息子を狙ってるのは所謂ヒロインというやつでした。
翌朝、むかむかが収まらないコメットは早く目が覚めてしまった。隣で、すぅすぅとこれまた美しい顔で寝息を立てるシリウスを放って自室へと戻る。昔馴染みの侍女らは慣れたように身支度の準備を始めた。きっと、「あぁ、また痴話喧嘩か」と思われているのだろう。
「王妃殿下、本日のご予定は?」
「今日はエリス嬢とお茶会よ」
「本日もですか?」
「えぇ、昨日だけじゃ足りないわ」
「では、そのように」
昨日、別れ際に今日も来るように約束を取り付けてあったのである。目を離した隙に他の御子息に奪われたら溜まったものじゃない。
「そういえば、スハイルはどうしてる?」
「自室で大人しくしてるようですよ」
「あら、じゃあシリウス様のお説教が効いたのね」
あれを説教と言うのかと侍女らは思った。馬鹿と罵って首を捻ると脅しただけではないか。城で長く働く者は、普段飄々とした王の冷王である顔も知ってるのだ。
「王妃殿下、昨日ローズクォーツ嬢が城に来ていたそうですよ」
「何それ!」と、思わず食ってかかれば髪を整えていた侍女に「動かないでください!」と叱られた。だって、驚いたんだもの。
「もちろん門番の騎士に追い払われたようですけど」
「そりゃそうよ。よくあんなこと仕出かしたのに城に来れたものね」
呆れて言葉もでないわ、と言えば侍女らも同意してくれた。そして「そう言えば」と話し始める。彼女らは侍女と言っても貴族の娘たちだ。世の中のことには詳しい。もちろん学園のことにも。コメットは、黙って彼女らの会話に耳を傾けることにした。
「あのローズクォーツ家の娘、学園では有名みたいですね」
「庶民出身の子ですもの、皆、物珍しくて興味が湧くでしょうよ」
「『私、庶民の子だから礼儀なんて知りません』て、いけしゃあしゃあと言い放つんだそうよ」
「まぁ、恥ずかしい」
「王太子殿下にも馴れ馴れしく近付いたみたいで」
「それはさぞかし殿下も困ったでしょうね」
「困ったどころか、相手にもされなかったそうよ」
「まぁ、さすが国王陛下のご子息ね」
「じゃあ、なんで夜会であんなこと」
「なんでも、いつの間にか仲良くなっちゃったみたいね」
「いつの間にかって」
「それで、あまりにも礼のないあの娘にエリス様が指摘したそうよ」
「さすがエリス様ね。しっかりなさってる」
「そしたら、めそめそと泣いちゃったらしくて」
「なにそれ」
「大勢の前で泣いたものだから、エリス様が悪いみたいな雰囲気なっちゃったのね」
「エリス様は、それでも何度もあの子を叱ったそうよ」
「そりゃあ、自分の婚約者に礼節も弁えずにベタベタされたら溜まったものじゃないわ」
「そうよね。でも、あれじゃない?ローズクォーツ家の子は見た目が可愛いらしいから」
「エリス様はお綺麗だけど、ちょっと目元がキツイから」
「凛とした姿は美しいけど、強すぎるのよね」
そこでコメットは「ちょっと待ったぁ!」と声を上げた。古株の侍女が大きく溜息を吐いた。だって黙って耳を傾けてる場合じゃなかったんですもの。
「エリスちゃんは、そこが良いところなのよ!あのツンとした横顔が可愛いの!ちょっと冷たいところが良いの!構って構って構って、ちょっと笑ってくれるのが堪らないのよ!目だって金糸に縁取られたエメラルドの瞳がキラキラして綺麗だし、キュッと引き締まった唇も艶やかだわ。何より、あのブロンド!凛とした背筋!美しいわ!」
そりゃあ散々若かりし頃、国王陛下に冷遇された貴女の好みでしょうよ、とは流石の侍女らも口にはできなかった。誰もが知ってる御伽噺の実話である。このコメットという女は冷たい人間に惹かれる性質があるのだ。悲しい性である。
「あーんな、ふわふわ、ふにゃふにゃした、ピンクを纏った娘となんか私はぜーったい仲良くできませんからね!」
