絡み合う糸
沈みゆく太陽の赤みが消え、遥か遠くの丘陵線が紫色に染まってゆく。ほのかに明るかった空が、深い紺色になると河の流れのように星々が瞬き始める。しばらくして星の光が薄くなったような気がしたハルトは振り返った。ハルトの意識を感じ取ったアバターシュのコクピット全面に広がるモニターには満月に近い月が姿を現していた。
静かな夜だった。
飛甲機の翅がおこす低い振動音だけが夜空に消えてゆく。
ゆっくりと一団を追いかけてくる月が真横に並び、真南を指した頃、ハロルドの指示で一団は高度を下げて荒涼とした大地に着地した。
「休憩を兼ねて食事を取る。それと一時間でもええで寝ておけ。長い一日になる」
焚き火を囲んで糧食が配られ、ハルトはソフィーが持ってきたシェラフを地面に広げて月を見上げた。土の匂いが夜露に湿り、虫達が秋訪れを奏でている。
少しでも寝ておこう。明日は満月だ。多分、明日一日しか時間がない。
満ちる寸前の月がハルトにそう告げていた。ハルトこの世界に転移してきてからの記憶が浮かんでくる。
突然知らない部屋で目覚めて森に逃げ込み、凶暴な猿と蟲に襲われた。守りの森でデカイ鳥に乗った翼人族のアルフリードさんとカッツェに連れられて天使の館を訪ねた。ノエルと家族と村の生活。焼きトンボ採集の旅とカトーリ。セルドとスネイル。アリシアと出会って、飛甲機を作ることになって、事件があって、気がついたらアントナーラの騎士だ。王都に閲兵にきたらフォルマージュと戦うことになって、第三王女がノーラで……俺は何かに導かれてここまで来たんだな…………。
「そろそろ時間だぞ」
寝ずの番をしていたカッツェの声に人影が少しずつ起き上がる。
「ハルト、お前は操縦しなくていいんだから寝ておけよ。それは俺達のためでもある」
カッツェの言葉を背中に受けながらハルトはサジウスのタラップを上がった。
満月の光を照り返す飛甲機達の装甲が空に舞った。
いつの間にか真正面に躍り出た月が森のシルエットの中に沈んでゆく。うたた寝から目を覚ましたハルトは祈りを捧げる。
間に合いますように。
綾乃との再会を確信した上での祈りだった。
明るくなり始めた暁の空の下に鬱蒼とした森が見えるようになった。森の上空に入るとまだ暗い木々の中から鳥達が羽ばたきながら飛び出してくる。飛甲機とアバターシュの集団にぎょっとして、すぐさま元いた木の影に引き返す鳥もいるが、守り鴉に近づいて周囲を一緒に飛ぶ鳥達もいる。ノエルが守り鴉からパン屑をまくと小鳥たちが空中で受け止めた。
ノエルを見てるとなんか和むな。
ノーラもノエルの真似をして、白い飛甲機の操縦席から餌を振りまく。その後ろを焚哉と珠絵の乗った飛甲機が追う。旅団の中心に位置するサジウスの上でハルトは前方に渦巻く雲に注目した。
それほど風がないにもかかわらず、ぶ厚い乱雲が深い森の上で渦を巻いている。
一団はハロルドの指示で高度を上げた。
高高度から見る景色はまるで嵐の上にいるようだ。所々から大蛇が鎌首をもたげるように立ち上がり、生き物のようにのたくっている。それらが他の雲の頭と混じりあって根本の渦に帰ってゆく。まるで意思を持っているかのような雲の下に、森の景色は全く見えない。しかし計器を頼らなくても繭のある場所は上空から見れば明白だった。渦を巻いた雲の中心が、雷鳴に轟き、時に黒く、時に赤く染まりながら閃光を発している。
ハルトが通信を入れた。
「ノエル、フィレーネの様子はどうだ?」
「さっき起きたよ。……ザザ……妖精の森に戻ってきたのが良かったのか意識が戻って来た。水と蜜も飲んだし大丈夫みたい」
「ウルデ様が来るでの。上空を大きく旋回しながら待とう。通信状況がよくない。合流するにはそれが一番早そうじゃ……ザザ……今のフィレーネに光を立てて貰うわけにはいかん」
ハロルドの守り鴉、レーヴンを先頭に一団は暗雲の上空を旋回し始める。
「綾乃ちゃん……」
ノーラは飛甲機のコクピットから荒れた雲海を見下ろすと、前を飛ぶサジウスの背中から雲の中をのぞき込もうとするアバターシュを見つめた。
いつまで待っても黒の天使ウルデは姿を現さなかった。
「もう一時間近くになります。俺達だけで行ってみませんか?」
上空での旋回はすでに三週目に入ろうとしていた。
