか、綾乃。中学のときに俺がいじめに会ってヘコんでたときのこと。
あのときの俺が見る世界には色がなくて、灰色の世界の中に閉じこもってた。その中に色を取り戻してくれたのは綾乃がくれた組紐のブレスレッドだったんだ。「守ってあげられなくて、ごめんなさい」って言いながらくれたよな。
情けなかったよ。
でもお陰で立ち直れたんだ。
今度は俺が綾乃を守る。
救い出してみせる。
ハルトは渾身の力を込めて叫ぶ。
「綾乃っ! 綾乃ーーーー!!」
繭全体が真紅に染まった。
五角形のもう一点だった將と相まみえるハルト。
次回「神宮路綾乃」週明け月曜日の投稿になります。
良い週末をお過ごし下さい。




