神術師の大罪
俺は魔術師だ。それも特別優秀な。
俺が望めばどんな事だろうと叶える事が出来た。
水から金を作り出すことも可能、誰かの姿を瓜二つに再現したりすることも可能だ。一国の軍隊とたった一人で互角、いや、それ以上に戦うことさえ俺にとっては容易なことなのだ。
人々は俺のことを神術師だとか人類の知恵などと言い騒ぎ立てた。当然のことだ。俺にはそう呼ばれるに相応しい実力と才能があるのだから。
だが、ただ一人、俺の主である魔術師だけはそんな俺の事を認めようとはしなかった。それどころか俺の溢れんばかりの才能を非難し、まるで腫物を扱うかの如く俺を忌み嫌い、挙句の果てには俺に人殺しの罪を擦り付けて牢獄に監禁してしまった。
この牢獄は非常に厄介な物だった。壁から伸びた鎖の繋がった枷が俺の両手足首に繋がり、自由を奪っている。これがどうやら俺の魔力を封じ込めている様で、魔法が一切使えなかったのだ。いくら鎖を引き千切ろうと藻掻こうが勿論びくともしなかった。
しかし、いつだっただろうか。ふとほんの少しだけ魔力が自身に戻る様な感覚が俺を襲った時があったのだ。俺はその時戻ってきた魔力の範囲で思いつく限りの魔法を使ってこの牢獄から出ようと試みた。すると鉄格子は何ともなかったが、拘束具にはヒビが入り、壁には亀裂が走った。
これはもしかすれば脱出出来る。そう思ったのも束の間、一瞬で全てが元通りになり、魔力も俺の中から消え去った。
この不可思議な体験はいつも突発的に起こった。その度に枷を壊そうと奮闘したが、毎回ヒビが入る程度で、しかも一瞬で元通りになってしまった。
完全に魔力が戻ったことは今まで一度もない。しかしもし仮にそんな事があれば、この牢獄は俺が簡易な魔法を使ってやるだけでも跡形もなく消し飛ぶだろう。それだけの力が俺にはあるのだ。
もしそうなれば、この俺をここまでコケにしたのだ。奴には目にものを見せてくれる。全力を持ってして奴を灰燼と化してやる。そしてあの魔術師を殺した暁には、奴の持っている富と名誉を恣にして全世界に俺の名を轟かせるのだ。
それから幾日経ったのかは分からないが、俺は暗闇の中で俺を貶めたあの魔術師を如何にして惨たらしく甚振り殺すかを考えていた。
俺が二五六個目の殺人方法を考え付いたとき、鉄格子の向こうから何やら足音が聞こえてきた。蝋燭の明かりによって通路の壁に伸びた二つの影が不気味に揺らいでいる。
突如、俺の身体に再び魔力が戻ってきた。僥倖、今までより多くの魔力を感じる。
もしこの鉄格子の重々しい扉が開くことがあれば、奴等の隙をついて脱出してやろう。この枷に現存の魔力を全てぶつければ何とか壊すことが出来るだろう。この枷は俺の魔力を封じている。もしそれが壊れればこの俺の魔力は全て戻ることになる。本来の俺の力があれば二人の人間をを始末することくらい造作もない。
しめた、これで漸く復讐が出来る。俺にこのような屈辱を味合わせたあの魔術師を漸く殺すことが出来る。
足音は俺と外へ続く通路を隔てる鉄格子の前で止まった。蝋燭の炎が仄かに辺りを照らし出し、その者の顔を闇の中に浮かび上がらせる。
一人は男で、出で立ちから見るにこの牢獄の看守だろう。もう一人は黒い外套を頭まで被っていて人相が確認出来ない。何かに怯えているように小刻みに震えている。
「貴様等、何者だ」
俺の問いかけに看守が気怠げに口を開いた。
「お前の処刑が決まった。これからこの牢はこの男の物になる」
「処刑が決まっただと?一体何の話をしている」
「黙れ、今から貴様を刑場へ連行する。この男は以前のお前と同じく主の審判があるまではここに拘留だ」
そういうと、看守は牢獄に入ると俺の側まで一瞬で近寄り、俺の両手を捕らえている枷に触れた。すると枷と壁を繋いでいた鎖は外れ、俺の両足を捕らえていた枷は両足首を縛る輪のようなものに変わった。俺の中に在った魔力は気づかぬ間に既に霧散してしまっていた。