「何が起こるかわからん。もう少し待とう。いや、待て。ウルデ様から連絡じゃ。通信機をTバードに同調しろ。わしから共有する」
アバターシュのコクピットでハルトはモニターパネルに通信機のチーニングの項目を出してハロルドのTバードにリンクする。スライドバーの位置を調整して通信状況の良い場所を探した。電波障害なのか思ったよりも苦労した。ハルトは通信環境の良い位置で停止するようにミックに指示を出す。他の機体も空中で静止しだした。
「全員繋がったか?」
「はい」
ノーラ、ノエル、ミック、焚哉、珠絵の声がマルチモードの通信機から届いた。
「ツー、ザザザ……今お前達がいる場所はハロルドから聞いた」
声が割れているウルデの言葉は緊迫していた。
「何度も通信していたのだが繋がらなくてな。今私はそこからそう遠くない北北西の遺跡にいる。奥森との堺に張る結界の発生装置付近だ。繰り返す、遺跡が何者かに占拠された。――占拠しらのは黒い髪に黒い目をした男達だ。結界が一部停止して蟲どもが奥森から這い出ようとしている。異変に気がついたラフィーの指示でアルフリード達が既に到着。アントナーラの飛甲機部隊の先発隊が到着したところだ。すぐにこっちに来てくれ。ここが破られれば妖精の森そのものが滅びる。王都のキザイアにも緊急出動を要請した」
「一体何が起こっているんですか」
「ハルトか。遺跡の破壊工作だけではなく所属不明の飛甲機が飛び回っている。見たことのないタイプだ。この辺り一帯の遺跡が狙われている可能性がある。もしそうなら妖精の森どころかグランノルンの西側全体が危ない。とにかく今は妖精の森よりこっちが優先だ。こっちに来てくれ。頼む」
渦を巻く雲の向こうに青い光が立った。その向こう側に幾つもの赤い光が天空に向かって伸びてゆく。蟲との戦闘が始まった証だ。
「こちらはすでに結界を超えた蟲との戦闘に入っている。急げ」
プツッという音を残してウルデからの通信が切れた。
「爺さん」
「結界が切れてスタンピードが起こればどのみちここも救えぬ。遺跡に向かおう」
「ちょっと待って下さい。フィレーネが何か言ってる…………こっちはまだしばらく時間があるって、今日中なら間に合う、って言ってます」
「ハルト。繭が気がかりなのは分かる。しかし蟲の大量暴走を阻止するにはアバターシュの力が必要じゃ。フォルマージュが到着するまででもよい。状況を見極めねばんらんが必ずお前をここに戻してやる」
「分かりました。所属不明の飛甲機っていうのも気になります。遺跡に向かいましょう」
強く青いマナの光を流して、全速力を出した飛甲機群が北北西に進路を取った。
ウルデが放った青い光の根本に向かって雲の中に突入する。キャノピーやカメラに付いた水滴で、更に視界が悪化する。森の暗い緑が見えてくると曇り空の中に煙が立ち上っていた。
「火炎蜂がいるな」
カッツェの状況判断がノエルから伝えられ、ハルトは冷却ライフルを装備しようとする。鎮火に使えると判断したからだ。しかしハルトの行動にハロルドがストップをかけた。
「何を最優先するのかの判断は状況を把握してからじゃ。まずはウルデ様、ラフィー様、オーブと合流しよう。アルフリードにも話を聞かねばならん」
飛甲機群が森の巨木をかき分けるように降下すると、石を積み上げてできた古代遺跡からも煙が上がっていた。アントナーラの徽章が白くマーキングされた濃緑色ロッキ型の飛甲機が、黒一色の飛甲機を追っている。ハルトが知らない型の黒い飛甲機の後部座席から放たれたボーガンの矢が、アントナーラ機の操縦席のパイロットを射落とし機体が結界の向こうに消えた。この場から見渡せる限りでも、七機の所属不明機が遺跡の上空を舞っている。
「量産されてるってことなのか」
遺跡の方向に本部テントらしきものが張られていのるを見つけ、三機の飛甲機と二羽の守り鴉が着陸した。
「黒い髪に黒い目の男達ということじゃったから一応確認するが、キラナの飛甲機ではないな? 胤月」
「もちろんよ。しっかり管理しているから断言できます。それにキラナで作った飛甲機は全て白と赤で塗装してるわ。それに素体の形も違うわね。黒い髪に黒い目はキラナの人間の特徴だけれども、それはキラナだけの特徴ではありません。ニンディタやその先のイーシャの人間の多くは同じだし、もっと先の国になると黒い髪と瞳でも肌の色や顔つきが濃くなるから見れば分かるはずよ」
