なろうを知らない人から見たら、ポイントの意味が分からないらしい
その衝撃は突然だった。僕が信じていた価値観がいかに狭いか。それを叩きつけられた瞬間だった。
「え、何このポイントっていうのさー、何にも買えないの? 意味なくない?」
「何だよー、ジュースも買えないのかよー。使えねーなー」
それは本当に彼らにとっては、笑い話だったのだろう。《小説家になろう》というweb 小説投稿サイトを、僕は利用している。その話を大学の友達にしたら、こういう反応だった。それだけの事だ。
ああ、うん。分かっている。別に本気で笑っているだけじゃなくて、単なるネタだってことくらい。だけど、自分が大切に書いて育ててきた小説があり、そこについたポイントを笑われた事は酷く堪えた。
だが、それが事実だ。なろうの小説に与えられたポイントは、なろう内でしか何の意味も無い。一応、僕もそれなりの書き手であり、一番人気のある作品は一万ポイントに達している。けれども、それは現実では。
「他所で使えないポイントじゃ、頑張っても意味無いんじゃないかなあ」
こう言われると、返す言葉が無かった。相手は全く悪気がないのが分かっているだけに、余計に。
単なるトラブル、単なる事故だ。趣味を理解してくれないことなんて、いくらでもある。その時はそう言い聞かせて、僕はやり過ごした。だけど、一つのトラブルは、もう一つのトラブルを招くらしい。
「お兄ちゃんさ、いつまで小説なんて書いてるの?」
次の日の朝のことだ。不意に一つ下の妹から聞かれ、僕は首を傾げた。ネット小説を書いていることは話したことはあるが、それは今まで話題には上らなかった。なのに何故。
「え、いつまでかって、そんなの関係無いじゃないか。僕が好きでやっているのに」
「関係無い、か。そうね、関係無いよね。お兄ちゃんが小説書いている間、私が新聞配達しているのも関係無いよね。私は私の学費を自分で払っているけど、それもお兄ちゃんには関係無いよね」
強い語調で詰められる。思わぬ展開に、僕はたじたじとなった。妹の睨むような視線に、身がすくみあがる。
「な、なんだよ急に」
「お兄ちゃんさ、仙人か何か? 霞でも食べて生きてるの? お兄ちゃんが今食べているカップ麺さ、ただで買えるもんなの?」
バン! という強い音は、妹が机を叩いた音だ。ビクッと僕が身を震わせる間に、大きくため息をつかれた。
「一円にもならないネット小説に、ただひたすら時間を突っ込む。たっかい資料は買う癖に、食費のことさえ考えたことは無い。いいねー、芸術家気取りってのはさあ。気楽なもんだなー、あたしもお兄ちゃんみたいになりたかったよー」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。これでも僕は真剣に」
「真剣に穀潰しやってくれてありがとう。その執筆やらポイントやらってのはさ、お金になる訳? ならないよね、パンの一つも買えないんでしょ。クズじゃん、ただの。いくら読まれた読まれたっつっても、現実生活には役に立たないただのオナニーじゃん」
蔑むような冷たい言葉が、錐のように刺してくる。氷のような冷たい言葉は、だけど、否定出来なかった。喉がひりつく。「あ、あ......」という情けない呻きだけが漏れた。
そんな僕に愛想を尽かせたように、妹は頭を振った。新聞配達で荒れた手を見せつけるように、僕の前に差し出す。赤く、ところどころ切れた手だった。
「妹はこーんなに頑張ってるのにさ、お兄ちゃんは楽でいいねー。あっ、そうか、小説家だもんね。一円も稼げない駄文に頭悩まして、ポイントが増えた減ったに一喜一憂するすんばらしい立場だもんねえ? ご立派、ご立派」
「――それは」
「違わないでしょ?」
違わなかった。寸分違わず違わなかった。僕は何も言い返せなかった。
† † †
「俺はよく分からないけどさ。そのポイント? それ貯めても何にも交換出来ないんじゃ、ゲーセンのコインと一緒だろ。いや、なろうっていうゲームの中でさえも、何かと交換出来ないんだよな。意味あるの、それ」