「それで歩ける筈だ」
主の審判。俺の処刑を決められるのは、ここに俺を幽閉した奴しか居ない。
「なるほど、奴の差し向けた者か。奴は最後まで俺を認めないと言うのだな?」
「あぁそうだ。此処に居た先輩としてこの男にアドバイスの一つでもくれてやったらどうだ?」
看守の様な男は俺を嘲笑しながらそういうと、隣で震えている男の外套を頭から剥ぎ取った。
すると、そこには今にも泣き出しそうな情けのない顔をした俺が居た。
「…まさか俺以外にもここに来る《俺》が居たとはな。で、こいつは何の罪を背負っているんだ?」
「《虚飾》だ」
「あぁ…奴が嫌いそうなことだ」
俺の他に奴に切り捨てられた《俺》を見るのは初めてだったが、今まで奴は自らを完璧な人間たらしめる為に多くの物を《弱さ》として切り捨ててきた。どうやらそれは自分自身でさえ例外ではないらしい。
「おい、行くぞ。主がお待ちだ」
看守はそういうと、俺を牢獄から出して刑場へと連行した。最後に牢獄の方へ振り返ると、牢獄に繋がれていた《俺》は相も変わらず一人震えていた。
今、俺の目の前には断頭台がある。これから俺の処刑が始まるのだ。
野次馬は居ない。居るのは俺と処刑人だけ。
その処刑人は奴だった。
「何か言い残すことは?」
「皮肉なものだな。まさか《俺自身》の手で引導を渡されるとは」
奴は眉一つ動かさず、感情の無い目で俺を見つめている。
「それだけか?」
「質問がある。俺の魔力が少しだけとはいえ度々戻っていたのは何故だ?」
「俺自身の理性が揺らいだ為だ。この大魔術の欠点でもある。少し気を抜けば、貴様等《罪格》は俺の身体を蝕もうとする」
頭上では鋭く輝くギロチンが揺れていた。流石の俺もこれで首を落とされればひとたまりも無い。
「なるほど。これが魔術か。では、俺はここで死ぬとどうなる?」
「お前は二度と俺の中には生れない」
そう言うと、奴は断頭台のギロチンへと繋がる縄に、冷たく光る刃を翳した。
「お前が俺の妹を殺した。お前の罪は《傲慢》。周りから持て囃され、期待され、己が力を過信した事で生まれたお前は、己が道を見誤り、己が瞳を曇らせた。故に、お前とは此処で決別する」
「そうか、次に貴様に会った時は形すら分からぬ程無惨に殺してやろうと思ったが、どうやらその必要は無いらしい」
「御託はいい。ではさらばだ」
奴は一瞬の迷いも無く縄を切った。
俺が最後に見たのは切り離された自分の身体と、俺を殺してなお表情一つ変えない『俺』の姿だった。
古い文献にこのような御伽噺が残っている。
昔、神術師と謳われるほど魔術を使いこなし、富と名声を恣にした者がいた。
その者は多くの者に慕われ、敬われ、畏れられていたが、ある時己の力の過信により最愛の妹を亡くしてしまう。
それからというもの、彼は自らを何の犠牲も生まない完璧な人間たらしめるために、その妨げとなるであろう余計な感情を全て《弱さ》として己が内から排除しようとした。
ときに、その者は禁忌を犯す大魔術を使い、《自分自身》の業を七つに分け、それを罪を成す己が人格、すなわち《罪格》として裁き、その一人一人を淘汰して行く事により完璧な人間へと近付いて行った。
しかし、その者が辿りついた場所は、ただの無であった。
《自分自身》を淘汰した事によりそのものの感情は失われ、心を壊し、人間と呼ぶには程遠い存在になってしまった。
やがてその者は魔物と成り果て、凄惨な末路を辿ったのは言うまでもない。
これは、完璧な人間に成ろうとして、人間であることを捨てた天才魔術師のお話。
息抜きに書きました。
ミイラ取りがミイラになる話を書いてみようと思い、今まで触れてこなかったファンタジーを取り入れてみました。
ご感想などお待ちしております。