ふんっと怒ったコメットに、ピンクのふわふわが何をしたんだと、ピンクが好きで部屋中ピンクのふわふわ尽くしの侍女が悲しげに眉を下げたのだった。
さて、所変わってお茶会である。いつもの四阿で今日もフルーティな紅茶に舌鼓を打ちながら焼き菓子に手が伸びる。大丈夫、今の私はしっかり運動もしているからなんら問題ない。「健康に差し支えます」と古株の侍女に言われたが、そこらへんは城の料理人が上手くやってくれている。あ、これ市販のだ。
エリスちゃんと言えば今日も弟を連れ立って登城した。昔から弟大好きなエリスちゃん。ツンと澄ましていても弟を見るとふにゃっとするのだ。何それ、可愛いすぎ。
弟の方もしっかりシスコンに育ったようで。今年度、学園に新入生として入学してからも姉のエリスに付きっきりだったらしい。姉が学園中に糾弾されていれば付きっきりにもなるだろうよ。
聞けば、なんとローズクォーツ家の御令嬢は、弟にもちょっかい出していたらしい。そんな言い方はしてないが、「何度か声を掛けられたことがあります。その」と言った。ちらりとエリスを気遣うように見た弟にエリスは「私のことは気にすることないわ」と言い切り、先を促した。その時、弟の瞳がキラキラと輝いたのをコメットは見逃さなかった。この弟とは性癖が似ているようである。
「はい。その、嫌われ者の姉がいて大変だろうと。そんな姉など気にしないで自分と仲良くしよう的なことを言われました」
仲良くしよう。実に意味深な言い回しである。弟もしっかりとその言葉の真意を悟ったようで、苦い顔をしている。
あの御令嬢ときたら、スハイルだけでなくエリスの弟にも擦り寄っていたのか。ご婦人たちの言葉を借りるなら「穢らわしいわ」でござる。
下世話な話はお喋りも進めば、紅茶もお菓子も進む進む。と、そんな時である。何やら騒がしい声が聞こえて、ふと四阿から身を乗り出して見れば「王妃殿下、はしたないですよ」と古株侍女が注意した。が、コメットにはそんな声なんて耳にも届かなかった。なんせ、視界に飛び込んできたのは、あのシャウラ・ローズクォーツ嬢なのだ。
「まぁ、何事ですか!」と古株侍女がキッと目尻を上げて騒ぎの者たちへツカツカと近づけば古株の侍女を押し退けてシャウラがこちらへ向かって来るではないか。しかも、押し退けたはずみで古株侍女はそのまま倒れてしまった。思わずコメットは叫んだ。
「ミラ!」
滅多に声を荒らげないコメットの声にすぐさま護衛騎士らが動いた。なんて事だ、このコメットの、王妃の侍女を。コメットの手は怒りで震えていた。
「立ち止まれ。ここから先は、王妃殿下の庭である」と、護衛騎士がシャウラを牽制した。その向こうでは、別の護衛騎士によって古株の侍女が助け起こされている。無事そうでホッと息をつく。
「王妃殿下にご面会を!どうしてスハイルを監禁するようなまねをするのですか!?スハイルは何も悪いことしてないのに!スハイルが可哀想です!」
唖然である。よもや我が天使の名を呼び捨てするとは。とんだ娘だ。この礼儀知らずの娘、切り捨ててやろうかとムカムカしていたら、呆れたような溜息が聞こえてきた。エリスである。どうやらシャウラ嬢は学園でこんな様子だったようだ。エリスの弟も非難の目を向けている。
「ナイル!貴方ももうエリス様に囚われなくて良いんだよ!貴方は自由なんだよ!」
何が自由だ。胡散臭いにもほどがある。コメットはちらりと護衛騎士に視線を送った。心得たとばかりに騎士は頷き、シャウラを捕縛にかかる。
「いや!何するの!?やめてよ!」
きゃあきゃあ騒ぐ声が、普段慎ましく閑かな庭に異様に響き渡った。迷惑である。ほら、小鳥たちもピーピー抗議してるし、蝶たちが飛び去ってしまったじゃないか。
「何事かな?」
