11、春道の秘密
「どういうこと?」
「言葉通りの意味さ。じいちゃんは、異世界に行ったことがあるんだよ」
確かに祖父がハリスの日記をなぞるように、異世界に行ったのならば辻褄が合う。だがそんなことが本当にあり得るのだろうか。もしそうだとしたら、どうやって異世界に言ったのだというのだ。
夏美の瞳が揺れる。
「……信じられない。おじいちゃんが、異世界に行ったなんて…」
「普通は…そういう反応なんだろうな」
彷徨は夏美の首を小さく横に振る仕草や、固くなった表情を見てトーンを下げて言った。
「本当だったら、〝ハリスの日記〟も、なっちゃんの言うように小説って思う方が、当たり前なのかもしれないね」
「彷徨は思わなかったの?」
夏美が問うと、彷徨ははっきりと頷いた。
「全く。疑ってもいなかった」
彷徨の迷わない言い方に、夏美は驚きを通り越して呆れてしまった。率直に理由を尋ねる。
「どうして疑わなかったの」
「どうしてって…小さいころから信じていたからだよ。それに、今日じいちゃんから聞いたんだ。〝ハリスの日記〟は、じいちゃんが話してくれた昔話の大元だっていうことをさ」
彷徨は考える仕草をしながら、だんだん声の大きさが小さくなりながら説明をした。理由を言ったとして、夏美に笑われると思ったのだ。
だが、彼女の反応は少し違っていた。
「それじゃあ、前におじいちゃんが台風の日に、私と彷徨に話してくれた〝昔話〟は、〝ハリスの日記〟だったってこと?」
「そうだよ。それに加えて、じいちゃんの経験も織り交ぜてあった。妙にリアリティが感じられたせいか、幼かった僕はじいちゃんが語ってくれた話にのめり込んだ。だから、僕は本当に異世界があるのだと信じた。疑う余地がなかった。それに誰にもこの話はできなかったから、否定する人もいなかったしね」
夏美は最後の言葉に首を傾げた。
「何で誰にも言わなかったの。話せばよかったじゃん。面白い話だったんでしょ?」
「面白かったよ。でも、じいちゃんには秘密って言われてたじゃないか。誰にも言っちゃいけないって。父さんや母さんにも言っちゃいけないって。……なっちゃん、本当に覚えていないんだね」
彷徨の最後の言葉は、残念そうな響きを含んでいた。
夏美は責められたような気がして、眉をひそめる。
「悪かったね、覚えてなくて。でも、誰にも言っちゃいけないって、どうしてなの?」
彷徨は首を横に振った。
「分からない。それについては、今日も聞いてみたんだけど教えてくれなかった。じいちゃんの書斎が開かなかったことと何か関係しているみたいだったけど」
祖父の書斎が開かなかったことと関係しているとはどういうことだろうか。部屋が開かなかったのは単に物を片付けるのが大変だったからではないのだろうか。いや、それなら、祖父は「封印されている」という表現をわざわざ使う必要がなかったはずだ。
夏美は唸った。祖父が〝昔話〟をしたのには、何か意図があるような気がしてきたのである。
「じゃあ、彷徨はおじいちゃんに〝昔話〟を聞かされてからずっとそれを胸の内にしまっていたんだ?」
「そういうことになるね」
「今もその話が本当にあったことだって、信じているの?」
「信じてる」
彷徨はきっぱりと答えた。彼は祖父が昔語った話を信じている。
「彷徨は、さ」
「うん」
「おじいちゃんに教えてもらった話を、今になってわざわざもう一回聞きに来たのはなんで?ハリスの日記と月夜の散歩なんか持ってきて…何がしたいの?」
二人の間に短い沈黙があったが、彷徨は躊躇いつつも理由を答えた。
「…異世界に行くためだよ」