12、彷徨の決意
彷徨の口から唐突に放たれた「異世界行きます」宣言に、夏美は目も口も開けっ放しで暫く黙っていた。そしてようやく我に返って発した言葉は、ありきたりな返事だった。
「異世界に行くって、本気?」
「うん」
「あるかも分からないのに?」
「あるさ」
「あるのかなあ…ないと思うけど。それも全ておじいちゃんの作り話なんじゃないの。それも孫に喜んでもらうためのやつ」
「異世界はあるよ」
彷徨はまるで幼い子供のように肯定した。
「あるよ…」
彼はもう一度呟く。俯き、正座した足の上に拳を握っていた。
「あったとして、何をしに行くつもり?」
「……ハリスとじいちゃん、二人がやり残したことをするために行くんだ」
「やり残したこと…?」
彷徨は顔を上げて夏美を見た。
「うん。じいちゃんが言ってた。ハリスにもじいちゃんにも、その世界に行ってしなければいけないことがあったのに、できなかったって。もうじいちゃんは、異世界には行けないらしいから。だから、僕が代わりに行こうって思ったんだ」
彼は何を言っても行くようである。ただ、異世界が存在し、行けることが前提であるが。
夏美はため息をついた。
「そう。だったら行ったらいいんじゃない。好きなようにどうぞ」
「え…」
「え、って何。だって、私はそれしか言えないよ。異世界があるかも分からないのに、彷徨はあるって言い張るし、自分のことじゃないのにまるで自分がしなくちゃいけないみたいに、ハリスとおじいちゃんがし忘れたことを代わりにしに行くって言うし。私はあとなんて言ったらいいの?彷徨は私になんて言ってもらったらよかったわけ?」
捲し立てるように言った後、夏美ははっとした。
夢物語を語る彷徨の話が信じられず、夏美は思っていたことを正直にぶつけたつもりだったが、彼を見ると引きつった顔をしていた。彼女の言葉が思いの他ショックで、どうしたらいいのか分からないといった様子だった。
「ごめん、言い過ぎた…?」
すると彷徨は夏美から目を逸らし、ゆっくり立ち上がると「ハリスの日記」と「月夜の散歩」を持って部屋を出て行こうとした。
「彷徨!」
夏美は哀愁すら漂う彷徨の背中に声をかける。彼は立ち止まると、静かに呟いた。
「僕は…」
「え?」
「僕はなっちゃんに、『行っておいで』もしくは『一緒に行こう』って言ってほしかっただけだよ」
夏美はもう彷徨は止められなかった。彼女は部屋を出ていく彼の背を見ながら、その場に立ちすくんだ。