騒ぎを聞き付けたらしいシリウスが側近らを伴ってやってきた。なんとスハイルもいるではないか。シリウスと目が合えば「おや?」と彼の顔色が変わる。シリウスは、護衛騎士に支えられている古株の侍女を見、コメットを見、そして場違いなシャウラを見、「へぇ」と小さく薄笑いを零した。その「へぇ」が絶対零度の冷たさを含んでいることにこの場の何人が気付いただろうか。
シリウスは、庭を横断し四阿に向かってきた。私の目を一瞬も逸らさずに。シャウラがすれ違いざまにシリウスに見蕩れたのが視界に映ったが、そんなの気にもならなかった。だってシリウスの瞳に映っているのは私だけなのだから。
「シリウス様」
「大丈夫かい?」
四阿の欄干越しに尋ねられた。欄干に置いていた手にそっと手を重ねられる。知らずに力み震えていた手が、解れていくのが分かった。
「シリウス様、ミラが」
「心配ない、医務室に連れて行かせたから」
「騎士団長にも」
「あぁ、すぐに伝わるよ」
「私が傍にいながら……ッ」
「大丈夫。顔を挙げて、僕のコメット」
「シリウス様」
見上げられたシリウスの目はとろりと蕩けそうなほど柔らかい。背後で侍女らが、ミラのことで深く傷ついたコメットに感動していることを知らない。うちの王妃殿下、最高と小さくガッツポーズしてるのも。
「ほら、その小さな秘密基地から出ておいで。あ、欄干を跨いだら駄目だよ。それこそミラに僕が叱られる」
くすくすと笑ったシリウスに、一秒でも、一瞬でも、一センチでも近付きたくて、四阿から飛び出した。
「シリウスさまっ」
「あぁ、僕のコメット。誰に虐められたんだい?」
「あの娘が私の侍女に乱暴を働いたのです」
「おやおや、それは許せないね。君の侍女ってことは僕の侍女ってことだ」
シリウスは、そっとコメットの腰に手を回し黒い髪に口付けた。そしてそのまま、青灰色の瞳を薄く開きシャウラへ向けた。そこでようやく我に返ったのかシャウラが動き出す。今の今までシリウスに見蕩れていたらしい。
「あ、あの!私、シャウラ・ローズクォーツと言います!」
「あぁ、知ってるよ」
シリウスが柔らかい声で言えば、シャウラは頬を染め上げた。その声色の裏に隠された氷山を知らぬのだ。幸せなことだとシリウスの側近がひくりと喉を鳴らす。
「スハイル!良かったわ、部屋から出られたのね!」
「シャウラ、何故ここに」
「私、スハイルのことが心配で心配で」
胸元で手を組んで目を潤ませながら言うシャウラに「どの口が言う」と、ぼそっと侍女が零した言葉が聞こえた。その通りだと思ったので、あえて指摘することは無かった。
「王妃殿下に閉じ込められていたのでしょう?可哀想。王妃殿下はエリスと仲が宜しいから、きっと私のことがお嫌いなんだわ。でも、私、そんなこと気にしない!スハイルがいればいいの!」
実に健気な言葉である。薄っぺらい台詞である。前の私なら堂々とゲロを吐く真似をしただろう。今は淑女だからしない。
「謹慎していただけだ。それにもう父上に出して頂いた。僕は」
「シリウス様が私の声を聞き入れて下さったのですね!」
何かを言いかけたスハイルの言葉を遮って、さらにワントーン高く声を上げたシャウラは瞳をキラキラさせてシリウスを見つめた。イラッとした。この女、息子スハイルだけでなく我が夫シリウスの名まで口にするとは。許しておくべきか。しかも国王陛下に向かって、この王妃の旦那様にむかって、なんて無礼な視線を送るのか。侍女も同じく感じたのかブツブツ悪言を吐くのが聞こえたが、これも無罪放免とする。
わかった、この娘はあれだ。女に嫌われるタイプの女だ。合コンで、私、酔っちゃったーとか言いながら男にしなだれかかる、酒豪女だ。嫌いだ。そんなシャウラに「はじめましてだが」とあっさり答えたシリウスは、もう大好きである。惚れ直す。