結界の方角から巨大な金狼と天使ウルデが飛び出してきた。
「状況はっ!?」
剣を鞘に納めたウルデが息を整えつつハルトに答えた。
「あの遺跡が占拠された。今はこちらから見て右側の結界の一部が機能を停止している。敵の飛甲機の数は十二。そのうち二機は奥森の中に侵入して蟲を煽っているらしいとのことだ。現在、近隣の区域にもアントナーラの飛甲機を飛ばして偵察に出しているが数に限りがある。通信障害もあってまだ連絡が取れていない。ハルトがここに加勢次第私も飛ぶ。戦闘範囲を見極めるのが先決だ」
「いきなり乗っ取られてしもうた、ということですかな?」
「陸地を移動する軍隊が動いていたわけではないからな。どこの物なのかは分からんが、飛甲機の機動力を使われた。遺跡の守護隊に麻酔の霧を散布されたらしい。眠りの粉より強力かつ広範囲に効くものだ。しかしハルト達の一連の動きで妖精の森近辺に注意を向けていたことが幸いした。普段なら対応に遅れが出て取り返しのつかないことになっていた」
幸いした、とウルデは言うが緊迫した状況に変わりはない。
「目的は何なんでしょう? このタイミングでここだっていうのが気になります」
「何を意図した行動なのかは分からん。まるで繭から伸びた糸がここにも絡んでいるようだ。妖精の森に一番近い結界を狙ったことから何らかの関わりがあることが推測されるが、それが何であれ、蟲を食い止め、遺跡を取り返して結界を築き直さんと妖精の森は救えん」
「奥森では以前から妖精の森に蟲達が興味をそそられておるような動きがあった。それを知って対策を取っていたにもかかわらずこの失態じゃ。面目ない」
金狼の姿のままラフィーが話し、うなだれた。しかし強い目の光は失っていない。
「ラフィーの眷属が鼻を効かせて気づかなければ、すでに蟲の侵入を許していたところだ。気にするな」
「ハルトはその人型で妾について来い。今はとにかく蟲の侵入を防ぎたい。王都のロッキ型の飛甲機は遺跡の消火を手伝ってくりゃれ。鳥の人が消火剤を持ってきておる。いよいよ遺跡が危なくなるまでハルトは侵入しようとする蟲の対策に手を貸してくれ。敵の飛甲機には同数のアントナーラ航空隊が付いておる、取り敢えず大丈夫じゃ。ハロルドはアルフリードに合流して鳥の人の指揮を取れ。カッツェはサジウスの操縦を。ノエルはフィレーネをしっかり診ていてくれると助かる。ここを片付けたら繭に向かわねばならん」
「時間が経つと蟲が大挙として押し寄せてくる。結界が機能していない状態でそうなれば止める手立てがない。キザイア達もそのうち到着する。地上軍の先行部隊と結界の修復に必要な人材をアントナーラの飛甲機が運んでいる。到着すれば遺跡は奪還できる。到着まで二、三時間といったところだ。それまでは侵入しようとしている蟲を防いで遺跡の保護を優先する。オーブも前線にいる。ゆけ、ハルト」
金狼がきびすを返した。サジウスから分離したアバターシュがそれを追う。
ハロルドが愛用のカーキ色のランドリーバックから薬箱をノエルに渡すとノエルの駆る守り鴉が飛び立った。天駆ける金狼をアバターシュが追い、カッツェと珠絵が乗り込んだサジウスが追随する。ミックはアントナーラの補給部隊に合流し、「私達はこっちよ」ソフィー、ナターシャを連れて胤月がノエルの向かった野戦病院のテントに走る。守り鴉に乗った鳥の人に消火活動のレクチャーを受けたノーラと焚哉が離陸する頃にはハルト達は最前線に到着していた。