あるよ。だって人から読まれた評価なんだから。自分の創作が評価された証拠だよ。
「でも、ほんとに読まれてるの? クリックすれば投票されるんでしょ。もしかしたら、作者に慈悲のつもりで、お気に入り登録してるだけの人もいるのかもよ?」
そんな。
「俺もさあ、お前がそんだけ言うからちらっと調べてみた訳。そしたらさ、何? 複数アカウントや相互クラスタによる、ポイントの適当な水増しとか? いや、これさあ、ほんと分かんない」
それは正当な評価に繋がらないから、アンフェアなんだよ。
「や、そうじゃなくて。全く交換性の無いポイントとやらを、そうまでして増やす行為が。ついでに、それを気にする普通の連中もだよ。はっきり言って、きもいわ。自動botとかで、適当にポイント割り振られてんじゃねーの?」
それは違うよ。僕も自分でお気に入りしたり、評価入れたことある。それは違う。
「うん、でもね。どっちにしても、ポイントの高い低いで一喜一憂してる君......気持ち悪いんだ、私達から見たら」
「俺もそれ同感。お前趣味でやってるんだろ。楽しそうじゃないよな、はっきり言って。しかもポイント気にして、好きな話も書けないとかさ。馬鹿なの?」
目の前がグラグラする。痛いところを突かれた。そして、この衝撃はまだ終わらなかった。
その男は僕の一番の親友と呼べる男だった。縁なし眼鏡をかけ直し、彼は僕を見据えた。
「五十万文字の大作か。この小説書くのに、何時間かかった?」
詰問ではない。だが、その目は僕を震えあがらせる。
「大体二百時間、いや、構想も合わせたら二百二十時間かな」
「そうか......趣味の領域を逸脱していると言わざるを得ないな」
「いや、待てよ。趣味でやってるんだから、大丈夫だって」
「その時間でバイトでもしていれば、時給千円なら二十二万円だ。社会人として恥ずかしくないスーツ、鞄、靴が購入可能。それでも余るな?」
「いや、だけど」
喉が干上がる。追求はまだ止まらない。
「バイトはしなくてもいいよ。けれど、二百時間以上費やすなら、他にやるべきことがあったろう。宅建なら二百時間勉強すれば、取得ラインだ。簿記二級ならお釣がくる。TOEICだって、二百時間勉強すれば百点くらいは上がるだろう」
夕陽が窓から射し込む。彼の影を黒く黒く伸ばす。
「――それを犠牲にする程の価値が、執筆とやらにあるのか? 人の価値観はそれぞれなのは承知だがね。なあ。君がその創作活動とやらに励んでいる間に、周りはどんどん進んでいるんだぞ」
止めてくれ。
「同じ時間を使って、部活で成果を上げた者もいる。資格取得で武装した者もいる。僕のように、バイトしながらロースクール入学の為の準備を進めた者もいる。息抜きなら構わない、だがね」
動けない。動けない僕に、彼は更に指摘する。
「息抜きどころか、メインに据える意味はない。正直に言おう。時間の浪費だ。しかも、なろうとやらから一歩出たら何の意味も無い浪費だ。同じ小説を書くなら、真面目にどこかの文芸賞でも狙うべきだね。本音を言うなら、執筆なんか止めて他の事をやった方が効率はいいが」
嫌みではないのだろう。本気で心配してくれているのだろう。だからこそ、痛い。
「書籍化したら印税が入る。それならば文句は言わないよ。リアルマネーは大切だ。けれどそれで生計を立てる訳ではないなら、余りに効率が悪いと思うね。ああ、済まない。好きでやっているんだったな。等価交換性の無いゲーセンのコインを必死で貯めて、妹さんが新聞配達しているのを気にもせず、ただひたすら情熱的に、時間を費やす行為を」
崩れ落ちた。真実だけに反論出来ない。薄々分かっていたから、反論出来ない。
「今からでも遅くない、足を洗えよ。自己満足だけに溺れると、人生棒に振るぞ」
† † †
《題名 今日は言い過ぎた》
ちょっときつかった、悪い。あのあと、君が昔書いた短編を読んだ。気持ちのこもったいい文章だった。あれくらいなら、息抜きにいいと思う。僕が言いたいことは、リアルライフとのバランスを考えろということだ。じゃあ。