「シリウス様、スハイルを開放して頂きありがとうございます」
「君に感謝されることは何もしていない」
「あの、怒ってますか?そうですよね、私みたいな者が勝手にお城に入っちゃうなんて。ごめんなさい」
しゅんとして見せるのかこれまた上手だ。もはやなんの喜劇かと拍手喝采を浴びせたくなった。それは、ぐっとシリウスの手によって押さえつけられたのだが。
「私、お父様に拾われるまではただの庶民で。だから礼儀作法とかぜんぜんで。学園でもみんな白い目で見てきて、ぐすん」
そりゃあ、白い目でも見たくなるだろうよ。というか、大半が関わり合いにならぬように避けて通ってたってさっきエリスちゃんたちに聞いたから。君、その程度の存在だから。
「シリウス様っ、私っ」
「あ!」
「え」
「は?」
「あー」
「はぁ」
涙ぐんでシリウスに駆け寄ったシャウラ、それを止めようとしたスハイル、何事かと対応の遅れたシリウス、唖然としたコメット、終わったと悟ったエリスの弟に、深く溜息をついたエリス。それは一瞬の出来事であった。
「触るな、愚か者が」
低い声に一瞬誰の声か、皆が困惑した。それを発した本人、コメットさえ自身の声の低さに驚いた。シャウラをシリウスから離し睨みつける。ツンと何かが目頭の奥に込み上げてくる気配がした。イライラする、ムカムカする、すごく、すごく、泣きたい気分だ。キュッと堪えるように唇を噛めば、ぽろりと涙が一粒だけ零れ落ちてしまった。それをその場にいる皆が見逃さなかった。
「王妃殿下!」
侍女が悲鳴にも似た声を上げた。護衛騎士らが素早く動き、先程よりも乱暴にシャウラを捕まえた。スハイルがコメットの元へ駆け出した。エリスがコメットの背に恐る恐る手を添え、そして、シリウスが呆然と立ち尽くした。
「……コメット?」
「母上、如何致しましたか!?母上が涙を流すなんて……ッ。シャウラ!貴様、母上になにを!」
「え、わ、私はなにも」
「何もだと!?何もせず、あの母上が涙を流すことなんてあるわけないだろう!」
コメットの認識は強い人であった。それは息子のスハイルも、侍女らも、護衛騎士らもである。人前で涙を流したのは、あの御伽噺の時ぐらいである。つまりは語り継がれるぐらいの出来事なのである。
だが、一人認識の違う者がいた。他ならぬ国王陛下その人である。こちらも変わった性癖を持つご仁だったのだ。
「コメット、君って子はっ」
堪らなく欲情したシリウスは、有無を言わさずコメットを抱き上げた。「陛下、我々が」と手を差し出した騎士を、視線だけで退かせてしまうほどシリウスの瞳は獰猛であった。
「スハイル、身から出た錆だ。自分で後始末しろ。エリス嬢、我が息子の馬鹿にいつも付き合ってもらい申し訳ない。だが、見捨てないでやってくれ。アダマス公爵を通して正式な謝罪文を届けさせて頂こう」
そう言って颯爽とコメットお気に入りの庭から立ち去ったのであった。その後を側近と侍女らか慌てて追いかけた。
側近がミラにいつものをと頼もうとして、いないことに気づき他の侍女らに仕方なく指示をする。侍女らは首を傾げたが、言われた通りに準備を始めた。側近が今日明日は仕事が進まないこと深くため息を零した。なんせ、シリウスがあの獰猛な目でコメットを見つめた時は最低二日三日は寝室から出てこないのである。言わずもがな愛し合ってるのだが、コメットには苦行である。その後も数日は動けず寝室に籠ることになってしまうのだから。若かりし頃は、よくあったことだが、二人も良い歳である。「いい歳してよくヤるよ」と側近はもう一つため息をこぼしたのであった。
そして、側近の予想した通り三日間、王と王妃の姿を見た者はいなかったのであった。隣室に用意された水と食べ物だけがいつの間にか減っていたのである。