アントナーラ航空隊の飛甲機が空中を飛翔する蟲を牽制し、鳥の人が乗る守り鴉が周囲を取り囲んでいる。ガトリングを撃っている機体はオーブが乗っているもののようだ。地上では守りの森の騎士とアントナーラ騎士団が合同で蟲除けの粉を散布して地上の進路を阻んでいた。既に倒された新しい蟲の死骸が幾つか転がっている。薄い光の幕を張ったような結界が二百メートルほどに渡って途切れているが、今の所そう広くはない。結界の外側だった所には、これまでに人里に引き寄せられて命をついえた蟲の亡骸が積み上がっている。それが天然の防壁になっていて、蟲達が人の地に侵入するには乗り越えなければならないために進行が阻まれているのだ。そこを最終防衛ラインとして騎士達の地上戦が行われ、上空には鎮めれた蟲を誘導する守り鴉達が幾つもの糸を引くように導きの煙を伸ばしている。奥森、と呼ばれてはいるが、人の地の森から先はしばらく原野だ。木立は少なく平原は戦場と化していた。原野の奥に横たわる暗い森の中から、地上を這うように蟲達が躍り出てくるのが見える。飛甲機隊が蟲除けの粉を霧のように広範囲に散布し斥候の蟲達の足を止めている。
「ハルトは先行して蟲除けの粉を抜けてくる蟲を食い止めろ。無理をせずとも良い。抜けられても妾と白狼で後ろを引き受ける」
「了解です」
ここで時間を取られるわけにはいかない。
「珠絵、蟲除けの煙幕カートリッジどれくらいある?」
「十個積んであります。それなりに余裕ですよ」
「ハルト、鳥の人は蟲除けの粉を多めに持ってきてるはずだ。カートリッジは再装填できるってミックが言ってたから確認を取る」
「頼んだ」
ハルトは盾の先端から噴出される樟脳煙幕のカートリージを左手で持つ盾の裏に装填しつつ高度を下げた。黄色い霧が蜃気楼のように立ち上る揺らめきから地上を這う蟲達が抜けて出てくる。その多くは兵隊アリの集団だ。人間と変わらない大きさの飛ばないハネアリ達に煙幕を張ると蟲の動きが弱まる。そこにサジウスが爆薬を落とし殲滅する。オーブを先頭にした飛甲機隊が空爆に加わり第一弾の進行を食い止めた。
「オーブ、ご無事で」
「当たり前だ。これはまだ前哨戦だ。ハネアリの巣はあの森の入り口にある。斥候の火炎蜂やロッキも落としたが、これから時を追うごとに手強い種類の蟲が出てくる。気を緩めるな」
「そういうこと。アバターシュの剣を抜かなきゃいけないときが来るかも、心構えをしておけよ」
「そう簡単にはここから離れられない、ということですか……」
「カッツェ、ハルトのサポートを頼む。ハルト、遺跡の敵飛甲機にはジョナサンの隊がついている。安心しろ。一機落とされたようだが既に復帰している」
「あの黒い飛甲機はどこのものなんでしょうか?」
「分からん。ロッキ型に似ているが、この辺りのロッキとは種類が違う。落とした敵飛甲機のパイロットは自決した。ニンディタの連中だとは思えん。彼奴にそんな気概はない。二機の敵機がこちら側に侵入し前方の森の中で蟲を煽っている。しばらくは俺達でもここを食い止められる。ハルトは森に入って元凶の二機を落としに行ってこい。強い蟲が先に出てくると厄介だ。アバターシュは撃てるのだろう? 敵は撃てる機体ではない」
「了解です」
「俺も行っちゃっていいんですか、オーブ? 余裕っすね」
「ああ、今は飛甲機にアバターッシュがあるのだ、状況は最悪だが以前に比べれば格段にこちらの戦力は上がっている。そうそうやらせはせん。出来ればフォルマージュの世話になる前に何とかしたい」
アバターシュを背中に乗せたサジウスが奥の森に入ってゆくのを鳥の人族と共に見届けたハロルドは、青髪の若きリーダー、アルフリードの守り鴉にレーブンを寄せた。
「攻めに出よったようじゃな。こちらも誘導は一旦一段落じゃの。遺跡の方に行ってもよいか。ちと気になることがある」
「ハロルド様、お願いがあります」
「なんじゃ?」
「現在、統制を取るべき人物が全て前線で動いてしまっている状況です。混合編成だというのに本部というべき機能がありません。我々の隊への合流はラフィー様のご指示なのでしょうが、戦線を離れてこの場全体を把握する役目を担って欲しいのです」
「そうじゃな。それはわしも気になっておった。まぁ力量の優れた者が揃っているゆえ、有機的に臨機応変な対応は取れると思うが。少なくとも情報をまとめて、伝達する経路は整理しておいた方がよいかもしれんの。承ろう、族長。こちらは任せた」
ハロルドの守り鴉が鳥の人の集団から離脱した。
ことは単純に進まない様です。戦闘状態に入りました。
次回、「人間の敵」
金曜日の投稿になります。
新年度ですね。現実世界も安穏としていられませんが「読書するにはいいかなぁ」、などと思いつつ書いていこうと思います。よろしくお願いします(^o^)/




