9、開かずの部屋にあったもの
二人は夏美の部屋にあるテーブルを挟んで座った。夏美はその上で使っていたパソコンや広げていた資料を片付け、彷徨と向き合った。
「まず、これを見てほしい」
彷徨は綺麗になったテーブルの上に、さっそく二冊の本を置いた。片方はA5サイズの革で製本された海外の本だった。表面も美しく加工してある。一方でもう一つの本はというと、A4サイズの黄ばんだ紙の束を綴り紐で綴った、「本」とは少々言い難いほど簡易的なものであった。
だが、夏美はこの二つの本を知っていた。何故なら両方とも、今朝方祖父の書斎に入って手に取っていたのである。
「〝月夜の散歩〟…」
夏美は黄ばんだ紙束の表紙に書いてあった、「月夜の散歩」と達筆な字を見て呟いた。その表紙は今までに何度もめくったためによれていて、丁寧に扱わないと今にも外れそうだった。
「ねえ、彷徨。これっておじいちゃんの書斎にあったものでしょ?ほら、私の部屋を出て左に行った廊下の突き当りにある部屋」
「正解」彷徨は驚いた様子で言った。「もしかして、なっちゃんはこの本のこと知ってたの?」
夏美は「月夜の散歩」の表紙をめくる。
「知ってた…っていうより、今朝見たんだよね」
「今朝?」
「大学で使える資料とかないかと思って、おじいちゃんの書斎を物色してたときに見つけたってだけ」
「そうなんだ。僕は今日初めてじいちゃんに連れて行ってもらった。小さいころ、ドアの隙間から見たときと同じように、本が沢山あった」
「そうだね」
「小さいころは入れなかったからね。夢っていうほど大げさではないけれど、素直に嬉しかったよ」
確かに、あのときの祖父の部屋は「開かずの部屋」だった。「開かずの部屋」と名前をつけたのは、夏美の兄である悠夏である。彼も部屋を開けようと試みた一人、ということだ。
「確かに入れなかったね。部屋の前に段ボールが置いてあって、それを片付けたとしても扉は開かなかったから、最近まで部屋の存在すら忘れてた。でも、何を思ったのかひと月前に、おじいちゃんが片付けてくれて入れるようになったんだよ。それからちょくちょく部屋の中を覗いてる」
「そっか」
「うん」
彷徨は「月夜の散歩」を見て夏美に聞いた。
「この本の中身は見た?」
「一ページ目めくって読んで止めた」
「どうして?」
「誰かが書いた小説だと思ったから。ほら、手書きだし、おじいちゃんが書いたものだと思って、なんか見たら悪い気がして止めた。まあ、一ページ目は読んじゃったんだけど」
「小説かあ…」
彷徨は笑って頷いた。
「なっちゃん、これは小説じゃないよ」
「え、違うの?」
「うん。小説じゃなくて、日記だ」
「日記?」
「そう」
「これが?」
「うん」
夏美は目を瞬いてちょっと考えると、「月夜の散歩」の一ページ目を指さして言った。
「ねえ、彷徨。これ、ちょっと読んで」
「この一ページ目を?」
「お願い」
「何で」
「いいから、読んでみてよ」
彷徨は夏美に言われた通り、一ページ目に書き記されていた内容を渋々朗読し始めた。